Number 009「オカマチェイサー」



 暗殺者集団〈暗翳蛇道宗あんえいじゃどうしゅう〉──。

 鳳国には幾つもの犯罪組織、邪教結社、殺人道場が存在しているが、〈暗翳蛇道宗〉は如何にもな名前の通り、暗殺に特化した専門組織だ。

 黒色の頭巾を被り、蛇を模した刺青を彫り、暗器を用いた毒殺を好んで使う殺し屋ども。


 暗翳──それすなわちは、くらかげ

 蛇道──それすなわちは、死して蛇身に生まれ変わる因業に満ちた生涯。


 暗翳蛇道宗とは、言うなれば暗殺に生きる人生こそを本望と定めてしまった、根っからのイカレポンチカルトである。


 どんだけ人殺したいのだろう? 頭おかしいんじゃないか? もちろんおかしい。


 ちなみに、毒殺を好んで使うと言ったが、別に気功や妖術だって使うヤツは使ってくる。

 俺は背後から猛スピードでこちらを追跡してくる変態のおかげで、ようやく黒頭巾の暗殺者の正体を察していた。

 今さら察したところで、事態はあまりにも遅きに失しているし、むしろ、敵のヤバさがよりハッキリとしてしまったことで、ストレスホルモン……ノルアドレナリンが脳内でドピュドピュ過剰分泌されている。……ぅ、ヴォエッ!


 ──自分、吐いてもいいっすか?


「チィッ……! 意外と逃げ足が速いわねッ、皇太子! 絶対逃がさないわよッ!」

「イヤだあぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ──!!」


 変態は足がとても速かった。

 しかも、大柄で筋肉質な体型をしているのに、足音はひとつも立てていない。

 あんなナリをしているクセに、身のこなしは一流の暗殺者。

 下腹部に彫られた、とぐろを巻いた蛇の刺青。

 抜き身の刃もさながら、鋭く屹立した男のアレ。

 黒頭巾に全裸というふざけた格好はもちろん、視界に飛び込んでくる情報は、どれも淫猥で極めて嫌悪感を醸す記号の羅列だ。


 このオカマの名は、バン亜門アモン


 暗翳蛇道宗の幹部に名を連ねる、ウルトラ変態暗殺拳の使い手にして、宮中でもその名が轟くほどの指名手配犯。


 過酷な修行と、複数の肉体改造により獲得したと云われる超軟体体質者で、脱臼を自在とし、ナメクジのように地面を這ったり、猫や犬が通るような獣道でも、楽々通り抜けるといったキモキモ生態を持っているそうだ。


 万・亜門の暗殺は、そういったキモキモ生態を活かしての狭所を利用した潜入、隠密、ターゲット撃破の流れが多いとかで、服を脱いでいるのは状況によって骨格レベルで体格が異なり、グニャグニャと身体が捻れることもあるため邪魔だからだとも噂されている。


 あと、戦闘中というか仕事中は、常に興奮状態のため血流が加速して勃起が止まらない。


 そんな、ゴミも同然の情報がゴリラから聞かされた記憶がある。

 可能ならばその存在とともに、一刻も早く我が海馬から消し去りたい。


 しかし、万・亜門は残念なことに、己が肉体こそを至上の暗器と誇るオカマ。推定三十路。


 気功の操作にはかなり長け、超人として覚醒している歴も俺より遥かに長い。

 床板の隙間から、サダコみたいに登場した先ほどの光景は、完全に鳥肌ものだった。

 ……一応人間のため、さすがに常時鋼鉄を弾いたり、斬りつけられても傷一つ付かないなんてコトはないだろうと思うが、並の剣士じゃパパッと武器破壊されて、容易に返り討ちにされてしまうだろう。つまり俺は危うい。


 寸勁すんけいと呼ばれる武術打法。


 ゴリラは万・亜門を、それの妙手だとも語っていた。

 ゼロインチでも打ってくるし、何ならロングレンジでも衝撃波を飛ばして人体破壊を可能にするらしい。


 ──威力は、たしか掌底を食らったゾウの体が、爆発四散する程度。


 世界観が違いすぎるので、頼むから世紀末に帰ってくれ。


「護衛──! 出てこいッ、護衛──!

