スライムの役割
「あら、こんな夜遅くにどうしたの?」
薄暗い大通りをユーリが小走りで走っていると、知った顔に声をかけられた。
当初は全力で走る予定だったのだが、低めだがヒールのある靴と給仕服のロングスカートが思いのほか走りにくく、駆け足どころか小走りになってしまっていた。
振り向くと、美しい立ち姿の女性――の着飾りをした男性、ベナスだった。
「あっ!ベナスさんこんばんは。これ、忘れ物を学校の先生――ワイヤード様に届けるんです!」
答えてそのまま、ワイヤード邸の続く通りに進んでいった。
フランもベナスと同じように小言を言っていた事を思い出し、心の中で謝っておく。
幸いこの街は魔法の街灯が点在しており、大き目の通りが真っ暗になるようなことはない。それでも、現代日本の東京程明るくはなく、木造の建築物と静けさが相まって少し不気味な雰囲気を醸し出してしまっている。
アーシェラの姿はまだ見えない。歩くペースが速かったとしても、そろそろ追いついてもおかしくは無いと思うのだが、もしかしたら寒いので走って帰ってしまったのだろうか。
いや、彼女は飛翔できる。空を飛んだ可能性もあるのではないか。
「居ないよなあ」
空を見上げてみたが、アーシェラらしき人影は見当たらなかった。街灯のせいか夜空の星もそれほど多く見えない。
住宅街を抜け、公園のような場所にでると急に人気が無くなった。少し先の方、両脇に真っ黒な建物が建てられており、不気味さを一層引き立てていた。城の手前の公園と違い、植えられている木や草花がどうにも普通のものと違う。暗くて色はわからないが、形状も不気味な印象を受ける。
これはまるで・・・。
「・・・魔女の屋敷」
これはアーシェラの趣味だろうか。彼女の持ち物や執務室の雑貨は、煌びやかで比較的可愛らしいものが多かったと思う。魔法の研究などの為に特殊な植物を植えているのかも知れないが、一般人が立ち入り可能な場所に貴重なものや有毒な植物を配置するとも思えない。だが、これでは夜どころか昼間も誰もこの屋敷には寄ってこないだろう。
視界に入っている建物は明かりが灯っておらず、人の気配はない。アーシェラの住んでいる屋敷はまだ先だろう。不気味さは感じるが恐怖を感じる程ではなかった。
小走りのまま、ユーリは公園を進んでいく。
ユーリは一週間をこの世界で過ごしたが、街中でモンスターと遭遇するようなことは無かった。話を聞いたこともない。不審者は居るかもしれないが、人通りの全くないであろう場所で延々と待ち伏せするような人物も居ないだろう。万が一の時は身体強化で全力でアーシェラの屋敷まで走り、助けを呼ぶ事もできる。
給仕服の上に防寒用のジャケットを着ているが、サイズが合っていないせいで隙間から冷気が入り込み、少しずつ身体が冷えてきていた。
――帰る前に屋敷で暖を取らせて貰う事は可能だろうか。
両脇に見えていた真っ黒な建物を通り過ぎ、少し進むと橋が見えてきた。近づくと川が流れている事がわかった。小さな川の流れに沿って、風が吹き付けてくる。通り過ぎようと思ったその時、橋の上に何かが設置されている事にユーリは気付いた。
暗闇のせいで大きな岩のようにも見えたそれは、身体を波打たせながら蠢いていた。生きている。月明りに照らされ、それが半透明であることがわかった。粘質の液体が、中心にある斑の球体を守るように存在している。
「・・・スライム?」
ゲームや創作において多くの作品で最弱として扱われるモンスター。それなのに、何故かエロ要素として利用される事が多いイメージをユーリも持っていた。この世界のスライムがどのような性質を持っているかはわからなかったが、アーシェラ曰くそれほどの強敵ではないという話でもあった。
だが、実際に目の前に存在するそれは思っていたよりも大きく、威圧感を与えてくる。簡単に倒せるようには思えなかった。
橋の横幅はそれ程広くはないが、避けて逃げる事も可能かもしれない。
(どうする・・・?)
