41 餞別
チヨさんのリビング(ボクが勝手に呼んでいるだけの部屋)には三つの扉がある。
一つは玄関。これは言わずもがな。
二つ目は作業部屋。以前スライムを捌いたときに入った部屋だ。調理器具の他に、農具や工具なんかが置かれている。
そして、三つ目。この先には書庫がある。
扉を開けると廊下が左右に広がっており、正面にはリビングよりも広い空間がある。壁や扉の仕切りはない。オープンだ。
そこに天井まである本棚が三列、奥の壁近くまで並び、壁にもびっちりと埋め尽くすように置いてある。間取りに合わせてオーダーメイドしたと見える。
本棚同様に本も敷き詰められており、なんなら溢れているほどだ。
これほどあるなら売れば良いのではないだろうか。
そう思ったが、時代的に考えて本というのは貴重で、高価なものだ。印刷技術が進んでいない為、コピーも人力で行わなくてはならない。
そんな思考がよぎったが、しかし無線機などの技術があるのなら、印刷機があってもおかしくはないのでは?
この世界の技術の偏りに、判断しかねる。
「ボケっとするな、手を動かせ」カスミが埃にまみれてた顔で言う。
「分かってる」こちらに舞ってくる埃を手で払いながら答えた。
ボクとカスミは、小規模な図書館で、溢れた本の整理をしていた。
それがチヨさんの仕置きだった。
図書館と表現したが、どちらかと言えば、古い家に建っている蔵に近い。
実際の図書館と違い、本をしっかり管理する人間がいない為、仕舞われた本のジャンルはバラバラだったからだ。
作者名の順は、子供がキーボードを適当に押したかのようにデタラメだ。
床に置かれた本の山は、ピサの斜塔のように絶妙な傾きを見せている。
それがいくつも建っているのだから、作業は慎重に行わなくてはならない。
「っくしゅん!」
「おい、シスイ、よせ。可愛らしいくしゃみだって危険な地域だ」
「スン、すまない。埃っぽくてな。換気ができれば良いんだが……どうして窓がない?」
「チヨが本棚で埋めちまったからな。『日光で紙が痛む心配もなく、本棚も置ける。一石二鳥じゃねえか』ってな」
「なんて迷惑な」
「文句が絶えねえな」
チヨさんが腕を組みながら、廊下で監督していた。
「いえ、事実を並べているだけで、文句じゃないです」
「事実陳列罪だな」
「じゃあ、やめます?」
本棚から抜き取った本を、元に戻す仕草をする。
彼女は「ふん」と鼻を鳴らして、それ以上は言わなかった。
これくらいの軽口を叩ける程度には、ボクとチヨさんの間で、関係が築かれていた。
「それでシスイ。今日は何の授業をしようかねぇ」
「あの、チヨさん。今日は伝えたいことが……」
本を置くと、姿勢良く、チヨさんに体を向ける。
目が合うと、彼女は舌打ちをした。
「手を止めるな。動かしながらにしろ。……で、なんだ?」腕を組み直して言った。
「長旅に出ることになりました。アルガルムっていう街まで」
「そいつは随分と遠い場所に行く。何の為にだ?」眉をひそめる。
「ギルドカードの正規登録をする為に、それでグラニットの石碑という場所を訪れる必要がある、とギルドマスターから説明を受け、援助もしてくれるとなったので、行くことが決定しました」
彼女は少し目を大きくした。
驚いているのと、そんなことで遠出するのか、と呆れているに違いない。
組んでいる腕に添えられた手の指が、一定のリズムを刻み始める。
怒っているのではない。考え込んでいるときに、よく見られる癖だと、この二週間で知った。
「ふうん。じゃあ、私との授業はどうなる。やめるのか?」
「いえ、戻ってきたら、また学ぼうかと……」
「未熟な奴を遠出させる程、リスクなものはない」
ボクに対しての言葉ではない。
チヨさんの独り言だった。
ぶつぶつと何かを呟き始めると、壁に寄り掛かるのをやめて、廊下の右へと歩いて行く。
「あの、チヨさん?」
声は届いていないようで、虚空を見る。
すると突然、ボクの方へと迫って来た。
「な、なんです?」
「手袋、よこせ」
「え、あ……はい、どうぞ」
急いで手袋を脱ぐと、チヨさんの手の上に置く。
彼女から学んで以降、咄嗟の指示に、疑問を持つことなく従ってしまうようになっていた。
彼女の教育の賜物と言えるだろう。
手袋をひったくったチヨさんは、そのまま廊下の奥にある部屋へと入って行ってしまう。
バタンと扉が閉まる音。
音と共に、廊下に滞留していた圧迫感が抜けていった。
「……怒らせちゃったか?」
そうカスミに尋ねるのとは裏腹に、安心するボク。
「さてね。不機嫌な様子には見えなかったけど。それより、お前はいつまで休んでる?」
埃の付いた髪を指でとかしながら、カスミはボクを睨んでいた。
本棚の片づけが一区切りついたのは、日が真上に行かないくらいのときだった。
本の山は残り三割程でかなり進んだ。
けれど作者名やタイトルの関係上順番を直したりするから、また新しい山が積み上がるだろう。
