22 ロマンの在処
「……よいしょっと。チヨさん、スライム全部運び終えました」
「……」
チヨさんは無反応。ただ黙々とスライムを捌いていた。
言葉を発せず、ただひたすらに、だ。
床には大量のスライムが転がっており、石の床を濡らしていた。
これらのスライムは先程駆除したものであり、自分が運び入れたものだ。
ここはチヨさんの家。
彼女の家は、中世頃の西洋で見られる典型的な家だった。
木で枠を作り、石を積んで作られた家。
そんな彼女の家に入ると、広い部屋が視界に飛び込んで来る。
ボクの解釈に当てはめるなら、リビングルームだろう。
部屋には暖炉、テーブル、イス。床は木の板が綺麗に張られ、服を羽織るように絨毯が敷かれている。
この時代の一般的な家の内装というのをボクは知らない。
けれど、これがそうだと言われたな、普通に納得できる。
それくらいの温かさと生活感が、この部屋にはあった。
リビングには玄関の他に扉が二つ付いている。
玄関から見て正面に一つ、左に一つ。
ボクがいる場所は、左の扉の先。調理室である。
いや、作業部屋と言う方が正しかもしれない。
かまどや鍋、木製のお玉など、料理に使う道具もあるが、ノコギリや鉈、棚には瓶詰にされた動物の一部、発光する液体と色々なものが置かれていたからだ。
「……」
「……」
運び終えたボクは、近くにあった椅子に腰掛ける。
興味を引くものはいっぱいあるが、しかしそれを聞こうとは思わなかった。
チヨさんからは、独特な重い空気が漂ってたからだ。
話しかけるなよ、と言われてるみたいに眉に皺を寄せて、不機嫌そうな顔をする。
その空気は、時間が経てば経つほどに重量を増して、口を開く機会を奪っていく。
どうしてこんな状況になったのか、分からない。
正しくは、展開が早すぎて、まだ整理できていない。
今言えることといえば、スライムを捌く作業というのは、単純で退屈だ、ということだ。
チヨさんと二人きりで、これは致命的だ。非常に気まずい。
けれど、状況を整理するには丁度良かった。
思い出す。
あの後、ボク達はシルワアの方法を使って(フェリーとリアックは爆発させていたが)スライムを見える限り、全て駆除した。
それから大量に駆除したスライムをリヤカーに乗せると、チヨさんの家まで運んだ。
スライムを運んだ理由というのは、素材として価値があるという話を、事前にチヨさんから説明されていたからだ。内臓をしっかり処理すると、食用や薬品の材料として売れるのだとか。
ボク達はスライムをチヨさんの家の前に運ぶ。
数は五〇匹ほどいた。積み上げればそれなりの高さになる。
「ふうん、今年は思っていたよりも少ないね」
不機嫌そうな顔をしながら、呟くチヨさん。
これで少ないらしい。
「スライムは片付いたけれど、まだ畑仕事は終わってないからな。サクッと終わらせてくるよ」
リアック君は、スライムを降ろしたリヤカーを引きながらボク等に言う。
「じゃあ、オレもリアックの方、手伝ってこようかな。ほらあ……アレだろ? あんなに広い畑を一人でやるってのも大変だろうし……な」
「気にせんで良いぞ。僕は鍛えられてるからな」
「いや、オレが気にするんだ!」
チラチラと、チヨさんの顔を伺うフェリー。
彼女と同じ空間に居たくない。そういうメッセージを含ませた言葉だったが、リアック君には通じていないようだ。
リアック君の性質上、言葉をそのままの意味で受け取る傾向がある。
嫌味が効かないというのは、少し羨ましい。
そして、フェリー。
彼はチヨさんを避けていた。苦手なタイプなのだろう。
畑仕事の時から苦手意識を持っていそうだったからな。
幸い、まだ本人には気づかれてはいない。
リズさんのときもそうだったが、フェリーは高圧的で、怒鳴るような人にめっぽう弱い。いや、そもそも彼は、対人のコミュニケーションが苦手だ。
ボクやシルワアみたいな顔見知りや、ダインみたいな気の合う人間、リアック君やセシアちゃんみたいな、彼の心の年齢の近い人間に対しては、それほど症状が見られない。
が、初対面の人間と話すときは、声のボリュームが四割程度しか出ないのだ。
人に慣れるのは早いのだけれど。
結局フェリーは「一生のお願い!」と頭を下げて、頼み込んでいた。
