休日の飲酒

 「えっと、この辺りかな?」


 まだ早朝の肌寒い時間帯。少しずつ明るくなっていく空の下、ユーリは街の大通りを歩いていた。大きなバスケットを抱え、両腕にも袋を下げている。中身は様々な具材を挟んだサンドイッチだった。


 昨日の授業による筋肉痛もあるせいで若干辛い。サンドイッチは意外と重く、肉体強化魔法によってなんとか耐えている状態だった。少しの肉体強化程度であれば、街中で使っても問題なかった。


 テーティスから渡された簡単な地図によれば、注文先の建設現場はこの辺りになると思うのだが。


 「待て!泥棒!!」


 突如聞こえた叫び声の方を見ると、質素な服を着た黒髪の少女がユーリの方に向かって全力疾走してきていた。上はチュニックのような形状でズボンを履いている。一瞬少年かと思ったが、髪型と身体のフォルムから少女だと判断できた。


 (このままだとぶつかる!避けないと!)


 少女を躱すためにユーリが向かって右側に身体を移動させた瞬間、少女も同じ方向に身体を移動させてきた。避け切れない。


 「痛っ!」


 筋肉痛の腕に少女がぶつかり、思わず悲鳴をあげる。


 「きゃ!」


 ユーリと正面衝突した少女は、可愛らしい悲鳴をあげた。


 「――――」


 押し倒されて尻もちを付いた状態のユーリに、少女が乗っかかる姿勢。尻は痛むが、少女のクッションになれたため彼女の方は痛みはないだろうとポジティブに考える。

 ユーリが視線をあげると、少女の顔が目の前にあった。黒髪のボブ。だが、目が隠れるほどに前髪が長い。その隙間から覗く赤茶色の瞳がユーリの瞳を覗き込んでいた。


 「そのまま捕まえててくれ!」

 「っ!ごめんなさい!」


 遠くから聞こえる叫び声を聞いた瞬間、少女が飛び起きた。そして走り去っていく。ユーリが持っていたサンドイッチ入りの袋を一つ拾い上げて。


 「あっ!」


 『泥棒』という最初に聞こえた言葉を思い出しながら、追いかけようとユーリが立ち上がる。


 「ちょっと――」


 振り向いた時には少女の姿は既に無くなっていた。


 「ああ、クソッ!『ニシマチ』のガキめ――。っと、大丈夫かい?」


 追いかけてきたパン屋らしき男性も追いかけるのをやめ、尻もちを付いたままのユーリを心配して近寄ってきていた。

 もやっとしたものがユーリの胸に押しかかり、気分が濁っていく気がした。


 しかし、早朝の空は眩しいほどに快晴だった。


□ □ □ 

 

 「『ニシマチ』か。それは、西地区の方に住み着いた若者の事だね。繁華街再開発の影響であの辺りは空き家が多いんだ。この街に来たけど、色々あって行き場が無くなって、そこに住み着いてる子たちがそう呼ばれている」


 建設現場の親方に事情を伝え、一度酒場に戻ったユーリはテーティスが補充分のサンドイッチを作るのを待ちながら、彼女に先ほどの娘について質問した。その返答が今のものだ。

 ちなみに、盗まれた分をユーリが補填するような事はなかった。彼女が支払わない限りは店の不利益となる。


 この街ではユーリのように身寄りのないものでも魔法学校に通う事ができる。それに加えて住み込みで働くこともできるのに、何故そのような事になるのだろうか。


 テーティスは手を止めずに説明を続ける。


 「外からこの街に流れてきた子のなかには、学校になじめなかったり、働き先でトラブルに巻き込まれたりする事もある。そういう子達は、同じような境遇の仲間が居ると考えて西地区に集まっちまうんだよ。それとは別に、家庭環境に問題があって家出じみた事を繰り返してる子だっている」


 そういえば、元の世界でも同じような問題があった事を記憶している。

 どうしてそうなってしまうのだろう。


 「でも、この街ではそういった人達のための仕組みがあるんですよね?それなのになんで・・・」

 「そりゃ、その仕組みは大人が作ったものだからだろうね。大人に裏切られたと感じている子どもが、そう簡単に大人の手を取ったりできないよ。その仕組みを頼った結果、そうなってしまった子だっている。そんな場合なら、なおさらね」


 『ただでさえ女子生徒の定着率は男子生徒と比べて低いんだ、キミも気を付けて貰わないと』


 魔法学校の入学手続きの時、アーシェラがケント教諭に突っかかっていたことを思い出した。ユーリの知りえないところで、過去にトラブルがあったのだろうか。

 もしそうであれば、自分は運よくアーシェラとテーティスに出会う事ができた為に今の状況を得られたという事に過ぎない。

 少し歯車がずれていたら少女と同じ立場になっていた。そう考えると、背筋に冷たいものが走った。


 そして、自分が今の立場に安心している事に気付いた。

 

 (――なんか、いやだな)