アーシェラの忘れ物である魔法の杖を握りしめ、慎重にユーリはスライムの動きを窺った。
◆ ◆ ◆
スライムと対峙するユーリを、アーシェラは上空から見下ろしていた。ユーリからは見えないように光の魔法で姿を隠している。もちろん、スライムを用意したのはアーシェラ自身である。
スライムという魔法生物は戦争の道具として作成された。一体多数で逃げる時や逃げる敵を少人数で捕まえる為、足止めに使われる。人の動きを阻害するという単純な命令が組み込まれている。
普通に考えればユーリはスライムを避けてアーシェラの屋敷を目指すだろう。逃げることに失敗した場合は即座にスライムを処理すればいい。
万が一ユーリが隠している力でスライムを倒した場合、全力で足を止めて会話を試みる。その際、既に魔族がこの国で生活している事を説明する。彼女の目的次第だが、アーシェラ個人だけでなく国としても譲歩が可能である事を伝えれば、話し合う事は可能だろう。
魔法の杖を店に忘れた時、ユーリがアーシェラを追ってくる可能性は7割程度と考えていたが、どうやら上手くいったようだ。彼女の善意を利用したのは心苦しかったが、深夜にその行動は説教ものだった。自分の事は棚に上げておく。115歳なので。
「さて・・・キミはどうするんだい」
魔法の杖を握りしめるユーリを見下ろしながら、アーシェラは誰にともなく呟いた。
◆ ◆ ◆
「――――」
スライムの動きは緩慢だった。ユーリが屋敷に向かうことを邪魔するように左右に動きながら、少しずつ距離を詰めてくる。しかし、とても遅かった。最大速度なのか警戒しているためかはわからない。だが、この動きなら魔法を命中させることは難しくなさそうだ。
ユーリが使える魔法は身体強化と水、雷。その中の水は短い刃を出せる程度のため、スライム相手には役に立ちそうにはない。だが、電撃は少なからずダメージを与える事はできそうだ。たとえ倒す威力が無くても、牽制くらいの効果はあるだろう。
(その間に、逃げる)
そこまで考え、右手を付きだそうとしたところで自分が持っている魔法の杖が目に入った。アーシェラの杖。そして、昼の実技授業で一般的な魔法の杖を使った時の魔法の威力を思い出した。
(この杖を使って魔法を使ったら・・・?)
一度、試すくらいなら良いのではないか。威嚇の威力が上がるのもいいだろう。もしかしたら、倒せてしまうようなこともあるのではないか。思わずユーリは唾をゴクリと飲み込んだ。
スライムは未だゆっくりと距離を詰めてくるだけだ。
杖を両手で持ち、先端の宝石をスライムに向ける。意識を集中し、雷をイメージすると宝石の先端がバチバチと音を立ててスパークした。一般的な杖を使った時とは明らかに違う。驚く心を抑え込み、再度意識を集中する。魔力が暴れる感覚を抑え込むように。
狙いを定め、放射。
「っ!」
放たれた大きな電撃はスライムの側の地面を削って大きな音を立てて消えた。
(外れた!こんなに反動があるのか?)
段違いの威力の電撃が作り出した穴を見て、ユーリは驚いた。これならば、当たれば倒す事は造作もないだろう。もう一度杖に魔力を込めると、先ほどと同じく宝石の先端がスパークする。
反動を抑えるために杖を腰だめに構え、足から腰、腕と身体強化を施す。杖と同時に身体のあちこちに意識を集中するのは難しかったが、ここ数日自分の身体を朝晩眺めた事による効果か、思ったよりもしっかりと集中できた。元の世界で筋トレを続けていれば、造作もなかったかも知れない。
(外しはしない!)
