26 湯けむりの中で、ガールズトーク

 ギルドに報告をして、宿屋に戻った。汗だくかつ泥だらけの上着やズボンを脱ぐと、イスに掛けてベットに腰掛ける。

 途端に疲れが噴き出して、そのまま寝転がった。


 畑仕事とスライム駆除。

 重労働な上に、街からチヨさん宅までは意外と距離がある。一時間程歩かなくてはならない。距離で言えば七キロそこそこはあるだろう。


 疲れた体にこれは鞭の類だ。飴が欲しい。

 フェリーも同様に疲れた様子。

 ベットに前から倒れて、顔を上げない。


「ほういえば、しるわあは?」


「なんて言った?」


 顔だけを起こすフェリー。そして言い直す。


「そういえば、シルワアは?」


「あー、確か風呂に行くとか何とか。ダインの仲間のセシアちゃんに誘われて、一緒に行くのを見たな」


「そういえば、ここの宿は風呂があるんだったか」


 風呂がある宿というのは結構珍しいらしく、この宿の売りだとか。

 なんとなく、ローマの公衆浴場が頭に浮かんだ。

 湯船に浸かる気持ち良さは、きっとこの疲れを洗い流してくれるだろう。


「ボク等も風呂、入るか」


「賛成だ。風呂って混浴なのかな」


「感心しないな。少女の裸体が見たいなんて」


「まるでシルワアの裸体に興奮する、幼女好きで仲間に手を出す節操のない変態みたいに言うな。確かにアニメ、漫画に出てくるロリキャラっていうのには魅力を感じるが、彼女らの骨格や作りというのは実際の幼女とは違い、大人の女性の体を縮小したものが多いと聞く。だから、創作においての幼女を推すことがイコールでロリコンである訳では断じてないっ!!」


「想像の数倍の熱量でちょっと怖いぞ……。あとシルワア的にはロリ判定されてることに憤慨しそうだ」


「年齢的に面倒だよね、一五歳って」


「それで、なんで混浴と聞いた?」


「ほら、ローマって混浴だったらしいじゃないか。もしそうだったら緊張するなーってだけだ……」


「意外に博識なんだな。お前も」


 しかし恥ずかしいか……。

 それもそうか。フェンリルという生物で、しかも一〇〇歳生きているからといって、中身は思春期真っ盛りの高校生なのだ。

 だとすれば、こういう反応のほうがむしろ健全なのだろう。


「まあ、とりあえず風呂に行ってみるとしよう。お前が求めている幼女という奴もいるかもしれないぞ」


「だから! まるでオレがロリコンみたいに言うな」



 ……

 …………

 ………………



〈一五分前 シルワア〉



 熱い湯気が立ち込めた部屋。

 視界は白い。

 ここは宿屋の蒸し風呂の中。

 水ではなく、湯船でもない。

 蒸気のお風呂です。


 凄い湿気。あまり風呂というのに入らない私にとって、新感覚です。

 訂正をしておきますが、この風呂に入らないとは、湯船やこうした蒸気風呂に入らないという意味で、普段は川や滝などの冷水で清めているのです。

 決して不潔という訳ではありません。


 こう言わないと、変な輩に集られるかもしれない。

 あの二人、シスイとフェリーがしつこく言うのです。

 なのでこれは、仕方なく言っている部分があります。


 けれど私には、それがよく分かっていません。

 風呂に入らないと虫が集るというのは分かります。

 しかし、人も同じように湧くのでしょうか?

