Number 005「宮中さんぽ」



 世に聖王現る時、鳳鳴いて天光地に満つ。

 鳳は瑞鳥なり、霊泉より来たる不死の仙鳥なり。

 聖なる王は国を富ませ、民を肥沃ふとらせ、必ずや繁栄をもたらす者なり──。


 大帝国『鳳国』に伝わる、建国初期の碑文である。


(──おおとり鳳凰ほうおう。フェニックス)


 呼び名はいろいろある。

 が、要は伝説上のおめでたい鳥のことだ。

 国の創設にあたり、なんかそれっぽい伝説がセットになるのは、古今東西、様々な国でありがちな話。

 だから鳳国でも、鳳という伝説上の鳥が、時の帝──権力者の地位を確立するのに、昔からめちゃくちゃ便利に使われていた。


 鳳国の皇帝『鳳皇』は、言うなれば鳳に保証された光の聖王。


 となれば、皇族は聖なる王の血を継ぐ特別な人間であり。

 この時代、民は半ば現人神のように皇室を崇めている──より厳密に言うと、少なくとも〝崇めることを当然とする風土で生きている〟──と言い換えられる。


 なので、下賎の身分。


 仮に百姓や奴隷が、もしも貴士族の反感を買えば、無礼討ちというのが何の比喩でもなく、普通に行われている世の中だった。


 現人神に仕え、国のために働き、聖王とともにまつりごとを執り行う者が、単なる労働者階級に比べて偉くないはずはない。


 理屈としてはだいたいそんな感じで、人間はまぁ、環境によって簡単に堕落するから、権力を笠に着て圧政の限りを尽くす地方領主も、そりゃ多いのである。

 帝都に足を運んだことなど、一度も無いような下級文官でさえ、増長して傲慢になり人が変わってしまう──などの事件も、しばしば起こっているらしい。


 で、そうなってくると、じゃあ正真正銘本物の特権階級、皇族に近しい人間たちはどんだけヤバいの? て考えるじゃないですか……


「──穢らわしい卑賎の混ざり物が。よくもまだ宮中にいられるものね」

「綺蝶様の前で、なんと厚かましい!」

「陛下はなぜ、あんな者をいつまでも皇子の身分にしておくのでしょう……」


(クゥ〜〜! 塩辛ェェ〜〜ッ!!)


 答えはこんな感じ。

 廊下を通り過ぎたり、ちょっと視界に入っただけで、その度に俺は唾を吐く勢いで罵られる。

 もちろん、正面から言ってくるヤツはいない。

 しかし影から、ギリギリ聞こえるくらいの塩梅ではチクチク。

 陰険であること、甚だしいったらないのだった。

 特に、後宮の貴妃や皇后に直接仕えている侍女たちからは、「ちょ、おまっ、それライン超えちゃってっからね?」と思うくらい、蛇蝎のごとく嫌われている。

 仮にも皇太子に対し、なんて口の利き方だろう。

 睨むと顔を背けて退散していくので、女たちも命は惜しいのだろうが、気位が高く、血筋に傲慢で、どいつもこいつもとんだクソ女ばかりである。

 彼女たちは、俺の美貌と銀髪を見る度に、思い出すのだろう。


 高級娼婦だった母、白銀姫。


 彼女の名はハク。ただの白と云い、国を傾けると謳われた絶世の美貌、男を蕩かす妖艶。

 かつてこの国で一番の妓女だとも噂され、哀れにも鳳皇ゴリラに見初められることになり、一度入れば二度と脱出不可能の後宮へ、あれよあれよとブチ込まれてしまった悲劇の人だ。


 そして故人。


 俺を産んだ夜、原因不明の火災で命を落としている。

 鳳・玉瑛は白銀姫の血を引く子どもであり、由緒正しい家の正当な貴妃たち、正室たる皇后らの立場からすれば……なるほど。お察しの忘れ形見と言えた。

 げに恐ろしきは女の嫉妬である。

 あんなゴリラでも、皇帝である以上はその寵愛を求めて争い合う。そういう女が多くいるのだった。

 本物の悪女と本物の毒婦。

 後宮とは匂い立つ女郎蜘蛛の巣そのもの。


(ハーレムとかって言われても、なーんも嬉しくないねッ、こんなん)


 クソよ、クソクソ。

 まったく、醜いったらありゃしないわ!

