第5話:メイド長と執事長

 初めて紅茶を淹れてみたが、やはり素人がやるものではないな。


 紅茶とコーヒーは、淹れるに当たって一つの共通点がある。


 それは、時間だ。


 コーヒーなら気温や湿度などに合わせ、最適な時間お湯で蒸らし、最適な注ぎ方をする。


 紅茶ならば葉を舞わせる時間と、蒸らす時間だろう。


 素人が何も知らずに淹れれば…………まあ不味い不味い。


「よし、準備出来ましたわ」


 どうやらリディアの着替えも終わったようだな。

 

 貴族の娘ならば、使用人が着替えさせるのが普通だと思ったが、自分で着替えられるんだな。


『一応屋敷内の地図をインストールしておくよー』


(もう少しちゃんとした言い方はないのか……)


 一々探索しなくて済むのは助かるが、俺はパソコンじゃないんだぞ。


「それじゃあ行きましょうか。手筈は大丈夫なんですよね?」

「も、勿論よ! 私に任せなさい!」


 あ、これは何も思いついていない奴だな。


 アクマに言われた通り、先手を打っておいて良かった。


 歩き出したリディアに続いて部屋を出る。


 廊下を歩いていると、通りすがりのメイドや執事が怪訝そうに俺を見てくる。

 

『歩き方は注意するんだよ。今はメイドなんだから……プフ』


 俺で遊ぶアクマには腹が立つが、苦労せず生活基盤が手に入るのは俺が望むモノでもある。


 これは仕事だ。仕事であるならば、大丈夫だ。


 俺の心は死んでいる。

 

 そんな言葉を唱えていると、リディアが大きな扉の前で足を止めた。


 現在俺は、リディアの斜め後ろに付いて行ってる形だ。

 

 何故この位置なのかは知らないが、アクマがそうしろと言っているのでそうしている。


 リディアがどの様な表情をしているかは分からないが、身体が震えているので、緊張しているのだろう。


 ならば、発破を掛けてやろう。


「開けないのですか?」

「あ、開けるわよ。良い事。中に入ったら、私が許可を出すまで話しては駄目だからね。分かった?」

「善処します」


 やっと覚悟を決めたのか、リディアは扉を開けた。


 中には大きな長いテーブルがあり、バッヘルンとその妻であるクエンテェ。

 

 弟のネフェリウスが座っている。

 

 一応姉であるスティーリアも居るが、姉は学園の寮に居るので、この場には居ない。


「遅いぞ。アインリディス」


 威圧感のある、低い声。


 視線はリディスではなく、後ろに居る俺へ向いている。


「あら? そちらのメイドは一体誰?」


 あっ、クエンテェが俺について聞いたせいでめっちゃ動揺してる。


「こ、このメイドは……メイドは……」


 何か話そうとしたリディスだが、声は直ぐに小さくなり、チラチラと俺を見てくる。


 全く……無理ならば無理と言えば良い物を。


(アクマ。身体の操作だけ頼む)

 

