31 ゴブリンという生き物

 平原を歩き出して数十分。ボク等は軽自動車一台分ほどの幅の道を歩き続ける。

 舗装されているというよりは、その部分だけが踏み固められてできた獣道のようなものに感じる。踏み固めれているから、草は生えていない。


 やがて森が左目の端に見えて、セシアちゃんがそちらに頭を向ける。

 その様子から、そこが目的地であると察した。


 辿ってきた道からルートを森に変え、緑の平原に入ると、少し足にぬかるみを覚えた。通り雨でも降ったのだろう。

 足を取られないよう注意しながら、ボク等はようやく目的の森へとたどり着いた。


「ここが森か。思っていたよりも小さいんだな」


 フェリーは呟く。

 彼の言いたいことは分かる気がする。

 森と聞いてイメージするのは、ジャングルのような、どこを見渡しても木々が広がるような場所。

 囲われているような錯覚に陥るほどの植物のカーテンを連想する。


 目の前の森は、緑のカーテンというより、平原というマットレスに付いたシミだ。海にポツンとある孤島のようにも見える。

 三〇分ほど歩けば周囲を一周できてしまいそうなくらいに規模が小さい。


 だが、平原という場においては最も木々が多く生えている。木々が乱雑に生えていたり、薄暗いところを見ると、管理がされている様子もない。

 そういう点で、森という解釈は間違っていないのかもしれない。


「それで、どういうプランで行くんだい? セシアちゃん」


「そうですね。効率を考えて二手に分かれたいのですけど、三人はゴブリンのことをあまり知らないのでしょう? そうなると分かれるのが良いとは限りません」


「いんや。オレはカスミの臭いを覚えたから、ある程度なら見つけられる自信があるぜ。独特な甘い匂いがする」


「では、カスミとフェリーさんを軸にして、メンバーを決めましょう」


「私、フェリー、つく。保護者」手を上げて挙手するシルワア。


「では私はカスミに着きましょう。シスイさんもこっちについて来て下さい」


「良いけれど、その心は?」


「彼等の骨格と筋肉は山育ち特有のものですので、森の中で素早く動くことができます。けれどシスイさんや私を含め、平均的な体力の人間は、こういう場所に慣れてないので、どうしても遅くなってしまいます」


「そうか。足を引っ張らないようにするには、そっちが良いかもしれないね」


「ええ、そういうことです。フィジカル組は、対岸からゴブリン達を追い立てるように行動してもらい、私達はカスミの知識を元に道中のゴブリンを処理しながら、網を張る様に構える。……というのが今回私が考えたプランです」