 さっぱり分かりません。

 ですのでとりあえず形から、心中から、こうして断る癖を作って行こうと、そういう次第です。


 また繰り返すようですけれど、蒸気の風呂というのは本当に不思議。

 過剰に汗を掻いているような、変な感じ。

 じんわりと体の芯から温まるのは気持ち良いですが、水滴がとめどなく額にできて、目の方へと流れてくるのは少々鬱陶しく思ったりします。


「気持ち良いですね」


 私を風呂へと誘ったセシアさんは、隣で呟いた。

 随分と慣れているようで、額の水滴を拭ったりはしない。


「少し、慣れない」


「エルフの村では蒸し風呂ではないのですね」


「基本、川、体流す」


 未熟ながら、拙いながら、言葉を紡ぐ。

 もう少し流暢であれば会話が弾むのでしょうが、これが私の精一杯。

 聞くことは容易いのですが、発音となるとまだ慣れないところが歯痒いです。


「ごめんなさい。話し難いですよね。ワウナ、ギィ、トゥ、ワマァ、カル(私、

 エルフ語、話せるんですよ)」


 驚きました。

 まさかエルフ語を話せるなんて、思ってもいませんでしたから。

 私もそれに答えるように、エルフ語で返します。


『発音、お上手ですね。流石学者さんと言うべきなんでしょうか』


『いいえ、褒められたものでは、ないですよ。ほとんど、独学で身に着けたようなもの、ですから。だから、言葉の区切りや発音が、まだ甘いです』


『謙遜を。独学であればなおのこと。よく勉強なさっているのですね』


『文法が近いので、案外覚えようと思えば、結構短期間で、できますよ』


 それにしたって他の言語とは発音の癖が強いから習得は難しいと聞きます。

 生まれた時からこの言語だったので実感はないのですが、狩りの師匠からそんなことを言われました。


『それにしても、綺麗な発音ですね、シルワアさん。普段の印象からは、考えられないくらい。それと、身分が高いエルフ特有の発音がいくつか』


『そ、そうでしょうか?』


 耳を立てるように聞かれることは、あまりありません。

 けれど、こうも集中して聞いてくれるのなら、もう少し丁寧に、聞き取りやすい方が良いでしょう。


 咳払いをして、喉の調子を整えます。

 けれど彼女の感心は、別の方に向いていました。

 具体的には、私の手の甲の刺青に。


『その手の印。エルフは、手の甲に刺青を、入れると聞きます。役職を明記する為に。シルワアさんは……右手に矢印に似た印。これは狩人ですね。あっ……ごめんなさい。ジロジロと、見てしまって』


『お気になさらず。見せる為に彫っているものなので』


 普段は手袋をしているので、見られることがない刺青。

 見えやすいように手の甲を出すと、セシアさんはまじまじと見ます。

 見せておいてなんですが、こう、まじまじと見られると、なんだか恥ずかしく感じてしまいます。


『左手の太陽に似た印、これは?』


『カナギィ。人間の言葉に言い換えるなら「巫女」や「ハイエルフ」と言うそうです』


『「ハイエルフ」という言葉は。聞き馴染がない、ですが「巫女」であれば分かります。なるほど、高貴な地位にも納得です』


『刺青の文化を知る人間は少ないです。普段は隠していることが多いので。それだけでよく勉強なされてるのが分かります。ですが、そもそも……』


『そもそも、エルフには上下関係が存在しない。人間社会との、交流が増えたことで発生した、最近の概念なんでしょう?』


 本当に詳しい人だ。ちょっと怖いくらい。

 刺青や発音の差異だけでなく、上下関係などの事情も認知している人間は少ない。エルフの友人が何人もいないと分からないはずですし、興味がなければ気にも留めません。


 何か自分のことを一つでも話したら、一〇個ほど個人情報を暴かれかねない。

 丸裸にされてしまいそう。そんな危機感を感じてしまいそう。

 まあ風呂なので、既に裸ですが。

 知識欲が強い人というのは、情報を咀嚼するのが上手なのでしょう。

 会話が流暢になっているのが、その仮説を後押ししてくれます。


 よくよく観察してみると、彼女の肌は驚くほどに白かった。

 きっと陽の光というのを、ほとんど浴びることのない、部屋で知識を蓄えているような、そんな人物なのでしょう。

 胸部の肉付きが良いのも、そのためなのかしら。なんだか少し羨ましい。


『シルワアさんは、あの二人とどういうご関係なのですか?』


『シスイとフェリーのことですか?』


 セシアさんはコクリと頷く。

 どうしてそんなことが気になるのか、不思議に思いながら、私は彼等との出会いを端的に説明します。


『二人とは森で出会いました。普段狩場にしている場所でウロウロしていて。最初は警戒していたのですが、道に迷ってるような困った様子をしていたので、声を掛けたというのが出会いですかね』


『じゃあ、二人のことはどう思ってます? こういうところが頼りになるとか』


『どう……ですか』


 随分聞いてきますね、二人のこと。

 ですが、私も彼等のことをどう思っているのか漠然とした状態にしていたので、ハッキリさせるのもアリだと考えました。


 シスイとフェリーのことを考えます。

 二人のことか。よくよく考えてみたら彼等がどこから来て、どんな生活を送って来たのか、私は全く知りません。

 どちらも悪人ではなく、なんなら良い人の部類でしょうけれど。


 けれどシスイは、理想論者のような物言いをする、考えの読めない人。

 フェリーはフェンリルという、自然界の頂点とも言える生物を自称する獣人。


 こうして言葉にすると変人のカテゴリーに属してしまいますが、変人と言い切ることには抵抗がりました。

 とても人情がある二人だから。

 なので私から見た彼等の印象を話すことにしました。


『フェリー、彼は馬鹿です』


『随分辛辣ですね』


 自分でもそう思います。

 君は親しい仲の人間に容赦がない、と昔友人に言われたことがあります。

 きっと、それが出ているのでしょう。


『力は本物です。人前ではああですが、ここぞという時の度胸もそれなりにあります。けれど自分の力を見誤って、馬鹿な真似ばかりするのが玉に瑕です。自信があることは良いことなのでしょうけど』


