第2話
〈二〉
僕はその青空をさけたくて目を瞑った。目を瞑った時、僕は奇妙な感覚がした。僕は父に声を掛けようとした。その時母がまた可奈の名前を何度か呟いた。けれど可奈は、それでも返事もせずにたぶんそのまま外を見続けているのだろう。僕の頭の中で母の声は遠い木霊のように聞こえていた。そしてやがてそれも遠退いて行った頃、忘れていた日常を思い出してでもしたかのように、また咳が出ると大変だから、向こうに着くまでおとなしくしていてねと母が言った。寒くはない?、窓は閉めておきなさい。あまり外を見ない方がいいと思うわ。怖い夢を見てしまうからとも言った。優しい言い方だったように思う。消え入るような声だった。たぶん外を見ている妹は外を見たままで、少し心残りでもありそうに、うんと答える。そして僕の方をちらっと見て僕の隣りに座る。まだ足が座席の下に届かない。そしてかるく微笑んでから手に持っている水筒のキャップを取って水を注ぐ。彼女は美味しそうに一口水を飲む。僕たちの秘密の場所にある湧水を妹はいつも水筒に汲んで来て持っていた。まるでその水が大切な宝物であるみたいに。水筒?と僕は思った。
車はスピードを上げなかった。僕はずっと目を閉じたままシートに埋もれていた。町の中を通る事が判っていたからだ。町を通らなければ高速には乗れない。町はその姿をほとんど留めていなかった。もう町とは呼べない町、町ですらなかった。僕はその町が好きだったのだろうか。町が好きと言う感覚ではなかったように思う。処々にある幾つかの場所がきっと僕は好きだったのだ。その場所にあったものを、あるいはそこにしか無かったものをだ。シートに埋もれて僕は、僕の中の意識の世界が僕を連れてゆっくりと移動して行くのを感じていた。僕の十才になったばかりの最後の春はもうすぐ別の見知らぬ場所に移って行こうとしている。
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