「合理的だね。ボクもその作戦に賛成だ。二人はどうだい?」


「問題ない」


「追い込み漁は得意だぜ」


 その言葉を聞くとほっとした表情を浮かべるセシアちゃん。

 しっかりしている彼女を見ていると、忘れてしまいがちだが、彼女はまだ成人すらしていない女の子だ。ダインからも新人だと聞いた。


 そんな彼女がリーダーのような役割を担っている。

 緊張しない訳がないだろうし、不安も絶対あるだろう。この作戦だって、頭を捻って考えたに違いない。


「上手くいきそうな作戦だね」


 励ますように言うと、眉をひそめ、自信がないように笑う。


「そうだと良いんですけどね」


 その姿に、いつかの後輩の影を重ねる自分がいた。




 フェリーとシルワアと別れた後、鬱蒼とした森に足を入れる。

 湿気が凄い。地面は苔のマットが敷き詰められている。


 生えている木々は広葉樹。大の大人が手をいっぱいに広げても、葉の方が一回り大きい。この大きな葉が落ちて地面に積もることで、地面の湿気が中々消えないのだろう。


 そんな森を先導するように前へ進むカカシのカスミ、その後ろをセシアちゃん、そしてボクの順で歩く。


「見ましたか、シスイさん」


 セシアちゃんが尋ねてきた。


「何が?」


「フェリーさんのアレです。変身とでも言うんですかね」


「ああ、あれね」


 フェリーは森の反対に行くために、体を二足歩行から四足歩行へと変えたのだ。

 変える、と言ってもただ四つん這いになった訳ではない。骨格と筋肉を作り替え、最も適した体に姿を変える。まさに変身だ。


 ただ、仮面ライダーのようなカッコいい変身ではなく、バキバキと痛々しい音を立ててだが。


「擬態を目的として体の色を変えたり、尻尾を囮に自切したりする生き物はいますけれど、あんなの見たことがない。あれほどの変化は、もはや進化の域です」


 進化か。

 言われてみれば、そう見えるかもしれない。

 二足歩行から四足歩行は退化と言えるかもしれないけれど。


「フェンリルっていうのは、そういうことができるのかもしれないね」


「シスイさんは、フェンリルに詳しいのですか? フェリーさんとは長い付き合いに見えますし」


「いや、全然。ただ漠然とすごい生き物だってことしか。やっていることが滅茶苦茶で、半分思考を放棄している」


 異世界なら何でもありなのだ。

 そういう考えがあった。思考停止言っても良い。

 ファンタジーだからと言われたら、それまでなのだ。


 しかし異世界出身セシアちゃんも、あの変身を見て、何が起きているのか分からないようだ。

 情報量の多さにオーバーフローするような、面食らった表情から察せる。

 その反応を見て、ボクの見方や感性も、あながち間違ってないのだと安心した。


「一体どんな生態をしているのでしょうか? そもそもどういう生物の属するのでしょうね、彼。一応哺乳類なんでしょうか?」


「さあ? どうだろう。けれどボクから言わせてしまえば、それより……」


「それより?」彼女は首を傾げる。


「目の前にいるカカシこそ、何だろうって感じだよ」


 目の前にいるカカシに目をやった。木々の間をぶつからないよう、器用に「けんけん」跳んでいる。足が一本しかないので「ぱ」はない。


 顔のようなものは付いているが、ただの飾りなのは明白だった。一体どの部分で周りの景色を認識しているのだろう?


「ゴブリンというのは、生まれた時に特殊な芽を出します」


「芽? 子葉のことかい?」


「ええ。その子葉というのが特殊で、動物の目に似た特性があるんです。周りの風景であったり、動くものを認識したり、色までもある程度分かるとか」


 それはすごい芽だ。ああ、目ではないよ。芽だ。

 ……目と芽。発声が同じだから、なんだかややこしいな。

 

