才能

 ゆるりとした軌道で地面に降り立った少女は、微笑んだままこちらを見上げていた。


 年の頃は今の悠里とそれほど変わらないくらいか、少し下といったくらいだろうか。愛嬌のある顔立ちで、傾向は違うが同じく美少女といって過言はない。


 「い、今空に浮いていたのって・・・魔法?」


 それが魔法であるという確信はあったが、悠里は少女に問わずにはいられなかった。

 普段は初対面の相手は同年代や年下であっても丁寧語や敬語で接する悠里だったが、驚きと興奮が勝りその作法を忘れてしまっていた。


 「うん、そうだよ。空を飛ぶ魔法さ」


 頭の片隅に話し方を変えるかどうかの選択肢があがったが、少女の方もフランクに答えてきたため選択肢は取り下げられた。

 百聞は一見に如かずというが、魔法が存在するという事実を認識していた時と、この目で実際に目撃した時の衝撃は次元の異なるものだった。


 魔法陣が浮かび上がるような派手なエフェクトもなく、山を吹き飛ばすような破壊力を見せられた訳でもない、ただ空中に滞空し着地しただけではある。それでも、アニメや小説、ゲーム、様々な作品で何度も見た空中浮遊。独力で空を飛ぶことができない人間という種が、大昔から夢に見て描き続けた姿。


 「わ!私にもそれが使えるようになるかな!?」


 思わず声を張り上げる悠里に、少女は少し難しそうな顔をして答えた。


 「んー、この魔法は複数の魔法を組み合わせてコントールすることで、空に浮いて移動するって事を実現しているんだけどね・・・。その方向に才能があったとして、風の魔法は難しくないだけど、もう一つの魔法が・・・なんて説明すればいいかな。あんまり説明は得意じゃないんだよね」


 少女は腕を組み、首をかしげる。

 空を飛ぶ魔法や能力は様々にあるが、風ともう一つを組み合わせるとくれば重力しかない。


 「・・・あ、そうだ。重力ってわかるかな?」


 少女の話は途中であったが、冷静さを欠いた悠里は食い気味に言葉を被せた。


 「うん、わかる!やっぱり、重力の魔法で重さを無くして、風の魔法で身体を浮かせたり動かしたりするの!?」


 思わず、よくあるファンタジーの魔法の説明を引用してしまった。


 「おや、知っているんだ。この国では標準教育のなかに重力について詳しく説明がされていないんだけど・・・」


 あまり気にした様子ではなかったが、そのように言われると何か言い訳をしておいた方がよさそうな気がしてしまう。


 「あ、私は少し辺境の方で育ったから・・・」


 困ったときの辺境育ち。様々な作品に接することで身体に染み付いた嘘は、自分でも引くほどに口から自然に流れ出た。


 「そっか。えーっと・・・」


 少女が反応しながら城の方を振り返る。その態度から納得したのかどうかは、よくわからなかったがあまり気にしている様子はないように見える。


 (この言葉もある意味魔法だなあ)


 現実世界でも住所や所属組織の情報を濁して伝えたいときに『田舎の方』や『技術系の会社で』というような表現を使う。それに近い感覚かも知れない。


 「まだ少し、入れそうにないね」


 視線の方をみると、大きな門はまだ閉じたままだった。遠くてはっきりとは聞こえないが、大きな金具が擦れるような音がする。工事現場で聞くような音に近い。


 「もしかして、重力の魔法って他の魔法よりも難しいの?」


 悠里は少し気分を落ち着かせてから、思った疑問を口にする。通常の属性よりも、重力や光闇のような魔法は上級であることが常だ。ゲームでは。

 少女はゆっくりと視線を戻しながら、答えた。


 「んー・・・まあ、それもあるね。どちらかというと、重力の詳しい概念が無いと重さをゼロにすることはできても、逆の方向に力を働かす発想がなかったりするからね。風の魔法だけじゃ、どうしても動きが直線的になってしまうから空を飛ぶって感じじゃなくなるかな。風の魔法だけで無理に方向転換すると関節が折れちゃうしね」


 そこまで聞かされて、一つの疑問が浮かんだ。そのような魔法について、聞いてしまってもいいのだろうか。高度な魔法で、一般公開されないような魔法ではないのだろうか。


 「あの・・・聞いちゃってからで申し訳ないんだけど、魔法の事って・・・そんなに聞いちゃってもいいものなのかな?」


 おずおずと質問する悠里に少女は笑って答えた。


 「うん、問題ないよ。特にこの魔法はコントロールが難しいって言っただろう?まともに使えるようになるには、この魔法だけを毎日練習し続けて10年とかかかるんじゃないかな?長い期間を使って、ただ空を飛ぶだけの事ができるようになりたいって人間は実際いままで見たことがないし、この国でも数えるくらいしか使える人間はいないよ。むしろ率先して伝授していきたいくらいさ」


 (10年!?魔法の習熟にはそんなにかかるのか?そんなんじゃあ、魔法を覚えて冒険するどころか、覚える前にジジイになるじゃないか!)


