25 見えない顔
食事が終わり、静かな時間が降りて来た。
騒がしい食卓は食器と共にたらいの中である。
けれど一人だけ食器を置き忘れたのか、フェリーだけは興奮気味である。
それも仕方ないことだ。
食事前から、頭の中は兄のことでいっぱいだったのだから。
「婆さん、教えてくれ。オレの兄さんはどこにいるんだ?」
「それを教える前に、まず準備するものがある」
チヨさんは手を突き出し、指を二本立てる。
「フェンリルの血と毛だ。これがないと何も始まらない」
「それで場所が分かるんだな。よし来た、任せろ。……毛はともかく血はどうすれば良い。ちょびっとで良いのか?」
シルワアからナイフを借りようとするフェリー。
刃を指先に当てて、尋ねる。
少し怖気た様子だった。
それもそうだ。たとえ薄皮を切るだけだったとしても、自分から切りたいなんて思わないから。
「何、指先を切れなんて言わねえよ」
「良かった」
チヨの言葉に安堵するフェリーは、ナイフをそっとテーブルに置く。
「そんな量じゃ足りねえから、針ぶっ刺して血を抜く」
「げぇ⁉」
安心するのは、まだ早すぎたみたいだ。
奥から注射を持ってくるチヨさん。フェリーは顔面蒼白になる。
その歳で注射が怖いのか、なんて罵ってやろうと思ったが、相手がチヨさんであることを考慮すると確かに恐ろしい。
多分、絶対、なんの気遣いもなく刺して来るのが容易に想像できるし、現代に比べて注射の痛みは感じやすいはずだ。
自分もこの世界で注射されそうになったら、きっと同じ声が出る。
「思ってた二倍くらい、針が太いんですけど……」
「何言ってんだ。一番細いのを使ってやってんだぞ」
「マジかよ、これで一番……いででででででででっ!! ちょ、予告なしに刺すな! 心臓飛び出るだろっ⁉」
「わあわあ言ってんじゃねえ。男の子だろうが」
暴れたそうにするフェリーだったが、針が刺さっているから、動けない。
万が一針が折れて、体に残ったりしたら、なんて想像をしているのだろう。
実際フェンリルなんていう力が強い生き物が暴れたら、きっと、そうなる。
だから彼は、必死に痛みと自分の中の野生を押さえていた。
そんな彼の腕に刺さった注射器は、徐々に血で満たされていく。
ある程度の目盛りまで来ると、チヨさんは針を抜いた。
「おお、痛てえ……」
「次に毛だ。さっさと切りな」
「切りなっつっても、どこの毛を切るか。尻尾とかでいっか。シルワア、ナイフ頂戴」
シルワアからナイフを受け取ると、尻尾の毛を切り始める。
ギリギリと、まるでワイヤーでも切っているんじゃないかと思わせる音が鳴る。
「よほど剛毛なんだな、フェリー」
「まあな」
「しかも光るんだから凄いよな」
「光る?」フェリーは首を傾げる。
「ほら、森の主を倒した時のアレ。『空気砲』だっけか。あの時、腕が光ってただろう」
「あー、そんなこともあったな。あれ、どういう原理なんだろうな」
何故本人が知らないんだ?
自分の体のことだろうに。
すると魔術の専門家であるチヨさんが口を開く。
「光るってことはエネルギーが発生してるんだろう。空気砲っていうのは良く知らんが、魔術の類なのは察せる。ってことはそのエネルギーは魔力だ。魔力に反応して毛が光る。そういう仕組みなんだろうさ。ほれ、毛を貸してみろ」
切った毛を手にしたチヨさん。
すると手から白い靄のようなものが浮かび上がり、毛の方へと流れていく。
それを見て、これが魔力というヤツなのかと、何となくで察する。
毛に魔力が流れていく。
すると、弧を描くように垂れていた毛が、ビンっと逆立った。
「これは面白い。魔力を込めると毛の周囲に空気層ができている。これが衝撃や熱から守っているのだろう」
「そうだったのか。知らなかったよ。……ってそんなことはどうだって良いんだ。その毛と血を使って、どうやって兄さんを探す?」
「お前の兄を探すのに、この毛と血は使わない」
「え?」
「これは情報の対価だよ。フェンリルというサンプルは貴重だ。たとえ違ったとしても、この毛を見るに十分な価値があると見える」
騙されたと思ったのだろう。
眉間に皺が寄るフェリー。
ボクは彼の不満を代弁するように、疑問を投げる。
「てっきりボクは、多分フェリーもだろうが、そのサンプルを使って魔術やらなんやらで探知するとばかり思っていた。こう、ダウジング的な」
「仮にダウジングができたとして、それより高性能なフェンリルの鼻で見つけられないもんをどう探せって言うんだ、お前は」
「なるほど、フェンリルの鼻に比べてダウンジングって訳か」
「舌引っこ抜くぞ、ガキが」
フェンリルの毛の束を糸でまとめながら悪態をついた。
まとめた毛はポイっとテーブルに投げる。
「魔術による探知なんてものはできねえ。だが、使える情報は渡せる」
「信憑性は?」フェリーは聞く。
「かなり高い。ギルド上層部からの情報だ」
上層部、というとダインを含む英雄達のことだろう。
彼等が共有する情報なら、確かに信憑性は高く聞こえる。
しかし、そんな情報、ギルドに所属していない、あるいは日の浅い人間が聞いてしまっても良いのだろうか?
そしてチヨさんも、そんな情報を流してしまっても良いのだろうか。
怖いことに巻き込まれやしないだろうか?
そういう不安がよぎって仕方ない。
けれどフェリーはそんな事意に介さないようで、食い入るように聞く。
「フェンリルらしき生物の目撃がギルドに多数寄せられたことを、数日前、第三の街スレイブのギルドマスターが各ギルドに共有した。スレイブは他の街に比べ生物調査に特化した場所だ。生息している生物の種類、個体数、雌雄の比率に至るまで徹底的に調べているような地域だ」
「それはすごいな」ボクは思わず心の声が漏れてしまう。
「そんな場所に新種の生物、ましてやフェンリルなんつう生態系の頂点に君臨する生物が侵入したら、気付かない訳がない。案の定報告が入った。新しい情報は入ってないが信用できるぜ、こいつは」
「そうか、スレイブか! 兄さんはそんなところにいたんだな!」
「知ってるのか?」
「いや、全く知らん。どこだ、それ」
「……さっきの口ぶりは知ってる奴がするものだろう」
その場のノリで喋る傾向が彼にはある。
空気が読めると良い捉え方もできるかもしれないが、実際は何も考えていないことが大半なのだ。
けれど、そんな彼が思考を巡らせようとしている。
兄の行先について、必死にだ。
家族のことだから、と言えるのかもしれないが、それだけではないような気がした。彼の目には、暗い影が垣間見える。
コイツはどうして兄に固執するのか、気になった。
食事を終え、チヨさんの家を後にしたボク達。
周囲はすでに日が沈み、西が深い赤で染まり、東には夜が降りてきていた。
暗い街の帰路を三人で歩く。
その道中で、ボクは先程抱いた疑問を彼に投げた。
「フェリー、お前はそこまでしてどうして、兄さんを探すんだい?」
先を歩くフェリーは、振り返る。
表情は見えない。
夜が彼の顔を隠しているからだ。
けれど目だけが鋭く光る。
「オレは問いたいんだ」
表情は見えない。
「どうして母さんを殺したのかを、兄さんに……問いたいんだ」
表情は、見えない。
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