名前

 「・・・アーシェラ」


 ぼさぼさになった髪の毛を撫で付けながら、ユーリはジト目でアーシェラを見た。


 「ごめんごめん。初めて他の人と一緒に飛んだからか、上手くコントロールできなかったよ。重力のコントロールに集中しすぎて、風の動かし方が雑になってしまったのかな」


 この身体が他人のものである可能性があるのであれば、不用意に肌を晒したり勝手に使ったりすることは避けるべきだとユーリは感じていた。

 乱れた服と髪を直しながらユーリがジト目でアーシェラを非難したが、アーシェラは飄々とした様子で返した。


 話し方やその知識量から落ち着いた少女だと思っていたが、年相応の行動をする娘のようだ。

 コントロールが上手くいかなかったというのは本当のようで、アーシェラが被っている丈の浅い帽子もずれていた。


 「はあ・・・」


 ため息をつきながらユーリはアーシェラの帽子の位置を元に戻そうとしたが、初対面の頭や顔の近くを触られるのは抵抗があるのではないかとも思い、ユーリの手はアーシェラの頭上で止まる。


 「ん?おや、ありがとう。やはり少し状況が変わるとコントロールが難しくなるね。ボクもまだまだ修練がたりないな」


 しかし、アーシェラとしては触られても問題はないようだ。頭頂部をこちらに向けて動きを止めた。

 アーシェラはユーリの身長より頭一つ分程度低い。服装や顔つきも相まって、美人というより可愛らしいという印象が強い。


 (これ、帽子じゃなくてカチューシャなんだ)


 帽子だと思い込んでいたのは、カチューシャの飾りのようだ。装飾としては帽子部分がメインになるのだろうが。確かに、帽子では飛行魔法でふとした拍子に飛んで行ってしまうかも知れない。

 ユーリがカチューシャの位置を直していると、奥から職員らしき女性が近づいてきた。


 「ワイヤード様、こんな朝早くからいったいどうされたのですか?それに、その方は・・・」

 「ああ、この子は魔法学校の入学希望者だよ。外で待っていたから、ボクが声をかけたんだ」

 「はあ・・・そうなのですね。それでは用紙をお持ちしますので、少しお待ちください。」


 納得していないのか興味がないのかよくわからない返答をし、ユーリに軽く会釈をして女性が奥の方へ戻っていく。現代世界の役所のようにカウンターテーブルがいくつも連なっており、各窓口の役割を説明するための板が置かれていた。


 ユーリも会釈を返し、窓口の方へ近づいていくアーシェラの後を追う。向かってい先の板には『魔法学校編入手続き』とあった。


 「様って呼ばれてたけど・・・」

 「ん?一応、ボクも一応貴族だからね」


 貴族。平民よりも高貴な身分の人間。アーシェラの職員への態度はそういう背景ということかと腹落ちする。

 異世界転生でよくあるパターンだ、自分が貴族と教えずに驚かすお茶目なドッキリだったのだろう。


 (・・・アーシェラって呼び捨てしたらマズいんじゃないか?でも、アーシェラって呼ぶように言ってたし)


 どうしたものかと悩んでいると、職員が一枚の小さい用紙とペンを差し出してきた。

 書かれてあることは読めた。ファーストネーム、ミドルネーム、ファミリーネームといった意味だ。


 「これにサインをお願いします」


 例として書いてある名称がマクシミリアン・アルゼ・フォトンである事は理解できた。しかし、綾瀬悠里、ユーリ・アヤセの文字は補完できない。


 「すみません、私の出身で使っている文字と異なっているので、この文体で文字を書くことができなさそうです。文字は少しだけ読むことができるんですが」

 「おや、そうなのかい?だったらボクが代わりに書いてあげようか」


 横からアーシェラが助け舟をだしてくれたのでユーリはそれに乗り込もうとしたが、先に職員が口を開いた。


 「あ、いいえ!大丈夫ですよ!これはサインで大丈夫ですので、普段ご利用されている文字を使っても問題ありません!普段から文字を読み書きできないような孤児も多いので、ここでは筆跡を保管できれば問題ないんです」


 ここで文字が書けない事が確認できれば、魔法技術よりも先に言語の勉強などを取得するカリキュラムを受けることもできるそうだ。詳細は後程教員に聞いて欲しいとのことだった。