 ワタクシがいくらお母様ゆずりのビューティーフェイスだからって、ホント、嫉妬で暗殺者を送り込むとか、やめてちょうだいよねっ! 死ぬから!

 冗談でもなんでもなく、本気で勘弁して欲しいのだわ! ぷんぷん!


 俺は「おこだぞ?」と女どもを睨みつけ、相手が視線を逸らすまでガンをつけ続ける。


 たかが侍女ごとき、放置しておいても害は無いかもしれないが、舐め腐られるのも腹が立ってくるからな。

 皇室への不敬を甘い顔で見過ごしておくのも、現状の俺にはデメリットでしかない。


(あんま舐めてっと、天萬に言いつけちゃうぞ〜?)


 キモデブハゲの鳳国右丞相。

 対価に足をペロられる可能性は高いが、最悪の場合はアイツを動かし、誰かを処罰させることもできる。

 女官にとっては、まさに最悪の事態だろう。無論、俺にとっても最悪だ。

 誰も幸せになれない。

 なのでガンをつけ、威嚇に留めて陰口を減らしていく。


 そういうのが、宮中での常であった。


(まあ、たまにガチで突っかかってくるのもいるんで、そういう時は足ペロ不可避なんだけどな……)


 辛い。

 きっと、女たちからすれば俺も天萬も等しく巨悪。

 片方は下賎の血を引く異形の皇太子で、片方は言わずもがなオーク。

 キモデブハゲの汚ねぇオッサンは生理的に受け付けられないだろうし、気持ち悪くて仕方がない。

 んで、俺は天萬の庇護下。

 両方まとめて害するコトができれば、一石二鳥でしかないだろう。

 いずれ自分が子を孕んだ時のため。

 皇太子の席を率先して空けておこうと思っていても、おかしくはない。


 というか、もし俺が後宮勢力だったら、間違いなくそうしている……


 なぜかって? だって天萬、アイツはあまりにキモすぎるからな。アイツに目をかけられてる(表向きはそう見える)俺も、そりゃ一緒くたに嫌われるだろうさ。もとから好感情などゼロだろうし。


(……しかし、後宮、後宮……綺蝶様、ねぇ)


 宮殿の廊下をテクテク歩きながら、俺はどうしたものかと考える。

 時刻は昼、穏やかな蝉時雨。

 皇位継承権第一位の皇子といえど、鳳皇は健在で未だ子を成すのにも支障がない年齢。

 対して、俺はいつ消え去るかも分からない。死にかけの蛍みたいに地位薄弱。

 一日の内、皇族としての義務も、最低限の勉強と鍛錬しか求められていない。


 ゆえに、剣術も弓術もとりわけ予定の無い日は、宮中をこのように散策がてら探索して回っているワケだが。


 宮中は広い。

 広すぎて、どこに何があって誰がいるのか、覚えるのにはかなりの時間を必要とする。


 そうなってくると、いざという際。


 この宮中を逃げ出さなくてはいけなくなった場合、脱出経路の選択や、変装用の服の在処も検討するのには時間がかかっていた。


(たとえば……)


 やんごとなき身分の者は、あまり近寄らない場所ではあるが、厨房近くに行けば家畜番用の仕事小屋などもあるし、そこで下人用の服をかっぱらい、頭さえ隠してしまえば、変装はできるだろう。

