29 鼓動する石

 夜が更け、森は一層暗くなる……、と言いたいところだが、ここ最近は違う。

 陽の光のような温かなものではなく、白く強烈な人工的に作られた光。

 それが森をライトアップさせていた。


 照らされた森には沢山の人がいた。

 全員、ギルドの調査隊である。

 顔ぶれや武器を持っていないのを見るに、研究者チームが派遣されているのだろう。


 彼等が派遣された理由は数日前、森の主が現れ、そして彼方に消え去ったことが原因だ。

 あの生物……、確かタイタンタートルとかいう生物は、中々人前に現れない貴重な存在らしく、普段に比べて調査に力が入っている。


 僕にはあまり興味が湧かない。

 なんてったって、気絶しててほとんど覚えていないのだから。

 覚えていることと言えば、セシアの頭上に岩が飛んできていたことくらいだ。

 その時、体が動いていて、次に目を開けた時には馬車の中だった。


 まあ、僕の興味云々の話はどうでも良い。

 今回はダイン団長からの指示で、その調査の強力を依頼されてここに来ている。

 来ているのだが、遅刻してしまった。

 ……風呂のせいで。


「……という訳で、少し遅れた」


 その言い訳を今、丁度終えたところである。


「はっはっはー。そいつは、災難だったな」


「いやあ、あれほど凝った肩を僕は見たことがなくてな。つい念入りにやってしまった」


「気にしなくて良い。そんなに急を要する仕事って訳じゃない」


 この森の調査隊のリーダー兼友人のタルポルポは、快く許してくれた。

 彼はこの森を二〇年間調べている生物調査のエキスパートである。

 見かけは高身長。年齢は四〇歳。

 髪はボサボサで、一切の手入れをしていない。服もシャツに短パン、サンダルときた。

 まるで自宅の庭でだらだらしているおじさんに見える。

 二〇年も調べているのだから、森自体が自宅とそう変わらないのかもしれないけれど。


「それで、僕の仕事はなんだ?」


 そう聞くと、タルポルポはピッケルを僕に投げた。


「これで周りにあるでっかい岩を砕いてくれ」


「穴でも掘るのか?」


「いいや、違う。掘りはしない。そいつでタイタンタートルの甲羅だった岩を砕いてもらう。アレの甲羅が何でできているのか、解析したいのさ」


「それって僕が必要か? いや、迷惑ってことじゃなくてな。岩くらい、誰でも砕けるだろうに」


 近くにある岩に向けてピッケルを振り下ろす。

 すると「カーン!」という甲高い音を鳴らして岩が崩れ……なかった。

 思わず目を丸くする。


「なんだ、これ……硬すぎるだろ!!」


「それが理由さ。やけに硬いんだ。小さいのを細かく砕いて調べてみたんだが、その甲羅は泥の他に多種多様な金属がこちゃまぜになってできていることが分かった」


「道理で硬い訳だぜ」


「ああいう巨大な生物は、巨体を支えるため、骨の形成時に金属を体内に取り込んで丈夫にする。だから定期的に鉱石を摂取するんだ。タイタンタートルの場合、体に取り込み切れなかった金属が便として排出されて、それを泥に混ぜて身に纏っているのではないか、というのが俺の読みだ」


 ええと、つまり金属のうんこを体に身に纏っているってことか。

 なんだか、臭そうな亀だな。いや、甲羅がないから今はトカゲなのか。

 こんなに硬いうんこだと便秘にもなりやすそうだし、きっと大変な生活を送っているのだろうと、少しトカゲを同情した。


「この俺の仮説が正しければ、森の主がどこで鉱物を摂取しているのかが分かる。鉱物の割合でな。これまでほとんど未知であったタイタンタートルの生態に、具体的な情報を入れることができる」


「趣味的な話か?」


「いや、事務的な、具体的に言うなら資源の話だ。消化しきれない便である甲羅でこれだけの硬さだ。食事場は、よほど良い鉱山だろう。きっとまだ知られていない類のな。それを報告すれば、この森の調査にギルドが本腰を入れてくれるだろう」


「つまりギルドの為に頑張ってくれるってことだな!」


「いや、俺の目的はこっち」


 タルポルポは親指と人差し指でコインの形を作る。


「金か」


「ああ、金さ。金が要るんだ。定期的に調査の資金は降りて来ていたが、微々たるものだった。ギルドは知識欲連中だけが集まってできた場所じゃない。利益がないとあんまり出してくれないのさ、ギルドの上の奴らは」


「それは君のせいもあるだろう? ギルドの人に『この森には豊富な資源があるんです』って言って資金をせびってるんだから。ここ最近、良い結果が出てないって聞いていたし」


