Number 008「右丞相の嫉妬」
「プルラァァァァァァァァァァアア──ッッ!!」
宮中のとある一室で、豚と猿を混ぜたような奇声が突如として発せられた。
豪奢にして華美、派手にして絢爛。
部屋の内装も調度品の数々も、何もかも一流の匠によって手掛けられた要人用の私室。
部屋の主、大帝国『鳳国』の右丞相──蠍・天萬は、血涙を流さんほどの勢いで憤悶していた。
天萬の手前には妖しげな水盆が置かれ、ユラユラと中身の水が波打っている。
右丞相は、その水盆にくっつきそうになるほど顔を近づけて、血走った目で絶叫したのだった。
「殿下ァァッ! 殿下ァァ……ッ! うおおおおぉ、おおぉぉおぉッ、いけませぬいけませぬ……! そのような下賎の輩に身を預け、ああっ、あまつさえっ! 抱擁までお許しになるとは──フオオオオォォアアアアッ!! 同じ男でも良いのなら、天萬でもよいではありませぬかアア……ッ!!」
天萬の視界には、殿下と呼ばれた銀色の幼子と、蒼衣の剣客が仲睦まじい様子で抱き締め合う光景が映っていた。
距離にして、およそ一里は離れた空間の遠見。
水盆には妖術がかけられており、使用者の知己がいま何をしているのかを映し出す働きがあるものらしい。
大昔の仙人が作成したと伝わっている古道具であり、さすがに音までは聞こえてこないが、天萬はこの水盆を使って、様々な敵の内情を盗み見て来た過去がある。そしてきっと、これからも私欲のために使い続けるだろう。
──しかし、
「い、いかん……! 嫉妬と羨望から脳がァッ! ぬおおおおおおおぉぉッ!!」
天萬は醜く床を転げ回った。
自身の歪んだ性癖から、銀色の幼子──玉瑛に対し、天萬は並々ならぬ関心を抱えている。
妻帯者であり、娘を愛し、けれどそれはそれとして、
──これはきっと、前世からの宿業であろう。
美しいものを自分の手で手折り汚すことに、天萬は生来、ひどく興奮する
そのため、兼ねてよりあわよくばと狙っていた玉瑛が、他人……それも同性……とスキンシップを重ねているのを見て、脳が破壊されそうな錯覚に襲われているのである。
相手が女であれば、まだ許容できる。
天萬にも一応、その程度の寛容性はある。
だが、同じ男となると、途端に嫉妬が濁流のように押し寄せ、体の中を氾濫しそうだった。肉がブヨブヨとのたうってしまう。
娘の婚約者であるとか、相手が皇太子だとかは、このさい関係ない。
ただ純粋に性的な欲求から、天萬は気も狂いそうになるほど玉瑛に執着している──が。
「フゥッ! フゥッ! …………フゥ」
しばらくし、天萬は自身を慰めることで気を落ち着かせた。
スッキリとした面持ちでスックと立ち上がると、先程までの醜態もどこへやら、鳳国右丞相にまで上り詰めた狡猾で野心家の男の顔に戻る。
……さて。
(思った通り、やはり無能ではありませんでしたな)
天萬は水盆に戻り、鍛錬を再開した様子の玉瑛を覗く。
予想外といえば、蒼・空燕はいささか以上に荒っぽい指南役だったようで、こうして盗み見る稽古の様子は、通常の貴士族に施されるものとは明らかにレベルが違ったコトか。
武術について少しでも明るいものがこれを見れば、一目で異常を察しただろう。
このままいけば、玉瑛はそう遠からずして目論見通りの強さを獲得するに違いない。
気栓体質とやらも、問題なく解決されたように見える。
気絶する回数も、徐々にだが減って来た。
(つまり、皇族の
わざわざテキトーな刺客を見過ごさせ、追い込みをかけてきた甲斐もあった。
次に顔を合わせれば、恐らく、いや確実に吐き捨てる勢いで「死ね」とまた
天萬の業界では、美少年からの悪罵は甘露そのもの!
「──フ、フフフ、フハハハハ、フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!