実際の進行度は五割も行ってない可能性がある。
けれど、今は考えないようにしよう。
考えたところで労働に差が出る訳でもない。むしろ、憂鬱になるだけだ。
ボクは本棚の前の廊下で、カスミが持ってきた水を飲む。
「結局、チヨさんはアレから出てこないね」
「何をしているのかね。私も見当が付かない」
「チヨさんが入った部屋、あそこには何があるんだい?」
「倉庫だったはず。特殊なもの専用のな。私も入る機会がほとんどないから、これっぽっちも知らんね……お、噂をすれば、だ」
カスミの視線の方へ顔を向けると、チヨさんが丁度部屋から出て来たところだった。
「終わったのか?」
チヨさんは、ボクとカスミを交互に見て言う。
「半分程は、多分」
「そうか」
チヨさんはボク等の目の前にある本棚に寄り掛かると、いつものように腕を組む。
普段に比べて彼女の反応は素っ気ない。
いつもなら、作業速度に苦言を呈す場面だろう。
けれど彼女はただ押し黙って、ボクのことをじっと見る。
その瞳はボクの内を探っているようにも、ボクのことを透過して、その先にある別の何かを見ているようにも感じた。
どちらにせよ、ボクがチヨさんに尋ねるのは至って自然な流れだった。
「どうかしましたか?」
「シスイ。ここで学んで何日になる?」
「ええと、確か……八日と少しくらいだと思います」
「セシアは三年だ。才あるアイツですら三年掛けて、私が二人前だと判断した」
「一人前じゃないんですね」
「私に『一人前か?』と問う時点で、そいつは三人前だ。そしてお前はそれ以下だ」
「そうでしょうね」自虐交じりに微笑む。
否定しない。というより、できない、だ。
八日程度の学習で、それ否定するほどの傲慢さは育たない。
むしろ、半人前と言うことさえ憚られる。
「だが、そんなお前を送り出さなくちゃならない。だから、多少な。選別だ」
そう言うと、チヨさんは何かを投げる。
飛んできたのは、大きなビー玉。
咄嗟に投げられた為、落としそうになったが、何とか両手で受け取る。
手に入って来たビー玉を指で摘まんで、光に当てるように持ち上げる。
ビー玉は無色透明。柄が入っている訳でもなく、気泡もない。シンプルな球体だ。
ビー玉の周りには蔓が巻かれおり、蛇がとぐろを巻くように締め付けている。
「これは一体?」
「水晶玉だ。簡単な連絡手段と思ってくれれば良い」
「へぇ、便利ですね」
「これがあれば、いつでもリモートで授業ができるだろう?」
「ああ、そういう……」
リモートというワードを、この世界でも聞けるとは思わなかった。
気まぐれな完璧主義者のチヨさんらしいアイテムだ。
「それと、手袋を少し改良した」
「改良ですか?」
「以前、ゴブリン退治に行ったとき、グロウガンドを使ったのだろう? そのとき、反動で倒れたと聞いた。アレは風圧の調整が合わず、お前の方へ跳ね返って来たことで発生する現象だ。それをお前に合わせておいた。それと、もう一つの機能も調整をしておいた」
「もう一つの方ですか……。アレは危なっかしくて使いたくないんですけれど」
彼女の言う『もう一つの方』というのはグロウガンドとば別の隠し機能のことである。
この手袋には、二つの魔術が刻まれている。
防御の魔術と、攻撃の魔術だ。
手袋には長方形の金属のプレートが八つ、親指を除いた中手骨の辺りに付いている。
はめ込まれたプレートには、手袋を身に着けている人物の魔力を吸い取り、溜め込む性質がある。プレート一枚で、かなりの量を溜められるらしい。
それを消費することで隠し機能を使用できる。
一つはグロウガンド。これは防御である。
この手袋には、フェリーの毛が編み込まれている。彼の毛は魔力に反応すると特殊な風圧を発生させ、手袋全体を覆ってくれる。
規模は魔力量に比例する。
プレートを一枚消費すると、前方に風圧の壁を出すことができる。
その風は凄まじく、大の大人が吹き飛ぶ程だ。
二つ目は、攻撃の魔術。
しかしこれは、チヨさんの授業で一度しか使ったことがない。
だから、説明するのは難しい。自分でもどう表現すれば良いか、分からないのだ。
ただ、酷く危険で、威力の高い魔術と留意してくれれば良い。
「調整と言っても安全装置を付けておいた。お前がうるさいからな」
「唐突に拳銃を持たされて『好きに使え』と言われても、恐ろしくてたまったものじゃないでしょう?」
「ケンジュウを知らん」
「赤子にナイフを握らせるなってことです」
「なるほど。その例えは、お前にぴったりだ」
「良いから、早く説明してください」
「そうさな。取り付けた安全装置は生体認証。プレートに魔力を込めた人物の声帯でないと発動できないようにした。シスイから抜き取った魔力であれば、お前の詠唱しか受け付けない。別の奴が溜めた魔力だったら、そいつしか受け付けない」
生体認証。
その響きは、このファンタジーな世界では異物感が否めなかった。