安っぽい一生だと、傍から見るボクとシルワアは思ったが、言葉通りに受け取るリアック君は「そんなことで一生を棒に振るな!」と彼の願いを無償で叶えた。
その一連の流れは、見てて少し面白かった。
「保護者、ついていく。シスイ、おばあさん、まかす」
シルワアは仕方がないと言うように、ため息をつき、三人は行ってしまった。
そしてボクは一人になった。
要は、チヨさんの相手を一方的に押し付けられのだ。リアック君とシルワアは違うだろうが、フェリーにはそういう意図があったと思う。
少し恨めしい。
そうして一人、厄介婆さんの相手をすることになってしまったのだが、空気が重い。
彼女が放つ威圧感のせいだ。
けれど、厄介だから、威圧感が怖いからといって、会話がないというのも気まずく、耐え難いのだ。
何でも良いから話題を探さなくては。
ボクは腰からナイフを取り出し、近くにいたスライムを拾うと、捌き方を聞くことにした。
「このスライムって、どういうふうに処理したら良いんですかね。自分、スライムどころか、魚も捌いたことがないもので」
「ああん? 体のどこかに切り傷付けて、表面の膜を引っぺがす。それができたら、駆除するときに開けた穴からら内臓を全部出すんだ。そしたら食える形になる」
不機嫌そうな口調ではあったが、丁寧に教えてくれた。
彼女に言われた通り、スライムの体にナイフで切り傷を作ろうとする。
これが案外難しい。
というのも、体表がツルツル滑って持ち難い上に、中に入った水を全て抜いたスライムはぐにぐにゃで、力が上手く伝わらない。
いや、少し考えろ。
そもそも、そんなことをしなくても、駆除をしたときの傷があるではないか。
試しに穴を探して、見つける。
見つけた穴に、ナイフを入れてみる。
皮は厚くて他の場所よりも斬り難いが、すでに穴が空いている分、簡単だった。
切り口ができたら、そこからナイフを定規で線を引くように真っ直ぐ、身を傷つけないよう浅く、膜だけを切るように努める。
それから一旦ナイフを置いて、作った切り目に指を入れると、ベリベリと綺麗に膜が剥がせた。
確か、イカの捌き方もこれに似たようなことをする。スライムも貝の仲間だから、軟体生物というカテゴリーで、同族のイカと構造が近しいというのも納得だ。
同じ要領で今度は内臓も掻き出そうとすると、「おい」とチヨさんが声を掛ける。
「何ですか?」
顔を上げてチヨさんを見るが、彼女の視線は自身の手元に向いている。下を向いて、黙々とスライムを捌きながら、こちらに話し掛けていた。
「腕は捲った方が良い。見たところ繊維の服だろう、お前の着ているそいつは。消化液が付くと服に穴が空く。内臓付近掻き出す時、どうしても胃袋が千切れちまうからな」
「なるほど」
言われた通り、服の袖を捲ってから、ナイフで内臓を掻き出してみる。
内臓には、植物が溶けた緑色の液体がどろりと付いていた。
彼女が言った通り、胃袋を破かないで捌くのは難しいみたいだ。
内臓からは腐葉土の臭いがした。これが服に付くと溶けるのだろう。
にしてもチヨさん、随分親切に教えてくれる。
厄介婆さんではなく、本当は口が悪いだけのお節介婆さんなのかもしれない。
「どうしてアイツ等と一緒に行かなかった」
再び、チヨさんから話し掛けてきた。
今度は顔を上げている。
「一人でこの数のスライムを捌くのは、大変そうだと思ったので」
押し付けられた、なんて言える訳がないので、それっぽい返しをする。
その回答がつまらないものだったからか、彼女はまた視線を手元に戻す。
「私を手伝ったところで、報酬が増えるなんて思わないこったね」
「期待なんて微塵も。それを言うなら、最初の畑仕事に関しての方で、それを言いたいですけれどね」
「あんなのは準備運動だろうて」
「ヘクタール単位で畑を耕すことを準備運動という奴を、ボクはリアック君くらいしか知らない」
全ての人間を、リアック君のような体力馬鹿とでも思っているのではないか?
そのように受け取ってしまう。
でも、もしかしたらチヨさんは、彼以外に手伝ってくれる人間がいなかったのかもしれない。チヨさんの性格は、言っちゃ悪いが人から好かれるような類ではない。
子供には優しいけれど。
彼女の依頼は不人気だと、リアック君も言っていた。だから自分が来たのだとも。
だから全てリアック君基準になってしまっているのではないか?