 何故か覗き込んでくるアーシェラを横目に、ユーリはカタカナでユーリ・アヤセと名前を記入した。ミドルネームの欄は空欄だ。


 「おや、アヤセはファミリーネームを持っているのかい?」


 アーシェラが疑問を口にする。どうやらこの世界では全員がファミリーネームを持つ訳では無い様だ。


 「ううん。アヤセがファミリーネームだよ」


 そう返しながら、ファミリーネームを持っている理由の引き出しを探しておく。例えば貴族以上しかファミリーネームを持たないということであれば、没落貴族の末裔で今は平民だとかなんだとか。


 「え!じゃあファーストネームはなんて言うんだい!?」


 何故か声を張り上げて質問してくるアーシェラ。

 ひとまずファーストネームを答えようとしたユーリの言葉は、視界の端にある階段の方から聞こえてきた大声にかき消された。


 「ワイヤード卿!上から見えたのだが、高速飛行魔法を使って『塔』へ飛び込んで来るなど、何か事件でもあったのか!?」


 見やると、二人の男性が階段を下りながらこちらを見ている。

 一人は眼鏡をかけた優しい顔つきの男性で年齢は30歳より少し上くらいだろうか。

 もう一人は対照的に目つきの鋭い髪をオールバックにした男性で、年齢は40歳から50歳といった風貌だった。声を上げたのはこちらの男性の様だ。


 「あー・・・いや、何もないよ。アヤセ・・・この子が魔法にとても興味があるようだったから、体験させてあげようと思っただけだよ」

 「な・・・!いや、それならいい。しかし、普段から研究室か屋敷に籠って人と関わない貴女が、あのような行動を取っては大事件でも起きたのかと勘違いしてしまうだろう」


 目つきの鋭い男性は表情は変えずにため息をつき、身体の力を抜いたようだった。見た目からは蛇のような印象を受けたが、怖い人では無いのかもしれない。


 「貴女は・・・魔法学校の入学希望者ですか?」


 階段を降り切ってこちらに近づいてきた男性のうち、眼鏡の男性がユーリに声をかける。


 「はい。そうです」

 「なるほど、どういったカリキュラムを取得するか、もう決められていますか?」

 「え、選択式なんですか?」


 てっきり義務教育方針かと思い込んでいた。


 「キミは・・・知らなかったのかい?」

 「あはは、まあ知らずにやってくる子は多いですよ」


 呆れるアーシェラに対して、眼鏡の男性がフォローをする。


 「そうですね・・・今から朝礼まで少しだけ時間があるので、よければその説明と手続きを私がしましょうか。業務時間前なのであまり時間はありませんが」


 自分から率先して業務時間外労働をしようとする姿に、先日までの自分が重なる。


 「いえ、お仕事が始まるのを待ちます」


 思わずそう返していた。


 「どうしてだい?」

 「おや、何故ですか?」


 アーシェラと眼鏡の男性が同時に声を上げる。


 (ううむ、はっきり説明するのは難しいな。でも業務時間前だし・・・あ)


 一つ思い出した。


 「えっと、お仕事の前に一杯コーヒーを飲んだりする時間がないと、よしやるぞって気にならなかったりしませんか?そういうちょっとした時間って、大切だと思うので・・・」


 今の自分が言っても違和感のないように気を付けながら、答える。


 「あはは!それはそうだね。確かに、ボクも業務前には紅茶を飲まないと気分が乗らないね」


 アーシェラが笑い、眼鏡の男性も微笑む。


 「お気遣いありがとうございます。ですが、私は既に朝食後にコーヒーを飲んで仕事モードに切り替わっているので大丈夫ですよ。貴女さえよければ、ですが」


 そう返されると、断るのも心苦しい。


 「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 「はい。こちらこそよろしくお願いしますね」


 眼鏡の男性はそういった後、窓口の女性と会話を始めた。入学準備についてのようだ。


 「ところでワイヤード卿、ヴェンツェ卿が探しているようでしたよ。何か魔法道具の修理状況についてということでしたが」


 目つきの鋭い男性がアーシェラに向かって言った。


 「あのジジイが?・・・あ、忘れてた。今日の朝イチで報告するって言ってたんだった。ごめんねアヤセ、ボクはもう行かないといけないから」


 言って数段飛ばしで階段を駆け上がっていく。魔法使いはフィジカルが弱いというのはイメージでしかないし、アーシェラはまだ若い少女だ。


 「あ・・・」


 礼を言わなければと思い、ユーリはアーシェラに向けて感謝の言葉を伝えた。


 「ありがとうございました!アーシェラ様!」


 急ぎすぎたのかアーシェラは一瞬躓きそうになったが、振り返らずにそのまま駆けていった。

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