 僕はそう聞いている。本人から。

 彼が言うように、ギルドはこの森の調査というのに、それほど関心がない。

 いや、正確に言えば余裕がないのだろう。

 余裕がないというのはどういう意味か。

 そのことについて、少し説明をしなくてはいけない。


 彼がこの森を研究する一〇年前、つまり三〇年前にこの地では戦争があった。

 魔族と呼ばれる未知の生命体との戦争だ。

 五年ほど激しい戦いが続き、その間戦力は拮抗し続けた。やがてそのまま冷戦に突入し、今なおそれは続いている。


 そのとき、かなりの土地が失われたらしく、資源の枯渇、武器の不足、何より人材の不足が懸念された。

 そのため森の調査に割く資金も、人材も、当時はほとんどない。復興作業といつか来る戦争の準備で、てんてこ舞いだったらしいから。

 そして今も、昔ほどではないにせよ、足りてはいないのだ。


「まあ、その戦争のお陰で、こうして資金が下りてくる面も否定できないがな。資源不足という部分に付け込んだわけだから。はっはっはー」


「酷い奴だな、お前」


「嘘はついていない。この森に資源があるのは確実だからな。それに結果を出そうと日々こうして調査をしてる。それに、資金を拝借して自分の金にしてるならまだしも、全てこの森に費やしてるんだから、酷い奴呼ばわりされる筋合いはないね」


「君の場合、この調査自体が自分のためだろうに」


「はっはー、お前はアレだな。馬鹿な癖に鋭いところを突く。純粋だからか?」


 褒めているのか、貶しているのか、よく分からなかった。

 彼はよく、どっちとも取れるようなことを言う。

 人の性根を試しているようで、あまり好きではない。


 けれど「鋭いところを突く」とは「勘が鋭い」ということだろうし、勘の良さは剣士にとってアドバンテージである。

 だったらきっと褒めてくれたのだろう。そう解釈して、受け取った。


「まあ、調査に腰が上がらない理由というのは、人材不足だけではないだろうがな」


「他にもあるのか?」


「お前はこの森で起きた、六〇年前の事件を知っているか?」


「六〇年前? さあ、分からないな。そんな昔のことに、これまで関心が向かなかったから」


 頭の中を探ってみるが、それらしき情報も、知識も、出てこなかった。


「ガムダリル原生林調査隊虐殺事件と聞けば心当たりがあるかもしれないな」


「ガムダリル原生林調査隊……ああ! 知ってるぞ、それ! ギルドが調査隊を組んで、未開の森の調査をしに行ったって奴か。街に像が建っているのをよく見た!」


 未開の森の調査に各国の有名な研究員、凄腕のハンターなどが三〇名集まってできた調査隊『ガムダリル原生林調査隊』。

 彼等はこの森、ガムダリル森林のさらに奥にある原生林の調査のために結成された探検隊だ。


 三〇人の冒険者は皆、名の知れた上級冒険者ばかりだったはずだ。

 生物学、地質学の専門家や、鉱物や毒に特化した変人、竜殺しを専門とする凄腕の狩人。ギルドの人間でもエリート中のエリートの上級冒険者達ばかりだったと聞いた。

 幼少の頃それを聞いて、彼等のかっこ良さに憧れた。


「街にある石像、かっこいいよな! ……いや、待て。虐殺? 虐殺ってどういうことだ?」


「知らんのか? 石像の前のモニュメントに詳細が彫られていただろう?」


「僕は字が読めない」


「そうか……。識字率が増えているとはいえ、街に住む人全員に浸透している訳じゃない。割と知らない人間というのは多いのかもしれないな」


「それで、モニュメントにはなんて書いてあるんだ? アレは記念碑じゃないのか?」


「アレは慰霊碑さ」


 タルポルポは、サンダルの内側に入った砂を落としながら言う。


「調査隊は未開の地、ガムダリル原生林の調査に赴いた。ある程度行った先でベースキャンプを建てて一夜を過ごしたんだが、日が上る少し前に大木が折れるような騒音で目を覚ます。調査隊メンバーは全員外に出て、警戒態勢を取ったんだが……」


「だが……?」


「次の瞬間には三〇名全員、体をバラバラにされた」


 全員、バラバラ。

 その言葉に、思わず絶句する。

 そんなこと、可能なのだろうか。


 普通の冒険者ではあり得る……、いや普通だったとしても一瞬で三〇名は無理だ。

 しかも上級となると、学者であろうとも、戦闘に対してそれなりの心得を持っているだろうし、戦闘を主とするハンターも多く含まれているはずだ。

 並みのモンスターにやられるなんてことは、まずない。

 そんな人達で構成された調査隊を、一瞬だなんて……。


「どんなことが起こったら、調査隊を全滅できるって言うんだ……?」


「全滅じゃない。二九名死亡。一名生還だ。もちろん、手足はバラバラの状態だったけれど、胴体は免れたらしい」


「ああ、そっか。やたら詳しいと思ったらそういう……。じゃあ、どんな奴がやったのかも知ってるってことか」


「まあ、話によると、毛並みが金色の、狼に似た姿を取った化け物だったらしい。候補として挙げられる生物は、今のところいないな。未知の生物だ。付いた異名は『皓月狼死こうげつろうし』あるいは『ムーンライト・デス』」


