第9話 七月十六日の作戦会議 ①

「お待たせしました」

 榊家の門前でチャイムを鳴らすと、少し急いだ足取りで、おでこをきっちり上げてキレイに髪を結った、三十代後半から四十代前半の女性が迎えに来てくれた。いわゆる、お手伝いさんだろう。

 「雪本さんですね。東井さん、先にお見えになってます」

「あ、すみませんわざわざ」

「いえいえ」

 闊達に笑ってきびきびと足を進める姿はいかにも手際がよさそうだった。

 門から三十秒ほど歩いて家屋に行きつく。大げさな庭園はないが、屋敷自体の敷地は広そうで、六~七人で居住してやっとちょうどよいという具合に見えた。

 「僕、地元の人間じゃないからあれなんですけど、このお屋敷は大体どのくらい古くからあるんです?」

「そうですねえ。私も、坊ちゃんが生まれたぐらいにお手伝いに入ったから、あんまり詳しくは。ただ、掃除してる身としては百年くらいってところですかね」

「くらいって――」

「皆さんあんまりそういうの気にしない方々だから。医者ってみんな適当なのかな。……ああ、ほら、やってますねえ」

 なじみの小料理屋を除くような雰囲気でお手伝いさんが引き戸を少しばかり開けると、わずかな隙間からも東井のまくしたてる声が聞こえた。

 「――だから、疲れたとかいう問題じゃないだろ」

「実際疲れたんだよ、部室の片付けとかもあったし」

「片付け? 何、あいつ暴れたの?」

 引き戸から靴を脱いで上がって長い廊下を歩くと、奥の方に榊が頭を抱える姿が見えた。シンプルな黒のパーカーとジーンズ姿だった。

「暴れたわけじゃ――」

 制服姿の東井は、座ったままの榊に詰め寄っていた。二人で囲んでいるテーブルは、恐らく榊家の食卓につかわれているもののようだった。

「あのお部屋はフローリングなんですね」

 自然と足音を殺しながら小声で尋ねると、お手伝いさんもスピードを相当落としながら、小声で答えた。

 「畳の部屋で食事だと、あとの手入れも大変になってしまいますから。まあ、ここ以外も、フローリングの部屋は意外とあるんですが」

「日本家屋ってそんなものですか」

「あまり長いこと正座するのを好まれないみたいですよ、ほら、身体に悪いから。お医者様だとどうしても気になるんじゃないですか」

 その間に、どんどん東井の声は高まってきていた。

 「別に、お前がサボってるのはどうでもいいんだよ、いやよくないけど、いいよ。問題は、お前が何でサボったのかっていう話を」

「だからサボったっていうか、疲れたから帰ったって――ああ、新島さん。ありがとうございます。声をかけてくださいね」

榊に新島さんと呼ばれたお手伝いさんがぱっと口に手を当てる。

「ごめんなさい、ついお話に聞き入っちゃって」

「ずいぶん堂々と立ち聞きを認めるじゃないですか」

「内容は頭に入ってませんから。――皆様、おそろいですが、何か軽くお食べになります?」

「ああ、大丈夫です。多分一時間もかからないかと思うので」

 榊がよこした視線に、雪本は頷いた。

 ここに来るまでに、自分が話したいと思っている内容はすでに伝えていた。

 「では、私は控えております」

「すみません。お願いします。……あの、くれぐれも本当に、ここから先は立ち聞き禁止です。やぶったら一信さんに報告します」

 何歳も下の榊の攻撃的な言葉にも、新島は怯まず、ご冗談をと言わんばかりに笑って頷いた。

 「奥様がもしかすると、早めにお帰りになるかもしれません。もしいらっしゃったら、すぐお声がけいたします」

「ありがとうございます」

 新島が控えると、東井がすぐに尋ねた。

 「何があったの、今日。――それは、俺に話せることなの。話せるなら話してほしい。嫌だったら嫌って言ってほしい」

「東井」

「雪本は、本当に嫌な時はきっちり言える奴だと思う」

東井はまっすぐ雪本に向き直る。

「俺、自分がなんでもガンガン話すから、誰が何をどう隠してるかとか、それをどう気遣ってやったらいいかとか、あんまそういうのうまくできる気がしないんだ。ただ、ぐずぐずくよくよ悩んで、何にもできないのが一番よくないじゃん、何事も。だから単純に、話せることは全部話せよ。そんで俺にできること、ちゃんと教えて。やるから」