まっっっったくっ、最高ですなァァァッ、玉瑛殿下は!」
だからこそ、手に入れる価値がある。
今後もぜひ、価値を示し続けてもらいたい。
蠍・天萬は朗らかに哄笑して目を細める。
初めて出会った時から、鳳・玉瑛は普通のガキではなかった。
後宮の乳母たちに代わる代わる世話をされながら、しかし貴妃たちの不興を買うのを恐れられ、一度として愛を注がれず。
父である鳳皇は、親子の愛情など解さない。
そればかりか、武という一面でしか他者を推し量れない荒くれの愚か者。
普通に育てば、相当に擦れたクソガキに育つはずが、あの皇太子は極めてマトモな感性を備え持っていた。
伏魔殿とも呼べる宮中で、それは明らかな異常だ。
しかも、
「十歳にも満たない童子が、この私を相手に、取引など持ち掛けて来たのですからねェェ……」
楽しみだ。
天萬は素直にそう思った。
思ったから、今日も配下に命令する。
「殿下の護衛係に伝えろ。〈
「──ハ」
「フフ。……嗚呼、今宵はあの甘露のような悲鳴が、どのように奏でられるのであろうか、実に楽しみだァァ……」
────────────
────────
────
──
夜、汗ばむ暑さで目が覚めた。
俺はパチリと目蓋を開け、慣れた予感に身体を起こす。
虫の知らせ。
第六感。
まるで死期を捉えた老猫のように、俺は即座に護身用の短剣に手を伸ばした。
相変わらず、天萬の寄越した護衛は職務怠慢を改める気が無いらしい。
(所詮はオークの手駒だもんな)
俺の言うことより、天萬の指示に従っている。
おかげで、慣れたくもなかった危機の緊張。
そろり、そろり、と死のプレッシャーに神経が醒める。
(……さぁって、それじゃ今晩もやってまいりましたよ? 玉瑛選手の命をかけたマラソン大会が!)
このクソッタレっ! と思わず舌打ちしそうになって、慌てて堪える。
わずかな物音とて、敵には情報の塊だ。
標的が気づいていると知れば、向こうの動きの〝起こり〟も変わってくる。
俺はいつものように逃走経路を頭の中で反芻し、脱兎のごとく逃げる準備をした。が……
(──なん、だ? 今日はやけに息苦しいような……)
夏の暑さのせいか、夜も深いというのに息が乱れる。
刺客に襲われそうになっているのだ。
緊張も恐怖も当たり前であり、けれども、こんなのは毎日のように経験しているため、多少の冷静さを保つことは問題ない。いつもならそう。
全身に回る血の巡りに不調も無く、気に触れられるようになってからは、俺の身体能力は成長期に合わせ、順調に向上している。
正直、逃げ回ることだけに専念さえすれば、これまでと同様、そうそうマズイ事態には陥らない。なにせ逃げ足だけなら、相当な自信があるのだ俺は。
空燕先生の剣術鍛錬によって、剣の腕にも自信はつき始めている。
(だってのに……)
ドキン! と。
嫌な予感から、つい脂汗が背中を流れる。
先程から感じる妙な威圧感。
それはまるで、空燕先生や雲鷹の爺様にも似た気配を纏っているように感じて。
もっと言えば、宮中でたまに見かけるバカゴリラや、ヤツの愉快な仲間たち(将軍ども)からも漂ってくる武人の匂い。
(まさか──偉人級か……?)
ハァハァと荒くなってきた呼吸を必死に整えようとしながら、俺は徐々に頬を引き攣らせた。
偉人級というのは、俺が勝手に呼称しているこの世界の危険人物ランクで、超人の中でもさらに非常識に人間やめちゃってますよカテゴリーに入る連中のことである。
バカゴリラ、将軍たち、空燕先生や雲鷹の爺様は、ここに分類される。
(なんてったって、この世界じゃ一介の暗殺者でさえ、斬撃を飛ばしてくるからな……)
超人も決して安い看板じゃないはずなのに、それでもモブ並に遭遇するから、歴史に名を残しかねないって意味で、そこからさらに偉人級ってカテゴリが必要だと思ったのである。
(となると、ヤバくない? これ)
俺は固唾を飲んで、最大限まであたりを警戒した。
すると、
「…………おや、起きていたのね」
「────そんな、ウソ、だろ……」
「皇太子、玉瑛に相違ないわね。悪いけど、お命頂戴するわよ」
「い、嫌だ……こっちに来るなァ……!」
「……フン、残念だけど、これも運の尽きだと思うことね。諦めなさい」
「や、やめろ! 俺に触ろうとするんじゃない……!」
「哀れな子ども。でも、最後に私の名前くらいは聞かせてあげる。私の名は──」
「変態だあァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ──ッ!!!!」
「へ、変ッ!? 違うわよ!」
俺も叫んだ。
だって、なぜなら、そう──!
「オマっ、なんで頭巾
「え?」
「え? じゃ、ねぇだろ! 惚けた顔しやがって……!
ク、クソッ! 嫌だ! 俺は嫌だ! オマエにだけは、絶対に殺されたくない……!」
俺は「ピィっ!」と涙目になって駆け出した。
オカマは、ハッとした後、真顔で追ってきた。
黒頭巾のみを身につけ、後は全裸だった。
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