 ……クソっ! なんで今日はこんなに助けに来るのが遅いんだ……!?」

「ハッハッハッ! さては見捨てられたんじゃないのォ!? ザマァないわねェ!」

「チクショウ!」


 悪態をつかずにはいられない。

 この様子じゃ、たぶんだが宮殿常駐の衛兵たちも、買収済みか脅迫済みか。

 あるいは、天萬のクソ野郎ではなく、背後の変態に始末されてしまったのか。


 日頃から、俺の身辺にはロクな警護がつかないことで有名だが、今日はさすがに様子が違う。


 普通、これだけ皇族の寝所が騒がしくなれば、誰かしらは状況を把握しに動き出すものだ。

 俺がいったい、何のために恥も外聞もなくこうして叫び散らかしてると思ってる?

 すでに走り始めて、体感百メートルを超えた。

 あと幾許かの敷居を股げば、皇族以外の人間の生活居住圏にも届く。

 だってのに、これだけ泣き声をあげても、未だに誰の気配も感じない。


(どうやら、事前に人払いまで徹底したみたいだな……!?)


 亜門の嘲りも、それが分かっているから躊躇いが無いのかもしれない。

 寝込みを無言で襲うのでもなく、普通に名乗りをあげて殺そうとして来たし。


「……っ!」


 息を飲み、俺は逃走経路を第二のプランへシフトさせた。

 こうなったら、採れる選択肢は数えるしか無い。

 蒼・空燕。

 あるいは、狩・雲鷹。

 俺が助けを乞えば、間違いなく救いの手を差し伸べてくれる人間。

 彼らに助力を求める。


 ……一瞬、天萬の野郎のとこまで駆けつけて行って、強制的に鉄火場に巻き込んでやろうかとも思ったが、アイツの私室は同じ宮中でも一里──三キロは遠い。


 それに、ヤツ自身が今晩どこにいるのか、正確なところはまったく抑えていないし、仮にも皇太子暗殺の恐れがある夜に、野郎が宮中に留まっているとも思えなかった。


 ならば、確実なのは居場所を抑えている二人の師の内、どちらかを頼ること。


 狩・雲鷹は皇族の狩猟指南役とは別に、日頃の宮中料理の元となる食材調達の仕事も担当している。

 利便性と実利を取る男なので、普段の寝食は厨房近くの食材貯蔵倉──そのちょっと隣にある庭園豊かな庵。

 ネックなのは、狩りというどうあっても生き物の殺生と切り離せない仕事の都合上、皇族の現在地からはやや遠い点だ。

 しかし、行けば確実に鉈などの武器も手に入り、雲鷹を敬愛する狩猟衆の男たちも、味方につけられるだろう。

 日頃の宮中散歩が役に立つ。


 一方で、蒼・空燕の場合は時間と距離という面で、遥かにメリットが高い。


 なぜなら、空燕先生が仮の住居としているのは〈雪華宮〉──俺が所有しているあの離宮だ。

 身重の白銀姫に鳳皇が唯一贈ったプレゼントだとされ、すなわちは皇族にとって、完全なプライベート空間。

 今じゃもっぱら、俺ばかり行き来している場所だが、あそこであれば雲鷹の庵よりも近い。

 空燕先生の俺への好感度も、この頃は妙に上がっているし、蒼家飛燕流剣術が華麗にオカマを切り裂いてくれるだろう。南無三ッ!


 ──逡巡は刹那。


 俺は迷いを切り捨て、〈雪華宮〉へと舵を切った。

 単純に考え、体力の持続を懸念したからだ。

 しかし……!