 実際にはこの身体でなるのはババアなのだが。


 「まあ、ボクみたいに才能がある人間であれば、もっと短い時間で取得することができたけどね。でも、逆に才能がなければもっと時間がかかる。まあ、重力の魔法が覚えるのが難しい部類っていうのもあるし。風の魔法なんかは使うだけなら数日で取得することもできるよ」

 「あ・・・そうなんだ」

 「なんというか、普段から身近にあって意識していたり深い知識がある事象の属性については、比較的早く使えるようになる傾向があるって感じかな」


 ホッと胸をなでおろす。使うだけの状態から次の段階がどれくらいあるのかわからなかったが、ジジイになるまで魔法学校に通うような事態にはならなそうだ。


 「ふむ。中に入れるようになるまでまだ少し時間があるね。ちょっといいかな」


 少女が右手を差し出してきた。


 「?」

 「ボクの手を握ってもらえるかな?少しぞくっとするかもしれないけど、得意な魔法の傾向を見てあげよう」


 (異世界転生で見たやつだ!)


 この場合には予習があろうがなかろうが結果は変わらないものではあるが、何故か悠里は嬉しさを感じてしまった。

 魔力量が多すぎて水晶が割れたり、逆に大きすぎて数値が計測できなかったり。もしくは世の中で発見されてないタイプの才能が観測できずに一度無能の烙印を押されてしまったりだ。

 天才的な才能を見出され、世界最高の魔法使いとして生きていく。そんな人生の転換点になりえる可能性に胸を高鳴りを止められなかった。


 少女の白い手を見る。


 (あれ、こんな美少女の手を、男の俺が触っても問題ないのか?)


 そんな事を考えてしまい、少しだけ手を出した状態で固まったが、少女が近づいてきたと思ったら躊躇なく悠里の手を握ってきた。今はどちらも美少女だからだろうか。

 思ったよりも小さく華奢な手だなと思った瞬間、身体の中を覗かれるような感覚に身体が強張った。


 「うん、なるほど。結構バランスがいい感じだね。突出して得意な属性があるというより、複数の魔法を使いこなせる感じかな」

 「あ・・・」


 悠里は思わず小さな声を漏らしてしまった。天才的な魔法な才能や、無尽蔵な魔力について言及がなかったせいではなく、ただ少女の手が柔らかく温かい事に感動しただけだった。

 綾瀬悠里は、幼稚園以降に女性の身体に触れた経験がない。体温の上昇とともに、顔が少しずつ赤くなっていくことを止めることができない。


 「悲観しなくていいよ。これは平均以上の才能があると思っていい。それに、魔法属性の得意不得意よりも、力の制御やコントールに向いている感覚があるね。使い方によっては・・・」


 少女は言葉を区切り、少しだけ複雑な表情を作った。


 (まさか、心が読まれた!?)


 能力を見るときに心も読んでしまう機能があり、気持ち悪いと思われてしまったか。それよりも男である事がバレてしまった可能性はないだろうか。そのような思考が巡らされる。


 「ごめん!大丈夫かい!?魔力を込めすぎてしまったかもしれない。眩暈や吐き気はあるかい?」


 不要な心配だった。


 「だ、大丈夫、気分も悪くないよ。ちょっとドキドキしただけで・・・」


 答えると、少女は微笑みを返してきた。


 「よかった。ああそうだ、個人的には水属性と雷属性を最初に習熟することをお勧めするよ。他よりも少し向いてそうだし。逆属性の炎と氷は少し苦手と感じるかもしれないね。とは言っても、今後どんな生活をしていくのかを考えて選ぶのが一番だけど」


 水と雷という事に悠里自身も納得する。身近なものが得意になりやすいということだったが、水は日本の資源として身近なものであるし、電気はもはや生活に無くてはならないものだ。


 「おや」


 少女が再び城の方に視線を向けた。


 「時間のようだね。受付までだけど、案内するよ。君の名前は?」


 名前を聞かれ、朝会った女将に名乗りもしなかったことを思い出す。考え込んでいた事もあるが、反省する。


 (なんて答えるべきだ?)


 この世界で綾瀬悠里という名前があるとも思えないが、別の名前を今から考えだすことも難しい。悠里という名前は男性でも女性でも使える名前のため、自身としても問題なさそうな気がする。

 城門が少しずつ開いていくなか、少女は悠里の答えを待っているようだった。


 (いや、別にここは普段通りで問題ないか)


 普段、別部署の社員や顧客、ベンダーに名刺を出すときのように。


 「私は、アヤセ・・・。アヤセ――」

 「アヤセ、だね。ボクはアーシェラ・メルテ・ワイヤード。アーシェラでいいよ」


 ユーリと発音する前に、言葉を被せられる。アヤセが名前だと思われたのだ。現実世界ではアヤセという名前もあるが、この世界でもそうなのだろうか。

 いや、そんなことよりもアーシェラと呼ぶように言っているのだから、自分もファーストネームを伝えるべきだ。


 「あ、いや。私の名前は」

 「アヤセ、大丈夫だよ。ちょっと変わった名前だけど覚えたから。さ、早く行こう。魔法は逃げないけど、時間は待ってくれないからね!」

 「え、待って・・・わあっ!」


 アーシェラ・メルテ・ワイヤードと名乗った魔法使いの少女は、ユーリの手を握ると宙に浮き、高速で城門へ飛び込んでいった。サービスだと言わんばかりに得意げな表情で。

 一方、アーシェラに手を引かれるユーリは空いた方の手と脚を必死に動かしていた。


 (スカートがめくれるーーーー!)


 この街では朝早くに役所に訪れるような人影はなく、ひらめくスカートから覗く純白の下着を見たものは居なかった。

 ただ、波一つない美しい湖面だけが、それを映していた。

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