Number 006「麗しき花には棘」
物心ついた時から、自分は他の誰よりも優れた存在だと確信していたし、生まれつき自分が絶対の勝利者であることを疑ったことがない。
父は国の右丞相、母はもとは大貴族の麗人。
貴種の両親のもとに生まれ、更なる貴種として生まれた麗薇は、まさに神に選ばれたとしか思えない最高の貴人に他ならなかった。
その証拠に、麗薇を前にすれば誰もが頭を垂れて跪く。
男も女も、麗薇より遥かに大きくて年上でも、ほんのちょっと声を荒げれば、たちまち慌てふためいて、地に額を擦り付けてまでして許しを乞い始めるのだ。
使用人、召使い、下男に下女。
時には、貴士族の中にさえ言われるがまま。
まさに、世界は意のままに形を変える、砂糖細工のようなものである。
触れれば簡単に砕け、舌の上に転がせば、さらりと溶ける菓子も同然。
人の上に立つことの当然。
自らが圧倒的な〝支配する側〟である愉楽。
未だ幼きゆえに明確な語彙で自覚はせずとも、麗薇はナチュラルに高慢且つ嗜虐的な少女に育った。
麗薇自身の、人並外れた美しさもまた、原因の一つではあろう。
〝沈魚落雁閉月羞花〟
古来、見目麗しい女性を指して、そのような熟語が唱えられて来たのを知っているが、麗薇はまさに花すら羞じる美少女。
黒く、黒く、どこまでも黒く。
名作と謳われる水墨や、烏の濡れ羽をも上回る繊細な黒髪。
顔立ちはシュッと端麗で、目元はゾクリと鋭いキツめの吊り目。
紅を引かずとも明るい唇は、
そこから紡がれる絶世の美声は、まさしく
目はパッチリとつぶらに光り、長いまつ毛、華奢な体躯、可憐を体現した花のごとき容姿は高嶺の証。
たとえ子どもでも、一目で将来の傾国だと悟らせずにはいられない。
他者とは違う恵まれた容姿から、麗薇は自尊心も人並外れた高さだった──だが。
「見よ、麗薇……
「────お父様。あの方、が……?」
「ああッ、そうだよォォ!? 見るがいい、ほらッ! なんてお美しいお方だろうねェェッ!?」
「────はい。すごく、キレイですわ……!」
ある日のことだった。
父に連れられ、初めて宮中に参上した日。
いずれこの国の、すべてがオマエのものになるよと聞かされながら、麗薇はそこで初めて自分より
皇太子──鳳・玉瑛。
秋の夜の月光を束ねたような絹糸の髪。
眼窩には上等な玻璃がキラキラと輝いて、白皙の肌、それはまるで雪の結晶のよう!
遠目からチラと眺めただけ。
本人は何処かつまらなそうに、伴も連れずひとりで宮中を歩いていた。
けれど、鳳・玉瑛はただそこにいただけで、アッサリ世界の色を変えていた!
幻想的で神秘的。
玉瑛の立っている場所こそは、季節を問わず、いつまでも変わらない銀世界も同然。
嫉妬や反感を覚える暇なんて、あるワケが無かった。
それほどの感動。
麗薇は一瞬で心を奪われ……人生で初めて、無条件に敗北を認めてしまっていた。
──恋。
自分でも、驚きの感覚。
思わず呆然となった麗薇。
父はそんな娘に、相変わらず「あれを手に入れれば」「私こそが帝国の」などペラペラまくし立てていたが、正直に言ってもうどうでもよかった。
麗薇にとって、その時から重要になったのはたったひとつの真実だけ。
すなわち、
(──鳳・玉瑛は、蠍・麗薇の夫となる)
婚約者。結婚。愛し合う二人。
この地上で唯一、見事己を屈服させてみせた男性に、麗薇は執着を開始した。
そう。何もかも、すべてはその日を切っ掛けとし変わったのだ……!
