28 湯けむりの先にあるもの(下)
ダイン団長の呼び出しが届いたため、急いでギルドに向かったが、呼び出した本人はいなかった。
ギルドマスターの部屋をぐるりと見回して、何かメッセージがないかと探してみる。
すると、団長の机に書置きがあった。
リアックへ。
お前に緊急の通信が入ったかもしれんが、アレは不具合だ。早急の用ではない。ただ、手伝って欲しいことがあるから、それを伝える。
依頼に戻ってきたらで良いから、森の主、つまりタイタンタートルの調査を手伝って欲しい。
場所は俺達が襲われたあの山だ。
俺の方は別件があるから行けん。
適当に任す。あ、適当というのは雑という意味の方では……。
よし、何となく分かった。
つまりアレだな。
適当に雑務をこなせば良いんだな。何やら続きが書いてあったが、内容は大して変わらないだろう。
「しかし、急ぎ用事ではなかったのか。シスイさん達に悪いことをしてしまった。まあ、過ぎたことは仕方ない。また今度、お詫びでもしよう」
気持ちを切り替え、頼まれた森の主の調査に向かおうとする。
けれど、ふわっと汗っぽい刺激臭が香ってきて、足を止めた。
スンスンと、服の袖を嗅ぐ。
汗臭い、だろうか?
正直自分の臭いなんて分からない。けれど以前セシアに「人と会う前は身なりを整えるのが常識でしょう?」と怒られたばかりだ。
口は悪いが、アイツが言うことは大抵正しい。時間もある。だったら、身なりというのを整えておくべきだろう。
「ちょっと早いし、着替えておこうか。うん、そのほうが良い」
目的地を森から自宅へと変更し、ギルドを出る。
自宅はダアクックの住宅街にあった。大通りから細い道に入っていくと着く。
明るい繁華街と比べると、明るさは半分以下にまで落ちる。
僅かなランタンの明かりが静かに灯っていて、繁華街のキラキラよりも好きだった。
真っ直ぐ進んで赤色の民家を曲がると、小さな坂道がある。
その坂の途中にある、小屋よりは一回り大きい、屋根の低い家が僕の住処だ。
ポケットから、ボロボロの紐に括られた鍵を取り出すと、扉を開ける。
部屋に入ると、服の入った棚に向かう。
ぱっと開けた棚から服を選んだ。
服のセレクトは適当だ。服のセレクトはセシア。
僕にそういったセンスはないから、大抵彼女が選ぶ。
まあ、アレが選んだ服だ。どれを選んでも間違いってことはないだろう。
このまま綺麗な服を着ようかと思ったが、全身泥だらけであることを思い出し、一度風呂で洗い流した方が良いと思った。
思ったので、宿屋の風呂を借りに向かった。
大通りに戻り、街の中央へと歩いてくと、ドラゴンの形をした金属プレートの看板が見えた。
宿屋のものだ。
もう少し質素な木の看板の方が見合っているだろうと、常々思う。
ここには蒸し風呂の小屋があり、お金を払えば宿に泊まらずとも使えるのだ。
料金を払って中に入り、慣れた足取りで風呂場に向かうとその途中、セシアが歩いているのが見えた。
「セシア」
声を掛ける。
それに気づいて、彼女は振り返った。
「あら、リアック」
「今から風呂? ……って髪は濡れてるな。どうして戻ってる?」
「忘れ物をしてしまったの。石鹸を」
「石鹸って、あの体を洗う奴か。そんなに大切なのか?」
「良い匂いが付いてるの。いつも使っているのよ」
ああ、毎度毎度良い匂いがすると思ってはいたが、石鹸のせいだったのか。
横を通り過ぎるたびに香り立つから、女の汗は元々そういう匂いなのばかリ思っていたのだが、そうではないらしい。
「でも、今シスイさんとフェリーさんが入ってて……どうしようかな」
「なら、僕が入るついでに取ってこようか?」
「そう? じゃあ、お願いしようかな」
軽い談笑しながら、僕達は風呂へと歩いていくと、小屋が見えてくる。
小屋に入るとすぐに脱衣所があり、セシアもついてきた。
すぐ受け取って帰りたいのだろう。
待たせるのは悪いと思い、その場で服をぱっぱと脱いで適当に籠へとぶん投げた。
「一応、私がいるのよ?」
「別に気にしないだろう? それに、服着たままじゃ湯気で濡れる」
「そういうもの?」
「そういうもの」
一応、セシアに気を使ってタオルを腰に巻いた。
よし、準備完了。
そう思って風呂の扉を開けようと思った手をかけると……。
『ぎぎゃあああああああああッ!!』
悲鳴が聞こえた。
思わず、びっくりして二歩、三歩後ずさりする。
悲鳴からして、きっとシスイさんだろうか。
彼の叫びは事件性を帯びていた。一体、何が起きたというのだろうか。
気になって扉を開けると、視界は蒸気で真っ白だ。
ただ、奥にいるであろうシスイさんとフェリーのシルエットだけが映る。
その影から察するにうつ伏せになって何かをやっているようだ。
セシアも何があったか気になるようで、恐る恐る顔を覗かせる。
耳を澄ませてみると、会話が聞こえた。
「ふっ、ふっ、ふっ。どうだ、おっさん。気持ち、良いか?」
「ああ、最初は痛くて驚いたが、結構上手いじゃないか」
「そうか、よっしゃ、任せとけ。ふっ、ふっ、ふっ」
「ああああ、良いねぇ。ああああッ!」
バタン。
僕とセシアは扉を閉める。
一体あれは何をやっているのだろうか。
