19 いつかの蜃気楼が見える
「な、おま、ダインって……そんな馬鹿な話……」
「はっはっはー。そりゃサプライズの為にわざと隠してたんだからな。だが、驚いたのはアンちゃんだけか。他二人は気付いていたように見える。いつ気付いた?」
「オレは臭いですぐに分ったぜ。これでもフェンリルなもんで」
「エルフ、耳良い。声低い、でも分かる」
「かぁー! やっぱ感覚が鋭い奴らってのはそうなるか。まあ、普段なら香水やら臭い対策はしてるがねえ。やっぱ付けんとバレるわな。ま、演技の方はアンちゃんから太鼓判を押して貰ったし、及第点ってとこだな」
「ああ、くそ、気付ける訳がないだろ、この野郎。ボクをカモにしやがって」
「いやいや、そんな人を選らんでやってるようなことじゃないぜ」
「つまり誰にでもやってるってことなのか?」
「それなりに秘匿情報ではあるから、そうはいかねえけどよ。できそうな相手なら結構やる。それに、アンちゃんはネギを背負ってくるっていうよりは、こう…パッと燃やせそうな感じだ」
「誰が飛んで火にいる夏の虫だ、誰が。中途半端な気を遣うくらいなら、むしろ言わない方が良いときだってことを教えてやろうか」
同じ意味でも後者の方が二割増しで馬鹿にしてる感がある。
言葉って奥が深いぜ、ちくしょー。
「……はあ、それで何で自分の正体を教えた。ボク達を勧誘して何を企んでる」
「企みはしてないさ。強いて言うなら恩返しだ。森の主から助けてくれた恩のな」
恩返しと聞いて首を傾げる。
彼にとって恩返しとは相手を馬鹿にすることなのだろうか。
という私怨は置いとくとしても、ボク達をギルドに引き入れることと、恩を返すということが、どのように結びつくのだろうか。
「いくら俺が友人として何かしてやりたいことがあっても、俺の立場は英雄で、フェリーはともかくアンちゃんはギルドカードの登録ができてない以上、部外者だ。英雄という立場で部外者にできることっつうのは色々と限られてしまうもんだ」
「確かに、そうかもしれないね。街でお前を見たが、身動きが取りづらそうだった」
「そういうこと。で、だ。だったらいっそ根っこの方まで引き入れちまえば、やりようはいくらでもあるって考えたのさ」
「それはまるでギルドカードの件が上手くいかないってことを遠回しに言われてるような気がするんだが」
「いや、そうは言ってねえぜ。まだギルドカードについては問い合わせてる最中だからな。ただ、上手くいかなかったとしても、いったとしても、俺はアンちゃん達を誘おうって思ってたんだ。俺はアンちゃん達を気に入ってるからな」
「そいつはどうも」
この言葉がどれほど信用できるかは分からないが、この言葉通りだとするならばどの道勧誘があったという訳か。
「それで、どうだ。話に乗るか?」
「秘匿情報を開示しておいて、それを聞くのは少々ずるいというか、逃げ道を塞いでいるようにも見えるがな、ボクには」
「ああん、その辺は気にしなくて良い。俺が勝手にやったことだからな」
コイツ中々に狡いことをしていると思う。
そこが引っ掛かってしょうがない。
だから探るように質問を投げる。
「好待遇っていうのは、どれほどなんだ?」
「宿屋に三食飯付き、風呂場も提供、給料二割増しだ」
「そりゃまた随分と破格だな。休みについてはどうだ? 遠出は可能なのか」
「そこははっきりとは言えないな。戦力として引き入れている手前、もしかしたら遠出は厳しいかもしらん」
「どういう仕事をするんだ?」
「リズみたいな事務から、近隣の森の生態調査、荷物運び等々とそいつに合った仕事なり依頼を任せるな。適材適所だ」
「ふうむ……」
気になる部分はある。しかし、話としては悪くない。
最前線というのに目をつぶれば、安定した拠点を得られるということになる。異世界という不安がご近所さんである環境において、安心できる場所があるのはありがたい。悩ましい限りだ。
「すまんな、ダイン。オレはパスするよ」
けれどボクと違ってフェリーはスパッと断る。
「オレはちと事情があってな。やらなくちゃいけないことがある。だからごめんな、ダイン」
