第12話

その夢はそれから時々見るようになった。ひと月に二度か三度全く同じ夢だった。その夢を見るようになってから妹は僕の前に姿を現さなくなった。その日は僕がダイバーとしてこの海に潜るようになった頃と重なっている。僕は僕の意識が勝手に僕を離れて遠い過去の時間の隙間に滑り込むのを感じる。望んではいない過去の時間が濁流となって僕を押し流して行く。僕がたどり着くところはとても古い写真のように、何時も色褪せた記憶の断片のように切り取られている。僕はどうしようもなく其処に立ち尽くしている。可奈、僕は其処から君を取り戻したいんだよ。僕はレギュレターを肩に通してマスクを下ろすとセカンドステージをくわえた。風の無い午後の海は鏡を映したように静かに微睡んでいる。砂浜に伸びる突堤の外壁に添ってフィンの抵抗を防ぐために後ろ向きにエントリーして行った。壁伝いに海に入るとタンクの安定を保ちながらエントリーできる。残量計の針は充分だった。腰の辺りの深さまで来ると膝を折ってボンベを背負った。僕はそのまま地上の世界に束の間の別れを告げた。その時には僕の頭の中からは現実のあらゆる事が消え去っていた。その世界は鳥肌が立つ程の恐怖を僕に語り掛ける。そして僕はもうその世界の入り口を通り過ぎている。全身を包み込む恐怖を抱えたまま、フィンは僕の意識から離れて緩やかに上下する。

まるで死の世界に僕を誘うように。

この世界から失われて行くものは音だと言う事に気付かされる。中心に近づけば近づく程それはほとんど完璧なまでに削ぎ落とされている。そこには目に見えるものしかなかった。あるいは、目に見えるものだけがあった。まるでそれだけがこの世界の真実であるかのように。静寂の肌触りが麻酔の広がりように頭の中を急激に埋め尽くして行く。大小のごつごつとした岩の敷き詰められた海底が広がり、その上を鮮やかな色合いの海藻の丘陵が風になびく帯のようにうねりながら深みへと連なって延びて行く。その丘陵伝いに身を這わせるようにして僕はゆっくりとその深みの方へ降りながら奥へ進んで行く。いつも不思議に思っていたのだけれど、幾度となく見慣れて来たはずの海底の風景なのに、僕は記憶の中にこの風景を探し出す事が出来なかった。決められた位置からエントリーとエキジットを繰り返しても1度としておなじ風景に出会う事が無かった。僕の知らないうちに誰かがひょいと岩を持ち上げて位置を変えてしまっているとしか思えない程不思議な感覚だった。岩陰や揺れる海藻

の中に身を隠す多くの生き物たちも何時の間にかその色を変え姿を変えて行くのだ。時間が過ぎて行くに連れて目に見えるものもまた同じように過ぎて行く。僕はその過ぎて行く時間を遡るように次第に遠く深く落ちて行った。


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