『了解。第一印象が大事だから、しっかりと決めないとね』


 これは仕事これは仕事これは仕事これは仕事…………よし。


 リディスの隣に並び、カーテシーをする。


「今日からアインリディス様の専属メイドとなるハルナと申します。お嬢様を起こすのが遅くなってしまい、申し訳ありません」


 クエンテェは一瞬固まった後に、バッヘルンの方を向いた。


 ネフェリウスはチラチラと此方を見てくるが…………ふむ、まあいいか。


「おほん! アインリディスももう直ぐ学園に入学するからな。知り合いの伝手で、遠方から凄腕のメイドを呼んでもらったのだ」

「あら、そうだったのね。まるでお人形さんみたいだけど、貴方が呼んだのなら心配ないわね」


 凄腕どころか完全に素人となるのだが、否定しなくても良いだろう。


 リディスは驚きで固まった後、物凄い顔で俺を睨んだ後に椅子へと座った。


 部屋の壁には数人のメイドと執事が控え、リディアが座ると食事を運んできた。


「ハルナも座ると良い。メイドとは言え、君は客人となるのだからね」


 貴族らしく、皮を被るのが得意だな。


 即興で考えたとは思えず、全く持って自然だ。


「いえ。今の私は一介のメイドですので、お気になさらないで下さい。当主様」

「う、うむ。そうか。そうそう。この後メイド長と執事長紹介するからよろしく頼む」

「畏まりました」


 掴みは上々といった感じだな。


 クエンテェからの視線は悪くない。


 ネフェリウスはあまり良い感情を持ってい無さそうに見えるが、今は壁の一部となっていよう。


 ただ突っ立って居るだけならば暇だが、俺にはアクマやエルメスなどが居るので、いくらでも暇は潰せる。

 

(念話みたいな感じで、リディスと話す事って可能か?)


『可能と言えば可能だよ。距離の制限はあるけどね』


 …………これって先に聞いておいた方が良かった気もするが、まあ良いか。


(なら出来るようにしといてくれ。口裏を合わせるのに役立つからな)

 

『了解。念じて話せば伝えられるよ。距離は大体半径五キロ位までかな』


 そんなに距離は必要ないと思うが、後で念話をしてみるとしよう。


 今話しかければ、飲んでいるスープを噴き出すかもしれないからな。


 


 

 


 

 

1




 




 三十分程壁と一体化していると食事が終わった。


 ボケーっと食べている物を眺めていたが、可も無く不可も無くと言った所だろう。


 食べ物何て食べられれば基本的に何でも良いが、あまりにも酷い様なら自分の物は自分で作るとしよう。


 バッヘルンは食事が終わると執事に何やら指示を出し、それから俺の方に来た。

 

「それじゃあ、ハルナは付いてきたまえ」

「承知しました」


 心配そうにリディアが俺を見てくるので、無視してバッヘルンの後に付いて行く。


「アインリディスにどうやって取り入ったんだ?」


 周りに注意を払いながら、小さい声で聞いてきた。


 召喚されたと言っても馬鹿にされるだけなので、適当なカバーストーリーで良いだろう。


「逆ですよ。向こうが私に取り入ったんです。安心して下さい。彼女の教育もちゃんとして上げます」

「……そうか。何とかなるのかね?」

「それはやってみなければ何とも。ですが、貴方が誇れる程度には仕立て上げて見せましょう」


 バッヘルンは軽く笑い、「そうか」と呟いてからは無言で歩く。


 そして着いたのは、俺が侵入したバッヘルンの執務室だった。


 中には老齢の執事と、二十代程度と思われる女性が待っていた。


 どちらも背筋がピンと伸びており、とても真面目そうに見える。

 

「待たせたな。お前達に紹介したい人物が居てな」

「そこの少女ですか?」


 執事は目踏みする様に俺を見るが、それも僅かな間だけであり、直ぐにバッヘルンの方を向いた。


「ああ。アインリディスの専属として雇うハルナだ。特別扱いをしろとは言わんが、面倒を見てやってくれ」

「アインリディス様のですか? これまで放置していたのに、なぜ今になって?」


 メイドの方が責める様な視線をバッヘルンに向ける。

 

 使えないと分かるや否や使用人の館に移し、雑に扱っていたのだからそんな疑問が湧いてもおかしくない。


 このメイドがどちら側の人間なのか、見定めさせてもらおう。


「此処で駄目でも、学園でなら或るいはと思ってな。私も親である以上、出来れば子には期待したいのだよ。甘やかすよりも、突き放した方が成長してくれると思ったのだが…………相変わらずなのだろう?」

「そうですね。勉学の方は問題ないみたいですが、それ以外は駄目かと」

「平民ならともかく、我々は貴族だ。貴族には貴族の責任と義務がある。義務を果たせないならば、子供とは言え、責任を取らなければならない」


 言っている事は正論だが、俺が来なければさっさと見限って金の足しにしていた事を考えると、何とも笑える話である。


 それが貴族としては当たり前の対応だとしても、親の対応としたら駄目だろう。

 