そう考えると、寂しい人なのかもしれない。
「普段、依頼を出さない時はどうやって畑を耕してるんですか? まさか、全部一人でやっているとか……」
「一人に決まっているだろう。あんな畑、ちょちょいのちょいさ。こんな風にな」
指をパチンと鳴らすと、部屋の端に置いてあったブラシが動き出し、独りでに床を掃除し始めた。お掃除ロボットにも引けを取らない勤勉さに、思わず驚いてしまう。
「魔法ですか、これ?」
「魔術だ。素人に細かいことを言っても意味がないだろうがな」
どうやら、寂しい人という解釈は間違っているようだ。
ただ単純に、この人のスペックが凄いだけだ。
自分の解釈を訂正する。
そのとき、ふと、自分が魔術に関心があったことを思い出す。
「それって、ボクにでもできたりするんですか」
「学んで、そんで才能がありゃできるだろうさ」
確か彼女は天才魔術師だったな。
リアック君がそう説明してくれた。
やはり魔術というのは憧れる。
凄い魔術は使えなくても良い。
簡単なものでも使ってみたい、経験したいと誰もが思うだろう。
だったら、彼女に教えを乞うというのは、案外良い考えなのではないだろうか?
確かに当たりが強い部分もあるが、不機嫌になりながらも丁寧に教えてくれる。
面倒見の良いのは、さっきのやり取りで分かった。
そんな彼女を師と仰いで、魔術を学ぶ。
うん、悪くない。
思い浮かんだ光景は、魅力的に映った。
そう思ったボクはナイフを置いて、姿勢を正す。
「チヨさん。ボクに魔術を教えてくれませんでしょうか?」
「嫌だね」
「判断早いな、おい」
即答だった。
チヨさんの性格からして断られるのは想定していたが、それにしても即答だった。
反射的にツッコんでしまう。
「一応、参考までに理由を聞いても?」
「そうさね。男だからか」
「理不尽な」
「というのは半分冗談だ」
半分は本当なのか。
「魔術とは、いわば学問だ。専門知識だ。自然のあらゆる事象、現象を理解し、初めて自在に扱うことのできる代物。馬鹿じゃ一生無理ってこったね。お前の知能は知らねえが、私に乞うってことは、その時点で馬鹿の部類に入るんだろうさ」
小馬鹿にするようにナイフを手の中で回すチヨさん。
「お前は私を師と仰ぐ意味を、理解できていない。私は天才と呼ばれているがね、そこらにいる天才と比較されたら困るってもんだ。世界で有数。三本の指に入る天才。それが世間が与えた私の評価だ。もっとも、他の魔術師の質が劣悪なのが原因なんだろうがね」
「つまり、貴方を師と仰ぐってことは、その看板を背負う覚悟が必要だって言いたいんですね」
「なるほど、二割程度の知性はあるみたいだね。頭の回転も速いと見える。ま、その解釈は近からずとも遠からずさね。馬鹿は自分が背負っているもんの重さを理解できない。そんな奴に教えたところで私に何の得もない。無意味さね。さてさて、お前さんはどうかね……」
自分の行いが、他の人間の評価に繋がる。珍しいことじゃない。
会社、上司、そういう類の看板を背負うことに近い。
だから、重さは違えど、背負うという行為の意味を理解しているつもりだ。
けれど多分、魔術において試されるのが経験ではなく、才能というのが苦しいところだ。
自分のギルドカードを見るに、魔術の才はありそうには見えない。
ボクの浮かない顔を見てか、チヨさんは考え直したように言葉を付け足す。
「しかし、私に教えを乞おうとしたんだ。それなりの自信って奴があるんだろう。それを評価しないで、頭ごなしに否定するほど、私は愚かじゃない。お前にチャンスをやろう。なんか得意な魔術でも見せてみろ。それで私を唸らせることができれば、検討してやらんこともない」
彼女なりの温情なのだろう。チャンスをくれた訳だ。
ただ、残念なことにボクが浮かない顔をしているのは、そういう理由ではないのだ。
というのも……。
「……魔術自体、何も知らないのです。自分」
「はあ……ああん⁉ お前、わっぱかと思ったら赤子の類だったとは……ゔううむ」
違う意味で唸らせてしまった。
頭を抱えるチヨさん。期待していた展開を大きく外れた、といったところだろう。
気分を盛り上げておいて、なんだが申し訳ない気持ちになる。