 芽のことを知った上でカスミを見ると、確かに頭上にそれらしき葉っぱが見える。


 双葉の子葉。頭に付いているからか、少女が身に着けるリボンのようにも見えた。

 すると茎の部分がしなり、こちらを向く。


 芽を正面から見た途端、印象が変わった。

 ぎょろりとした、人間の目に近い瞳が付いていたからだ。


「ぴーちくぱーちく話してるとこ悪いけどよ。いたぜ、ゴブリン」


「え、どこに?」


 驚いて周囲を見渡す。

 けれど苔と枯葉、それから生い茂る木以外に何も見えない。

 目を凝らして、動くものを捉えようとするも、自分にはさっぱりだ。


「そこじゃない。上だ」カスミは視線を上に向ける。


「上? ……あ、何かいる」


 木の上。

 何か小さいものが、カサカサと動いているのが見える。

 木の葉の間をちょろちょろと動き回って分かりづらいが、捉えることができた。

 あれはリスだ。蔓で編まれた体のリスだ。


「見えたか?」


「うん。リスが見えた。アレが?」


「ああ。アレがゴブリンだ。今回はリスを真似したらしい」


「見つけたけれど、アレどうすれば良いんだ?」


「チヨから聞いたぞ。お前、特技があるらしいじゃないか。なんだったか……、物を引き寄せる力があるとか。アレを使って捕まえてみろ」


 引き寄せるアレというのは、きっとマジックハンドのことを言っているのだろう。

 チヨさんの魔術教室に通って、四日目くらいの時に見せる機会があった。

 それをカスミに話したのだろう。


「……とその前に、渡すもんがあったんだった」


 抑揚のない声で思い出したように言うと、カカシの腕に該当する棒をこちらに突き出して来た。

 棒の先には、装飾の手袋が付いている。


「取って良いのかい?」


「お前のだ。持ってけ」


 言われるがまま、手に取る。


「そいつはチヨが、フェンリルの毛で作ったもんだ。リスを掴んだ時に噛まれて逃がされるとかなわん」


「確かに。生態も真似してるって話だったね」


 手袋の材質は革。フェリーの毛は縫い目に使っているのだろう。手の甲には四つの金属プレートが貼られており、自分が普段着けない洒落たデザインになってる。

 身に着けてみると肌に吸い付くようなフィット感。良い手袋だ。


「マジックハンド」


 リスに狙いを定め、手を突き出すと、意識を集中させる。今回は動物ほど体の構造が複雑ではなかったので、容易にイメージが付いた。


 腕を引くと、枝から覗いていたリスが足を滑らせ、こちらに引き寄せられる。

 やがてリスは左手の中に納まる。

 上手くいった。顔面キャッチじゃない。


 手の中に入って来たリスは「チチッ!」と鳴く。まるで本物のように。

 しかし体は確かに植物だ。

 蔓でできた体はしなやか。耳はリスに比べて大きく、多肉植物のような葉が生えている。


 体を強く押してみると体の中には骨のように硬い芯があり、リスの骨格にかなり寄せている。

 爪や歯もしっかり硬いのだろう。革越しで爪が立てられているのが分かる。

 身に着けていなかったら、かなり痛かったに違いない。


「捕まえたが、どうする?」


「ほれほれ。お前さんは魔術を習ったのだろう?」


「まあ、一週間しか経ってないけれど」


「一週間もあれば基礎はできるはずだ。火とか……教えたのか? あのババア、ちゃんと」


「一通りはね。教わった。けれど自分、魔力出力って才がFなんだ」


「……はあん。随分と躊躇うと思ったが、そういうことか」納得したようにその場を跳ねるカスミ。


 どうして魔術を使うことを躊躇う素振りを見せるのか。

 それは魔術というのを経験して、自分の才の無さを自覚したからになる。

 以前ギルドカード作成時に説明された通り、魔術を使うには『魔力』と『魔力出力』が必要になる。


 魔力は貯水槽、魔力出力は蛇口のような関係性だ。

 ボクの場合、貯水槽が大きいが、蛇口が小さい。魔力が膨大にあっても吐き出す口が小さいのだ。火の玉を出す魔術を使ったとして、自分が出せるのはマッチの火程度である。


 ここまでなら、別に使うことに躊躇いはない。

 問題はここからだ。

 魔術を使うとき、基本的に、発動する体の部位に魔力でコーティングをする。要はバリアを張るのだ。自分の魔術で怪我をしないように。

 火であれば火傷をせずに済むし、水であれば濡れずに済む。


 しかしそのバリアの強度も、魔力出力がベースになる。

 まあ、何が言いたいのかというと、魔術で火を出した際、バリアがサランラップ並みにショボいので火傷してしまうのだ。


 躊躇う理由として「才能がないからだ」なんて、まるで恥じているような風に言ったが、身体的で、物理的で、切実な理由である。

 カスミもそれを察したのだ。


「しかし、そいつは問題ねえ」


「何故だ?」


「その手袋はフェンリルの毛を使ってるからな。フェンリルの毛っていうのは周囲の魔力に反応して、空気の層を作る。魔力が大きければ大きいほど厚みは増し、魔力による攻撃を弾くんだ。だから、お前のショボい魔術なんか屁でもない」


