これ魔王さまの仕事なの?

農神(みのりがみ)トール

第1話 魔王になっちゃった

 『パーン』

 

 強烈な破裂音が室内に響き渡った。


(えっ、壁? 俺、ベッドの上にいたよね……。ヘビー級王者の右フック並みやん。くらったことないから知らんけど)


「ま、魔王さま。も、申し訳ございせん」

 目の前には手をパタパタさせ、慌てふためくメイドさんがいる。

「い、いや、いいんだ……。俺がブッ叩いたら元に戻るなんて言ったからな。目は覚めたよ。すぐ食堂に行く」

「ではお着替えを……」

「いや、すぐに行くから」


 メイドを無理やり部屋から追い出し、右頬をさすりながらベッドに腰かける。ベッドがある時点で、自分の部屋ではないことはわかっていた。

 腰かけたがすぐに立ち上がり、手をにぎにぎしたり、足を上げたり下げたりしてみる。思うがままに動かせる。


「それなら、いいか」


 食堂に行くために、廊下に出た。窓の外には見たことのない景色が広がっている。

 曲がり角まで来たときだった。


「った……。ま……さまは。ク……ス……イン君、ちゃ……と起こ……のかね?」


 二つあるドアの手前の方から、誰かを叱責する男の声が聞こえてきた。

(やべっ、俺のせいだよな……)

 

 ここが食堂だろうと思いドアを開く。


「いやー、すまん。早くはないが、おは よ……ぅ」


 二人の視線が突き刺さる。


「魔王さま、ちょっとこちらに」

 ヒンヤリとした、確実に怒られるトーンでメイドさんに呼ばれた。


「あっ、あの……、ゴキゲーン、ナーナメ、デースネー」


 場をなごませようと冗談めかして言ってみた。こんなことで場が和むなら、争いなんて起きないだろう。


「なぜパジャマのままなのでしょうか。『お着替えを』と言いましたよね?」

「い、いやー、着替えってどこかにあったのかな……」

 苦笑いとともに、部屋の隅にクローゼットがあったのを思い出した。

「そうですか、クローゼットが見えませんでしたか……。魔王さまの目は『ふ・し・あ・な』ですか? 首の上に乗っかっているものはお飾りですか? なにが詰まってるんですか? 空っぽですか?」

(う~ん、最高! こういうのもありだな)

 そんなことを考えていると、先に席に着いている初老の男からも、「魔王さま、冗談もほどほどに願います」とたしなめられた。


「スマン、着替えてくる」


 がっくりと肩を落とし部屋を出ようとすると、「それこそ時間の無駄です。このまま打ち合わせにしましょう」と止められた。


「マリー君、朝食の準備を」


(クソッ、飯ぐらい好きな恰好で食わせろ……)

 そんなことを思いながら椅子に腰かける。


「本日……、午……は、……部署から……」


(広い食堂だなー。あっ、台所が半分見える)

