第3話 傷師に困っています
第3話「傷師に困っています」
ふと考えたことがある。
考えた、と言っても冗談とか手持無沙汰な時に考える益体もないことのようにとりとめもないことだ。
糸村紡のような特殊な能力を持つ人間は他にもいるのだろうか。
仮にいるとするならばそれはどのような能力なのだろう。
…そう、分かりやすい所で紡と真逆の能力を持つ人なんてのもいるのだろうか。治癒に対するアンチテーゼ、すなわち絶対的な破壊。
損壊。創傷。
…当然、そんな存在などいないと一笑に付した。
付していられた、その日までは。
「…飽きた」
楽しみにしていた連続テレビ番組が完結した時のような悲壮感を浮かべて、唐突に紡が呟いた。
「…マドレーヌ」
「そうだな、もう二か月くらいマドレーヌにしてたもんな」
糸村紡は癒師…癒術と言う、傷を『消し去る』特殊な能力を持った人間である。しかし、力は無限に湧くものでもなく、甘いものを食べるなんて言うそれこそ冗談みたいな方法で補給しなければならない。
「次は何にしよっかな…でも正直、もうちょっと甘いもの見たくないんだよね」
気持ちはわかる。
「そうは言っても他に補給方法もないだろ?…また和菓子系に戻ってみるなんてどうだ?」
「…うーん、じゃあ水ようかん」
甘さ控えめなやつにしてよね…とローブを脱ぎながら言う。僕は資料に目を落としながらそれを受け取る。慣れたものだ、と言うか紡との付き合いも長くなったものだ。
僕が紡に引き抜かれてマネージャーもとい子守り(こう言うと紡は怒るが)を始めてからもう二年になる。
「今日の依頼、どうだった?」
「どうだったも何も…最近やたら仕事多くない?」
そうだった。
そもそもが相当苦労して探さなければ紡を見付けるのは難しい。広告を打っているわけでも看板を立てているわけでも大々的に活動しているわけでもないのだから。
紡の活動は云わばボランティア。
無償で癒す。紡の身の上を話し出すと長くなるけれど、実家は貴族かと思えるほどの富豪なのでお金には苦労していない。紡の家系でしか遺伝しないという癒術の能力の定期的な行使のために積まれる善行ともとれる。
少し引っかかった言い方をするなら富める者の義務とも。
閑話休題、大分脇に逸れてしまった。
ともあれ。
紡が感じているように最近依頼が増えているのは事実だった。
今日の依頼で今月三件目。…今までの依頼から比べると二、三倍にはなる。
「派手に活動していたわけではないんだけどな」
依頼の内容については、受諾する前に内容を確認するが、どれもそこそこ大きめの裂傷とかで無下にするのは無理な話だった。
まぁしかし内容の程度はさておき依頼を受け過ぎたきらいはあるし、
「…紡、少し旅行行くか?」
「ホント!?」
休暇と洒落込むことにする。
事務所から車を走らせること一時間。某県の山間部にその宿はある。
『方喰荘』
天然温泉が売りの旅館で、料理も旨いと星三つ。会社入社時からの付き合いになる古い中古の軽でその旅館にやってきた。
「片瀬!見てよほら、赤い絨毯凄くない!?」
車を停めるなり紡が飛び出していった。子供かのようなはしゃぎっぷりだ…あ、いや、子供だった。
晩秋の折、旅館の周りは見事に紅葉で彩られていた。
旅館を縁取るかのように、足元にも落ち葉が敷き詰められ、宿の前を流れる小川も流れる落ち葉にすっかり赤く染まっている。
「紡、あんまりはしゃぐなよ…」
転ぶぞ…と言う先から落ち葉で滑って転んでいる。
「いたた…」
「言わんこっちゃない、それはそうと鞄持てよな」
お尻をさする紡に鞄を渡す。
「えっ、持ってくれないの?」
「なんで」
「…そんなマジで聞いてこなくても…」
お嬢様故、甘やかすのはよくないと、…例え雇用関係の上であっても…、よくないとこの二年で僕は学んだ。甘やかすと際限なく紡は調子に乗るのである。
