壁を舐める

 アーシェラをユーリが訪ねるしばらく前――


 「しまっ!」


 外が明るくなっている事に気付いたユーリはベッドから跳ね起きた。この世界に来てからどころか、数年間ぶりに寝坊したと思ったからだ。


 「・・・あれ?」


 辺りを見回すと見覚えのない部屋だ。着ている寝間着もサイズの大きなシャツではなく、可愛らしい女物だった。そこでようやく昨晩はアーシェラの屋敷の客間に泊まっていた事を思い出す。風呂から出た後、すぐに眠ってしまったのだった。


 ベッドから降りてもう一度部屋を見回すと、机の上に朝食が置かれていた。トーストと目玉焼きとベーコンにサラダ、よく見ると学食のトレーと皿だった。

 「朝ごはんはしっかり食べるように」とのメモが置かれている。

 そういえば、寮生は学食で朝食を摂っていると聞いた。アーシェラ達貴族も利用するような事があるのかも知れない。少し冷めているようだったが、ありがたく頂くとする。フランの前だと行儀悪い食べ方ができないが、今は姿勢を崩しても問題ないだろう。


 トーストを頬張りながら窓の外を見ると、城と湖が見えた。湖と屋敷の間には歩道があるようで、生垣の隙間から散歩をしている人影が見えた。確かにあの湖の周りはジョギングコースに良さそうだ。魔法学校ではマラソンのような授業は無さそうだったが、体力づくりにいいかもしれない。


 そんなことを考えながら体を伸ばすと、胸の部分がパツパツで苦しい。若干サイズが合っていないようだ。


 「んん――」


 胃が動き始め、脳がはっきりとしてくると昨晩の事を思い出してくる。スライム。

 死を感じたことは間違いないが、元の世界でも車に轢かれそうになったり体調不良で命の危険を感じたことはあった。だからだろうか、意外とその感覚に対して特別な感想は無かった。

 ただひとつ、悲鳴をあげる事が出来なかった事にユーリは驚いていた。恐怖を感じた時、身体が強張ってしまっていたと思う。そのような時に大声を発する事は難しいのだろうか。男性だった頃も含め、今まで大きな声をあげるような経験がなかったからかも知れない。


 (女の人って悲鳴を上げられるものだと思ってたけど、練習とかしてるのかな?――あ、あれは全部テレビドラマだ。練習、してるんだ)

 

 つまり、普通の人は悲鳴をあげる事が難しい。


 そういえば元の世界でも防犯ブザーというものがあったが、似たようなものはこの世界にもあるのだろうか。だとすれば、それも購入しておくべきかも知れない。


 そんなことを考えながらベーコンと目玉焼きを平らげたとき、メモの裏に何か書いてある事に気付いた。

 

 「なんだろ」


 見ると、アーシェラの筆跡でメモが書かれていた。押し入れのハンガーラックにユーリの制服が掛けてある事、屋敷の二階から直接城への連絡通路がある事。

 そこから通学すれば良いということか。

 そこまで伝えるという事はアーシェラはもう仕事に向かったのだろう。


 (七賢者ってこんな朝早くから仕事があるんだな・・・大変だなあ)


 時計を見ると7時30分を指している。

 魔法学校は元の世界の大学に近く一限目は9時過ぎからの開始だった。この距離なら急ぐ必要はないが、少し早めに移動しておくのもいいだろう。どうせアーシェラも居ないのであれば、屋敷でゆっくりする理由もない。


 「ん~、図書室は8時からだったよね」


 本でも読んで時間を潰すのもいいと考え、ユーリは朝の準備を開始した。


 「ふふ~ん、ふんふ~ん」


 鼻歌を歌いながら、ドレッサーに置かれていた櫛で髪を解かす。昨晩高級シャンプーやトリートメントを使った影響かは判らなかったが、櫛の通りが良く髪はすぐに整った。

 新品のように綺麗になった――アーシェラが洗ったのだろうか――に着替え、部屋の外に出る。寝間着と朝食の皿はそのままにしておいて良いとメモに記載があった。


 昨晩はよくわからなかったが、本当に広い屋敷のようだ。階段を見つけて二階にあがる。城への連絡通路は思ったよりすぐに見つかった。

 何故か人の気配が無い。貴族の朝は遅いのかも知れないが、メイドや執事などの姿も見当たらない。昨晩もアーシェラ以外の誰とも顔を合せていないので、特殊な事情があるのかも知れないと思った。


 連絡通路から見下ろすと左側に城の正門が見えた。そのまま少し進むとユーリが初日に座っていたベンチが目に入る。


 ユーリがこの世界に来てからまだ一週間しか経っていなかったが、もう一ヶ月くらいは経過したような感覚があった。新生活というのはいつでも濃密に感じるものだが、今回は異世界への引っ越しの上に性別まで変わったせいで余計に濃いものに感じられる。