 将来、もしも革命軍が入り込んできたりした際に、皇族は真っ先に命を狙われるだろうから、今のうちから下人に扮しておく努力は、入念に準備しておかないとと考えている。


 まあ、それでなくとも、ただでさえ日常的に命を狙われているのだ。


 黒頭巾を被った謎の暗殺者の正体も、あれから一ヶ月が経つというのに、依然、ようとして知れないまま。

 一応、糸を引いている黒幕として、現状で最も有り得そうだと考えられているのは、先ほども名前が上がっていた綺蝶という女であるものの……


(──ヨウ綺蝶キチョウ


 後宮の三貴妃の一人であり、皇后に次いで高い地位を誇る三人の寵姫がうち一人。

 榛摺はりずり色の綺麗な髪を持ち、楚々とした立ち振る舞いや、上品で穏やかな人となりから、後宮随一の癒し系美女だと聞いている。

 そして、実際かなりキレイな女の人だ。落ち着いた雰囲気で、目尻が下がっているため柔和な印象も覚えた。

 だが……


(ああいう人ほど、一度闇堕ちするとスゲー速さで暗黒面に落ちていくんだよな〜〜!)


 しかも、楊・綺蝶には白銀姫が後宮入りしたのと同時期、流産をしたという話がある。

 それが本当であれば、女性としては相当なショックだったに違いない。男だって普通は気が動転する話だ。

 だってのに、あのバカゴリラこと鳳皇は、そんな時期に妓楼に行って、娼婦である母を後宮に連れ込んだ。なんとお腹には、俺まで孕ませた状態で。


 悪い時期に悪い出来事。

 弱り目に祟り目。

 泣きっ面に蜂。


 つまり、


(チクショウ〜〜! もうなんもかんも、ゴリラが悪ぃよォ〜〜! 死ねよアイツゥ〜〜!)


 もしこの推測が正しければ、楊・綺蝶は俺だけでなく、母、白銀姫まで殺害に至った黒幕の可能性が高い。

 動機は充分、因縁も充分、同情を買える背景も充分。

 俺にとっちゃ、何もかも産まれる前の話じゃねーか! って事情のため、八つ当たりは止してくれよ! って言いたい気持ち90パーセントだが。

 けれど、そんなコトを実際に当人の前で言ったら、それこそ本格的に恨まれてしまうだろう。

 感情は理屈じゃ無いからな……


(ヤダなぁ)


 せっかく、本来は優しい女性らしいのに、ピンポイントで因縁が出来上がってるとか。


(俺、ツイてなさすぎるだろ〜!)

 

 鬱すぎて笑う。

 思わず白目を剥きながら宮中を歩いた。

 と、そのとき──





「この無礼者っ! 私を誰だと思っているのっ!? 誉れ高くもこの国の右丞相っ、蠍・天萬を父に持ち、皇太子であらせられる鳳・玉瑛さまの婚約者っ! ──未来の皇后、蠍・麗薇と知っての狼藉なのかしらっ!?」

「ヒッ、ヒィィッ! お許しをッ、どうかお許しください、お嬢様──ッ!」

「このっ! このこのっ! 誰かっ、鞭を持って来なさいっ!」





(……え、えぇ──!?)


 あまりのビックリ展開に、一瞬、目の前が暗くなって気絶するかと思った。

 が、なんとか堪える。


 蠍・麗薇。

 天萬の娘。

 いいなずけ。


(嘘だろ。ここで会うのかよ!)


 どうせちっこくても、ヤベェ性格したイカれたクソガキだと思っていたが、未来の皇后とか大声で言うな!


(死ぬぞ!? 俺が!)


 どこに目があり耳があるかも分からないのに、迂闊な発言しないでくれますぅ……!?

 余計な反感と憎しみを、ますます買いかねない。

 ヘイトを買いたくて買ってるワケじゃないのに、生まれと外見で固定ターゲットロックオンされてるヤツの気持ち考えたコトあんのかよ!


(なんとかせねば……なんとかせねば……)


 俺はアワワ狼狽え、然れど覚悟を決めるしかなく。

 目をカッ開くと、全力で声の元へ疾走した。




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