どちらかと言えばSFの領分だろう。
「これで満足か?」
「はい。刃がむき出しよりは持ちやすくなりました」
「むき出しの方が振り回しやすいだろうに。鞘はロスタイムだ」
「常に戦ってるつもりですか、アンタは」
想像したら案外面白かったのか、鼻で笑うチヨさん。
ボクも少し釣られて笑う。
「それと……最後に、だ」
チヨさんはわざわざこちらに歩いてきて、何かを差し出す。
前の二つよりも丁寧に、大切に渡して来たソレは、綺麗な装飾が施された金属製の煙管だった。パイプとも呼ぶかもしれない。
サイズは三〇センチほど。
本体が金属な為、かなりの重さがある。片手で水平に持とうとする、その重量で傾いてしまうくらいだ。
火皿の方には綺麗な細工がなされていて、蝶や花といったものが彫られている。
年季が入っていそうだが、火皿の辺りにシミのようなものが付いている程度で、錆はない。
「これは?」
「護身用だ。口を付けるところの少し上に突起があるだろう。そこを押してみろ」
煙管には本体の部位ごとに名称がある。
たばこを入れる「火皿」、ソレを除いた頭部の「雁首(がんくび)」、煙が通る管の「羅宇(らう)」、口を付ける「吸い口」という風にだ。
チヨさんが言う突起は、吸い口と羅宇の境近くにあった。
突起は菊の花のような装飾がされていて、スイッチのように、僅かに浮いている。
触れてみると、スイッチは押し込むタイプではなく、レバーのように倒すタイプだった。
チヨさんに言われたように、親指で前に押す。
すると胴体部分が伸び、長さが倍になった。
思ってもみなかった機構に、思わず「おおぅ……!!」と変な声が出た。
「魔術はロクに使えない。自衛手段も回数制限付きで下手に撃てない。そうなってくると、やはり腕っぷしに頼ることになる。どんなに貧相でもな。だからその足しに使え。ただ、それなりに大切にして来たものだ。壊すなよ?」
「こんなすごいものを、自分に……」
改めて、煙管を見る。
チヨさんは、決してものを大切に扱う人間ではない。
普段の立ち振る舞いや、この本棚を見れば明白である。
そんな彼女が、汚れ一つ付けず大切にするもの。
余程のものだと伺える。
先程よりも、重くなった気がする。質量というよりは、精神面的な方で。
けれど同時に、そんなものを貸してくれるくらいには、信頼されているのだと感じた。
「結構信頼されてるんですね、自分」
「阿呆。心配の間違いだろう」
「心配は、してくれているんですか?」
「赤子を旅に出して、心配しない親がいるかよ」
少し茶化す程度のつもりで言った言葉に、彼女らしくない他人を気遣うような返答をされて、面食らう。
なるほど、毒気を抜かれるとはこのような状態を指すのか。
リアック君の純粋な返しを食らったチヨさんの心情が、ようやく分かったような気がする。
「どうだ。効くだろう?」
「ええ、まあ……」
どうやら高度なカウンターだったらしい。
「けれど、ありがとうございます。こんなに良くしてもらって」
「感謝なんて気色悪い。虫が耳に入って来たみたいだよ。全部、ただの気まぐれさね。それで、いつ出るんだ? 街を」
「今日の昼頃ですね」
「随分とギリギリな予定だね。もう少し、余裕を持って生きろ」
「そうですね」もっともな意見だと、苦笑する。
「何笑ってやがる」
腹が立ったのか、ボクの脛を蹴り上げる。
「痛っ! ちょっと、蹴らないでくださいよ! 行きます。行きますから!!」
チヨさんは家から追い出すように、ボクの足を蹴り飛ばす。
これが結構痛い。
勢いをつけて、フルスイングするからだ。
これには堪らず逃げ出す。
本棚、廊下、リビングと逃げてきて、玄関まで来ると彼女の蹴りは止んだ。
振り返ると、彼女は奥の廊下に戻っていた。
「ほら、さっさと行け。時間がないのだろう? カスミ、見送ってやんな」
「へいへい」と、いかにも面倒臭そうな声と共に、奥の扉から出てくるカスミ。
「チヨ、アンタは見送らないのかい?」
カスミと入れ違うとき、チヨさんは一瞬、ボクの方を見る。
そのとき、彼女と目が合った。
彼女の目は、探るような瞳。
その目を見ると、いつかの言葉を思い出す。
『歯車のような目をしやがって』
今の自分はどうだろうか?
少しはマシになっただろうか?
答えは出ない。そもそも自覚がないのだから、自分では判断がつかないのだ。
そうこう考えている内に、チヨさんは目線を外していた。
「お前等二人共、歯車みたいな目をしやがってからに。馬鹿を見送る程、私は暇じゃないんだよ……」
そんなことを呟いたような気がした。
正確に聞き取れてはいないだろうが、自分の瞳はまだ変わっていないらしい。
そのことは、しっかり伝わった。
まだまだ、ボクは彼女から学ぶことが多いようだ。
それはとても楽しみだ。
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