「……じゃあ、何だ? チヨ流の魔術を知りたいのではなく、だな。魔術の基礎を学びたいって腹なのかい、お前は。この私に」
「そう、なりますね」
「私にそんなもんを乞うなんて、はあ! とんだ間抜けもいたもんだな!!」
「そ、そうですよねえ!」
妙にかっこつけてしまったチヨさんと、無知な自分を晒したボク。
互いに恥を晒したからか、それを隠す為に、チヨさんは怒ったような口調になり、ボクは愛想笑いを浮かべる。
背中にぶわっと汗を掻いたのが分かる。顔も熱い熱い。
「……ったく、だらだらとスライムを捌くのもアレだと思って話を聞いたと思えば、ロクな会話にならなかったな。もう少し、まともな話題っていうのを出せないのか、お前」
「まともな話題って言われましても、最近この街に来たもんですから」
「にしたって魔術っつうのは先人の知恵としても残ってるもんだ。民間療法的なもんだとしてもな。それを、何も知らないってなあ。魔術よりもまず社会性ってもんを知るのが先なんじゃないか」
「初対面で中々言いますね……」
「初対面、二対面ねえよ。まあ、今回は諦めな。また次に……」
「そうですね、諦めて別の人を当たってみます」
「……ああん?」
カチン。なんだか火打石みたいな効果音が聞こえた気がする。
チヨさんが纏うオーラもどす黒くなったような気がした。。
ビュン!
そう思った矢先、何かが頬を掠めた。
頬に何かが垂れる。指で触ると指が赤く濡れた。
血だ……、血?
掠めたのは何だったのか、後ろを振り返ると、壁にナイフが刺さっていた。
かなり深く。
チヨさんの方を見ると、彼女の持っていたナイフが消失していた。
「は、へぇ!?」
素っ頓狂な声が出る。
一体どういう訳で彼女がナイフを飛ばす展開になった?
文脈的にも、展開的にも絶対そうはならないだろう。
「何だ、てめえ。何勝手に諦めて、他の奴に行こうとしてるんだ」
「いや、今貴女が断ったんでしょうっ⁉」
「一度の挫折で諦めてんじゃねえ。男の子だろうが」
「滅茶苦茶だよ、言ってること!」
チヨさんは投げたナイフを魔術で引き寄せて掴むと、ボクの方へ刃先を向ける。
「その態度が気に喰わん。もっと言えばその目だ。歯車みたいな死んだ目をしやがって。魔術に憧れる人間の対極にいる奴がする目じゃねえか」
「し、死んだ目……⁉」
「ああ、そうだ。魔術はいわばロマンだ。恋焦がれる理想のように、誰だって映る。それを、そんなクソみてえな目でやりたいなんて、文句を言わない奴の方が少ないだろうさ。大抵そんな奴らは、ロマンを知らねえんだ」
ロマンというのを理想と解釈するなら、自分はどうだろうか。
確かに彼女の言うような理想って奴はないのかもしれない。
使いたいっていうのも実用性を考えてだろうし、そういう点では冷めた考えなのかもしれない
「歯車っていうのはな、自分の意思では動けない。全体の総意に合わせるようにして動いている奴のことを言う」
「全体の、総意ですか」
「私に教えを乞おうとする奴の中には、魔術を履修しておくと職に就くときに有利とか、私の名前や知名度欲しさに来る奴がいる。そういう奴は大抵、魔術を好んでいる訳じゃない。それで得られる名誉や金銭に、副産物に眩んでいるのさ。学者なら、知識欲を第一に置くべきだろうに」
チヨさんは睨むようにボクの目を覗き込む。
「だからお前に問う。お前は本当に魔術がやりたいのか? 本当にそれは、お前の意思か? それは誰かに与えられた意思、勝手な思い込みと違うのか? どうなんだっ!!」
誰かの意思。思い込み。その言葉はやけに深く、心に刺さった。
多分、誰かの思い込みから来ているものだ、これは。
何だったら、自分自身がそういうもので形成された、スワンプマンという存在だ。事故で死んだ男の影そのものだ、ボクは。
あの男の影響を受けずにはいられない。
そういう存在。
それがシスイという男だ。
でも、『僕』は魔術を知らない。
魔術は『僕』が住む世界にはなかった概念だ。
それを経験したい。
もしかしたら、彼が見つけられなかったものの手掛かりがあるかもしれないから。
なかったとしても、『僕』の枯れてしまった感情に、何かしら影響を与えることができるかもしれない。
