第2話 気持ちの所在に困っています
第二話「気持ちの所在に困っています」
傷に価値はあるのだろうか。
この仕事をしているとそんなことを考えることがままある。依頼者はいずれも重篤な傷を抱えていることがほとんどなため、それを跡形なく消して欲しいと紡に依頼してくる。価値どころか傷に憎しみすら抱いているのかもしれない。そもそも傷に価値を感じるとはどういうことなのか、名誉の負傷とかならば価値を感じられるのだろうか。
しかし、今回の依頼者は訳が違った。
彼女にとっては、確かにその傷には価値があったのだから。
「ね、片瀬。どう?」
仕事着…風変りだが紡は仕事する時、必ず決まった帽子と腕までのローブを羽織る。なんでも形見らしいが、断じて紡の祖母は他界していない。健在である。
「うん、問題ない。今日の依頼終わったらこのローブクリーニング出すからな」
「えー…」
クリーニング出すのも受け取るのも自分じゃないのにめんどくさそうな顔をする。
「形見をそうクリーニングとか普通する?」
「…そんな大事だと思うんならあんまり雑に扱うなよな」
基本仕事が終わるとソファーに脱ぎ捨てる癖に。それでもまだマシになった方だ、言うまでは着たまま寝ていたのだから。
「片瀬にはわかんないだろうけどね、ずっと肌身離さず着てたんだから!」
「シワになるだろうが」
そもそも帽子はともかくローブは浮きすぎている。本人は気にしないのだろうけど。
「それはそうと、今日の依頼者さんってどんな人?」
「杉谷 築菜、26歳。傷は顔を横に走る裂傷…。依頼者はご両親になってるな」
「ご両親?」
それは僕も思った。まぁ依頼先が紡のような癒師という信用できないものであるから、用心して親が干渉してくるのはわかるが、年齢的にも親が出てくるようなことではないと思う。
「…詳細は今日会ってから話すことになっているけれど、中々厄介な事情があるのかもな」
「ふーん」
聞くだけ聞いておいて紡は興味なさげにテーブルの上の雑誌を広げた。
今まで色んな傷を負った人を見てきた。
見るに堪えないような重篤な傷から、絆創膏でも貼っておけば治るような些細な傷まで。
傷の程度に関わらず、紡の癒術であればたちどころに傷を『消し去る』ことができる。当然、痛みも一緒に消え去る。まるでそんな傷がなかったかのように、傷付くような出来事そのものが存在しなかったかのように。
とはいえ傷を負った記憶まで消えてしまうわけではない。
傷を負った人は多かれ少なかれ、その傷を負ったことそのものにも『痛み』を感じている…ように思う。
ように思うというのはあくまで推察の域を出ないことだからであるけれど、やってくる依頼者は揃いも揃って俯き沈んだ表情をしているからそう思いたくもなる。
心まで傷を負っているのではないかと。傷は心にまで及んでいるのではないかと。
そしてそれは癒術の限りにおいて癒せるものなのだろうか。
「まーどんな事情があってもらくしょー!私がパッと癒しちゃうから安心しなさいよね!」
「…たまに羨ましいね」
「なにがよ?」
なーんにも考えてなさそうなのが。
「…昼、買ってくるよ。何食べる?」
「カツ丼!」
しかしその何も考えてなさそうな紡の笑顔が時折眩しく見えたりする。
杉谷 築菜、とその両親は例に漏れず俯いて沈んだ面持ちで事務所にやってきた。
「こんにちは。お越しいただきありがとうございます」
「…こちらこそ、本日はよろしくお願いいたします」
築菜さんは顔に包帯を巻いて見るに痛々しい。傷もまだ新しいのか包帯にはうっすら血が滲んでいた。
「えっと、私が癒師の糸村紡です」
ちなみに紡は結構人見知りで所見の人には硬い表情をしている。
「僕はその助手の右浦です」
築菜さんは軽く会釈してぼそぼそと名乗った。無理もない、外出するのも一苦労だったろう。
「…あの、本当に娘の…築菜の傷を治していただけるのですか?」
単刀直入に父親が聞いてきた。
「えぇ、傷の程度の如何に関係なく、癒術を使えば傷を消し去ることができます。…信用できないのも無理はありません」
今までもそうだった。事務所に来たものの、紡や僕を見て傷を消し去るなんて信用できずに去っていく依頼者は何人もいた。当然と言えば当然である、信用しろというのが無理な話だ。僕だって、癒術を目の当たりにしていなければ、決して信用などしなかっただろう。
しかし、紡のそれは、言いようもなく魔法、奇跡といってもいいものなのだ。
「やり取りさせていただいたようにお代は一切いただいておりませんし、処置自体も紡が傷に触れるだけで終わります」
「…いや、疑っているわけでは…でもその本当に治していただけるのかと」
「…そうですよね、今まで何件も見てきた僕でも未だに信じられていないところです」
ちらっと紡の方を見ると、何となくイライラしているようだった。
基本的に依頼者との折衝は僕が担当しており、紡は癒すだけ。そういうスタイルでやってきているから、いつまでもやるかやらないのかで迷っているような現状にイラついているのだろう。…最初の頃に比べたら我慢できるようになったな、出会った頃は依頼者に「で!癒すの癒さないの!?」と嚙みついてばかりいたから。
その時だった。
「…たくない」