「そうですか。そのハルナは使い物になるんですか? 見た限りアインリディス様より幼いように見えますが?」


 これでも設定上だと十二歳となるのだが、やはり幼く見えてしまうか……。

 

 実年齢だとしても、この中では一番幼くなってしまうかもな。


 二十七歳だし。


 「ハルナはメイドとしての仕事よりも、アインリディスを鍛えるために呼んである。仕事の方は分からないが、強さだけは保証しよう」

「……なら、試させていただいても宜しいですか? こちらのハルナが、どれ程のものか?」

「う、うむ。良いぞ」


 少し狼狽え、俺の方ほうをチラチラと見ながら、バッヘルンは勝手に承諾した。


 魔法少女としてならともかく、この姿では使えるのは二属性だけであり、魔法はまだ一度しか使っていない。

 

 勿論武器の類はこれまで…………いや、剣やら大鎌やら使ってきたか。


 このメイドがどれ程のものか分らんが――楽しみだな。


(アクマ。助言は無しだ。俺一人で戦う)


『ふーん。ハルナがそうしたいなら良いけど、大丈夫なの?』


(さあな。詠唱やら魔法やらはざっくりと覚えたが、これが初戦だから何とも言えん。最悪死にそうになったら、魔法少女に変身すれば良い)


 バッヘルンを睨んでいたメイドは俺の方を向き、軽く頭を下げる。 

 

「自己紹介がまだでしたね。私はメイド長を務めている、ゼルエルと申します。今後どうなるかは承知しかねますが、お見知りおき下さい。ついでにこちらは執事長のジャックです」

「執事長のジャックと申します。助言ですが、ゼルエルと戦うのは止めておきなさい。いくらバッヘルン様が呼んだとはいえ、ゼルエルと戦うのは人生を棒に振るのと同じです」 


 向けてきた視線とは裏腹に、ジャックさんは俺の事を心配してくれているみたいだ。


 それ程までにゼルエルが強いのか、はたまた侮られているのか……。


「御心配には及びません。相手がどなたであれ、命令ならば従うまでです」

「……そうですか」


 ジャックさんは諦めたのか、軽くバッヘルンに視線を向けた後は、身を引いた。


「安心してください。殺すような真似は致しませんから。まあ、骨の二、三本は折れるかも知れませんがね」


 何とも物騒なメイド長だ事で。


 だが、このメイド長からは悪い感情を感じない。

 

 どちらかと言うと、ワクワクしている様な気配がある。


「おっほん! まあハルナの実力を見る良い機会だろう」

「時間も惜しいので、直ぐに始めましょう。準備が出来たら屋敷の裏手に来てください。それでは失礼します」


 綺麗な姿勢で頭を下げ、メイド長は部屋を出て行ってしまった。


 メイド長と言うだけあり、歩き方や立っている姿は綺麗なものだ。


 綺麗な手本があると、学ぶのも楽となる…………俺の精神に多大なダメージを与えることになるが、仕事ならば完璧を目指すものだ。


 さて、裏庭にだか裏手に行くとしよう。


「それでは私も失礼します」


 先程のメイド長を見習って礼をする。


『七十点!』


(赤点じゃないなら、上出来だ)


「う、うむ……念のため言っておくが、互いに殺し合いはせぬようにな。一応見学はするが、この家で一番強いのはゼルエルだ。あいつを止められるのは誰もおらん。武器はあるのか?」

「いえ。無くて大丈夫です」


 驚く二人を無視して、部屋を出る。


 戦うのならば、目指すのは勝利だ。


(魔法の練習したいから、着いたら結界を頼む)


『良いけど、練習出来る時間なんて十分もないと思うよ?』


(魔法の使い方が分かれば、後はどうにでもなるさ。威力が高すぎて、殺してしまったなんてなりたくないからな)


 魔法体系はこの世界のものだが、魔力はこの世界のものではない。

 

 しっかり調整をしないと、ライトの時とみたいな悲劇が起こる。


『了解。ただあまり無茶はしないようにね。まだ魂と身体が定着してないんだから』


(…………善処する)

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