40 ムサイ男の口説き方

 ダアクックの天気はほとんど変わらない。

 常に晴れだ。群青の青空に、羊飼いが羊を放ったみたいに雲が散乱している。

 綺麗ではあったが、こうもずっと同じ天気だと、数パターンある雲のグラフィックを定期的に繰り返し流し続けているのではないかと思ってしまう。


 ボクは一人、ダアクックの郊外を歩いていた。

 辺りは金色の麦畑。風が吹くと穂が擦れ、揺れて、談笑をする。

 そんな会話を意に返さず、農夫は鎌で刈り続けていた。


 麦の収穫シーズンは、確か六月から八月だったか。

 だとしたら、自分が元居た世界では冬に入る頃、一〇月下旬だった為、かなりの時差があると見える。

 いや、そもそも時間が同じとは限らないが。


 荷車を引いている牛と、その飼い主とすれ違う。

 軽く首を傾け挨拶をすると、飼い主も軽く手を振り、返す。

 ここでは時間がゆっくり流れている気がする。

 広がる青空、心地良い風、土の匂い、揺れる麦に農夫。

 とても牧歌的な風景だ。


 牧歌的な景色に似合う、凸凹した道。

 向かうはチヨさんの家。

 街を離れることを伝える為だ。


 チヨさんは、フェリーとシルワアの次に長い時間過ごした人間だろう。

 この街に来てから、約二週間。

 週に四回の魔術の授業。

 早い日は朝から、遅い時間は昼から、みっちりとだ。


 授業の八割は「魔術とは何たるか」という基礎知識を叩き込まれた。

 それに加えてこの世界の文字というのも、この時間でかなりマスターすることになった。


「私の弟子になっておいて、文字が書けないなんて許すわけがないだろう。できなければ殺す」


 そう脅されて、覚えざるをえなかった。

 指示棒がないからと、鉈で黒板を指す人間が言う「殺す」というワードは圧が違った。

 実際に殴ったり、斬り掛かる、なんてことはなかったが、絶対にこの人ならやりかねないという確信があった。


 文字を教えてくれることは、勿論ありがたいことなのだが、それでももう少しマシなやり方があったような……いや、文句はよそう。

 思考を盗聴でもされていたら恐ろしいから。


 しばらく歩くと、チヨさんの家が見えてくる。

 麦畑はなくなり、耕された茶色い地面ばかりになる。

 全部ボクとフェリー等で耕したものだ。

 あのときの苦労と、スライムの爆発を思い出し、少し口角が上がった。


 チヨさんの家の玄関前まで来ると、扉の横に垂れた小さいベルを鳴らす。


 チリンチリン。


 見た目より一オクターブ低い音でベルが鳴る。

 普段ならすぐに開く扉だが、今日は数分待っても、うんともすんとも開かない。

 人の気配もない。


「困ったな。約束通りなんだけれど……」


 畑仕事にでも行って

「そっちにはいねえぞ。裏手の畑だ」


「うわっ」


 背後からの声に、驚きが口から洩れる。

 後ろを見ると、カスミがいた。

 姿はカカシではなく、いつか見た女性の姿だった。


 髪をなびかせているが、顔に掛らないように手で押さえている。

 顔に備え付けられた大きな目は、こちらを観察するように向いている。

 けれど瞳孔はあまり動かず、代わりに頭に生えたリボンのような芽が、詳細にデータを読み取る機械のように震えていた。


 その間に、彼女は僅かに口角を上げ、微笑む。

 まるで「こうすれば、人は好印象を抱くのだろう?」とでも言うかのように。

 実際彼女の表情、仕草は完成されていた。

 目の細め方、口角の位置、髪の掛かり方、それら全てが女性を美しく見せる黄金比だ。

 なるほど、確かに色んな人間が夢中になる訳だ。


「そうか、じゃあすぐに帰ってくるんだね。家に上がっても?」


「良いぜ、と言いたいところだが、生憎鍵を中に置いてきてしまって、チヨが帰ってこないと入れない」


「じゃあ、二人、待ちぼうけって訳だ」


「そうなるな」


 彼女は肩を竦めると、玄関前に座り込む。

 ボクも彼女の隣に座った。


「そういえば、二人きりっていうのも初めてだね」


「もう少し、うまい口説き方をしろ。街のむさい男共よりも酷い」


 むさい男というのは、彼女のファン達のことだろう。

 彼女はファンのことを「むさい○○」とよく呼ぶ。


「別に口説いているつもりはないし、というか『むさい』という言い方、やめた方がいいんじゃないか? 彼等は好意を向けているんだから」


「下半身のだろう?」


「それだけか?」


「農夫共は、まあ、違うかもな。それくらいの分別はできてるさ。というか、むさい男以下のお前に、なんで説教されなくちゃいけないんだ?」


「むさい以下って……。じゃあ、いったいボクは何者になってしまうんだ?」


「有無の無に、才能の才で、無才むさい男だな」


「お前、最低だよ!! 否定できない部分が特にねっ!!」


 発音が同じだというのに、むさいと無才では後者の方が圧倒的に攻撃力が高い。

 まるで存在自体を否定されるような、そんな印象さえ受ける。


「君は、人間を下等生物とでも思ってそうだね」


「馬鹿を言うな。私よりも人間の方が優れているだろう? 私はお前達を見て、ここまで成長したんだから」


「そうかい? むさい云々と貶していたというのに?」


「むさいことと、優れている・いないは関係ないだろ」


 彼女は呆れた様子でため息を吐く。

 そして空を仰ぐ。


「人間には、忘れるという機能が備わっている。情報を取捨選択できるというのは、知生体として、やはり優れてるよ。完成されている」しみじみと、彼女は言う。


「忘れるってそれほど重要な機能なのかい?」


「ああ、私はそう思うね。覚えられるだけっていうのは、極端な話、カラクリとかと同じなんだよ。決まったことを繰り返しているだけ。アイデンティティの獲得には不足しているように見えるね。人というのはね、何を得るかだけではなく、何を捨てるかでも、そいつの在り様を説くのさ」