湯けむりで良く見えなかったが、何か見てはいけないものを見てしまったような、謎の後ろめたさがある。
「……」
「……」
セシアと目を合わせる。
心境は同じだろう。
僕等の脳裏に浮かんだのは卑猥な妄想。
いや、もしかしたら見間違いかもしれない。
というか、頼むから見間違いであってくれ。そうした願いを込めて、再び扉を開ける。
変わらずシルエットしか見えない。
だからもう少し踏み込んで目を凝らしてみる。
湯けむりに映るシルエット。寝転がる影に対して、もう一つの影が上下に反復運動をする。
「こうか? こうすれば良いのか⁉」
「そうだ、もっと激しくだ。全身を使って、でも優しさを忘れず、いででででッ! いや、むしろ痛いのが気持ち良いまである!」
「ほお、おっさんの弱点知っちまったぜ。ここか、ここが良いのか?」
「くおおっ、ひぎぃ……おぬし、やりおるではないか、ぐほっ!!」
本当に何をしているんだ⁉
まさか、そういう関係だとでもいうのだろうか。
見てはいけないものを見てしまったような、そんな気まずさが僕とセシアの間に流れる。
(……これは邪魔してはダメかもしれないわね)
(お、おう。僕達は何も見なかったってことにしておこう……)
気づかれないように、こっそりと部屋を後にしようとする。
すると、足元に何か踏んだような感触。
つるん。
瞬間、僕の体は宙に投げ出されるように態勢を崩す。
宙を舞うその刹那、見えたのは……石鹸だった。
駄目じゃないかセシア。こんなところに石鹸を置いたら、怪我をしてしまうだろう?
そして「ドンッ!!」という大きな音と共に倒れてしまう。
「いちちちち……あっ」
二つのシルエットがこちらを向く。
「おや、リアック君じゃないか」
「お、丁度良い所に来たじゃないか、リアック。お前も一緒に体をほぐし合おうじゃないか」
「あ、いや、結構です!」
立ち上がって、一目散に外へ逃げようとすると、ガシッっと足首を掴まれてしまう。
「裸の付き合いしようじゃないか~」
「良いではないか、良いではないか」
「ちょ、ちょい待ちちょい待ちちょい待ちっ!!」
ずるずると白い地獄へと引きずり込んでくる悪魔達。
抵抗するように扉の枠を握りしめ、セシアに助けを求める。
「た、助けてくれ!! このままじゃ僕も餌食にされてしまう!!」
その叫びに、セシアは咄嗟に手を掴む。反射的にだ。
けれどずるずると、セシアも部屋にずるずると引きずり込まれそうになる。
普通の考えれば当たり前だ。
成人男性二人と少女の綱引き。
勝敗は言うまでもない。
しかし、ここにいるセシアは魔術師だ。
魔術師というのは知恵が回る。
それできっと、このピンチを打開してくれる。
それに僕は賭けていた。
「何か、綱引きに使える魔法とか、なんかそういうのないか⁉」
「待ってね、今考えるから。私が彼を助けるために魔術リソースを割くとして……利益と不利益は……そもそも相手がリアックの時点で利益はない。……むしろ放すことで、形はどうあれ交流が生まれるのでは……放したほうが利益なのではないか……というか、もう疲れてきたから放すべきだろう……」
「セシアさん⁉」
まずい。恐ろしい結論に至りそうになっている。
頼む。なんかこう、色々曲道して助けるという結論に達してくれ。
僕はセシアの良心を刺激するように、子犬になったつもりで見つめる。
うるうると助けを懇願するような瞳をして見つめる。
「そんなに捨て犬のような顔で、こちらを見ないで」
「本当に頼むっ!!」
「分かったわ。じゃあ、これを持って」
セシアから、何か手渡される。
見てみると、石鹸だった。
「……セシアさん。これは一体……?」
「これで体を洗えば、良い匂いがする。リラックス効果が見込めるそうよ。なので、これを使って、傷つくであろう心を癒してね」
「ちょっと待て。何故僕が傷つく前提なんだ⁉」
その問いに答えるかのように、彼女は僕の手を離した。
無慈悲に離しやがったのだ。
そして何事もなかったようにその場から立ち去ろうとしている。
「ちょ、待って! 置いてかないで! セシアさん!」
必死に懇願した。
セシアには良心があるはずだと信じて。
すると彼女の足が止まる。
ちらりと振り返って、僕を見下ろす。
「……」
「……セシアさん」
「……じゃ」
軽く一言。
頑張れとでも言うように手を振った。
僕の良心は、彼女の心には響かないし、引っ掛かりもしない。
彼女の心は、きっと研磨された大理石でできているのだろう。
「セシアさああああん!! セシアさあああああああああああん!!」
この叫びは助けを求めるものじゃない。
僕なりの彼女に対する攻撃である。
少しでも良心が傷つけ! という怒りを込めた叫びである。
良心のない彼女からすれば、十中八九ノーダメージだろうけど。
そんなことをしている間にも、ずるずると部屋に引っ張られていく。
心地良い蒸し風呂が、今だけは巨大な化け物の口に見える
床に爪を立てて抵抗するが、ほとんど意味をなさない。
「うあああああああああああああああっーーーーーー……!!」
やがて視界は、真っ白になった。
蒸気で。
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