第4話:どうも。通りすがりのメイドです
「ふむ。まだ降り続いていると思ったが晴れているな」
いつもより早く目がさめた男は執務室にある窓から。夜が明け始めた空を目を細めながら見ていた。
男の名はバッヘルン・ガラディア・ブロッサム。
リディスの父であり、絶妙に勘違いされている男である。
リディスは役立たずなので殺されると思っているが、どんなに役立たずでも娘を殺そうとは思っていない。
実はこの件にはリディスの姉が関わっているのだが、それを知るのはアクマ位だろう。
バッヘルンは椅子へと座り、軽く資料に目を通し始めた。
執事やメイドが起床するまでは少しだけ時間があり、自分の都合で起こす程、バッヘルンは外道ではない。
今日の朝食はなんだろと考えながら仕事をしていると、突然扉を叩く音がした。
チラリと時計を見れば、まだ執事達の起床時間まで三十分程ある。
早めに起きた誰かが、気付いたのだろうか?
「誰だ?」
「通りすがりの就職希望者です。入室しても宜しいでしょうか?」
バッヘルンの動きが止まった。
此処は侯爵家なだけあり、執事やメイドが寝ている時間でも、警備の者は起きている。
そしてアポイントの無いものは基本的に追い返すし、そもそもこんな非常識な時間に訪れる者が居れば、王族でもない限り追い返すだろう。
ならば、いま扉の後ろから聞こえる声はなんだ?
賊……。
大声を上げようとするバッヘルンだが、ふと後ろから違和感を感じた。
「大声は出さないで下さいね。あくまでも話し合いに来ましたので」
後ろから聞こえた声に反応して振り返ると、そこには一人の少女が居た。
「なに……者だ」
暴れそうな心臓を抑え込み、冷静に見える様に振る舞う。
「通りすがりのメイドです」
侯爵家の家へ誰に見付からず入り、当主の後ろに音も無く現れるメイド。
そんな奴が居てたまるかと、バッヘルンは奥歯を噛み締める。
それなりに戦うことが出来るバッヘルンだが、相手の強さが未知数な以上、下手に手を出す気はない。
もしも殺されてしまえば、その時点で終わりだ。
「そうか……用件はなんだ?」
落ち着く意味も込めて、バッヘルンは椅子へと座り、メイドを見据える。
背は低く、歳は十代前半位だろう。
白く長い髪に、黒く染まった眼。
まるで人形のような姿は、いっそ芸術品である。
だが美しいと感じるよりも、不気味で冷たい印象を受ける。
「貴方の野望の手助けをして上げようと思いまして。公爵に――なりたくないですか?」
バッヘルンの眉がピクリと上がった。
それは、誰にも話していない事だ。
仮に口出し、相応の場所へ漏れ出れば、バッヘルンは罰せられ、最悪の場合処刑される。
「何を馬鹿なことを。私がその様な事を考えている訳ないだろう。それに、公爵は血によって決められている地位だ。幾ら頑張った所で……」
「手柄を立て、公爵の内一家が取り潰しとなり、王家の血を入れる事が出来れば…………どうです?」
まるで心の中を見透かされている様な声に、息を呑む。
それはバッヘルンが、考えていたプランそのものだった。
上手くいくとは思っていないが、有り得ない方法ではないのだ。
過去にも公爵家の入り替えは何度か起きており、可能性としてはゼロではない。
しかも四つある公爵家の内、一つが不穏な動きをしているのを、バッヘルンは捉えていた。
だがバッヘルンが扱える情報や武器ではどうしようもなく、静観する以外何も出来ない。
「学園入学を控えているアインリディスが王族の目に留まり、うまく公爵家の粗を掴める情報手に入れる事が出来れば……手柄としても、血を取り込む理由としても足りえるモノではないでしょうか?」
それが可能ならば、僅かばかりでも可能性が見えてくる。
しかしアインリディスは魔法が使えないので、そんな未来は来ないだろう。
だが……。
「迷っているみたいですね」
「な、何がだ?」
声が震え、動揺しているのだと、今になってバッヘルンは理解した。
頭では駄目だと分かっていても可能性があるのならばと、弱い心が揺れ始めている。
上に登る事が出来るのならば……。
目の前に居る少女をもう一度よく見る。
全く動かない表情に、精巧な形をした美しい顔。その表情は動かず、まるで人形と話しているようだ。
一体何を考えているのか?
そもそも本当に人なのだろうか?
「……何が目的だ?」
そう、口に出すのが精一杯だった。
「私を貴方の次女の専属メイドとして雇って下さい。そうすれば、手助けして差し上げます」
「――本当にそれだけで良いのか?」
「はい。不安や戸惑いもあるでしょうが、時間は沢山あります。それで、返答は如何ですか?」
悪魔の誘いか。それとも天使の囁きか?