いや正確には「できたかもしれない」だ。
彼は死んでしまった。
ボクが見せれるのは「僕が異世界に来ていたら」というイフだけだ。
仮説に過ぎない。
でも、もし、そんなイフだけでも残っているのだとすれば、それを『僕』に見せてあげたい。叶えてあげたい。教えてやりたい。
いつかボクが、川に流れ着いたときに、彼に。
他の想いは分からないけれど、この意思はボクから発したものだと思うから。
「ボク自身の意思で魔術を学びたいです!」
だからボクは、チヨさんに強く言えたのだろう。
彼女はしばらく沈黙する。
ボクの瞳を覗きながら。
やがて、ボクにナイフを向けるのをやめた。
「ふぅん……」と苛立ちが抜けたような声を出すチヨさん。
彼女の目から熱が冷めていくのを感じる。
気づけば、元のつまらなそうに話を聞いていたチヨさんに戻っていた。
「その意思や良し。だが、やはり目は変わらないな。歯車のままだ。理想を語るには、当たり前だがそれを知らなくちゃならない」
やはり駄目か。
歯車のような目というのが、どういうものかは分からない。
けれど一朝一夕で治るようなものではないことは分かる。長年の付き合いだろうからな、これは。
瞼越しに目に触れ、そう思う。
チヨさんの会話は続く。
「魔術師というのはどういう仕事であるか、お前は理解しているか?」
「いえ、正確な認識までは。セシアちゃんのを見ていると、魔術を使って生態調査とか、自然や環境を専門にしていて、魔術はそれを調べたり、検証するのが本来の用途なんだろうなあと、漠然と思っていましたが……」
「そうだ。魔術は自然現象の再現と解明を主にした学問。それが基礎だ。だから魔術師ってのは夢を壊すのが仕事だ。幽霊はいない。呪いもない。予言なんて、なんの役にも立ちはしない迷信だってな。だが同時に革新や理想を再現し、夢を見せるのもまた、魔術師の仕事でもある」
「夢を、見せる……?」
「ああ、そうだ。ロマンを知らねえお前に、その在処を教えてやる」
そう言うと、指を鳴らして小さな火の粉を発生させるチヨさん。
やがて火の粉は炎になり、炎は姿形を変え、大きな竜へと成る。
炎の竜はチヨさんの周囲を回っていた。
目の前に広がる、およそ現実とは思えない、幻想的な光景。
その異様さに、思考がバグを起こす。
自分は何か、化かされているのではないか?
気づかぬ内に電脳空間にでも入り込んでいて、プログラミングされたデータを直接脳に送られているのではないか?
そんな突飛な考えの方が、いくらか現実的だと思えてしまうくらいに、異常で、異様で、異質で、何より美しい光景だった。
そう呆けていると、竜と目が合う。
怒りでも買ったのか、襲ってくるようにこちらに飛んで来た。
咄嗟に腕で顔を隠し、隙間からその様を凝視する。
迫りくる熱は温度を上げ、大きく開いた口にはズラリと牙が並ぶ。
喰われると思った瞬間、竜は霧散し、辺りには数十の蝶となって、やがて火の粉に戻っていった。
「ショーは終わりさね」
「凄い……!!」
まるで絵空事のような光景だ。
現実ではありえない。けれどこれは現実だ。
時差ボケのような変な感覚が、頭を揺らしている。
「これは炎を作り出す魔術を少しいじって形を変えただけのものだ。大したことじゃない。これが夢を壊すという側面だ」
「ロジックってことですか」
「ああ。そして夢を与える側面で語るなら、お前もこれができるということだ」
「こんなのを、ボクが? いや、無理ですよ」
「今はな。そのうちできる」
「それは、どういう……?」
「教えてやるよ。魔術の基礎。この私がね」
思わず、目を見開く。
「どういう、心変わりを?」
失礼な問だったかもしれない。
けれど聞いてしまうのも、仕方がないだろう。あれほどボロクソに罵られたのだから。
ボクじゃなくたって、きっと他の人間が同じ場面に立ったら、尋ねてしまうだろう。
「さてね。ただのババアの気まぐれだよ」
素っ気なく、そう答える。
チヨさんは、またつまらなそうにナイフでスライムを捌き始めた。
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