 「やっぱり異世界って違うなぁ」


 連絡通路に吹き付ける冷たい風を感じながら、ユーリは城の方へ進んでいった。


□ □ □


 「あれ・・・アーシェラ様?」


 連絡通路から教室のある一階へユーリが向かうおうとしたところ、貴族の研究室がある区画で肩を落として歩くアーシェラを見つけた。

 貴族の研究室とは言っても教員や生徒と協力して研究をするためのもので、生徒も自由に出入り可能だ。一般公開できないような研究は、秘密の地下研究所が使われているというのが魔法学院の噂だった。アーシェラ曰く、実際には各貴族の屋敷で各自研究しているとの事だったが。


 追いつこうと足を速めたところで、アーシェラが進む方向を変えた。姿が消える。


 「――あ」


 昨日のスライムについて確認するため、アーシェラの入っていった曲がり角に向かう。曲がった直後にドアを開けて閉める音が聞こえていた。すぐ近くの部屋に入ったのだろう。


 曲がり角まで進んでから通路を覗き込んだが、当然アーシェラの姿は無い。

 近くの部屋から名札を確認していく。

 しかし、


 「あれ?『ワイヤード』が無い?」


 左右6個の扉を確認したが、彼女の名札は見当たらなかった。


 「あれぇ――」


 他の貴族の部屋に入っていったのかもしれない。流石にユーリと面識の無い人物の部屋には入りにくい。

 念のため、今まで受けた授業を受けた教員や貴族の名前が無いかを確認したが、その名札も見当たらなかった。


 「ううむ・・・」


 部屋から話声も聞こえてこないため、アーシェラが居る部屋の判断はできなかった。アーシェラが出てくるまで待つかとも考えたが、こんなところで棒立ちするのは気が引ける。


 仕方なく、元の目的通り図書室へ向かおうと振り返る。


 「んん?」


 ユーリは、違和感に気付いた。


 「扉の間隔がおかしい・・・」


 左手側の部屋の扉は等間隔になっているのに、右手側は間隔が広い。いや、一つ扉が足りない。一つだけ部屋の大きさが違う可能性もあるが、それならば扉の位置はもっと手前に配置するべきではないだろうか。

 それは、数々のRPGで隠し通路を探す事で訓練された第六感だった。


 ユーリが目を凝らして扉があると思われる辺りの壁を見つめる。


 「あ、なんか光ってる?」


 目を凝らすと、ぼんやりと光のようなものが見えてきた。

 更に注視すると次第に光は扉の形を模っていった。魔法的な仕掛けなのだろうが、ユーリは幻影魔法を解除するような魔法を取得はしていない。何か別の仕組みなのだろう。

 だが、根本的な理由はわからなかった。


 ぼやけた扉には『ワイヤード』と記載があった。

 ノックをしてみるが返事は無い。ドアを軽く押してみると鍵は掛かっていなかった。ゆっくりと入室する。


 「失礼しまーす・・・」 


 小さく声をかけてみたが、やはり返事は無い。


 殺風景な部屋だった。執務机一つがぽつんと置かれていて、室内には誰も居ない。壁際には棚が並んでいるが、殆どが空だった。魔法で隠された部屋だというのに、不自然だ。


 「これはもう一つ隠し扉があるパターンだな~」


 まるでADVゲームのようだと感じ、段々と楽しくなってきたユーリは空の棚を一つ一つ見つめていった。何も変化はない。


 次に正面の壁を見つめる。右端の方に先ほどと同じようにぼんやりと光の枠が見えた。


 近づいて触れてみると見た目とは異なる材質が指先から感じられる。さらにじっくりと見つめると、扉が見えてきた。

 小さく、囁くように勝利を宣言する。


 「隠し扉、発見~」


 しかし、隠し扉にしているということは人に見られたくない物があるのだろうか。一瞬考え込んだが、足音でユーリの存在は気付かれているだろう。ここで引き返すと逆に不自然だ。


 とりあえず状況を聞いてみて、ダメそうなら機会を改めればいい。そう考えて扉をノックする。


 「どうぞ」


 不機嫌そうな声が返って来た。朝の仕事で何かあったのだろうか。そもそも早朝からの仕事で不機嫌なのかも知れない。

 ここは気付かないふりをして、軽い雰囲気で会話を投げかけてみる事にする。


 「失礼します、アーシェラ様。これ、なんです?なんかぼんやり光ってますけど、魔法ですか?」


 「えぇ――」


 ユーリが扉を指さしながら部屋を覗き込んだ。

 執務机に座るアーシェラがそこに居た。不機嫌そうな顔はしておらず、まるで酸っぱいものでも食べた時のような表情をしていた。

 顔のパーツを中心に寄せたような変顔。可笑しいというより、可愛らしい感じがした。


 「どうしたんですか?変な顔して」


 アーシェラの突然の変顔に、思わずユーリは首を傾げたのだった。

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美少女なら人生イージーモードって本当ですか?『友達』になってくれますか? 犬道(いぬみち) @Inumichi

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