36 世界崩壊仮説

 ギルドの二階。その最奥、ギルドマスターの部屋。

 俺はそこで一人、頬杖を付きながら作業をする。

 机に溜められた書類は、街の運営に関わるものが大半を占めている。

 それら全てに目を通さねばならんのだが、山のように積まれたそれを見ると、頭の奥がズキズキ痛むような気がする。


 ブツブツと呪文のように資料を読み、サインを書くとペンを投げる。

 休憩しよう。

 流石に朝からずっとというのは、体が固まる。

 椅子から立ち上がると、腕を回してストレッチをする。

 バキバキと小気味良い音がした。


「じっとしている仕事っつうのは、俺の性分じゃねえんだけどなぁ……」


 誰もいない部屋でぼやく。

 いや、誰もいないからが正解だな。

 他の人間がいる前では、ガルダリアとしての立ち回りをしなくてはならない。

 品行方正なガルダリアは、愚痴るような奴じゃない。


 よく勘違いされるが、素の性格というのがガルダリアであり、ダインの方が作っている性格である。

 住民に親しみを持ってもらえるように、それとガルダリアという身分を隠し、街を見回ることができるように、そういう役を作って、演じている。

 

 だが、最近はガルダリアでいるよりも、ダインでいることの方が増えた。

 その為、ダインが本当は素なのではないかと、自分でも思うようになってきてしまっている。


 仮面を付け続けると外れなくなる。

 昔、バウアーにそう言われた。

 だが、それは正しくない。

 付け続けると、仮面が独立した意思を持つようになるのだ。


 これは案外面白い。

 自分の中に独立した存在がいるというのは、物事を多方面に見るときに重宝するし、話し相手に事欠かない。

 さっきのぼやきというのも、ダインという人格が、自分に話しかけてきたようなものだ。

 そう考えると、どんな場面も面白おかしく見えてくる。

 

 喉が渇いたから、冷めたコーヒーを飲む。時間が経って冷たいコーヒーが、煮詰まった思考をほぐしてくれる。熱々よりも、冷たい方が俺の好みだった。

 窓から日が差し込んでいる。部屋をしばらく掃除していないから、舞っている埃がキラキラと光っていた。


 休憩時間は五分。そう体内でセットして、何をしようか腕を組む。

 この予定の決まっていない、何をしても良い時間が好きだ。好きなことをするでもなく、ただ自分の中の「やりたいこと」という欲求を探るのが、堅苦しい立場になってから嗜好品になりつつある。


 ああ、そうだ。

 先日送られてきた、スレイブ地方の生物調査報告書を、息抜きに読もうか。

 思い立って、左の壁にある本棚へ歩き出す。


 ブー、ブー、ブー!


 先程まで仕事をしていた机から、ブザーが鳴った。

 本棚に向かう足をピタリと止める。

 どうやら、ようやく連絡が来たみたいだ。

 俺は早歩きで机に向かう。


 机には備え付けの引き出しがある。

 引き出しは三段。ブザーが鳴っているのは、一番上の引き出しだ。

 覗き込むように背中を曲げて、引く。

 中には小さな装置が入っている。それが鳴っているのだ。

 

 黒い長方形に触角のような突起が付いたこれは「無線機」と呼ばれる代物である。中には魔力が込められた水晶のプレートがはめ込まれており、込められた魔力を電気へ変換させて、内蔵されたカラクリを動かしている。

 これに話しかけると、声が電気の波になり、遠くの相手に届く。

 つまり、遠くの相手と会話ができるのだ。


 これまでの連絡手段は、いくつかあった。

 ぱっと思いつくものであれば手紙。ギルドで最近よく使用されているものであれば信号弾。一方的であれば看板なんかもある。

 その中で重要な連絡をする為に重宝されていたものが、水晶玉での連絡だった。


 水晶玉での連絡はシンプルだ。

 自分と連絡する相手、双方で水晶玉を持ち、合言葉を決めて、水晶玉に魔力を流し込む。すると合言葉によって魔力が接続され、会話をすることができるのだ。

 これは無線機よりも複雑な機構はなく、扱いやすい。準備するものも魔力の通りが良い水晶玉だけで良いのだから。


 しかし使い手によって、連絡できる距離や声の明瞭さなど、伝達できる情報が制限されてしまうのが難点だ。

 加えて距離も魔力の消費によって変わる為、遠くの相手となると魔力のコストが膨大になる。そもそも使用できる人間が少ないという問題もあった。

 

