35 変態は、時に美しい

 ボク、フェリー、シルワアはカスミの後を気づかれないようについて行く。

 カスミは遠く、姿は豆粒ほど。ゴブリンの耳が入った袋と尻尾のように揺れる。

 シルワアやフェリーの目には、もっと詳細に映っているのだろう。


 草原の湿気は落ち着いていた。日を跨いで乾いたのだろう。

 風で草原が波打つ。それが汗ばんだ体に当たって涼しい。

 シルワアはなびいた髪を整える。フェリーは上機嫌に尻尾を揺らす。


 次第に街の中に入る。

 彼女が向かったのは市場だった。

 ダアクックという街は商人の出入りが多い。

 だから屋台が多く並んでいる路地がある。


 品も尖ったものが多い。

 以前シルワアが買ってきた幼虫の串焼きを含む昆虫食、色とりどりの果実、巨大なトカゲや鳥の肉と様々だ。


 商いをやっている人間も様々で、人はもちろんフェリーのような獣人、小柄なおじさんことドワーフなんかもいる。

 見慣れないものばかりだから、ボクの目には全部が極彩色に見えた。


 そんな路地にカスミは入っていった。

 人を掻き分けながら、ボク達も彼女を追う。

 やがて、彼女は足を止める。


 そこは賑やかな市場から僅かに外れた場所。

 人通りがほどよく、日当たりのいい市場の末端。

 そこに布を広げて商売を始めた。

 その様子を、ボク達は路地裏の影から覗く。


「買う人、来る、思う?」


「どうだろうね」


「お、誰か来たみたいだぜ」


 フェリーは指差した。

 カスミの店の前に誰かいる。

 男性のようだ。


 顔からして三〇代から四〇代くらい。

 背中には野菜が入った籠を背負い、麦わら帽子を被っている。

 土が付いた痕が残る服やズボンからして、彼の役職は農夫だろうと想像する。

 彼は彼女と少し話すと、並べられた耳を一つ取って、買っていった。

 それも、嬉しそうに。


「売れた」


「売れたね」


「売れたな」


 本当に売れるんだ。一〇〇倍の値段でも。

 ここにいるボク含め三人は、皆そう思っただろう。

 あの性格、口調からは想像できないが、地域の人間には魅力的に見えているようだ。

 

 訪れるお客さんは、その後も定期的にいた。

 年齢も性別も様々。

 影が薄そうな青年。猫背の中年の男。活発そうな女性。夫婦のおじいちゃん、おばあちゃん。

 皆、共通して嬉しそうに買っていく。


「どうして売れる?」ボソッと疑問を口にするシルワア。


「それはきっと、彼女に価値があるんだと思うよ」


「カスミ、価値?」


「きっと彼女はアイドル的な……いや、アイドルという概念を知らないか。近いので言い表すとするなら宗教かな」


「宗教」相槌を打ちながら聞くシルワア。

 耳を澄ましているからか、鳥の羽のようにパタパタと耳が動く。


「宗教、似たもの、ある?」


「そうだな、例えると……ボクの知る宗教でね、聖水と呼ばれる水があるんだ」


「セイスイ?」


「川や池にある水とは違い、聖なる力が宿っていると信じられている特別な水だ。悪いものを追い払ったり、浄化する為なんかに使われる。神父が祝福することで作られる水だけれど、他の水と比べて成分はまったく一緒なんだ」


「飲んでも同じ?」


「うん。飲んでも同じ。けれど特別なものとして扱われる。飲んでも一緒。味も変わらないし、成分もまったく同じ。なら、水と聖水の違いは一体何だろう?」


「祝福、入ってる」


「そういうこと。聖水の価値というのは水そのものじゃなくて、水に溶けている神父の言葉、祝福にあるんだ。形となった、ありがたい言葉を貰っている。カスミの売っているアレもそれに近いものなんだと思う」


「カスミ、ありがたい?」


「美男美女と話せるってありがたいことのように聞こえるだろう? 美女との関係が具現化したものが、きっとアレなんじゃないかな?」


 おお、と謎の歓声を上げるシルワア。

 伝わったと取っていいのだろう。


「顔がいい、売れる。とってもいい」


 自分もルックスに自信がある。

 そう主張するよう、自分の顔に指差す。

 ボクはそれを見て苦笑い。いうなればホワイトな身売りだ。あまりいい商売方法ではない。

 聖水とカスミの商売を比較すると、彼女の方が下品だから同じものとして並べないで欲しい。

 フェリーも同じことを思ったのか、彼女の肩に手を置く。


「間違ってもそんな商売すんなよ、シルワア」


「どうして?」


「それはな……」


「おい」


 フェリーが説明しようとした瞬間、後ろからドスの効いた低い声がした。

 振り返ると、そこにはガタイのいい男と、まげを結った侍のような男が立っていた。


「な、なんだ、アンタ達⁉」フェリーが驚いて聞く。


「路地裏でずっと見ていたでござる。怪しく彼女を覗き見るその眼光。拙者達でなければ見逃していたでござろう」


「俺たちゃカスミたん親衛隊だ。彼女のラブリーでキューティーなエンジェルさに惹かれて、すり寄ろうとする虫を叩き落とすことを生業としている」


 ラブリーでキューティーでエンジェルという言葉は、果たして筋肉だるまのような男が発してよい言葉だっただろうか? 