(……だというのにッ)
その日、久しぶりに麗薇が宮中に参上すると、あちこちから不愉快な声を聞いた。
父の指示で、後宮の有力者に顔を見せておく用事。
いずれ皇后となるのが確定している麗薇だが、幼いうちに自身の庭を見知っておくのも悪くないと。
それに、宮中に行けば、もしかしたら再び玉瑛とバッタリ出会えるかもしれない。
幼心に様々な思惑から、麗薇は楽しみにしつつ宮中へ足を運んだ。
しかし、
「まったくっ、けがらわしい淫売の息子」
「──そこのオマエ、いま、何と?」
「ハっ! こ、これは蠍家のお嬢様──」
「黙りなさい。オマエ、いま、恐れ多くも皇太子殿下に向かって、不遜な口を利いたわね?」
「っ! しっ、失礼いたしました。蠍家の方のお耳汚しをしてしまい、誠に申し訳ございませんっ!」
「は? そうではないでしょう? オマエ……見たところ侍女のようだけど、死にたいのかしら?」
「死っ!?」
「皇太子殿下は私の婚約者よ? ──いえ、というより、たかが侍女ごときが皇族に向かって、何たる不敬……玉瑛様への侮辱は、当然この私への侮辱も同然だわ」
「ヒッ、ヒィィっ!?」
「この無礼者っ! 私を誰だと思っているのっ!? 誉れ高くもこの国の右丞相っ、蠍・天萬を父に持ち、皇太子であらせられる鳳・玉瑛さまの婚約者っ! ──未来の皇后、蠍・麗薇と知っての狼藉なのかしらっ!?」
「ヒッ、ヒィィッ! お許しをッ、どうかお許しください、お嬢様──ッ!」
「このっ! このこのっ! 誰かっ、鞭を持って来なさいっ!」
麗薇は思い上がりも甚だしい下賎を、懲らしめるべく厳しい罰を下そうと動いた。
想い人を貶されて、腹の底から煮えくり返るような怒りを覚えない者が、この世にいるだろうか?
供回りに侍女を拘束させ、強制的に膝を床へ着かせる。
そしてそのまま、麗薇自身の手で何度も平手打ちをした。
鞭が届くまでの間、何度だって打ってやるつもりだった。
──そこに。
「あまりっ、ふぅ、っ、宮中で、ぜェ、騒ぎを……! ふぅぅっ、起こすものじゃ……ッ! ありません、よ……?」
「ぁっ──ぎょ、玉瑛しゃま!?」
何度目かの振り下ろし。
思いっきり叩きつけようと大きく振りかぶった右の手を、背後から不意に誰かへ掴み止められた。
驚きから振り返れば、なんとそこには大好きな皇太子、鳳・玉瑛その人がいるではないか!
しかも、腕を掴まれるほどの至近距離。やばい、超カッコイイ。
麗薇は内心で「ふぇぇっ!?」と硬直してしまった。
────────────
────────
────
──
「ぁっ──ぎょ、玉瑛しゃま!?」
赤ら顔の美少女が、完全に恋に蕩けた顔でこちらを見つめてくる。
つい今しがた、自らが相当なバイオレンスを繰り広げていたのも忘れてしまったように、少女は乙女へ変身していた。
目の前には、盛大に顔を腫れ上げさせた侍女がひとり。
痛々しく真っ赤に染まった両頬を、哀れを誘う涙が零れ落ちている。
それなのに、蠍・麗薇はすっかりその事実を忘却の彼方へ追いやってしまったのか。
瞳の中に俺を映すや否や、たちまち可憐な童女そのもので
(……こ、怖ぇぇぇぇぇぇぇぇッ!! どういう神経してんだ、コイツ!?)
俺は息を切らしながら、改めてその事実に戦慄する。
蠍・麗薇が鳳・玉瑛に恋をしているのは、知っていた。
前々から、文の遣り取りはしているからだ。
ラブレター。ラブレター。ラブレターラブレターラブレターラブレターラブレターラブレターラブレターラブレターラブレターラブレター!
詩や花、香の匂いを添えて送られ続ける猛烈なラブコール。
たまに髪の毛とかも房で贈られてきたり。
文字を血で書いてみました♥ みたいなメッセージ付きの時もある。
なあ、返事を書くのに、どれだけ苦慮していると思う?
(クソ! だから実際に会ってみたら、幻滅して婚約解消! とかも、困るけどちょっと期待してたのに!)
──ダメだ。この子、完全に俺のこと好きすぎる。
今の俺は、お世辞にもカッコイイ登場をしたとは言えない。
というか、どちらかというと、ゼェゼェ死にそうな酸欠の犬みたいだったはず。
それなのに、まったく幻滅された感じがしなかった。
(ほら、見ろよこの顔を……!)