「フェンリルって奴とは違うのか? あっ……」


 フェンリル。

 それを名乗る友人、フェリーの顔を思い出し、つい口を手で塞いでしまう。

 彼を悪く言ってしまったような、そんな罪悪感がぶわっと湧いた。


「いや、それはないな」


 タルポルポはバッサリと否定する。

 彼が断言するということは、根拠があるのだろう。


「フェンリルというのは、理性ある生物だと聞く。彼、あるいは彼女を目撃した例はいくつもあるが、あの生物は認知した素振りを見せたらしい。目撃者は殺されなかった。徘徊しているということはテリトリーと考えられる。それを踏まえて襲わないということは、よっぽどのことがない限り、無害な生物なんだろう」


「そうか」


「それに、お前が気にする友人は、多分フェンリルじゃない」


 ギクリと肩が跳ねる。

 どうやら僕の反応に察しがついていたようだ。


「彼等が理性の獣と呼ばれている理由は知ってるか?」


「全然……」


「彼等はね、口がないんだ。フェンリルを見た者の証言を元に描いた絵を見たり、聞いたりするとな」


 タルポルポは口をパクパクさせてみせた。

 彼の発言に、思わず眉をひそめる。


「口がない? じゃあ、飯とかどうやって食べるんだよ」


「知らん。そこまでは。目撃自体がほとんどないからな。だが、そういう見た目が生物の三大欲求である食欲を切り離しているように見えるのと、個体数の少なさから性欲が乏しいという考察で、理性の獣と呼ばれているんだろうぜ」


「なるほど?」


 雰囲気で相槌を打つ。

 本当は、よく分かっていない。

 彼はさも当然のようにフェンリルのことを語るが、理性の獣と呼ばれている事実すら、僕は知らなかった。


「だから、フェリーだったか? 彼がフェンリルというのは、文献や目撃証言と比べると、フェンリルと呼ぶには無理があるように見える。会ったことはないけどね」


 その後「実際にフェンリルを見た訳じゃないから、何とも言えないがな」と言って笑う。

 確かにその話が正しければ、フェリーはフェンリルではないのかもしれない。

 彼、口あるし。下の方は毛で見えなかったから何とも言えないけれど。


 それに『皓月狼死こうげつろうし』と呼ばれる生き物とも違うだろう。

 毛並みも金色ではなく、青みがかった灰色だった。

 人間を虐殺するような獰猛さどころか、リズに怯えるのだから、考えられない。

 似ても似つかない。


「まあ、話のほとんどは理解できなかったけれど、とりあえず戦争での人手不足と、その未知の化け物のせいで調査が難しいことは分かったよ」


「ま、そんだけ理解できれば問題ない。なんにせよ、厄介な生物がいるのは確かだ。だがそれはロマンだ。それを知りたい、確かめたいという人間の欲求は止まらない。知らないということに我慢できないのが、学者という生命体の性だ」


「そうなんだ」


 素っ気なく返したように聞こえたかもしれない。

 けれどこれは、単純に情報過多で、返しがおろそかになっているだけだ。

 事件やら、フェンリルやらの話を難しいワードを多用して言われると、頭がこんがらがってしまうのだ。

 セシアなら「情報の咀嚼が下手」と言うのだろう。


「はっはー、話をし過ぎたな。ま、だからダインさんは、シスイとフェリーという男に興味があるのかもしれないな。彼等はこの森から来たらしいから。少なくとも、俺は興味あるね」


 ダイン団長やタルポルポの興味というのは、よく分からない。

 よく分からないので、頭よりも今は体を動かそうと思った。


 そういう頭を使うのは、僕に求められていないし、体を動かした方が頭が整理されるような気がした。

 僕はピッケルを振り上げて岩に、森の主のうんちに振り下ろす。


 カキン! パカッ。


 先ほどはビクともしなかったが、今度は綺麗に砕けた。

 真ん中で綺麗に割れる岩。真っ二つだ。

 すると中心から、他とは違う質感の銀色の岩が出て来た。


 大きさで言えばヤシの実より二回りほど大きい。

 研磨されたようにツルツルとした手触り。触り心地は金属のようだ。

 そして何より目を引くのは……。


「光ってる……」


 チカチカと蛍のように光っていたのだ。

 点滅するようにチカチカと光っていたのだ。

 まるで、信号のように。


 チカチカチカ。チカ、チカ、チカ。チカチカチカ……。

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