27 湯けむりの先にあるもの(上)
ボクとフェリーは風呂の用意をすると、部屋を出た。
宿屋の人に風呂の場所を尋ねると、宿の庭にあると教えてくれた。
庭に繋がる扉が、一階の廊下の一番奥にあるとのこと。
言われた通りに廊下を進むと、廊下の奥、正面に扉があり、開けると目の前には小さな庭があった。
庭には小さな小屋がポツンと建っており、そこから丁度シルワアやセシアちゃんが出てくるところだった。
「お、シスイ」
「良い湯加減だったかい?」
「蒸し風呂。湯、ない」
「丁度良い温度ですよ」セシアちゃんが付け足す。
蒸し風呂か。
確かに海外だと、湯船に浸かる文化というのは珍しいと聞く。
ここでは蒸し風呂なのだろう。
「じゃあ、ボク達も楽しむとするか」
「そうだな。湯船じゃないのは残念だけど、蒸し風呂っていうのも悪くない」
二人と別れて、蒸し風呂の小屋に入る。
中に入ると二畳ほどの脱衣所があり、そこで服を脱ぎ、準備万端。
蒸し風呂への扉を開ける。
蒸し風呂は思っていたよりも広かった。
大人六人は余裕で入ることができそうな空間。部屋の真ん中には、柵に囲まれている磨かれた岩が鎮座している。岩からは湯気を立っているのを見ると、きっとこれに水をかけて部屋の温度を調整するのだろう。
「どっこいしょっと、ふうー……」
木の椅子に座ると深く息を吐く。
入る前はサウナみたいな熱々な空間を想像していたが、体感的に四〇度くらいで丁度良い。
「ああ、癒される」
「そうだなー」
ぐったりと壁に背を寄りかける。
疲れがどっと噴き出したためだろう。
フェリーの方をチラリと見る。蒸気で濡れて細身になるのを想像したが、毛が水滴を弾き、全身水滴まみれである。
「えい」水滴をなじませるように触る。
「何だよ」
「こうしないと、毛が綺麗にならなそうだと思ったから」
「あーそうだな。水じゃないもんな」
自分で肩や尻尾を撫でて馴染ませるフェリー。
届かない背中はボクが撫でる。
なんだか猿が毛づくろいをしている様子に似ている。
やがてもこもこだった毛は体にぴったりとくっつき、細身の情けない姿のフェリーがあらわになる。
こうも印象が変わるのかと少し驚いた。
けれどそれ以上に驚いたことがある。
「フェリー、普段はもこもこで気づかなかったが古傷が結構あるんだな」
毛が落ち着いたことで彼の素肌が現れて、初めて見えるようになった傷。
獣との戦いなのか、引っ掻き傷や噛まれたような痕、裂かれたような切り傷と様々だ。
「良いだろう? 男の勲章だぜ」
「そういうもんか。にしても痛そうだな。特にその首の傷、凄いデカいな」
傷の中で特に目を見張る程大きい傷が、フェリーの首にあった。
傷の様子からして、何か大きな動物にでも噛まれたような形をしている。相当深かったのだろう。傷の中で一番くっきりと残っている。
「ああ、これか。この傷は熊に噛まれてできたものらしいぜ」
「らしいって、自分のことなのに随分と曖昧な言い方だな」
「それが幼い頃だったからか、覚えていないんだ。知ってることと言えば兄さんが助けてくれたってことだけだ」
首元の傷。普通であればそんなところを噛みつかれたら、死んでしまいそうなものだけれど、フェンリルというのはよほど頑丈な生き物と見える。
「……兄さんが助けてくれたってことは、兄弟の仲は良かったんだな」
「そうだよ。今でも慕ってる。だからどうして母さんを殺したのか、分からないんだ……」
「別の犯人説、というのはあり得ないのか?」
「ないよ。だって周囲には母さんと兄さんの臭いしかなかったんだから」
臭い、か。嗅覚に優れた犬、もといフェンリルなら信頼して良い情報なのだろう。
けれど別の可能性がない。犯人は兄だというのが、感覚として突き付けられてしまうのは、とても残酷だと思った。
その事実を受け入れるしかないのだから。
「……なんだかぬるいな。おっさん、そっちに柄杓(ひしゃく)とかないか?」
気まずい空気を変えるように、ワントーン高い声でフェリーは言う。
ボクも丁度変えたいと思っていたため、都合が良かった。
「あるぜ。ほら」同意するように柄杓を渡す。
「あんまりサウナとか入ったことなかったから、やってみたかったんだよね」
フェリーは水瓶から柄杓を取って岩に水をかける。
蒸気がむわっと立ち、視界がより白くなる。
体に付いた水滴が滴り落ちるのと同じように、疲れもまた落ちていきそうだ。
「はあ……いででででッ!」
案外そうでもなかったみたいだ。肩と腰が尋常じゃないくらいに痛い。
慣れないことをした弊害というべきか。
普段使わない筋肉を使ったからか、体がびっくりしているのだろう。ちょっと体をほぐせばきっと良くなるはずだ。
そう思って体を持ち上げようとするが、想像以上に重症なようで凄い痛い。
「……なあ、フェリー」
「どうした?」
「体を揉んでくれまいか。久々の運動だったせいか、あちこち痛くてたまらん」
「別に良いけど、あんまりやったことないから加減が分からないぞ?」
「程よい加減で指圧したくれたら良い。ちょっと椅子に寝転がるから腰辺りを押してくれ」
「
座っていた長椅子に寝転がる。フェリーが後ろに回って、腰に指を置く。すると指に段々と力が加わり、体重も掛けているのか、重みも感じ始めた。
グギギギギッ、ベキッ!!
そして、鳴ってはいけない音がした。
「ぎぎゃああああああッ!!」
痛い、痛い、痛過ぎる!
多少の痛みなら許容した。痛みもまたほぐれている証みたいな物なのだから。
だが、これは違う。絶対違う。
万力で骨をすり潰されたような感じだ。もしかしたら本当に潰されているのではなかろうか。
忘れていた。こいつフェンリルだった。人間なんかよりもバカみたいに力があるんだった。
「大丈夫か?」
「もっと……、もっと優しいタッチで頼む」
「お、おう。頑張るぜ」
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