Number 010「護衛の妖術師」



 その瞬間に起こったコトを正しく把握する人間がいれば、恐らく次のように状況を分析しただろう。

 フラフラだった玉瑛の身体が、突如として活力を取り戻し、油断していたオカマをギャフンと言わせた。

 何故そんな展開が罷り通ったのだろうか?

 答えはすなわち、この世界の『気』という概念モノに詰まっていると。


「この……ガキッ! よくも……ッ、ぐふッ!」

「ハッハァッ! うまくいったぜ、見たかバカヤロウッ!」

「ッッッ! とんだ食わせ物ね、坊や……! いったい、どうやって気量を誤魔化していたの──!?」


 変態の暗殺者が、苦悶も露わに声を荒らげる。

 短剣による傷は思いのほか深く、内気の調息に意識を集中させなければ、すぐにも出血多量で死に追いやられるだろう。

 黒頭巾の大男は即座に止血を行い、傷口近くの筋肉をボコゥッ! と隆起させた。

 鮮血の噴泉を、見る見る内にポタポタ零れ落ちる水滴レベルに落ち着かせる。


 だが、入れられたダメージが、大きいことに変わりはない。


 変態は二転三転と後方宙返りをして距離を取り、「バーカバーカ! ザマーミロ!」と小うるさい皇太子を悔しげに睨みつけた。

 逆上して、感情任せの反撃もしない。

 なるほど。

 実際に目の当たりにした当人からすれば、それまで子鹿も同然だった皇太子が、突如として狼に変貌したようなものだ。

 牙を持たないと思っていた獣が、本当は猛獣だったと知れば、警戒は必然。

 一端の武人であれば、皇太子から立ち上る気炎オーラも、今や瞭然に違いない。

 ともすれば、カラダの大きさが一回りも二回りも大きくなったような錯覚を、しているはずだった。


 むべならん。


 帝の血、鳳家の才。

 三百年と続く鳳国の歴史のそのまた前から、皇族──鳳家の者たちは、他の貴士族同様、あらゆる貴種の血を積極的に取り込んで来た。


 頑健な肉体、整った美貌、優れた内気。


 そのなかでも、当代鳳皇の気量は歴代を遥かに凌ぐとされており、一度調息を始めれば、人間十人を軽々と持ち上げるほどの膂力を持つとも云われる。


 気量とは、その人間がどれだけ内気を練れるかを指し示す〝秤〟のようなもの。


 気が尽きない限りは生命力だって向上させられるし、器物に気を添わせれば紙で岩をも断ち切れる。

 達人が達人を嗅ぎ分けるチカラ。

 武林の人間は、まず相手の気量をに優れなければ始まらない。


 だからこそ、この暗殺者も皇太子、玉瑛の実力を見縊ることに繋がった。


 真の『超人』は他者の気をも感得し得る。


 通常、気は感得できない。

 寿命に近しいモノを、どうやって知覚することができようか?


 しかし、自らの意思で生死の淵を彷徨い続け、幾度も境界線上に立った者は、ある時から感覚的に気というモノを感得できるようになる。


 もちろん、それはあくまでも〝なんとなく〟といったもので、分かりやすい視覚や聴覚などで捉えられるモノではない。


 だが、強いて言うならば肌で感じる触覚。ビリビリとした迫力や威圧感。


 気炎オーラとして超人の目には映るモノだ。


 鳳・玉瑛は皇族でありながら妾の血が強く出たために、宮中では下賎の雑種と目をひそめて蔑む者も珍しくはない。


 しかし、銀髪銀瞳の皇太子は近頃、外部からやって来た風来の剣士によって、瞬く間に皇族本来の才能を開花させている。

 恐らくではあるが、気の何たるかをも理解し、実感し、たとえ自覚が無かったとしても──これからは事実として優れた身体能力を発揮。

 ……とはいえ、もともと超人犇めく伏魔殿たる宮中で、たったひとり凶刃から逃れ続けた俊足の皇子。

 才能の片鱗はあった。

 だからこそ……


「気量を誤魔化すぅ!? はぁ!? べっつに誤魔化してませーん! オマエが勝手に勘違いしたんだるぉ!?  つか、俺の足の速さを舐めんなよ!? 気が多少練れなくたってッ、こちとら元から健脚なんだよッ! テメェらみてぇなのに毎晩毎晩追っかけられるせいでなァ……!」

「──ッ、実力を、隠していたってワケ……!?」


 気栓体質者特有の、気炎オーラの欺瞞。

 表向きはザコに等しかったものが、実際は龍虎だった判明すれば、対峙する者には戦慄しかありえない。

 目の前で爆発的な勢いで膨らんだ皇太子からの圧力。

 侮っていた敵には、さぞや自責と苛立ちの念が広がっているだろう。

 暗翳蛇道宗の変態黒頭巾は、忌々しげに舌打ちを鳴らした。

 ゆえに。


(──見るべきものは、たしかに見られたと判断します。天萬様も、これで大いに満足されたに違いありません)


 よって、機はすでに、本来の務めを果たしても良い頃合だった。





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 ──





 刀剣には大別して二種の違いがある。

 軟剣と硬剣。

 前者は薄く柔らかで、物によっては腰に巻き付ける形で装備することも可能な細い剣。カンフー映画などでよく見かける、ペラペラとしなるヤツ。

 後者はおよそ剣と言われて一般的にイメージされるヤツで、軟剣とは違ってやや分厚く、頑丈な造りのもの。


 鳳国では両刃を鳳国剣、片刃を鳳国刀と呼び、どう見ても青龍偃月刀なデッケー薙刀を、鳳凰一翼刀と呼んでいた。


 国の基盤としているだけあって、伝説上の生物・鳳凰への崇敬がヒシヒシと伝わってくる。

 俺はこれまで、剣といえば護身用の短剣──鳳国剣か、稽古用の木剣のみ触って来たが、人を本格的に斬ったのは、今夜が初めてのことだった。


(……ッべー! マジ、ヤッべー! 感触気持ち悪ッ!?)


