最弱のモンスター
朝。
先日の疑問――「科学の発展によって魔法の衰退があるのか」についてケント教諭に尋ねてみた。
彼の答えは意外にも「世界的には科学の方が広まってきている」だった。科学よって生み出される発明品は身体状況に作用されにくいため、一般的にはそっちの方が広まっているというというのだ。ただ、この街は特殊で、一般人までもに魔法が普及しているためになかなか科学が浸透していないと分析されている。
ただ、魔法は一度覚えてしまえば道具のメンテナンスや資源が不要であるというメリットがある。自分1人の為にお湯を作ったり、野営で炎を作ったりするのであれば魔法の方に一日の長がある。
つまりケースバイケースでどちらも利用されている。というのが、この世界においての魔法と科学の立ち位置という話だ。
その回答を元にアーシェラに改めて尋ねたところ、
「んー。ロックハート教諭の説明とそんなに違いはないかな。魔法を行使するための魔力は人間の身体と世界を循環するものだけど、身体に蓄積できる魔力の量は個人の力量によって左右されるからね。好きなだけ大量にって訳にはいかない。科学の発明品は資源さえあれば、どれほど大きな事象でも継続的に発生させられる。本当に便利なものさ」
と返ってきた。
(循環――ってことは魔法はエコってことなのかな?科学の環境汚染のデメリットはこの世界ではまだ理解されていないかも知れない・・・。いや、それを考えると魔法にも魔力汚染みたいなものが――)
疑問が頭の中がぐるぐるとまわり、思考を一度整理する。
「魔法や化学が、自然に悪影響を与える事は無いんですか?」
「ん―、それはあるかも知れないね。ボクは科学の事は詳しくないけれど、人が行動できるキャパシティを考えると自然への影響が発生するっていうのは考えにくいんじゃないかな。――魔法の効果で自然を破壊する事はできるけど、自然にとっては小さな影響でしかないし――」
そこで言葉を区切り、
「――いや、ボクはそれが出来る、ね」
と苦い顔をした。
続けて「そんな事をする気はないけれど」と笑う。
「そう考えると、科学には人のキャパシティを超越してしまう可能性があるかも知れないね――。共和国あたりは、その事も考えているんじゃないかな?もしも考えてなかったとしても、歴史を重要視する王国が黙っていないだろうけど」
前に進む共和国と、過去を振り返る王国。だとすればこの国はどのような国なのだろう。またまた疑問が湧いてくるが、一旦保留にしておく。
「回答になってるかな?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございました」
「うん、話を戻すよ。人が魔法と科学のどちらを選ぶのか。それは――科学に長がある」
「やっぱり、そうなんですね」
「ん、ユーリもそう感じていたのかい?まあ、人間は基本的に怠惰な生き物だからね。勉強や修練が必要な魔法は、正直下火になってきてるのさ」
とアーシェラは嘆息していた。
確かに自分の人生の中でも、自身の頭や身体を使うよりも楽ができる方を選んできたように思う。
そんな会話の合間にも、ユーリは魔法を使い剣を振り回し続けた。熱心に。
汗ばんだ体操服が体に張り付いて気持ち悪かったが、それでも動きを止める事はない。
動く胸が邪魔だとも感じた。もっとしっかりとホールドできる下着はないのだろうか。
(――サラシとか、案外いいのかな?)
今まで――綾瀬悠里の送って来た人生では、体操服が汗まみれになるような事はただの一度も無かったのだが、ユーリ・アヤセはその事を覚えていなかった。
□ □ □
「二人は世界で最弱のモンスターは何だと思う?」
実技授業が終わってブレザーの制服に着替え終わったユーリとフランがお茶を飲みながら雑談をしていると、アーシェラが質問を投げかけてきた。
(最弱と言ったらスライムってイメージがあるけど)
この世界でのモンスターというのがわからない。そもそもスライムが存在するのかどうか。
「えっと、物語で読んだものだと一角うさぎでしょうか。村の周りは鹿や猪みたいな動物は多くいたんですが、モンスターはあまり見たことがなかったです」
(動物と、モンスターが別の概念なんだ・・・)
回答の難易度が一気に跳ね上がりそうだったが、フランも実物を見たわけではないと言っているので同じように答えていいだろう。アーシェラがユーリを見つめていた。
「私も実物を見た訳じゃないんですが、弱そうと言ったらスライムかな?」
「スライム?」
不思議そうにフランが呟く。まさか、スライムは物語上でも存在しないのだろうか?