「フェンリルの毛っていうのは、そんなに凄いものなのか。びっくりだ!」


「補助の道具なのですね」セシアちゃんが頷く。


「は! 介護道具の間違いだろう」吐き捨てるように言うカスミ。


 酷いくらい辛辣だ。

 チヨさんが主だというのがハッキリ分かる。

 オリジナルに比べ、ドスが聞いていないのが幸いだろう。


 とりあえず、火傷の心配がないのなら、勿論やってみるとも。

 チヨさんに教えられたように、魔術を使ってみる。

 魔術に必要なのは魔力と詠唱、そして使う術のイメージ。


 熱い。揺らめく。火傷。焼ける。

 ポンポンと火に対するイメージの候補を出す。

 イメージの情報が多いほど、そして具体的であるほど良いらしい。


 ある程度のイメージがまとまったら一言「フレーム」と呟く。火という意味である。


 フォン……!


 小さな火が右手の指先に現れた。

 マッチより少し大きい球体の火球だ。

 その火でリスを炙る。


 「キキィ!!」と悲鳴に似た鳴き声を上げながら、リスはパチパチと燃え、やがて水分が多い耳の部分と、クルミのような実だけが、手の中に残った。


「死に際の声までリアルとは、恐れ入ったな……」


 若干引き気味なボクの隣で、カスミは誇らしげに言う。


「まあ、三流の模倣にしては良い線いっている」


「……そういえば、カスミは他のゴブリンに比べて特別なんだろう?」


「ああ、そうだが?」


「具体的にどこが特別なんだ?」


「ゴブリンってのは、目のような子葉が生えると聞いたろう?」


「うん」腕を組みながら頷く。


「アレには視覚機能の他に、学習する脳に近い機能がある。だが生えて一週間ほどで枯れちまう。模倣という作業が終わったら用済みになるのさ。その後にまた芽は生えるが、ただ周囲を見るだけの器官に成り下がる」


「つまり君は、その学習する芽というのを保持したままのゴブリンってことなのか」


「チヨが言っていたように察しだけは良いな。そういうことだ。だからエブリワン学習し続けるマシーンって訳だ、私は」


「それはまた、特別だね」


 学習する植物。なんだかエイリアンみたいに聞こえる。

 しかし、ということは、先程のリスやこれから出てくるゴブリンというのに、知能はないのか。


 学習ができないのだから。

 だったら彼等の模倣先、つまりオリジナルの生き物を相手取るよりは、楽なのかもしれない。


「しかし、変ですね」


「変って何がだい? セシアちゃん」


「ゴブリンという生物は本来、この周辺にはいない生物なんです。もっと山奥か、厳しい環境にいるんです。なので、並な生物を模倣して、こんな人里まで下りて来るのは難しい。大量発生に至った原因は、一体何なのでしょうか?」


「誰かが人為的に連れて来たとか?」


「メリットがないですね。厄介でしかないですから。たまたま荷物に混ざってしまったというのも、人里では見ない植物なので考えにくいですし……カスミ、どれくらいゴブリンがいるか、ざっくりで良いので教えてください」


「ああん? ……そうだな、大体一〇〇を少し超えたくらいだ」


「ゴブリンは早々増える植物ではない。けれど最近目撃されて一〇〇体くらいまで繁殖した。そこから考えられる可能性……ああ、これならあるかも……」


 親指を嚙みながらぶつぶつと言うセシアちゃん。


「何か分かったのかい?」


 尋ねると、下を向いていた彼女の顔が上がり、ボクと目が合う。

 じっとこちらを見ているが、焦点はこちらに合っていない。


 きっと何を言うか、考えを整理しているのだ。

 やがて考えがまとまったのか、ブレていた焦点が段々と定まり、本当の意味で目が合う。


「多分この森には、沢山の栄養を蓄えて、大量に実を付けたゴブリンがいます。それも多分、かなり厄介な生き物を模倣した個体が」

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