 その点、構造こそ複雑だが、能力を問わず誰でも使用でき、魔力のコストパフォーマンスが良い無線機には、非常に将来性がある。

 普及すれば、あらゆる情報の伝達が劇的に向上するだろう。

 だが、これは試作品。

 これが一般に普及するのは、だいぶ先になるだろう。

 

 そんな未来のアイテムを手にして、側面に付いたボタンを押す。

 「ジジジジジ……」というノイズの後に「あー」と男の声がした。


『テスト、テスト。聞こえるかしら?』


 女のような口調。それに合わない野太い声。

 エイワズ・ビウジョ。

 東の最果てにある街、聖都アルガルムを治める英雄である。


「おう、久しいな」


『あら? その破天荒な喋り、今はダインちゃんなのかしら?』


 しまった。

 つい癖で喋りが雑になってしまった。


「すまない。今、戻った」


『別に変えなくても良いのに。私はどちらも好きよぉ』


「切り替えというのは大切だ。放っておくと習慣化する。しかしエイワズ、君の場合はもう完全にそっちへシフトしたのか?」


『こっちの方が親しまれやすいもの。私は常に流行を押さえるの。自分を変えるのに、何の躊躇もないわぁ』


「ああ、そうかい」


 エイワズとの出会いは、魔族との戦争をしていたときである。

 各国から英雄というエリートを集め、少数精鋭部隊を編成した際に初めて顔合わせした。

 その時点から、彼の口調はオネエだった。

 だが今よりも安定しておらず、ふとした会話に元の男性的な言葉遣いが現れていた。


「最近どうだ」


『忙しいわよぉ。最近人が増えたから』


「お前のところは人気だからな」


『そんなときに、ガルダリアちゃんが連絡してくるものだから、忙しさ二倍』


「そんなお前が連絡してきたということは、ギルドカードの件で何か分かったのだろう? 何の不具合だったんだ?」椅子に腰掛け、メモ用の紙切れを用意して尋ねる。


『そうそう。その為に連絡したのよぉ』


 ガサッと物音がする。ものが擦れるような音だ。

 エイワズが姿勢を直したのだろう。


『ギルドカードの情報を統括しているグラニットの石碑を調べてみたわ』


「それで?」


『結論から言うと、問題は検出されなかった』


「検出されなかったということは、どうなる?」


「そうね。問題が検出されないという状態が、問題よね」


 ため息が聞こえる。

 相当面倒くさいことになってることが察せる。

 すぐに解決できると思っていたシスイのギルドカード問題は、エイワズにとって、とんでもないアクシデントだったようだ。


「名前が刻印されない原因というのは、全く分からないのか?」


『この不具合が起きた理由ね。いつくか考えてみたわ』


「教えてくれ」


『考えられる理由は三つね』


 三つと、ペンでメモした。

 エイワズが指を三本立てる姿を想像する。

 彼は話すとき、ジェスチャーを混ぜながら話す癖がある。


『一つはシスイちゃんが特別である可能性。グラニットの石碑は、世界という視点から見た情報を抽出する物体。それを応用する形で、水晶玉に触れた人の情報を読み取って、私達に分かる形で変換するのがギルドカードというシステム』


「ふむ。なら、何故シスイの情報は上手く読み取れなかった?」


『私達の知らない、名前のない場所から来たり、新しい概念が含まれている場合、ギルドカードは正常に機能しない可能性がある。私達の知らない秘境みたいな場所から来られたら、もしかしたら、ちゃんと動作しないかも。もしそれだったら、アップデートが必要かもしれないわ』


 メモを取りながら、石碑について考える。

 グラニットの石碑。

 聖都の中心にある、巨大な石碑の名称だ。

 人間がまだ解明できていない、未知の物体。オーパーツのようなもの。


 その石には、この星の成り立ちから生物の誕生、今を生きる人間の生体情報まで内包されているという。彼曰く、ギルドカードとはその性質の応用らしい。

 おとぎ話によれば、グラニットの石碑というのは星の目玉で、星が土に埋もれる前に目玉だけを出して、自分の体の上に住む生き物を見守っているとか。

 

 どちらにせよ、にわかには信じ難いが、今回はそれを論じる場ではないので、エイワズの言葉をそのまま受け取った。

 聞いて、思ったことをそのままに言う。


「俺は専門ではないからな。大まかにしか理解できていない」


『それで充分。二つ目は石碑側に問題がある』


「先程は問題は見つからないと言っていたではないか?」


『グラニットの石碑はオーパーツみたいなもの。私達も完全に石碑を理解できている訳ではないわ。私達がまだ認識できない、深い部分で誤作動を起こしているのかもしれない。それにもっと念入りに調べれば出て来るかもしれない。これは経過報告みたいなものですし』