この旅館で、運命の出会いをすることになるとは、この時の僕たちは微塵も考えていなかった。いや、逆に誰が休暇中に運命的な出会いがあると予期できるだろうか。…僕も紡も完全に気が抜けていた。
「広っ!」
部屋に入るなり紡は鞄を放り出して窓辺に駆け寄った。
むべなるかな、和風の室内と相まって壮観な眺めだった。客室も一番いい部屋だから尚のことだろう。そこは紡のポケットマネーである。
…僕は付き添いだから構わない、ヒモではない…そう思いたい。
「ありがとね片瀬!ここさいこーだよ!」
「それは何よりだよ」
「お菓子あるよお菓子!」
…少し落ち着けと言いたいが、お金を出してもらってる手前、少し自重している。甘いの食べたくないとか言ってた割にゆべしを食べてる。
本当はこうして相部屋になっているのもどうかと思って、…まがりなりにも紡が18の僕が20…、いい年齢の男女が同室で宿泊するなど避けようとしたのだが、そこは紡の「なんで?」一言で終わった。
「ところで、さ」
ふと紡が改まって聞いてきた。
「今夜とか…」
「ここしばらく依頼多かったから疲れただろ、しっかり休めよ」
「休むけど!いや休むけどさ!」
きー!と着てきたコートをバサバサする。…言い出す割に恥ずかしいらしい。面白いのでしばらく放っておくことにした。
…僕?僕にとって紡は手の掛かる目の離せない気が強い妹といったスタンスなので、そもそも恋愛対象だと思っていない。…待てよ、紡はそうじゃないってことか(今更気付いた)。
「紡」
「は、はいっ!?」
紡の顔は真っ赤である。…照れるなら言わなければいいのに。
「ここ料理も評判いいから今夜飲んでもいい?」
「いいけど!いいけどさ!」
…けどから先は言えないらしい。
源泉かけ流しの天然温泉に浸かり、秋の味覚に舌鼓。日頃の疲れなど吹き飛ぶというもの。
紡はさっきから押し黙っている。逆上せたわけではないだろうが頬は赤く、何となく怒った感じで僕をチラチラ見てくる。
「温泉最高だったな」
「…まーね」
客室に露天風呂が付いているため、そちらは紡に譲って、僕は浴場に向かった。戻ってきてからは紡はずっとこんな調子である。
「お酒も悪いな、俺しか飲めないのに」
「…別に」
鍋が熱かったのか紡は浴衣の胸元をパタパタした。
温泉から戻ってくると部屋には布団が敷いてあり、料理も用意してあった。上げ膳据え膳言う事なしである。…ただ、紡は落ち着きがない。
「………」
「………」
折角の秋の味覚、二人して無言で食べた。…違う?
夕飯を食べ終わると、僕は酔いを醒ましに散歩に出ることにした。紡も一緒に行くと言って聞かなかったが、しばらく適当にいなしていたら寝てしまった。…本当に自由だ。
「まぁ、たまの自由時間ってやつだな」
この二年、紡のマネージャーになってからとにもかくにも単独で行動することは少なかった。家事回りも僕の仕事なのだけれど、買い出しのような一人になる機会も紡が付いてくるので一人にはなれなかった。
照明に紅葉が映える。
宿の表に出ると昼間とはまた違った景色が広がっていた。深紅の世界。
「あら、こんばんはー」
その時だった、不意に声を掛けられた。
彼女は…僕と同じ浴衣姿だった。別室のお客さんだろうか。
「こんばんは。夜の紅葉も綺麗ですね」
「えぇ、とっても!私は昼間より夜の方が好きですねー」
肩口までのボブは毛先に赤いメッシュが入っていて、近くで見れば見るほど彼女はかわいかった。年齢的にも僕と同じくらいではないだろうか。端的に言うならばどタイプだった。
「鞍持
いきなり名乗られて少し面食らったが、
「僕は右浦片瀬といいます」
「実は知っています」
へへ、と彼女は微笑む。
あっ、かわいい、…じゃなく、僕を知ってる?
不自然にならない程度に身構える。
「…どこかでお会いしましたか?」
会ってたら僕が忘れていないだろうが。
「いえ、これが初対面です!