再び狙いを定め、放射した。
――瞬間、
「あっ!?」
スライムがユーリに向かって跳躍した。
発射された電撃がスライムの身体を半分近く吹き飛ばしたが、致命傷は与えられていなかったのだ。スライムがユーリの身体にしがみ付く。
「つめたっ!?」
冬の外気に外気に晒されたスライムの身体は低温で、服の上からもしっかりと体温を奪いはじめる。ただ、幸いなことに身体をまさぐるような謎の動きは無かった。
「い、や――」
それでも、ユーリは激しい羞恥を感じていた。『外しはしない!』などと一人でカッコつけた事による羞恥心だった。これは良くない。声に出さなくて良かったと思う。カッコいい言葉は実力と経験に基づいて発するべきであると反省した。羞恥心で一瞬だけ噴き出した汗が外気とスライムによって冷やされる。声を出す事が出来ずにぷるぷると震える。顔だけが熱い。
うねうねと蠢くスライムはユーリの動きを阻害しようとするように、足元の方にも広がっていく。体積が減った分、動きが遅い。
「ああっ!くそっ!」
杖から右腕を離し、ユーリはスライムに手のひらを押し付ける。密着状態で電撃を放った場合は自分にもダメージがあるだろうが、もう自棄だった。
(こちとら社畜時代は毎日強衰弱状態でデバフとスリップダメージを受けながら生きてたんだ。電撃ぐらいなんだってんだ!)
意識を手のひらに集中させ、電撃をイメージする。
「おおおっ!」
だが、ぷすっと軽い音だけが鳴り響いた。
魔力切れ。アーシェラの強力な魔法の杖を使ったせいで、二発の電撃で魔力切れになってしまったのだ。
押し付けた手の平からスライムの身体が這い登ってくる。給仕服の袖の隙間から肘、腕、肩へ。魔力切れで身体強化も維持できず、ユーリは抵抗することができなかった。足も絡めとられ、地面に転がってしまう。抵抗できない事を自覚すると、とたんに気力が萎えた。どんどん身体が冷やされていく。粘質な物体が肌を這う不快感もある。この先にあるのは明らかな死だった。
(あれ、こんなところで死ぬ?)
異世界転生してからの一週間は順調だった。女の体にはなったが楽しいとも思えた。これからも楽しいことがあっただろう。それが、こんな簡単に終わる。それほどに自分は弱く、モンスターは凶悪なものだった。よく考えなくとも元の世界で、武器を持っているからといって動物と戦おうと判断することは無い。魔法が使えるからといって、戦ってみるという選択を選んだのは失敗だった。
「――――」
もはや声を上げて助けを求めるしかなかったが、どのように声を上げれば良いのかわからなかった。ユーリは助けを求めるという行為をしたことが無いし、そのシミュレーションの経験もない。練習しておけばよかった。「誰か」とか「きゃあ」と声を上げるのがいいのか?いや、アーシェラの名前を叫ぶべきだ。そんな事を漫然と考えたその時。
一本の光が走ったかと思うと、パシュッという音とともにスライムが爆散した。
見上げるとアーシェラがゆっくりと空から降りてきていた。
着地したアーシェラがユーリの身体を抱き上げる。温かい。
「ア・・・シェ・・・ラ・・・ぁ」
身体が冷えすぎて声が上手くでなかった。
◆ ◆ ◆
暫く様子を見ていたアーシェラだが、自分の判断が誤りであったと認識した瞬間、即座に分解の魔法でユーリに張り付いたスライムを破壊した。
特別隠した力は無いが、戦闘を選ぶ。その選択肢をユーリが選ぶとは考えていなかった。そのような行動を取るのは、10割が男子である。魔法学校での様々な統計でも女子が無理な戦闘を選ぶような結果は無かった。だが、考えが浅かった。ユーリは、アーシェラと同類で魔法に特別興味を持っている。それを試したいと考える可能性を考えるべきだった。性差などという物差しを使うべきではなかったのだろう。
「ア・・・シェ・・・ラ・・・ぁ」
緊張からか、様の部分が発音できていない。初めて会った時ぶりにされた呼び捨てが、余計にアーシェラの罪悪感を苛んだ。