 彼にギルドカードの不具合について連絡したのは一週間と少し前。

 その短い期間に調べ上げてくれたのだ。

 それだけでもありがたい。


「残る三つ目は何だ?」


『……ジジジッ』


 ノイズ音が入る。

 不自然な間。

 五秒ほどの沈黙の後、ノイズと共に再び声が入った。


『ジジジ……聞こえるかしら?』


「電波の不調か?」


『ええ、そうかもしれないわ』


 この無線機は試作品。

 そういうこともあるだろう。


『それで何だったかしら?』


「三つ目の原因は何だい?」


『そうだったわね。三つ目ね』


 聞こえが変わる。

 きっと無線機を持ち替えたのだろう。


『三つ目の原因、というよりは可能性に近いわね』


「というと?」


『ガルダリアちゃん。今回のこれ、例の件と絡んでいるという説はないかしら?』


 例の件。

 その言葉を聞くと俺は、いや俺以外の英雄も同じことを浮かべるだろう。

 忘れもしない、魔王との決戦の記憶を。


「魔王が去り際に言った、あの予言か。アレが関係してると?」


『そう、世界崩壊仮説について』


「確か魔王はこう言ったな」


 天井を眺めながら、魔王の言葉を思い出し、口に出す。


『お前達はまだ、世界の異変に気付いていない。

 世界はいずれ、崩壊する。

 人類がたとえ絶滅したとしても、世界がなくなるよりは、ずっとマシだ。

 崩壊の理由は分からないが、発端は誰よりも明確だ。


 だから、お前達に忠告する。

 近い将来に起こりえるイレギュラーの中に、世界が崩壊する要因が紛れている。

 それを探せ。予兆はすでに起きている。


 感情と信念で濁った瞳でそれが可能かは定かではないが、やる価値はあるはずだ。

 ただ、それができなかったとき、ボクはまた……英雄にならざるを得なくなる。

 人類の健闘を祈る』


 空で言えるくらい、この予言は英雄との会合で話し合われた。

 これを知るのは五人の英雄と一部のギルド上層部の人間だけ。

 確証もなしに一般人の不安を煽るようなことは言えないので、情報は伏せられている。


 当然、この予言は物議を起こした。

 何を意図したものなのか。そもそも信じるに値するものなのか。その確証はあるか。あったとしていつ起こる?

 色々話したが、大抵肯定派と否定派で対立する。


 だが、この予言を直で聞いた英雄五人は、度合いは違えど肯定派だった。

 予言を信じるのかと一蹴するには不穏だったというものあるが、何より魔王の言葉というのに、不思議な説得力があったからなのかもしれない。


 これで嘘なら大したものだ。

 魔王はとんだ役者と言えるだろう。

 しかし、それが今回の件でどう関わってくるのだろう?


「シスイのギルドカードが世界を滅ぼすとでも?」


『そうは言わないわ。でも、この問題は確かにイレギュラーよ。だって今までこんなことなかったのだから。可能性の一つとして考えても問題はないでしょう?』


 理由は別だが、シスイとフェリーについては、調べていた。

 人間性、能力、考え、出身。

 出身を除いて、他三つは大体把握できているつもりだ。

 セシアにも探りを入れてもらったりしたが、彼女曰く、それほど不信な点は見られなかったとのこと。

 現段階の評価ではあるが、アレがこの仮説に関わっているとは考えにくい。


「今年初めて夏の気温が四〇度を超えた。今年数十年振りのハリケーンが来た。去年は地震だ。イレギュラーっていうのはいつだって起こる。むしろそれが正常とも言えるだろう。日常に対して一喜一憂しなくてはいけないというのは、中々骨が折れそうだな」


『他人事のように言わないで頂戴。全く、皆そう言うから、私が渋々数えるしかないんじゃない。それにカードが関係しているとは限らない。シスイちゃんがカードを登録したその日、その時間、環境、そういうのが関係しているかもしれない。物事は多角的に見て初めて像を得るのだから』


「生憎、俺には目が二つしかない。だから、自分には負えない仕事だ」


『貴方の場合、私がいくら目を用意しても見えない景色を見るでしょう? だから少し気にしてみて頂戴』


「目に入ったらな。まあ、原因の候補は分かった。次は解決策だ。シスイのカード、登録はされてないが、こっちの権限で使えるようにして良いのか?」


『それは私が困るわぁ。何をしているか把握できないもの』


「把握したいのか?」眉をひそめて言う。


『それが私の目だもの。でも解決法はある。———ら、——に、を———ねが……ジジジジッ』


「おい、どうした?」


 またノイズが走る。

 今度は先程のよりもずっと酷い。まるで

 嵐の中に放り投げられたようだ。


 ブツン!