 俺の興味は完全に別のところに向いていて、目の前で説明する男の言葉は右の耳から左の耳だ。


 とうぜん、「ちょっと魔王さま、聞いてますか?」と注意された。


「えっ……、ちょっと考えごとしてた。それで?」

「今日の九時から会議、昼食後は城下の視察でございます」

 そこまで聞いて、「今日の予定は全てキャンセルだ」と魔王らしい態度で話をぶった切る。


「悪いが、一人にしてほしい。今日だけでいい」


 なにか言いたそうな顔はされたが、魔王には逆らえないのだろう、渋々だが了承された。

 そうなると、ここに長居しても意味はない。冷めたスープでパンを流し込み、俺はさっさと部屋に戻った。


 そしてまずはこれだ。


「俺は誰だ?」


 わかってはいるが、念のためだ。


「俺は、佐藤さとう義行よしゆき四十歳。東京にある大学を卒業して、近郊の市役所に就職。仕事より自分の生活を重視。休日はメイド喫茶巡りを楽しむ独身貴族」


「自分の記憶だな。『体は大人、頭脳は子ども』なんてのが一番タチ悪いからな」


 しかし、それはそれで別の使い道があるなとか思いながらクローゼットの開け、義行は無地のシャツと綿パンに着替えた。


 その後は部屋中を漁り、情報を集めまくった。これにより、ここは魔族の国で、朝からと呼ばれていたように、今は魔王だ。


 そんな役職、俺に務まるのかと思いながら、机の上にあった法律書のようなものを読んでいく。

 これだけに午前中をまるまる使い、あっという間に昼食となった。朝食と変わらない質素な昼食を取り、午後は外に出てみることにした。


「あのさクリステイン、ちょっと外に出ようと思うんだけど?」

「外でございますか?」

「いや、外といっても、敷地内を見て回るだけだから」

「はぁ……。では、十八時半から夕食になりますので、それまでにお戻りください」

「ほ~い」

 そう言って、義行は食堂を出て玄関に向かった。


(いいか、振り返えるなよ。なんで魔王が許可を取って敷地内を見て回るんだ。それに、魔王が『ほ~い』なんて返事はせんだろう)


 ビクビクしながら歩く義行の背後では、案の定、クリステインが胡乱うろんげな目で魔王さまを見ていた。


 義行はそれを無視して外に出た。


 その目に飛び込んできたのは、東京ドーム四つ分はあるだろう、広大な庭だ。その先には城下町が見える。


 義行は玄関前の土手に座り、門の向こうを眺める。そこは中世ヨーロッパという感じで、石造りの家が並び、楽しげな声も聞こえてくる。最初は、『魔族?』って思ったが、人間と変わるところはないし、ちょっと拍子抜けの義行だった。


 土手に横になり、空を眺めた。気持ちのいい風が頬を撫でる。そうしていると、頭上から声がした。


「魔王さま、どうかされましたか? 朝から様子が変ですが……」

「ん? クリステインか。そうか、変か……」

 義行は体を起こした。

「はい。朝が弱いのはいつものことですが、それ以外では威厳があって、隙のない立ち居振る舞い、こんな風に土手に横になるなどあり得ませんでした。それがなぜ……」

「そうか、それが魔王か。そうだな……、人はちょっとしたことで考えが百八十度変わることがあるだろう? たぶん、今朝起きたときにそれが起こったんだろう」

 義行は適当なことを言って煙に巻くことにした。

「寝て起きたら……」

「世の中なにが起こるかわからない。だから面白いんじゃないのか?」

 そう言って義行は再び土手に横になった。


「そうですか、これが新生魔王さまなのですね」

「新生? 別に新しいとか古いとか、そんなことじゃない」

 義行はそのまま目をつむり、寝たふりを決め込んだ。


 どのくらいたっただろう、クリステインはいなくなっていた。


「悪いな。俺は、今ここを追い出されるわけにはいかんのだ」

 

 義行は起き上がり、屋敷の裏に向かった。

 そこは畑になっていた。


「自ら食糧調達か。なるほどな、この国はそういう状態なんだろうな」


 畑の傍に二人のメイドが見えた。一人は朝も見た料理担当のマリーで、もう一人はまだ見ぬメイドだ。


「マリー、こんなとこで農作業か?」

「魔王さま。いや、俺っちは今日の夕飯の材料をもらいに来ただけっす」

 目の前に畑には、キャベツとサラダ菜が生っている。今日の晩もサラダが確定した瞬間だ。

「この畑はマリーが管理してるのか?」

「いや、ノノが世話してるっす」

 三人目のメイドは、ノノだ。

「ノノ、これからもうまい野菜を頼むな」

「お任せください、魔王さま」


 それ以上話すこともなかったので、義行は自室に戻った。

 なんだかんだで四時間近く外にいたようで、時刻は十七時を回っている。街の状態や国民の生活状況をどうやって確認するか、ベッドに横になって考えた。


 そんなことをしていると夕食ができたと告げられ、義行は食堂に向かった。

 入るなり、テーブルの上に目が釘付けになった。魚の塩焼きが載っていた。


「マリーが獲ってきたの? それとも買ってきたの?」

「市場で買ってきたっすよ。量は多くないっすけど売ってるっす」

「わかった、それで十分だ」


 若干の匂いから川魚のようだが、贅沢は言ってられない。頭まで残さずいただいた義行だった。

 

 そして、明日の予定が決まった。

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