32 予定外の出来事
薄暗い森の中を、木々を掻き分けながら歩き続ける。
どれほど歩いただろうか?
外から見た森は小さく見えた。だが、中に入ると感覚は変わる。
周囲を見渡してもほとんど同じ景色。
木の群生と苔の絨毯、湿気って腐った落ち葉。
方向感覚が狂いそうになる。
それに加えて薄暗い。
夜とまではいかないが、明かりのない、カーテンを閉め切った部屋ほどの暗さだ。
僅かな木漏れ日だけが、ボクに森の輪郭を教えてくれる。
相変わらずカツカツと跳ねるカカシのカスミ。
彼女の足取りに迷いはない。
何でも、彼女の瞳は軍隊の装備であるナイトビジョンゴーグルのように暗闇が鮮明に見え、サーモグラフィーのように生き物の体温に目が反応するのだという。
本当に頼りになるカカシだ。
やがて次第に森が開ける。
木々が一切生えていない広場に出た。
対岸に来たのだろうか?
一瞬思う。
だけど違う。
広場の向こうには、まだ森が続いているからだ。
ここだけが開けているのだ。
地面には倒木の群れ。土砂崩れでもあったかのように散らばっている。
まるで、何か巨大な生物が木々をなぎ倒して、それでできた空間のように見える。
何を馬鹿なことを考えているんだと、首を振ろうとする。
けれどその前に、ボクはソレを見つけてしまった。
この広場を作り出した原因を、見つけてしまった。
まるで小さな山のように大きい緑色の背中。
筋骨隆々の太ももには、猛禽類のような足。
茨のように棘が生えた尻尾。
鷲のように力強く、優雅な翼。
オウムに近い嘴と、鶏に似た派手なトサカを持った、大きな顔。
まるで……そう、まるで……、何だ? 見たままの情報を上げたが、何だアレは?
頭に検索を掛けたが、一向にヒットしないぞ。
強いて上げれる候補と言えば、特撮テレビドラマ「ウルトラマンタロウ」に出て来た火山怪獣バードンくらいだ。
「アレは一体?」
「ドラゴンですね。ワイバーン種の」
「アレがか⁉ ボクのイメージはもっと爬虫類っぽいんだけれど」
「そういうのもいます。しかし今回は鳥類に近い羽毛竜種のドラゴンですね。確か名前は……イナシュベリルス。「中途半端な竜」という意味だったはずです。鳥の祖先が竜だったという論文で、この竜の名前と絵が載っていたのを、昔見たことがあります」
「始祖鳥みたいな感じか」
息を潜めて言う。
「強いのかい?」
「竜種は総じて厄介なものが多いですが、あまり人を襲いません。彼等は人間を恐れていますから。ですが今回はゴブリン。習性は模倣できても感情まではできない彼等に、我々を恐れる理由はありません」
「そっかあ……倒さないといけないか」
森の主の一件で、危険なことには関わらないと心に誓ったのだがな。
どうやら自分はまたアレに似たことをしないといけないらしい。
いや待て。今回は違うじゃないか。
チラリと横を見る。目線の先にはセシアちゃんとカスミ。
セシアちゃんは魔術に長けていて、それでいて博識だ。加えて聡明な子だ。
きっと彼女なら、安全な駆除方法を知っているに違いない。
「プランはいくつかあります」
「教えてくれ。できれば理想的なやつを」
「理想的な、ですね。でしたら、ゴブリンを凍らせるというのが良いかと」
「続けて」相槌を打ちながら言う。
「私は気温や空気を弄るような魔術を得意としています。ゴブリンは急激に気温が下がると、動きが鈍くなり、やがて仮死状態になります。ですのでゴブリン周辺の空気の温度を極端に落とします」
「なるほどね」
「けれど空気をそこまで冷やすには時間が掛かります。彼等は危険を察知するとその場を離れていってしまうので、逃げないよう、シスイさんには囮になって頂くことになるのですが……」
「なしだな」即答で言う。
「なしですか」無表情で返される。
「何故ボクが逃げれると思ったんだ⁉ ボクはダインじゃないんだぞ?」
「ですがシスイさんはタイタンタートルからは逃げれたのでしょう? その時より若干速く走れば、きっとできます」
ボクのどこを見れば、そんな期待感を抱けるのだろうか?