ところで、右浦さん。傷師、って知ってます?」
きずし…傷、師。
「…いえ、寡聞にして」
…もうこの辺から嫌な予感しかなかった。胸がざわつく。
「説明するより見てもらった方が早いと思います。
癒師のマネージャーさん」
彼女は、鞍持普は、唐突に抱きついてきた。
柔らかい彼女の体と香りを感じた刹那、胸に痛みが走る。
それはそう、来襲…と言ってよかった。
「なっ…」
浴衣を貫通して血が噴き出してくる。ぬるりとした血の感触が気持ち悪い。
「あっ、あんまり動かない方がいいですよ」
吹き出す血の脈動に合わせて意識まで刈り取られていきそうだ。さっき飲んだ酒の酔いなど疾うに抜けていた。出血多量よりショックで意識が飛びそうだ。
「どうです?これが私の能力です…正直、あんまり使い勝手がいいとは言えないんですよねー。誰でも彼でも傷付けちゃうし。それしかできないし。でもね、望んで受けに来る人も結構たくさんいるんですよー?」
あなたみたいな変わった方は初めてですけれど、と彼女は微笑む。
「い、いや、正直驚いてますよ…」
僕は辛うじて言葉を絞り出す。胸の傷の痛みで集中できない。
「空想、妄想の類だって思ってましたからね…」
「あらら、それは傷付きますねー」
彼女がそっと僕の腕に触れる。
まるで抉られた様に皮膚が裂け、血が噴き出す。
「…っぐ」
「それはそうと、これは脅しです。脅迫です。
傷付ける先から治されると溜まったものではないし私の仕事が減ってしまうんですよー。癒せる人がいるなんて皆知りませんからね。本当に迷惑なので…ね?もう止めてもらえますよね?」
あぁくそ、最高に危機的状況なのに。
この人、僕のタイプなんだよな。
「…事務所からつけてたんですね」
「そうです!昨日の夜から張り付いてたので大変だったんですよ!私の依頼主さんにお願いして場所洗ってもらったんです」
なるほどそういうわけね。それは場所も割れるわけだ。
「…事情は理解しました、できました」
僕は何とかそう絞り出す。
「でも、人を癒すのは止めませんよ」
「なんでですか?救われたくない人だっていますよね?大体藁にもすがるような思いであなたたちを訪ねて来る人ばかりなのでしょうけれど」
「…確かに、助けを求めていない人だっています」
僕は築菜さんを思い出した。
「しかし、癒すことが依頼者の今を救う一助になるのであれば癒さない理由は、ない」
「救えるからって傲慢じゃないですか?私や癒師さんの能力って限りなく奇跡に近いものですよ。有限か無限かもわからないし、いつ自分に代償が降りかかるかもわからない…そんな不安定なもの。
あなたは癒師さんにそんなものを行使させ続けることに何も感じないんですか?私は自分で自分が怖いですよ」
…そんなこと、そんなことはわかってる。
僕だけじゃなく、紡自身も。
「それでも癒したいっていうのが、紡の気持ちなので」
僕は、糸村紡のマネージャー、右浦片瀬。
紡の我儘を通すのが、僕の仕事。
「…ん」
気が付くと僕は布団に横になっていた。
「おっ、起きたー!!!」
途端に紡に抱きつかれる。すごい、笑えるくらい目が回っている。
「あんたねぇ、私がどれだけ心配したと…!」
紡の文句をわかりやすく嚙み砕いて状況を理解するとこうだ。
紡が目を覚ますと僕がいなかったため、慌てて探しに出たところ、表で血達磨になって転がっている僕を発見。ゆべし食べまくって僕を癒して疲れて僕を見てたらしばらくして起きた…とそう言う事らしい。
しかし、傷師、鞍持普。
また紡も厄介なのに目を付けられたものである。
「紡」
血が足りなくて頭が朦朧とするが、紡にこれだけは聞いておきたかった。
「ん?」
「紡にとって癒しって何?」
「え?生き甲斐」
即答した紡の頭を、ぽんと撫でると、そのまま僕は深い眠りに落ちていった。
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