恐怖もあったのだろう、普段ボディタッチを避けるどころか距離感が遠い印象のあるユーリが、今はアーシェラの胸に頭を埋めている。これも状況を利用したようになってしまい、思わずアーシェラは顔を歪ませた。
「・・・落ち着いたら、『渡り鳥』まで送るよ」
アーシェラがそう言うと、ユーリの身体が少し強張った。
「さ、さむい・・・です・・・」
ユーリの肌に触れると、冷え切っていた。これは早く温めた方が良さそうだ。
「うん。じゃあ、ボクの屋敷のお風呂をすぐに沸かすよ」
もう時間も遅い、ユーリは客間を使ってもらうとしよう。ユーリが風呂に入っている間に『渡り鳥』に説明に行っておこう。
「ご、ごめんな・・・さぃ・・・」
結局、ユーリは白か黒で言えば白という結果ではある。七賢者や元老院への報告も問題ないだろう。だが、アーシェラの心は全く晴れないどころか、沈み切ってしまっていた。
◆ ◆ ◆
「ふあ~!温まるう~!」
足を伸ばしても余裕がある湯船に浸かりながら、ユーリは身体が解れるのを感じていた。置いてあるボディソープ、シャンプー、トリートメントを使っても良いとのことだったので試してみたところ、指の通りが違う。高いものは、良いものだった。
スライムは気持ち悪かったが、その存在にはそれほど恐怖を植え付けられなかった。
それよりも、自分の戦い方を反省していた。強い武器に頼った結果、足元をすくわれてしまった。自分の魔力量を把握していなかった。敵の行動、パターン、弱点を学んでいなかった。
魔法の威力や魔力量に特化した才能が無いユーリは、魔法火力主体の戦い方は向いていない。そのため、剣と身体強化を主体として魔法をアクセントに使えるように学んでいる。魔法使いというより、魔法剣士といったスタイルだ。すぐに完成するスタイルではないが、色々な戦い方が出来て汎用性が高い。
(魔法の杖を使わずに、そのあたりの木の枝でも使って剣の代わりにした方がよかったかな?)
木の枝だとさすがに強度が低いだろうか。
木剣とかそれに近い携帯武器があればそれでもいいかも知れないが、武器を購入する金はまだない。素手での戦い方も考えた方がいいだろうか。今後色々考えてみよう。ユーリの頭の中は新作PRGを始めたばかり男子状態になっていた。最近は女性でも同じ症状になる事が報告されているが。
それにしても、思い返すと危ないところだった。アーシェラが助けてくれなければ、そのまま死んでしまっていたかも知れない。この世界のモンスターは人間と比べて極端に弱いというような事はない。その事がよくわかった。
「街中でもモンスターが出る事があるんだなあ・・・あ、でもアーシェラ様の敷地だからなのか?」
その事もあって、人が寄り付かないようになっているのかも知れない。そうだとしたら、自分はアーシェラを怒るべきなのだろうか。
「明日、聞いてみよ」
十分に身体が温まったユーリは、湯船から上がって脱衣所に置かれたバスタオルを手に取った。明らかな高級品であり、肌触りが違う。着替えに置かれている代えの下着も値段の張るものであることがわかる。アーシェラから中古品にはなるが洗っているとの事を説明されていた。サイズがユーリにピッタリのため、アーシェラのものではなさそうだ。
最後に可愛らしい寝間着を身に着ける。今日はもう遅いので、風呂から出たら最寄りの客間で寝るようにと言われていた。テーティスやフランにはアーシェラが伝えてくれるらしい。ベッドは今まで使った事のないサイズであり、マットレスも枕も羽毛布団もふわふわの高級品だった。手入れをあまりしていないとの事だったが、匂いなどが気になる事はなかった。
「ふああ・・・」
思わず欠伸が漏れた。今日はいつも以上によく眠れそうだ。
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