 鶏肉や豚肉、牛肉を切るのとは違った手応えが手に残る。

 死んだ獣の肉と、生きた人間の肉の違い。

 狩りを通じて命を奪うことの嫌悪感や忌避感は、乗り越えたものと勝手に思っていたが、変態とはいえ同じ人型をした生き物を斬り殺そうとしたことに、今更ながらに吐き気が滲んで来た。

 覚悟を決めたはずが、情けない。

 万・亜門のカラダは、無駄に筋肉質で想像以上に硬く、そのおかげで致命傷にはまるで届かなかった。

 元気に大声出して叫ばれたし、アクロバットなバク宙まで披露されるオマケつき。


(──つぅか止血が早ぇよ! 調息巧すぎんだろ!? 気功術って、血流操作もできんの……?)


 バケモノ!

 仕留め損なったという思いに、ほほが大いに引き攣る。

 と同時に、胸の底で、微かにホッとしている自分がいることに少し腹が立った。


 ……とりあえずハッタリを利かすため、先ほどから「どうだコノヤロウバカヤロウ!」と犬並に吠えて威嚇をしてみているものの、亜門が本気になったら一巻の終わりである。困ったなぁ……


(実力差が明確な相手には、不意打ちで仕留めるのが最善だってのに……!)


 空燕先生直伝の蒼家飛燕流剣術まで使ったのに、完全に失敗だった。

 四の型『逆巻』による渾身の斬り上げ三連続。

 舞の動作を利用した完璧な緩急。

 相手の油断。

 何処を取っても状況は最善に近かったはずなのに、俺が「やったか!?」と思って動きを止めてしまったために、結果がお粗末なモノに終わってしまった。

 体格差と筋量差も読み誤った。

 普通、胴体を斜めに斬れば、鎖骨の下の動脈や鳩尾にダメージをブッ込み、十分な致命傷を狙えるのに、亜門が予想以上に硬かったため、刃が思った以上に入っていない。

 血は派手に出したが、内蔵はおろか肋骨にも届いていないだろう。

 せいぜいが表面上の肉を裂いた程度。


(クソっ! こんなことになるのならッ、いっそ丸出しチンコに剣を振り下ろせば良かったか……!?)


 そしたら、空燕先生にも先生が教えてくれた剣で、刺客のチンコを斬ることが出来ましたと自慢でき……でき……いや、できねぇなぁ!


 俺はハッとし、戦慄した。


 危うく、女性かもしれない恩師に、とんでもねーセクハラをぶちかますところだった。


 というか、


(ここを乗り越えなきゃ、先生に会えねぇし……!?)


 落ち着いて冷静になれ、と自分に言い聞かせる。

 夏の夜は思考さえ茹で上げるような嫌な暑さだが、命のやりとりの最中に冷静さを失えば自滅するのは自明の理。

 現状を整理すると、不意打ちは失敗。相手は警戒。こちらはもはや隠し球無し。

 あれ? 詰んだかな? と、そう思った時だった。


「──燃えろ」

「……ッ! 右丞相の妖術師が、今さら来るのね!?」


 月明かりに照らされる石庭に、轟轟と火柱が顕現。

 亜門はバッ! と飛び退いたかと思うと、足元から立ち昇る炎を後方宙返りで大きく避けていく。

 しかし、火柱はそんな亜門を即座に追いかけ、間欠泉のように吹き上がっては地面を連続した。


「オマエのような変態は殿下の眼に障る。消し炭になって罪を償え」

「蠍家の飼い猫が! どの口で罪を語るのよ……!」

「死ね」

「そうはいくものですか! 鳳凰信仰の〈火箭猫かせんみょう〉が出てくるのなら、私は帰らせてもらうわ! でも忘れないでね、銀色の皇子様! 私の名前は万・亜門! また会いに来るわ。きっと、絶対会いに来るわー!」


 オホホホホッ!

 亜門は個性的な捨て台詞を吐いて逃走した。

 ……翻って、俺の前には、真紅と黒の装束に身を包んだ黒髪ショートの少女がいる。

 紋様の描かれた猫の仮面を被り、顔を半分ほど隠して、俺とそう変わらない年頃──十代前半と思われる正真正銘の女の子だ。


 だがしかし、右丞相の妖術師と呼ばれ、蠍家の飼い猫と揶揄やゆされた通り……単なる女の子と見なしていい人間ではない。


 実力だけでも、あの亜門をたったいま退かせてみせたコトから分かるように、決して侮ってはいけない相手だ。


 けれども、俺は思いっきり渋面を形作って言ってやった。


「──いや、そんな、私、窮地の主をカッコよく助け出しました頼れる護衛です! みたいな如何にもな登場されても……!」

「……遅かったですか?」

「遅すぎるわッ!」


 と俺はツッコミを入れざるを得なかった。



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