見ての通りひょろひょろとまでは行かなくても、瘦せている。
確かに外回りが多かったから、足の筋肉は他に比べて自信はあるが、あの竜の姿をしたゴブリンの足に勝るほどではない。
「燃やすとかじゃ駄目なのか?」
「可能ですが、貴重な竜のサンプルがなくなってしまいます。今後、竜やゴブリンの生態を解明していく上で、それが燃え尽きてしまうというのは理想的ではないです」
「ああ、なるほど。理想的という言葉のニュアンスが君とボクで違うんだな。それはボクが悪かった。言いたかったのは、どうすれば効率的にあのゴブリンを倒せるかってことだ。それが知りたい」
彼女は髪を耳に掛けて言う。
「でしたら燃やすのが一番かと。ゴブリンは結局植物なので。けれどこれには注意事項が」
「どんなだい?」
「竜を模倣したゴブリンは燃やされたとしてもひるまず襲ってくる可能性が高いです。ですので、まず体のどこかにある芽を見つけ、取り除く必要があります」
目か。いや、芽か? どちらも同じ発音だから分からないが、些細な差だろう。
確か凄く優秀な芽なんだったな。軍隊の最新ゴーグルくらいになんでも見えるとか何とか。ゴブリンであるカスミ曰くだが。
そう聞くと厄介だが、今のところこちらに気づかれている様子は見られない。
今なら危険を冒さずとも、遠くで目を凝らせば安全に見つけることができるだろう。
目を細めて探す。
すると目の端で何かが光った。
「おい、誰かいるぞ」
カスミが言う。
どうやら見間違いではないらしい。
森の奥、ボク等の向かい側の森に人影が見えた。
「アレは……フェリー達だ」
「反対側も丁度合流したらしいな」カスミが言う。
「でしたら、作戦を共有しておきたいですね。どうにか伝えられないでしょうか?」
「そうだな……お、あっちもこっちに気づいたみたいだ」
フェリーが手を振っているのが見える。
後ろにはシルワアもいた。
彼は振っている手で、竜を指差している。
(自分達も、そいつをどうにかしようとしてるんだ)
身振り手振りでそう伝える。
どうやら伝わったようで、フェリーは親指を立てる。
「とりあえず、竜をどうにかしたいってことは伝わったみたいだ」
「……おい、ちょっと待て。まだジェスチャーが終わってねえみたいだぞ」
「え?」
カスミの言葉を聞いて、もう一度フェリーの手をよく見る。
彼は親指を首元へ持っていくと、裂くように横へスライドした。
それはもう自信満々の笑顔で。
(オレがぶっ倒してやるぜ!)
そう言っているように見えた。
「あのジェスチャー、どういう意味なんだろうな?」カスミが体を傾ける。
「あー、まずいかも」
「まずいとは?」首を傾げるセシアちゃん。
「ボク達の作戦とか、そういうのを無しに始めようとしてるぞ」
「ええ⁉ 相手は竜なんですよ?」
それを言ったら多分「オレはフェンリルだ」って返して来るんだろうな、彼の場合。
竜の強さが分からないボクでも、アレは考え無しに戦って良い相手ではないと分かるのだけれど、アレはそういうところで、自分の力を過信する。
「あ、堂々と出ていったな。あの狼。お嬢ちゃんも困った感じでついて行ってる」
淡々と状況を解説している横で、あたふたとするセシアちゃん。
「ど、どうしましょう? これは冷静に観察して芽を見つけるべき? それとも出ていって加勢するべき? 出たとしてどうする。燃やす? 凍らせる? それとももっと他の手段? どれが最善なんでしょう?」
ほぼほぼ悲鳴に近い声だった。
予想外の方向に突き進んでいる状況に、半分パニック状態といったところか。
彼女に近い状態を、森の主の時に味わったから案外冷静だった。
「セシアちゃん、一回落ち着こう。深呼吸だ」
「いえ、私は至って冷静です! ただ少し、リスクの計算が間に合ってないだけで、決して!」
「そうか、分かった。冷静なんだね。けれど、このままだともうすぐあの二人が戦い始めてしまう。急かす様に聞こえるかもしれないけれど。いや、実際そうなのかもしれない」
「そうですよね、分かってます。どうしよう……」
親指を噛みながら言うセシアちゃん。
どうすれば良いか分からない、というよりは迷っている。何かを決めかねているように見えた。
それを拾ってあげるのが、今のボクができる最善の役割だ。
「何か考えがあるんだね?」
「え、ええ。ですが、自信がないです……」
「心配するな。こういう時は臨機応変、その場その場のノリで何とかなったりする。それに多少のことなら、四……いや五割くらいの負担ならボクも背負えるし、カバーできると思う。だから言ってくれ。君の考えを」
セシアちゃんの目を真っ直ぐ見る。
その言葉を聞いて、彼女の呼吸は段々とゆっくりとなり、一度大きく深呼吸をする。
呼吸と同様に動揺も徐々に治まり、取っ散らかっていた目の焦点が合う。
もう大丈夫。そう言うように胸に手を添えて、真っ直ぐに視線を返す。
いつもの冷静なセシアちゃんが戻って来た。
「臨機応変という言葉、私は嫌いです」
ため息をつくと、彼女は強く杖を握った。
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