 良し悪しはおいておくにしても、異物感は否めない。


「特にお前、犬面の獣人」御指名と言わんばかりに指差す筋肉だるま。


「え、オレぇ⁉」


「隣の二人はまあ、親子供に見えるが、お前は飢えた狼だろう?」


 慌てるフェリーの横で、静かにキレる音がした。

 視線を落とすと、シルワアが今にも金的を切り上げんと歩き出しているところだった。

 彼女にとって「子供」に関するワードは禁句。地雷原に背中から寝転がり、寝返りを打つのと同義。

 

 そんな彼女が大爆発しないよう、肩をがっしり掴み、止める。

 幸い男達はそれに気づかない。

 気づかないまま、フェリーを問い詰める。


「お前さんは、どういう魂胆で熱い視線を送ってたんだ、ああん!」


「い、いやいや、オレは全くもって一切合切、微塵も一かけらも、熱い視線なんか送ってないって!!」


「なんでござるか! カスミたんには魅力がないって言いたいでござるか!!」


「ああああ、めんどくせえ! ああ言えばこう言うな、ちくしょー! ちょっとは落ち着けよ、アンタ等!」


「……」


「……」


「本当に落ち着くのかよ……」

 

 男達の感情の緩急に振り回されるフェリーを、本来であれば助けるべきなんだろうけれど、現在小さな怪獣が男達を襲わないよう押さえているので余裕がない。

 あと単純に、自分が話すとややこしくなりそうなのと、面倒臭そうなので彼に全部任せることにした。

 人と話す経験が最近乏しい彼にとっては、良い機会だろう。


「いや、よく考えてみたら覗き見ることがイコールでやべぇ奴とは限らんよな」


「いや、やべぇ奴だろ」


「変な奴がいないか探すとき、めぼしい者がいなければ拙者達も眺めているでござるし、それは傍から見たら同一の存在であろうしなぁ……」


「自分達で言った言葉、そっくり返って来てることに気づいたのかよ……本当に冷静になっちゃってんじゃねえか」


「いいや、違うぜ兄弟。俺とお前ではこのワンコロと違い、志がある!!」


「そうでござるな!! 拙者達には志がある!!」


「立ち直ったよ!! オレを踏み台にして!!」


 傍から見ると、仲良さそうに見える三人組。

 けれどフェリーが慣れない人間との会話のせいか、息切れしている。

 短距離走世界一位の人間が長距離走一位になれないことと同じように、いつも体力が有り余っている彼も、普段やらないことをすると体力の消耗が激しいみたいだ。

 可哀そうに見えてきたので、ボクの方から話題を振る。


「カスミって、この街では有名人なのかい?」


「アンタ、この街の人間じゃないのか?」


「うん、そうなんだ。なんでそんなに人気なのか、気になってね。よかったら教えてくれないかい?」


「いいぜ、教えてやろう」


「拙者達は愛の伝道師でござるからな」


 男二人は意気揚々と語り出す。

 こういう手合いの人間は、共通の話題になると盛り上がる性質がある。その中に無知な人間がいると、ついつい教えたくなったり、語りたくなってしまうのだ。


「カスミたんは俺のじいさんの代の頃からいる、農家からすれば守り神みたいな存在なんだ。時にカカシの姿だったり、可憐な少女だったりと様々で正体は知らねえが、街の人間は彼女のことを尊敬しているのさ。俺等みたいに信仰する奴もいる」


「拙者はこの街出身ではないでござるが、彼女の魅力にビビッと来てるでござるよ。いつ会っても辛辣に返してくれる。雨の日も、風の日も、雪の日も、いつまでも変わらないものというのは、拙者にとっては実家のような安心感を感じてやまないのでござる」