「東井」

榊が慎重に声をかけた。かんなで削りすぎたような語り口だった。

「それで、話したくないって言われたらどうする」

「どうって……」

「東井には言えないことがあるっていう印象が残るな」

「俺は気にしない。そういうこともたまにはあるだろ」

「雪本が気にするかもしれないだろ」

東井があっ、と声を上げ、さらにまくしたてた。

「本当に、俺、気にしないから」

「東井」

「いや、俺は本当、気にしない。――あれだ、あの、どうしてもお前が気にするんだとしたら、『話したくない』って言わないで、ところどころ嘘ついてくれればいいよ。こう、なんだ、部分部分」

 雪本は一瞬笑いそうになって、すぐ飲み込んだ。笑えるような代物じゃない。今のやり取り一つ取って、東井も榊も、人として、心底眩しかった。

 

 「いいよ。全部話す」と切り出しはしたが、高野と望月に吐いた暴言の大部分、一週間休んだ真の理由、部活を休むため使っていた仮病に関して完全に口をつぐみ、そして榊が部室の清掃に追われた原因として全く別のものをでっちあげた。

 できるだけ正直に話してやりたいと思いつつ多くの嘘をついた雪本の話を聞きながら、そしてその話を身を乗り出して聞く東井を前にしながら、榊はただ姿勢よく、黙って椅子に腰かけていた。

 「部活動をやめたい。ただ退部届を出したいってことじゃなく、何の禍根も残さないように辞めたい」

「禍根……高野ってやつのこと?」

「それもそうだけど、一番は石崎だ」

榊が補足した。

「雪本と石崎が去年揉めて、そこからしばらくして、雪本が体調崩して部活に行けなくなっただろ。――邪推する奴が出た」

「つまり、石崎とのこと気にして、雪本が部活に来づらくなったんじゃねーかってこと?」

「そう。それについて、雪本を悪く言うやつもいれば……石崎を悪く言うやつもいたわけだ。女子は特に後者が多い」

 東井は大きな目をキョロキョロとテーブル上に走らせながら言った。

 「石崎のせいでやめたって言いだす奴がいるかもしれないってことか。どっからどー見ても絶対石崎のせいじゃないって、そういう状態にしてやめないと、雪本はよくてもそのあと残った石崎が困るってこと?」

「そう、そうなの。理解早くて助かる」

「いや、うちの部でも昔、似たようなことがなかったわけじゃないらしくて」

 東井は一度言葉を切って、しばらく考えてからもう一度口を開いた。

 「それは、でも、どう工夫してもそういう風に言うやつは出てくると思うよ。逆に石崎が、雪本を部に残すような風な働きかけをして、それでも――とかだったら、まだしも。……あとはそれこそ、雪本が退部したことを、掘り返されないくらい、逆にとことん、部の幹部とか含めて総出で説明してやるとか」

 榊は東井の意見を咀嚼してうなずくと、本気で頭を回し始めた。

 雪本に先に連絡を受けて用意していた分もあってか、次に話し始めるまでは早かった。

 「幸い、今日騒ぎがあったせいで、とりあえず陸上部で『何かあったらしい』ってことはみんなわかってるから、このタイミングならいろいろ動かせる。……高野にもある程度メリットがあるようにする必要がある、そういう認識で大丈夫だったか」