『ああ……、そういう人いますよね』


 セシアさんは、その友人とやらを思い出すように天井を見ました。

 多分、思い出しているのは、リアックさんでしょう。

 確かに彼とフェリーは似ている部分が多いような気がします。

 仲も良さそうですし。


『ああいう性格の人物というのは、本能に忠実と言いますか、肝心なところを直感に頼り過ぎることがあります。良い言い方をすれば純粋なんでしょうけれど。リアックさんにも通ずるところがあるかもしれません』


「あー、彼か……」


 呆れているのか、悩ましているのか、頭を抱えるセシアさん。

 言葉も元に戻っていました。


『彼は正直者ですから。確かに犬っぽいとろこが、あるかもしれません』


『リアックさんは忠犬、フェリーの場合は駄犬ですね』


『本当に辛辣ですね……』


 彼はおつむが悪いので、時折頭を抱えるようなことをします。

 直近で言えば森の主の件でしょうか。

 自分の攻撃が効くかも分からず、考え無しに駆け下りて、自分も被害者になる様子は滑稽が過ぎます。

 ……自分で言っていて、辛辣だと思うくらい言葉の切れ味が高いと思いました。

 私ばかり聞かれているような気もしたので、こちらからも尋ねます。


『セシアさん的に、リアックさんのことをどう思っているんですか?』


『私ですか? う、うーん……リアックのことか。悪い奴じゃ、ない。けれどいちいち聞いてきたり、話しかけてくるのは少しうざったいですね。悪い奴じゃないんですけどね』


 その後、小声で「もう少し悪い奴だったら扱いも楽だったのに……」と呟きます。

 そして何か思い出したのか、ばつの悪そうな顔を浮かべるセシアさん。

 その様子はどこかチヨおばあさんに似ていました。

 きっと毒気を抜かれた経験があるのでしょう。


『シスイさんはどうです?』セシアさんは切り返すように言います。


『シスイですか。彼は……良い人、ですよ?』


『何故疑問形?』


『どういえば良いんでしょうか……。良い人ではあるんです。ただ少し……』


 ただ少し……得体が知れない。それが彼に対する印象でした。

 盗賊のときや森の主のときに見せた行動力。あれは少し異常に見えます。

 人情で助けているという感じとは違うように見えました。

 どちらかといえばルールに従うような、仕方なく助けているような、そんな印象を受けるのです。


 けれどルールで人は自殺行為に及べるのでしょうか?

 それも、あんな無表情で。

 普段は気の良い、どこか抜けたお兄さんだというのに。


 だからシスイという人を、私はまだ判断しかねているのです。

 でも「得体の知れない」なんて、とてもじゃないですが言えません。

 なので、その言葉を飲み込んで、別の言葉に差し替えます。


『世間を知らな過ぎる、というのがヒシヒシと感じます。狩りの知識もサバイバルのテクニックは置いておくにしても、木登りがまともにできなかったり、少し歩いただけで息が上がるというのは、流石に貧弱が過ぎると文句が出てしまいそうになりますし、実際苦言を呈しています。どう生活すれば、あれほど危うい人になるのか疑問です。考え方は立派なんですけれど』


『なるほど、意外ですね』


 少し驚いた様子のセシアさん。

 しっかりしている印象だったのでしょう。

 生活力の低さというのは、外では案外目立ちませんから。

 彼、見てくれと言動だけは、しっかりした大人ですので。


『となると、ヤマタイコクという国はよほど栄えているのでしょうね。初めて聞く国の名前でしたし、文献を漁っても一切出てこなかったので、本当にあるかどうかは知りませんが』


『出身……』


 こうして色々と振り返ると、私は彼等のことを何も知らない。

 知っているといえば人の良さと性格くらいなもの。

 それ以外は特に……。

 ああ、そういえば、彼等は「異世界がどうの」と私に話していました。


 シスイにどこから来たのか、尋ねたときです。

 会話の単語が知らないものばかりで、理解はほとんどできませんでしたが、別の世界から捨てられたとか、言っていたような気がします。


 フェリーも知っているような素振りをしていましたし、シスイと同郷の友のように親し気です。

 彼女に聞けば、彼等の話す「異世界」と呼ばれるものが、何か分かったりするのでしょうか?


『少し長く入り過ぎましたね。のぼせてしまうので、そろそろ上がりましょうか』


『そうですね』


 けれど、今はやめておきましょう。

 シスイはともかく、フェリーは隠しておきたい話のようでしたし。

 何よりセシアさんの会話は、どこか探りを入れているような……そんな感じましたから。

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