「──バァッ!」

「なっ!?」

「追いかけっこはおしまいよん」


 万・亜門はついに俺を追い越すと、ふざけたニヤケ眼で首根っこを掴み、そのまま思い切り明後日の方向へ投げ飛ばした。


 身体が宙を舞う感覚。


 そして墜落した。

 俺は咄嗟に頭を丸め、ゴロゴロと庭の石畳を転がる。

 背中や太もも、肩などをしたたかに打って超痛い。

 擦過傷もたくさん出来たし、ああ、もう、めちゃくちゃ痛ぇよクソ……

 痛覚信号の告げてくる純粋な刺激の嵐に、俺は思わず「グホッ!」と呻いた。


 ──ヤバい。これは、ちょっとヤバい……


 ヨロヨロとふらつきながら立ち上がる俺に、亜門はニヤニヤした顔で歩み寄る。クソが。もう最悪としか言えない。なんだって俺は、こんなド変態に苦しめられなきゃいけないんだ……?


「せめて、まともに服を着ろよ……!」

「あら。私、他人に見られて恥ずかしい身体はしてないのよね」

「存在が恥ずかしいことを自覚しろッ! つか、ならなんで顔は隠してんだよッ!」

「そりゃ、暗殺者の基本じゃない。私たちは、暗き翳に生きる蛇道の徒……殺し殺され因果に生きる。

 でも、だからって手を抜いていいワケじゃない。ちゃんと素性を隠して、ちゃんと恨みを買って、いずれ誰かが正体を暴くまで、素知らぬ顔をして天下の往来を闊歩する──それこそ、暗殺者にとっての華ってものだと思わない?」

「……」

「ま、生まれながらに高貴な出自の貴方には、難しい話でしょうけどねぇ」


 亜門はペラペラと語った。

 聞いたのは俺だが、これから殺そうって相手を前にして、なんてお喋りなヤツなのだろう。

 悪党には悪党なりのポリシーだったり矜恃があるってか?

 被害者にとっちゃ、知ったこっちゃない話だ。コイツら全員、クソ喰らえ。地獄に落ちろ。

 亜門も天萬も、天萬に手を貸した連中も、いずれ必ず処刑台に送ってやる。


(──燃えるぜ)


 憎しみの炎が。

 メラメラメラメラ、熱く燃える。

 俺は覚悟を決めた。

 懐から護身用の短剣を取り出し、空燕先生に教わった通りカラダを揺らす。

 右に左に、呼吸を意識し……


「……無様ね。剣を抜くのはいいけど、フラフラじゃない。頭でも打った? いいのよ? 諦めても。

 最初から、子どもが私に勝てるワケがないんだし。それに貴方、皇族なのに気だって使えてないでしょ?」


 それでよく、あそこまで走ったものだわ。

 亜門は褒めるように猫なで声を発する。

 俺は黙ったまま、身体を揺らし続けた。

 バカが気分よく騙されてる間に、可能な限り準備を整える。


「──────」

「……そう。いえ、よく分かったわ。その歳にして良い覚悟ね? さすがは鳳家の血筋ってところかしら?

 父親は何も考えていない荒くれ者だし、疾うに腐り果てたと思っていたけど……貴方はもしかすると、いい皇帝になったのかもしれないわね」


 過去形で語る亜門は、すでに己が優位を確信し、俺という弱者を完璧に侮っていた。

 悪党の驕慢、外道の思い上がり。

 きっとコイツは、こうして何人も殺してきたんだろう。

 偉そうに、上から目線で、自分に酔いしれながら。

 俺のふらつきは、一定の律動リズムを得て『舞』の初動となっている。


 だが、驕り高ぶる亜門はそれに気がつかない。


 目の前のクソガキが、自分に歯向かうだなんて、想像すらしていない。

 強者の油断。

 こちらを逃げるしか能の無い雑魚だと思い込んでいるなら、一か八か、目にもの見せてくれる。


「──ふぅ。よく見ると、将来は結構いい男になりそうだし、本当に惜しいわぁ……でも、これも仕事なのよねっ! 分かった。じゃあ、最後に貴方に敬意を表して、一撃くらいは許してあげる」

「え、いいのか? なら遠慮なく」

「ふぁ?」


 蒼家飛燕流、四の型『逆巻』

 身を回転させながらの跳躍。

 そのまま、俺はひらり舞うように虚空を駆け上がり、呆ける万・亜門を逆斜めに三周ほど斬りつけた。

 血が、盛大に吹き上げる。


「────ンなっ、なぁァんでっっすッッてえェェェェェェェェエェェェエェ──ッッ!!??」


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