17 泥人間

「はあ……!! ああ……はぁ……はぁ……」


 真夜中に、目を覚ます。

 起きた体は汗でぐっしょりと濡れていた。身体の芯から冷えるような、そんな気持ちの悪い感覚が残留している。


 時間は……そうか、ここには時計なんてものはないんだったな。

 多分、二時を回ったくらいだろう。体感でそう感じる。


 ボクの隣に寝るフェリーは口を開けてだらしない様子で寝ていた。

 シルワアも、静かな寝息を立てている。

 二人共、ボクの声で起きる様子はなかった。


 また寝転がっても、寝れないだろう。

 体は疲れでだるいのに、頭はやけに冴えていたから。

 ベッドから体を起こして窓辺に来ると、気分転換に開ける。


 窓の外には、人気のない街。

 人は一人としていない。

 風は一吹きもしない。


 生気を失ったような、深い、深い眠りに落ちた街。

 まるで死んでいるように映る。普段活気があるから、それを余計に感じる。

 街を眺めながら、誰か人が通らないかと、無意識に淡く待つ。


 どうしてだろうか。

 ……。

 きっと、孤独を感じているからだ。

 けれど誰も通りはしない。

 何も起こらない、静止画のような風景を見ているうちに、瞳は内側に向き、夢に出て来た青年を覗く。


 ボクは、あの青年を知っている。

 遠藤清司。それが『僕』の名前だ。

 ボクは、『僕』のことをよく知っている。


 『僕』は変わった人間だった。

 彼はよく、人の善意について考える人間だった。

 人には善意というものがあって、それは人間特有の感性である。


 損得ではなく、本能ではなく、理性によって自らを革新し続ける力。

 そんな考えが彼にはあった。


 信仰心に近いかもしれない。

 いや、生まれた時からそのように考えていたから、もっと根本の部分にインストールされた思考回路なのかもしれない。




 善意とは人が持つ、物事をより良い方向へと持っていく意思である。

 間違いを正す。不益を益に。不便を便利。

 息を吸うのと同じこと。当たり前の思考である。

 理性を持つ人間であれば当たり前のことである。


 だから僕は、善行をして笑顔になる人間を理解できない。

 笑顔になるということは、そこに利益が発生しているからだ。

 欲求が満たされているからだ。

 善意と欲望は結びつかない。善意は理性を発端とするからだ。

 理性と欲望は対であるからだ。

 僕はそれを善意ではないと、否定する。


 善意は息を吸うのと同じこと。

 人は息を吸うことに喜びはしない。

 それは当たり前のことだから。

 善意は無意識の内に達成するべきものである。


 仮に聖人や聖女がいるとして。

 本当の善意を持ち、善行を行う人間がいるのなら。

 そういう人間がそれを成した時の表情は、きっと。

 無表情なのだろう。




 これが、彼に刻まれた善意の定義だ。

 生まれながらに刻まれたそれを、彼は指針として生きてきた。

 生来の善人として、善意を証明することが彼の存在理由だったのかもしれない。


 けれど、その善意を証明することができなかった。

 家族、友人、先輩、後輩、上司、同僚、後輩。

 皆、善意を知らなかった。

 正確に言えば、彼の求める善意を持っていなかった。

 自分以外に、そんな思考を持つ人間が現れなかったのだ。


 それでは証明ができない。

 証明とは、事例があってこそ求めることができる。

 自分が思っているだけでは仮説に過ぎない。机上の空論に他ならない。


 それだけなら、まだマシだ。

 問題は自分の思想が異端だと、指摘されたことだろう。それも多くの人に。

 指摘された彼は、人間不信ではなく、自分不信になった。


 大多数の人間が自分とは違うということは、自分がおかしいのだろう。

 そういう結論に至るのは、こと社会性を重んじる人間にとっては自然な傾向だ。


 当たり前だと思っていたことを否定されるというのは、一体どんな感覚だったのだろうか?

 ボクには分からない。

 人間未満のボクには、それを推し量る能力がまだないからだ。

 けれど誰だって自分が異端である、なんて思いたくないものだ。

 そんなの、あまりにも悲し過ぎる。


 自分不信なった彼は、別の人格を作った。

 社会に適応した、良い大人。後輩の鈴香ちゃんに先輩風を吹かせていた「ボク」。

 自分を守る為の防波堤としての人格。


 それがボクのベースとなっている。

 夢に出て来た青年は、一番最初の原始的な人格。

 それを肉付けした姿だろう。


 けれど原始的な僕は、いつの間にか自分自身が別の人格に引っ張られていることに気づいた。

 自分を守る為に作ったはず人格に、気づけば乗っ取られていたのだ。他人、社会、そういうものに合わせた人格に、蝕まれていたのだ。

 自分の思考が、他者の雑音よって壊れていくような感覚。

 それが、より自分を苦しめた。


 誰にも理解されない思想。

 周りを見回しても、どこにもなかった理想。

 もしその理想を体現した何かがあったならば「僕」は……、遠藤清司は、もう少し救われていたかもしれない。

 自分を信じられたかもしれない。

 愛せたかもしれない。


『じゃあ、君は誰だい?』


 赤い影が指差す。

 先ほどから「僕」とボクを別の人間のように語っているのはどうしてなのか。

 きっと、君はそう言いたいんだろう。

 答えは知っている。

 それはボクがスワンプマンだからだ。


 スワンプマン。

 思考実験の名称だ。

 実験の内容は以下のようになっている。

 泥沼を歩いていた男に雷が落ち、男は死んでしまった。

 しかしその雷のエネルギーが泥に溶け、化学反応を起こし、男の肉体構造から記憶まで全く同じ存在「スワンプマン」が生まれる。


 スワンプマンは生前の男と同じ行動、癖、趣味趣向をしている。

 そして本人に「自分はスワンプマンである」という自覚はなく、雷に打たれて生還した人間として、自身を認知している。

 果たしてそれは、死んだ男と同一の存在と言えるか否か。

 そういう思考実験だ。


 ボクがそれだ。

 交通事故という名の雷に打たれた男の泥人間。

 ただ、実験と違い、自分がスワンプマンと自覚している。

 偽物だと知っている。


 思考実験としては破綻しているだろう。

 この実験は死んだ男とスワンプマンは同一人物と言えるかを問うものだというのに、スワンプマン本人が否と結論づけてしまったのだから。



 だから自分は遠藤清司という男のスワンプマンとして、いや……そもそも色々と欠落した人間未満の自分だけれど、彼の無念が理解できる。

 第三者の視点で、ボクは「僕」を客観視できる。

 それを踏まえて、彼は救われるべきだと、ボクは思う。


 だから見つけてみせるよ、遠藤清司。

 善意というものを。

 この異世界という場所で。

 見つけてみせる。


 ダインという男曰く、この世界には五人の英雄がいるらしい。

 英雄が人の理想だと仮定するなら、その中に真の善意を持つ人間がいるかもしれない。

 真の聖人、聖女がいるかもしれない。


 証明してみせるよ。

 人の善意という仮説を。

 君のスワンプマンとして。

 シスイという、瞬く間に終えてしまうであろう、虚構の中で。


 だからもう少し、待っていてくれ。

 川が逝きつく先で、待っていてくれ。


 気づけば、赤い影は消えていた。

 ホッとため息をつく。

 安心したからか、眠気が来る。

 もう一度、寝よう。

 窓を閉めた。




 ◆ ◆ ◆



 ノイズ。




『だから、貴方はシスイなのですね』




 ◆ ◆ ◆

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