「うん大丈夫。高野にケチついたってしょうがないし」

「……うん、いけるな」

 榊は姿勢を正した。

 「雪本、お前が『少しだけ悪い』ことにしよう。それでもいいか」

「少しだけ?――度合いにもよるけど」

「例えば」

榊は鋭い目の端を冴え冴えと光らせて続けた。

「第二体育倉庫のカギを、一週間、持ち帰ったままにしてしまったとか」

 高校には体育倉庫が二つある。

 第一体育倉庫は、運動部が日常で使っている物品をしまってあるもので、グラウンドの脇にあって、必要となればすぐにでも物を取ることができるものだ。

 一方の第二倉庫は、普段は使わないが時には必要になるような物、昔の学生が使っていたお下がり、もう使わないが捨てるタイミングを逸してしまった物などが保管されていて、使用頻度は高くない。

 「第二体育倉庫は、校舎裏にある。……今日高野は、昇降口からグラウンドに出て、体育館の裏を曲がって、校舎側にUターンした。そうだよな」

「そっか」

雪本は気づいて、つい声が出た。

「校舎裏に行く唯一のルートだ」

榊はかすかに唇の端を上げて続けた。

「第二体育倉庫の鍵なら、普通ひと月に一回も開けない。一週間うっかり持ち帰っても気づかれなくて当然だ。――高野は、今日、第二体育倉庫の鍵がないことに気が付いた。最後に使ったのは雪本だとわかって、校舎内にいた望月に連絡して雪本の荷物を緊急で漁らせる。望月は雪本の鞄を探して、例の革のケースの中に鍵が入ってるのを見つけた」

「雪本はその知らせを石崎から受けて、とにかく高野のところに駆けつけようと思った。高野は高野で、用事もあるし、一旦鍵を返さなきゃいけないから、ケースを受け取ったら一目散に倉庫の方に走る。で、雪本も、それを追う――」

言いながら東井が自分の指でその動きを表現した。左の人差し指(高野)の後から右の人差し指(雪本)が全く同じルートをついていく図が生まれる。  榊が頷く。

「それをよそから見れば、今日と同じ景色になるはずだ。勿論、第二体育倉庫の鍵を持って帰るのは問題ではあるけど、流石に部を追い出されるほどじゃない。――ただ雪本は、それまでも病気がちで休んでた。一週間持ち帰ったままになったのも病気のせいだ。それが相当堪えて、自分から退部を申し出た、ということにする」

「――でも、雪本が、第二体育倉庫を開けた理由は?」

東井が丸い目をこわばらせながら指摘した。

「ここサボると逆に後からグダグダ言われそうだけど」

榊は周到にその答えも準備していた。

「雪本はいろいろ休みがちだから、陸上部の練習が終わった後も、ギリギリまで残って自主練習していた。だから第二体育倉庫の鍵を最後まで持ってたんだ。もう誰も使ってない道具を使って、万が一にも今使ってる方の道具を壊したりしないように。事情を唯一知ってたのが、石崎だ。そうして練習して結局体調を崩してしまった雪本が流石に気の毒で、せめて助け舟を出すつもりで雪本に伝えに来た。こうなれば望月も石崎も高野も誰も責められることはない。あとは全員がきっちり口裏合わせればそのうち話題にもならなくなる。こういうのは美談のほうが風化するし。――粗があったら今言ってくれ、なんでも。その方が助かる」

 雪本は手を上げた。

 「今日部活を休みにした理由は」

「ああ、それもあった。そうだな……お前に退部を打診された高野と俺とで話し合いをしていたことにしてもいいし――一年生の体調不良者が続出してる状況を鑑みてってことにして、釘をさしてやれば、多少泉美さんに恩が売れる」

「なるほど、それいいね。――わかった、それで行く」

 雪本は変に高く笑った。緊張の糸があっという間に緩んだ。

 「またなんかあったら言うよ」

「できるだけ早くな、明日からはもう動かす」

「明日から?」

 雪本ののんきな声に東井がぴしゃりといった。

 「明日明後日学校あって、土日はさんだ月曜日は終業式だろうが」

「あ――」

「あ、じゃねえよ」

 雪本は苦笑した。文化祭の話し合いは把握していたのに夏休みの入りを忘れていたのだ。こんなところで一年前の傷を感じるとは思わなかった。

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