「お、おー……」シルワアは引くような声を出す。


「シルワア、ああいうのがたまにいるから、カスミみたいな商売はしちゃならないんだ。分かったか?」彼女に耳打ちをするフェリー。


「分かった」


 彼女は珍しくフェリーの言葉を素直に聞いた。


「ということは、信仰心で彼女の商品を買っていると?」フェリーとシルワアの会話を他所に続ける。


「カスミたんは感謝や差し入れを受け取らない。彼女に貢献できるものといえば、不定期に出す店で商品を買ってやることだ」作ったような爽やかな顔で筋肉だるまは言う。


 貢献か。

 そう聞くと、なんだかよい行いをしているように聞こえる。

 まるで日頃の恩返しのようにも感じる。

 実際はただ彼女と関係を築きたいという、浅はかな欲望に従った行動だというのに。


「ちなみに、買った耳というのはどうするんだ? やっぱり食べるのか?」フェリーは素朴な疑問をぶつける。


「んなわけねぇだろ。額縁に飾って大事に保管するに決まってんじゃねえか」


「ただの変態じゃねえか」


 食用ではなく観賞用。

 ボク等の感覚に置き換えると、フィギュアやポスターの類だろう。


「確かに変態だと言われてもおかしくわねえ。だがな、そんな風に言われても変えるつもりはねえよ。誰が文句を言おうが、気持悪がられようが、俺達が良しと決めたことだ」


「自分が決めた道を征く。それこそが男の生き様って奴でござる」


「お、おう……。なんだか、少しカッコいいな」


「どんなに着飾っても、前の発言でこっちは少し引き気味だけどね」肩を竦める。


「で、どうよ。今の話を聞いて、ワンコロもカスミたんに奉仕したくなったんじゃねえか?」


「覗き見をしていたということは、関心があるということ。加えて今の話を聞き、お主も兄弟の盃を交わしてみたくなったのではないか?」


 二人はフェリーににじり寄る。


「い、いや、結構だ!」


 彼は思わずたじろぐが、後ろは壁。

 退路はなく、完全に追い詰められている。

 彼等の目は血走っている。浮かべる笑顔も、なんだか狂気的で恐ろしく見える。それでいて、手にしているのは耳を模した植物なのが、その印象を助長する。


 もはや危ない宗教勧誘のそれだ。

 いや、宗教勧誘だってもう少し人当たりを気にする。

 フェリーには同情するが、自分の勘がこれ以上関わると危ないと言っている。

 申し訳ないが、こちらに注意を向けられる前に、この場を立ち去らせてもらう。


「あの二人です!!」


 すると大通りの方で声がした。

 振り返ると、女性がこちらに指差し、叫んでいる。


「筋肉が凄い男と変な頭の男が、獣人を脅しているんです!! 衛兵さん、早く!!」


「ええっ⁉」「げえっ⁉」


 どうやら通報されたようだ。

 ついさっきまで、興奮で真っ赤になっていた男二人の顔は、真っ青になる。


「どいつらだ……って、またお前等か」


 急いで駆けてきた衛兵は、二人の顔を見た途端、呆れたような顔になる。

 また、ということは前科あると見える。

 衛兵は、くだらないことで汗を掻いてしまったことに怒るように、どしどしと足音を立ててこちらに来る。ほぼ地団駄だった。


「毎回毎回懲りない奴らだ。何度教育したら分かるんだ」


 舌打ちをする。

 その音に二人は肩をビクつかせ、ガクガクと震えた。

 髷を結った男は震えた声で弁解をする。


「い、いや違うでござる。拙者達はカスミたんを遠くで見守っていたら怪しい人影がいて、注意してやろうとしたのでござる。決して脅して金を巻き上げていたわけではないでござる!」


 筋肉だるまも続く。


「しかもこのワンコロとは仲良くなったんだぜ!! なあ、兄弟!!」


「そうなのか?」衛兵は訝しむようにフェリーを見た。


 期待の眼差し、というよりは懇願に近い眼差しがフェリーに向けられる。

 フェリーは二人の狂気的な勧誘に委縮してしまったのか、声が出ない。

 だから全力で首を横に振って訴える。


「嘘は……よくないんじゃないか?」


 怒りを通り越して、冷ややかな視線を送る。


「いや、嘘って訳じゃ……ぐほぉ⁉」


「友人のラインは人それぞれでござ……ぐへぇ⁉」


 衛兵は男二人の腹に一発入れると、首根っこを掴んで引きずっていく。

 二人は逃げようともがくが、よほど万力なのか、衛兵の手による拘束はビクともしない。


「た、助けてくれえ!!」


「拙者達、何も悪いことはしてないでござる!!」


 その声に、シルワアが動いた。

 彼女は早歩きで彼等に近づく。


「お、お嬢ちゃん!」


「助けてくれるでござるか!」


「……」


 彼女は二人の前に立つと、何故か足を振り上げて、そして。


 チーン!


 金的を蹴り上げた。

 正確に、鋭利に、つま先が玉を貫く。


「ぎょばああああああああああああああっ!!」


「な、何をするでござ……!」


 チーン!


「がじゃぼおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 真っ赤だった顔は、真っ青になり、やがて真っ白になって事切れた。

 どうやら子供扱いされたことを忘れていなかったらしい。


「協力、ご苦労」衛兵は言う。


 シルワアは親指を立てた。

 その後ろで自分の股間に幻痛が走るボクとフェリー。


「ありゃ、死んだな……」


「ボク等も、気をつけないとな……」


「あ、ああ……」


 遠くなる衛兵と男達を見送った。

 未来の自分達がああならないよう、しっかりと目に焼き付けながら。

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