「えっ?」
蚊の鳴くような声だったのでよく聞こえなかったが、
「治したくない」
築菜さんが小さく、しかし揺るぎのない口調で言った。
「こら、築菜!またそんなことを!」
「…お父さん、お母さんにも言ったよね、私はこの傷治したくないって」
…揉めてる。よくある話ではある。今回のように当事者と依頼者が異なる場合は往々にしてあることだ。
紡は…わかりやすくめんどくさそうな表情をしている。
「この傷は、彼を忘れないためのものだから」
「築菜、そうは言うけどなぁ!そんな顔に大きく出来た傷、そのままにしておくわけにもいかんだろ!」
なるほど、予想していた通り厄介な事情があったわけだ。
「…あの、少しお茶でもいかがですか」
こういう時は双方の意見を聞いてみるより他にない。
「築菜の傷は、先日の事故でできたものです」
父親は疲弊した表情で話し始めた。
紡には別室で築菜さんに話を聞いてもらい、僕は両親に話を聞くことにした。思ったより込み入った事情なようで、それを語る両親の表情も暗い。
「築菜には婚約者がいました。先日、遠方に出掛けていた際、事故に遭って…。車に乗ったまま谷底に転落するという大事故で…、娘はあのように大ケガこそ負ったものの一命は取り留めました。しかし、婚約者の彼は命を絶ってしまい…」
「なるほど…」
「娘にとってはあの傷が彼の形見のようなものなのです。他の遺品では違うと聞かなくて…。
娘の気持ちも痛いほどわかるのですが、これで将来まで閉ざしてしまうのは違うなと私たちは…」
顔に傷がある=将来を閉ざすというのはいささか言い過ぎな気もするが、なんせ顔を横に走る裂傷、治っても跡は相当目立つだろう。
「娘もきっと意固地になっているのです、傷を残さねばならないと他の道が見えなくなっている。…本来であればこんなところで揉めるような話でもないところ、本当に申し訳ない」
「…いえ」
沈痛な面持ちだ。きっと今までこれでもかというくらい説得を重ね、今日ここまで漕ぎつけたのだろう。
「片瀬」
とんとん、と紡が肩を叩いてきた。…疲れ切った顔をしている。こういう話を聞くのはどうにも向いていないらしい。
「…もう無理…チェンジ」
「…わかったよ、じゃあご両親と話しててくれ」
終わった…という表情をされた。
「詳細はご両親から伺いました」
「…私の気持ちは変わりませんよ」
築菜さんと相対してみて一目で意思は固そうだなと感じた。
「癒師さんも絶対綺麗に癒しますって仰ってくれましたけど、そもそも治さなくていいです」
…紡、なんか他にもっとこういい言い方がなかったのか…揉めてるのわかってるだろうに。
「…ご両親の顔を立てて今日は来ていただけたと」
「そうですね、感謝はしてるんです」
「しかしまだ大分痛むのではないですか?癒せば痛みも消し去ることができますが」
「…痛みもまた大事ですから」
聞く耳持たぬ感じだ。
それはそうか、周りがどう騒いだところで結局最終的に決めるのは当事者自身。
傷の在り方を決めるのは傷付いた当人。傷込みでその人そのものであるのだから他者がとやかく言えることではない。
仕事とはいえ、こういう先が見えない説得は辛い。…なんなら僕も音を上げたい。
「…正直な話、あなたの意思がそこまで決まっている以上、僕たちにはそれに従う他ないです。他でもないあなた自身の問題なので。しかし、どうでしょう、ご両親の意思を多少でも汲んでいただけるのならば、こんな方法もあります」
解決としては、どうなのかといったところだけれど。
「あーもーいやー疲れたー!」
見送ってドアを閉めるなり、そう言って紡はソファーに飛び込んだ。
…今回は僕も疲れた、許されるなら紡のようにダイブしたいが理性が全力で止めてくる。
「…中々揉めてた案件だったな」
「中々!?めちゃくちゃでしょ!?」
恨みがましい目で睨んできながら、紡はマドレーヌを頬張る。癒術を使うとエネルギー切れするらしく、その補給には甘いものが必要らしい。冗談みたいな設定だ。
「私、癒すしかできないって!癒すとか癒さないとか揉められてもわけわかんないよ!」
「あぁいう顛末なら揉めるのはしょうがない話じゃないかな」
お互いに必死だから揉めもする。
結局、折衷案。傷は癒したものの完全には癒さず、顔の端に少し残すようにした。痛みも取りたくないとのことだったので、細かく調整しながら癒さなければならなかった紡には本当に大仕事だっただろう。しかし、そんな細かい調整ができることを知って感心した。
…折衷案とは言え、築菜さんが折れた形にはなるのかな。最初は少しも癒すことを認めなかったのだから。
「ねぇ片瀬?」
「ん?」
「私さ、間違ってなかったよね?」
すっかり日が傾き、斜陽が差し込む事務所に、少し不安そうな紡の声が響く。
「紡は依頼通りに仕事したさ」
僕は、どうだろう。もっといい説得の方法があったんじゃなかったか。築菜さんが完全に癒術を受けてくれるような、そんな完璧な回答が。
「ただ、世の中には傷を癒したい人ばかりでもないみたいだ」
「…わっかんない」
目を落とす依頼書が茜色に染まっていた。
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