普段抜けている印象のフェリーだったが、彼の精神には一本のブレない柱のようなものが立っている。ここぞというときに決めてくれるのは、それがあるからだろう。
このときの彼も、決意めいたものを宿しているように見えた。
彼がそんな表情することに内心驚いている。
そして頭の中で、彼の言葉が反芻する。
やらなくてはいけないこと、か。
自問自答する。
やらなければならない……つまり、これは、こだわりの話だ。
人には、いや、生物には生きる上でやらなくてはいけないことなんて、存在しないからだ。
フェリーには、やらなくてはいけないという強迫観念に囚われている。それも、かなり重農なことに見える。彼のまるで身内が事件にあってしまったみたいな、深刻な顔を見れば、誰でも察せるだろう。
さて、自分はどうかな。
考える。
自分がしなくてはならないこと、あるいは役目か……。
『お前が死ねば良かったんだ』
頭の中で、夢に出て来た青年が指を指す。
分かっているよ。
もう、忘れたフリはしないさ。
「すまない。ボクもパスさせてくれ」
だから、ボクもきっぱりと彼の提案を断った。
「どうしてだ?」
ダインはその言葉を聞いて、ただ一言尋ねる。
「街まで出てきたんだ。できるならこの街以外のこと、世界を色々知りたいし、見てみたい。提案に乗れなくて申し訳ない」
半分は「僕」の為、もう半分はフェリーに感化されて言った。
自分でも、少し驚いている。
ボクは普段、機械的に損得で物事を考えるように努めているから。
でもきっと、これを了承したら、事故に遭う前の自分に戻ってしまう。
そういう予感があった。
ダインの話が美味しそうに見えるのは、いつか死んでしまった男の蜃気楼が見せるオアシスだ。その先に、彼の求めるものはなかった。
あるのは、社会の歯車となった自分だけ。
社会の歯車であることが駄目だとか、否定したい訳じゃない。
そこでしか得られない幸福、視点、考え方があったし、出会えた人達もいた。
ただ、歯車であることが身に染みているのだと、感じただけだ。
歯車は革新的な駆動よりも、負担を減らす潤滑油を好むから。
だから皆、安定や安心という言葉が好きなのだ。
でも、今は違う。
異世界という革新的な環境に身を置いている。
これまでとは違うのだ。
なら、駆動するべきだ。
あの男が選ばなかったものを拾ってみたい。
ここでしか見られない景色を見て、知って、触れたいという感情がボクの背中を押していた。
きっとそういう場所に「僕」が見つけられなかったものが、あるように思えたから。
「そうか、その目じゃ決心は揺るぎそうにねえな」
ボクの内心の断片を察したようだ。
肩を竦めて、笑う。
「すまないね」
「いいさ。嬢ちゃんはどうする?」
「私、今、満足してる」
シルワアも流されるのではなく、自分の意思でやんわりと断った。
ボク等に提案を断られたダインだったが、その表情は何故か明るかった。
「そっかあ、しょうがねえな。……でも分かるぜ、その気持ち。俺も昔は夢や理想を追い求める冒険者だったからな。今はギルドマスターになっちまってそんなことはほとんどできなくはなっちまったけれど、あの頃の感情ってのは腐ってねえ。良いぜ、今回の話はなかったことにしよう」
「なんだか悪いな。色々考えてくれたのを断ってしまって」
「気にすんな。ま、今回の恩を返したいのは変わってねえ。何か要望があるのなら、可能な限り答えてやろう」
「要望か……そうだな。じゃあ、少し依頼って奴をやってみたいな」
「金が欲しい、じゃねえのか?」
「お金もまあ欲しいけれど、それ以上に街での生き方、働き方の方がボクにとっては価値があると思ってるんだ」
「なるほど。ってなると、ギルドカードがないと困るって壁にぶつかる訳で……いや、うーむ。お……あ、いや、これならいけるかもしれねえな。これなら何の心配もせずに済むし、暇なアイツ等をこき使える……」
「何か思いついたのか?」
いつもの二割増しで悪い顔をしているダインに恐る恐る尋ねると、ニマッとした笑顔でこちらに向き直して、言う。
「アンちゃんには俺達の雑用になってもらう」
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