 視線を地面に戻すカスミ。


「私は覚えることはできても、溜め込むことはできても、捨てるという判断ができない。つまり私は、生まれてこの方、何も選んでないのさ。何も選んでないということは、まだ私は人として生きてはいないのさ。ゴブリンの域をでちゃいない」


「ゴブリンの域を出たいのかい?」


「そんなゴブリンに対して劣等感を抱いている訳じゃない。人間の方が私には魅力的に見えるって話だね。ま、隣の芝生は青く見えるもんだ。理解できないもんとして見てくれて構わないぜ。変に理解されても、気色が悪いだけだからな」


「それもそうだね」


 そう言った後で、植物であるゴブリンが「隣の芝生が青く見える」なんて言葉を使っていることに吹いてしまう。

 そんな言い回しだったり、考えがあるのなら、十分知生体として見えるだろう。

 忘れる、忘れないなんて、些細な差でしかない。


「そういえば、カスミは色々な人を真似して、頭の中に色々な人の特徴を覚えているのだろう? どうしてその口調なんだ?」


「どうしてって、なんだ?」首を傾げて、こちらを見る。


「いや、その話し方は、なんというか、高圧的に聞こえるだろう? 商売とかするんだったら、もっと丁寧な方が良いんじゃないか?」


「ああ、そういう……」


 納得するように頷くカスミ。

 彼女の口調がチヨさんから来ているのは知っている。以前聞いたからだ。聞いていなくても、チヨさんが育てたゴブリンという情報さえあれば、自然と察せるだろう。

 

 けれど、カスミはチヨさん以外の人間とも会っているはず。

 例えばセシアちゃんとかだ。

 彼女の言葉遣いは中々に丁寧で、人と接するなら彼女のを真似した方が印象として良いだろう。


「なるほど。それはそうだ。……例えば、こんな感じかしら?」


 カスミの声がワントーン高くなる。

 口調も女性らしいものになり、言葉の節々に感じられていた、気だるげで高圧的な棘が見事に抜かれている。

 その変わり様に、思わず鳥肌が立った。


「……驚いたな。喋り方でこうも人の印象というのは、変わるものなんだね……」


「商売しているときは、いつもこっちの喋りよ? 遠くで見ていたんでしょう?」


 気づかなかったの? と、これまた爛漫な笑みで尋ねてくる。


「変な奴らに絡まれて、よく見てなかったんだ」


「そうなの? なら仕方ないわね」


 本当に同一人物だろうか。 

 今の場面、これまでなら「無才」というワードを絡めて罵られるところだったろうに。

 言葉の棘と共に、心の棘も抜けたと見える。


「どうして、そっちを普段使いしないんだい?」


「これ、彼女が嫌うのよ」


 頬を膨らませて、不満そうに見せる。

 ここで言う「彼女」とは、チヨさんのことだろう。


「これは、昔の彼女の話し方。ほんと成人してすぐの頃よ? それを真似したの。そしたら『そんなカビの生えた生モノみたいな話し方はやめろ』って言われてしまったの。きっと恥ずかしいのね、昔の鏡を見るのが。そうは思わない?」


「そうだ……あ、いや、全然そんなこと、思わないです」


「どうしたの? 急に反応がおかしいじゃない」


「随分と楽しそうだな、カスミ」


 カスミの後ろからドスの効いた声がする。

 ボクの視点からは、声の主が良く見えている。

 背中を向く彼女も、短い言葉ではあったが、背後の状況を具体的に連想するには、十分な情報量だっただろう。


「げぇ⁉」


 後ろを振り返ると、苦虫をかみつぶしたような表情になるカスミ。

 背後にいたのは、勿論、チヨさんである。

 鍬を持っているのを見るに、畑仕事から帰って来たことが伺える。


「仕置きが必要だな」


「おい、シスイ!! アレか⁉ 私が無才って言ったことへの当てつけか⁉ わざと言わなかったな、ちくしょー!!」


 ボクの襟を掴んで、悲鳴に近い声を上げるカスミはチヨさんに首根っこを掴まれ、大人しくなる。


「自分でやったことというのは、巡り巡って自分に帰ってくるものだ。だから、今後気をつけた方が良い」


「何他人事みたいに言ってやがる。お前も人の家の前に座り込んでんじゃねえよ」


 そう言うと、ボクの首もカスミ同様に掴まれる。

 どうやらボクも同罪みたいだ。

 老人の手とは思えない握力で、ズルズルと、まるでスプラッターホラーに登場する殺人鬼が、自分の住処に犠牲者を引きずり込むかのように、家の中へと運ばれるボクとカスミ。


 全く、とんだとばっちりだ。

 内心、そうぼやいた。 

 

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