仮にこの話を持ち掛けてきたのが少女ではなく大人ならば、敵対派閥の工作や罠だとも考えられるが、あまりにも現実味が無さすぎる。
「――もしも断れば、どうするつもりだ?」
交渉は先に引いた方が負けだ。
「貴方にはなにもしませんよ。ただ、貴方が公爵になることはなくなる。それだけです」
言葉の裏を考えるが、この少女が告発したとしても、信じるものは誰もいないだろう。
つまり、本当に何もしないだけかもしれないし、邪魔をしてくるのかもしれない。
おそらく、端から選択肢は無かったのだろう。
現状維持に満足出来ていない以上、降って湧いたチャンスを不意にする勇気を、バッヘルンは持っていない。
何より、この少女から発せられる威圧に押しつぶされていた。
「――分かった。君を雇い入れよう」
「賢明な判断かと思います」
スッと差し出される手。身長に見合ったその小さな手を見て、どの様な意味かを問うため、バッヘルンは少女の目を見た。
「身構えなくても大丈夫ですよ。ただの友好の握手です」
「侵入をしておいて友好とはな……」
「それ以外では会う事なんて出来ませんからね」
ここで握手を断る様な事はしない。
契約は結ばれたのだ。
バッヘルンが野心を燃やし、上へと上り詰めるための契約が。
小さく冷たい手を取り、契約を確かなものとする。
「ああ。一つ言い忘れていた事がありました」
握手を解き、数歩離れた後に少女は後ろに振ると、少女の足元に魔法陣が現れた。
バッヘルンは身構えようとするが、少女が自分を害するはずがないと考え、ただジッとその後姿を見つめる。
「私の事はハルナかイニーとお呼びください。それではまた、お嬢様と共に来ますので」
少女……ハルナは魔法陣と共に忽然と消え、部屋にはバッヘルン一人が残された。
「転移……だと」
魔法使いの頂点にしか許されない、最高難易度の魔法。
それをハルナは、自分の目の前でやってのけた。
驚きと安堵。
そして、喜び。
あれの……ハルナには実力がある。
ならば、あのでき損ないの娘にも役割が出来る。
何故メイドなのかは分からないが、この野望が叶うのならばどうでも良い。
「フフ……ハーハッハッ!」
思わず笑いが出てしまった。
だがその笑いも直ぐに止むことになる。
あまりにも……あまりにも不自然なのだ。この空間は。
生活音も、鳥のさえずりも聞こえない。
転移だけではない。それ以外にも、何かしらの魔法が使われている。
その事に気付いてしまった。
バッヘルンにはハルナがどれだけ強いか分からない。
ただ、かの少女が理の外に居ることだけは、理解できた。
そして、扉を叩く音と共に、バッヘルンの部屋に展開されてい結界は消え失せるのだった。
1
「はっ! どうしましょう!」
リディスは起きると共に叫んでしまった。
ハルナをどうやってメイドにするか、全く案が浮かばないまま寝てしまっていたのだ。
リディスは疎まれているので、何か頼んでもあれも駄目、これも駄目と全て拒否されてきた。
勉強に関係あるものは許されるが、それ以外は全て結果を出すまでは駄目だと言われてきた。
メイドとはこの世界では結構な高給取りだ。
しかも基本的になれるのは貴族か、一部の優秀な平民位だ。
ぽっと出の少女がなれるものではない。
布団の上でしばしの間、じたばたしていると、リディスは不意に鼻を突く紅茶の香りを感じた。
一応貴族の娘なので、身の回りの事をやってくれるメイドはいる。
だが、基本的に呼ばなければやってこない。
使用人達はなるべくリディスと関わるなと、バッヘルンに命じられているのだ。
だから朝などはリディスは自分で紅茶を入れ、自分で着替えている。
つまり、紅茶の匂いがするのは可笑しいのだ。
ベッドから起き上がり部屋を見渡すと、見慣れない白髪の少女が紅茶を飲んでいた。
着ている服はメイド服なのだろうが、 ブロッサム家で支給されている奴よりも上等に見える。
静かに紅茶を飲む様は貴族顔負けの気品があり、見ほれるものだった。
一体誰なのか?
「目が覚めましたか。飲みますか?」
「貴女は……誰ですか?」
まるで等身大の人形。
「ああ。此方は知りませんでしたね」
少女が指を鳴らすと光が少女を呑み込み、地下室で見た青い髪の悪魔が姿を現した。
そしてまた直ぐにメイド服の少女へと戻る。
メイド服の少女は、昨日召喚した悪魔だった。
「身を隠すための依代……と言ったところですね。服の事は気にしないで下さい。私も不本意なので」
「そ、そう」
どうして二つの姿があるのか?
気にはなるが、今はそれよりも大事なことがある。
どうすればメイドを雇って貰えるか?
当の本人は、既にメイド服を着てやる気満々だ。
これでもし駄目となった場合、この悪魔は何をするのだろうか?
「飲まないのなら良いですが、もうそろそろ朝食の時間では?」
「えっ?」
リディスが時計を見ると、いつも朝食を食べる時間になろうとしていた。
朝だけは家族で食べるのが、ブロッサム家の仕来たりなのだ。
それはリディスとて例外ではない。
「ヤバいじゃない! 急がないとまた怒られちゃう!」
「着替えさせることは出来ないので、頑張って下さいね」
とにかく急いでリディスは着替えを始めた。
また一応中身が男のハルナだが、少女の着替え程度で動揺する精神は持ち合わせていない。
リディスが着替え終わるまで、不味い紅茶をゆっくりと飲んでいた。
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