少女マンガなら、さながら顔の周りに、色とりどりの花が咲き乱れている印象的なシーンだろうか。
理解不能だが、凄まじくトゥンク♥トゥンク♥しちゃっている。ヤバすぎるだろ。
(この歳で恋愛脳? この歳でヤンデレ!?)
勘弁して欲しい。
金玉がヒュゥンッ! と勢い良く縮み上がってしまう。
(父親とふたり、揃って俺をビビらせるとか、蠍家はとんでもないな!? ストレスでハゲそうなんだが!?)
挙げ句、残酷的で暴力的。
血の伯爵夫人や武則天とまではいかずとも、幼い内からこの凶暴性。
父親はショタコンのオークで、娘はクレイジーな恋愛脳とか、天は俺に何の恨みがあるのか。
けど、今はそんなことより、この場をどうにかして収める方が先決だ。
(とりあえず、侍女はさっさと解放しちまおう。助けてやるから、どうか恨みに思ってくれるなよ?)
俺は優しい皇太子。
麗薇とは違って性格も真っ当。こわくなーい、こわくなーい!
俺はキリキリと痛む胃をさりげに抑え、笑顔を作った。
「……失礼ながら、蠍・麗薇様ですね? 俺──あいや、私は鳳・玉瑛と申します」
「はいっ! 存じ上げておりますわっ!」
「ありがとうございます。私も、右丞相からは前々から、麗薇様のことをたくさん聞き及んでおります。文の上でも、いつも私の相手をしてくださり、ありがとうございます」
「麗薇と! 私のことは、ぜひ麗薇とお呼びください!」
「……麗羅様」
「麗薇です!」
「……いえ、麗羅様、さすがに会ったばかりの女性を、いきなり呼び捨てにはできません」
「好き!」
もしや、天萬よりイカれてるのか?
「ハハハハハハハハハハハハハハハハ。話を戻しますが、宮中ではあまり、騒ぎを起こさない方がよいですね麗薇様」
「! まさか、見ていらしたので!?」
「ええ」
「わ、私としたことがっ、なんてお恥ずかしい……勘違いなさらないでくださいね!? 私、いつもはあんな大きい声をあげたりしませんから! はしたない娘だと、どうか思わないでいただけると幸いです……!」
「大丈夫です。まったく気にしていません」
「? で、では、騒ぎというのは、いったい……?」
麗薇は本当に分からないと言った顔で、コテンと首を傾げた。
(ナチュラルボーン、サディスティックガール……)
価値観の違いを告げても、ロクなことにはならないだろう。
なので、
「……ここは宮中です。広いとはいえ、我々皇族が息をし暮らす場所。
景観のひとつ、音のひとつさえ、ここでは我ら皇族のもの。それを乱せば──ね?」
「!」
「もちろん、今回は私だから良かったですが、我が父、鳳皇の機嫌を損ねれば、可憐な麗薇様に罰が下されていたかもしれません」
「で、では、玉瑛さまは私の身を案じて……!?」
ゴリラ、マジオッカナイアル。
俺がそう、それっぽい主張でテキトーに述べると、麗薇はカッ! と目を見開くわ否や、途端に口を押さえると、やがてぷるぷる震え出した。
「夫が妻を、守ろうとしてくださったのですね……!」
「え?」
「分かりました! 他ならぬ玉瑛様の忠言、この麗薇、しかと肝に銘じましたわっ! ──ほら、そこの、さっさと行きなさい」
「はっ、はいぃぃ……!」
侍女が去り、俺は猛獣に懐かれた感覚になった。
(けど、ヨシ!)
現場猫になって頷く。
騒ぎは静まったし、侍女も無事。
この様子じゃ、我が婚約者も俺の忠告には
壁に耳あり障子にメアリー。
いつまでも騒ぎのあった中心地で留まっていても、仕方がない。
どうせ噂は避けられないだろうが、なんだかドッと疲れた。
「……それでは、私は剣術の鍛錬がありますので……」
俺はバッ! と背中を向ける。
「ああっ、玉瑛様……!」
……好き。
背後からはまた、そんな声が聞こえた気がした。
──
────
────────
────────────
──なお、その夜。
俺の寝所には、案の定、刺客がやって来た。
また黒頭巾だった。
「キェェェェイッッ!!」
「クソオーク! 仕事しろ、護衛ッ!!」
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