 「でも、あんまり考えすぎない事だよ。優しいのはアンタのいいところだけど、自分に出来る事と出来ない事は理解する必要がある」


 表情に出てしまっていたのか、テーティスが諭すように言った。


 確かにその通りではある。ただ、理屈は理解できても簡単に納得できる問題ではない。今のユーリがその問題に首を突っ込んだところで、ミイラ取りがミイラになるだけでしかなかったとしても。

 ――力が足りない。もし、自分に力があれば何かができるのではないか。ほんの少しだけでも。

 正義感からの感情ではなかった。ただ単に少女と自分を重ねてしまっただけだった。


 それでも、その感情をユーリが収めるには暫くの時間がかかったのだった。


◆ ◆ ◆


 アーシェラは執務室でユーリ達を待っていた。玉ねぎは早起きをして朝市で購入済み。後は切る際に流れる涙を収集するだけ。

 早起きしたせいで眠い。


 「ふあぁ・・・遅いなぁ。まさか、トラブルにでも巻き込まれた?」


 ユーリの性格を考えると十分にあり得る。何故かはわからないが隙だらけなのだ。まるで、箱入り娘だったというよりは、女性として経験が浅いように感じる。一体どういう教育を施されたのだろうかと、アーシェラはユーリを育てた人物を想像した。

 男女の心身に違いはないものとして扱い、彼女に向けられる悪意や欲望を否定するような――。


 「・・・いや、だからこそユーリは家を飛び出したのかも知れないね」


 あの明るい性格からは想像がしにくいが、彼女が訳アリである事は間違いない。隠しているだけで、何か心に傷を負っている可能性もある。

 昼の時間に入って二杯目の紅茶を飲み干した時、執務室の扉がノックされた。ユーリだろう。


 「どうぞ、はいっていいよ!」


 若干声が高くなってしまっていた。今日は焦らされたのだから、仕方ないだろう。


 「なんじゃ、珍しくテンションが高いのう」

 「む・・・」


 入室してきた相手の顔を見て、アーシェラは声色を一段階下げる。70歳を超える老齢の男性が、白い口髭をさすりながら不思議そうな顔でアーシェラを見つめてきた。


 「何の用だい。ヴェンツェ卿・・・」

 「そりゃ、魔法道具の話に決まっとるだろ。ブロウトのインテリ小僧からもバロッカの脳筋坊主からも、『手錠』の強化をせっつかれとるからの」


 『手錠』というのは犯罪者を拘束する際、魔力の行使を阻害するための魔力道具の通称だった。まだプロトタイプのため正式名称は無い。


 「それは必要な事だけど、ボクは今「生徒」を持っているんだ。キミたち七賢者は後進の育成を邪魔をするつもりかい?」


 アーシェラの言葉を聞いて、ヴェンツェ卿はますます顔を曇らせながら答えた。


 「ふむ・・・。もちろん邪魔するつもりはないが・・・、今日は魔法学校休みじゃぞ」

 「なんだって!?」


 学校には定休日があるという事実は知っていた。

 しかし、ユーリと出会う以前のアーシェラが学校に来る際の殆どが午後遅い時間の学食であり、その時間には毎日多くの女生徒がいた。だから、定休日の存在が意識の外に行ってしまっていたのだ。

 なお、午後の学食に女生徒が多い理由は、食事もスイーツも街中よりも三割以上安い事がその理由だった。寮院生のために休日でも開かれた学食で、生徒達はティータイムを楽しんでいる。


 「ちなみに、明日も休みじゃよ」

 「・・・・・・」


 お前には今日も明日もユーリと会う機会は無い。

 そう告げられたように感じ、アーシェラは思いっきり顔をしかめたのだった。


◆ ◆ ◆


 「ん~、また新しい文字が・・・」


 折角の休みではあったが、ユーリは文字の勉強をしていた。

 読むことはできるが書くことが出来ない。という不思議な感覚を続けるのは少し気持ちが悪かったし、文字を読むことは酒場の仕事でも注文を取る際に必要だったからだ。それと、9歳のラケシスが出来る事を自分が出来ない事実が少し恥ずかしかったこともある。


 「まあ、集中力は続いてるし」


 連日忙しい日々を送っているにも関わらず、朝起きれば体力は最大まで回復する。特に午前中は元気が有り余っていた。


 元の世界に居た時を思い出す。休みの日は昼過ぎまで寝て、日によっては昼から酒を飲んで二度寝をするような生活を送っていた。そんな自分が今では信じられなかった。何と愚かな事をしていたのだろう。

 そういえば、こちらに来てから酒を飲んでいない。酒が飲める年齢ではあった筈だが、仕事が終わるのが遅い時間のため手を付ける事がなかった。

 ――この世界の酒はどんな味がするのだろうか。


 「今日、勉強を頑張ったご褒美として一杯くらい飲んでもいいかな・・・」


 この世界に来てから暫くたった。小さなストレスも溜まっている気もするし、朝から感じているもやもやとした感じを酒でも飲んで忘れたかった。


 「――よし」


 未来の自分にご褒美を与え、ユーリは気合を入れて問題を解いていく。ラケシスが昨年使っていた問題集を――。


 だが、その時のユーリはまだ知らなかった。

 魔法学校の生徒規則では、あらゆる飲酒が禁止されている事を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る