 回線が切れる音がした。

 しばらく耳を澄ます。

 また繋がるのではないかと、淡い期待をするが何分待っても繋がる様子はない。

 小さなため息をこぼして、無線を机の上に投げた。その振動で書類の山が崩れる。

 それを見て、さらにがっくりくる。


 全く、良い所で切れたものだ。

 今一番聞きたい部分だったというのに。

 あとで水晶玉を使える奴を呼ばなくては。


「しかし、これまでこんなことなかったんだがな。一体どんな……」


 出かかった言葉が喉で止まる。

 喉に詰まっているのは「イレギュラー」という言葉。

 絶賛話題沸騰中のワードである。


 ほれ見たことかと、エイワズに言われたような気がして思わず笑ってしまう。

 もしかしたら、この電波障害は俺に警鐘を鳴らす為に、わざとやっているのではないか。

 そう勘ぐってしまうくらいに、タイミングが良いと言えるだろう。


「物事は多角的に見て、初めて像えるか……。ふっ、たまにはそっちにも目を向けてやろうか。調べてもらった恩を返すと思って」


 置いてあったコーヒーを、ぐいっと一気に飲み干した。



 ◆ ◆ ◆



「あら、切れちゃった。結構重要なところだったのにぃ」


 無線機をそっと置く。

 普段電波障害なんてものは、起こらないはずなんだけれど。

 この電波という概念は本当に最近のもの。

 つまりこれは、人為的なものではない。別の自然的な現象が関与していると思って良いでしょうね。


「いや、私も詳しくはないから断定はできないか。専門家に助言を貰いたいけれど、気難しい方だから出てくれるかしら」


 無線機の周波数を合わせようと弄っていると、扉をノックする音。

 コンコンコン、と木の高い音の後「失礼します」とドア越しに声が聞こえた。

 

「どうぞ~」


 ドアがぎこちなく開く。

 すると大量の紙の山を持った部下が入って来た。


「あらあら、随分な量ね」


「各地の隊員達の報告書ですから、どうしてもこの量に……」


「違うわ。分けて持ってくれば良かったのに、という意味よ。量に文句を言っている訳じゃない」


「すみません。そういう考えはありませんでした」


「せっかちなのね。半分持つわ」


「あ、いえ、自分で……」


 遠慮する彼だったが、さほど抵抗はしない。

 持ってもらうのは手を煩わせるが、気づかいを無下にするのも失礼だと思って動けなかったのでしょう。

 そんな部下から、書類を半分貰う。

 埋もれていた顔がハッキリ見えるようになった。


「すみません……持たせてしまって」


「謝り過ぎると、返って失礼よぉ?」


「あ、はい。ありがとうございます!」


「うぅん。良くできました」書類を机に置きながら言う。


 部下の彼は私の置いた書類の隣に、自分の持っていたものを置く。その後、手ではみ出した紙を真っ直ぐに整える。

 綺麗に整ったことに満足したのか、顔を上げて背筋を伸ばす。


「用事は終わり?」


「はい! あ、いえ、あともう一つ」


「なぁに?」


「グラニットの石碑の解析に使用した機材の撤収が、先程終わったそうです」


「そう。分かったわ」


「あの、一つ良いですか?」申し訳なさそうに腰を下げ、上目遣いでこちらを覗き込む彼。


「どうしたのかしら?」


「はい。まだギルドカードの不具合というのが分かっていないのですよね? 撤収して良かったのかと思いまして……」


「ああ、そういうこと……」


 腕を組んで、彼の全身を撫でるように見る。

 佇まい、指先までピンとしている仕草、真っ直ぐな目線。総じて言える、誠実というイメージ。発言も印象通りの真面目ぶり。


 聞かれた瞬間は、適当にはぐらかそうと思った。

 けれど、彼のきちっとした姿を見て感心が湧いちゃった。

 誠実には、誠実を返したくなったのね。

 普段私が指示を飛ばす人間のほとんどが、ガサツな子ばかりだったからかもしれない。


「良いのよ、撤収して。アレは形式的なもの。ちゃんと頼まれたことはしたというアピールでしかないんだから」


「形式的なもの? つまり、もう不具合の理由に気づいているのですか?」


「ええ、まあね。そもそもアレは……」


 ちらりと無線機の入った引き出しを見た。


「不具合じゃなくて、仕様ですもの。イレギュラーを検出する為の、ね」

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