と焦ったが、
「――フランは王国との国境辺りの出身なのかな?」
アーシェラが間に入った。
「はい、そうです。ナムル村というところなんですが」
「なるほど。あの辺りは王国も魔法国家も警備を厳しくしてるからね。モンスターも少ないんだよ。もちろん、この街の周りもね」
王国も警備をしているという事は、この国と王国は隣接しているのだろうか。関係性など気になる事はあったが、話がずれるためユーリは黙っておく事にした。
「一角うさぎは、北の方に居るモンスターだね。角が生えてはいるけど、それ程鋭利な角って訳じゃないから普通の兎と変わらないとも言える。モンスターとしては弱いと言える。ユーリの言ったスライムは魔法生物の一種で、粘質の身体で脳の役割をするコアが守られてる性質上弱いとは言いにくいかな。でも普通の冒険者なら簡単に倒す事はできるから、ある意味一角うさぎの方が厄介かもしれない」
スライムは存在する様だ。それもそれほど強くない。ユーリの不安は解消された。
「それで、最弱のモンスターって何なんですか?」
気になる。ユーリはアーシェラに尋ねた。
「最弱のモンスターなんて居ないよ。何を得意とするか、苦手とするかは人それぞれだからね」
「・・・」
「ごめんごめん、意地悪な質問だったね。これは昔流行ったジョークだったんだけど――、50年前だと昔すぎたかな?」
「――お母さんも、産まれていません」
とフラン。
「わ、私も。50年前だと、母が産まれた頃です――」
とユーリも返した。久しぶりに母の顔を思い出し、複雑な心境になる。元気にしているだろうか。
「まあ、色々な生物やモンスター事を知っておくと、いずれどこかで身を助けてくれるから、知識を得たと思って許して欲しい。――備えあれば、憂いなしってヤツさ」
(まあ確かに、そういうものかもな)
ウィンクをするアーシェラに、ユーリは頷く。
その後は比較的遭遇しやすいモンスターについて、アーシェラが説明を続けた。
黒板にチョークで絵を描いていたが、子供の落書きのようでどんな生物か全くわからなかった。
◆ ◆ ◆
『魔族による魔法都市侵略の可能性考察と、その防衛手段に関する報告書』
「はあ・・・」
執務室を出た後、ユーリとフラン別れたアーシェラは城の中の自身の研修室に移動していた。思わずため息が漏れる。
手に取った書類を机に置く。
「どうしてユーリはあんなに怪しいんだ・・・」
性格はいたって真面目で明るく素直。勉強も実技も熱心な優等生と言っていい。何かを企んでいる可能性は皆無だろう。だが、それはアーシェラがユーリと接して感じた主観でしかない。それを、七賢者も元老院も納得はしない。ましてや何かあった場合にユーリの事を知らない民衆が納得する訳がない。
昨日の身体強化の件を適当に屁理屈で報告しようと考えていた矢先に、
「――スライム」
魔法生物であるスライムは戦争直後であれば野生化したものが沢山生息していたが、100年が経過した今では殆どが討伐されている。物語としてスライムが出てくるのは戦時中や戦後直後の伝記が多く、弱いモンスターとしての記述は無い。
街を巡る排水溝の掃除に使われてはいるが、その姿を見る一般人は居ないし、名前を知る由もなかった。
「知識が偏っている上に、何かずれてるんだよなあ・・・」
面倒なので何とか誤魔化していこうと考えていたが、このペースで粗を出されては困る。他の七賢者に横槍を入れられては――、
ユーリと仲良くなる計画が破綻してしまう。
そんな事は阻止しなければならない。
彼女は何かを隠している雰囲気もある。魔族かも知れない。
ただ、別に彼女が魔族だったとしてもさして問題はないのだ。正体を公開して無害であることを証明できればいい。一般人に伝える必要もない。現に自らが魔族であることを公表している者が、貴族の中にもいるのだから。
ただ、戦後も魔族の国である帝国は他国との交流をほぼ拒絶しているため、一応の形で魔族を監視しているというのが現状だった。
例えばユーリが魔族ではないかと怪しまれて捕まったとしても、拷問を受けたりするようなことは決してない。
「とりあえず、早いところ先手を打っておくかな・・・」
アーシェラは鍵のかかった引き出しの中から白い球体を取り出した。黒い斑点が汚れのようにも見える。
直接ユーリに聞く事も考えたが、とぼけられた後に逃げ出してしまう可能性がある。それでは、ユーリと離れる事になってしまう。現段階では秘密を共有しあう程の関係はまだ築けていないと思う。
「身体を痛めつける訳でもないし。少し気持ち悪いかもしれないけど・・・」
力を隠しているようであれば難なく対処できるだろう。こちらが上空で待機しておけば、逃げられる事はない。逃げようとしたとしても、自分ならば余裕で足止めできる。なぜならば、
――この世に自分より強力な魔法使いは存在しないから。
そして足止めしている間に話を聞いて、なんとか説得すればいい。
ただ、アーシェラとしてはその可能性は限りなく低いと考えているが。
「――――」
白い球を見つめ、アーシェラは呟く。
「うーん、どうしようかな・・・。唾とか汗は気持ち悪い感じがするし、やっぱり涙かなあ。――うん、明日街に出て玉ねぎでも買ってこよう」
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