Number 003「アマゾネス」



 武侠小説とよばれるジャンルがある。


 武術を身につけ、義理を重んじ、己が正義と定める信条に従って、ひたすらに悪を挫いていくといった、一種の勧善懲悪ものと言えば分かりやすいだろうか?


 主人公は何らかの武術に長けた達人であることが必須で、大抵は町娘をかどわかす悪漢を退治したり、非道な酷吏を懲らしめるような展開が多く、ひとたびバトル展開となればスピーディなアクション描写が読者を熱中させる。


 武侠小説。


 それは要するに〝最高に強ぇヤツが最高にカッケーところを超絶クールに華麗に魅せつける〟小説。

 少なくとも、俺は武侠小説ってモノをそういう理解で楽しんでいた。

 けど、鳳・玉瑛としてこの世界に転生してからは、武術の達人を純粋な目で見れない。


(だって!)


 実際に目の当たりにしてみ?

 ほぼガンギマリだから。

 物理法則を超越してしまうほど己を鍛える。

 そんな人種が、人間としてマトモであるはず無かったんだよ……






 



「──ダメダメですね、玉瑛様」

「チキショーッ! 分かるかッ、こんなんッ!」

「ハァ……」


 天萬から送られた武術指南の達人、ソウ空燕クウエン

 その日、俺は訓練用の木剣を地面に突き立て、ウガー! と叫んでいた。

 指南役のイケメンは、そんな俺にあからさまな溜め息を吐く。

 しかし、納得がいかない。

 そもそもの話であるが、


「──『気功』って何だよ!?」

「ですから、気功というのは自身の肉体に備わる〝死力〟のコトです」

「説明が抽象的すぎるんだが!?」

「玉瑛様は頭でっかちですねぇ……」


 どうして分からないかなー、と。

 蒼・空燕はポリポリ頭を搔く。

 ひどい。

 俺は昔から、理論が先に来ないと体が追いつかないだけなのに。


「死力って……じゃあ、死ねってコト!?」

「うーん。感覚としては、まあそうです。玉瑛様の歳では、まだ経験は無いかもしれませんが、人間は死ぬ気で何かを成し遂げた時、こう……ワァァッ! って感じで、全能感に包まれるものなんですよ。時間がゆっくりになって、空を飛んでるような無敵な気分って言えば伝わりますか?」

「ぜんぜんわからない」


 なにそれ。

 なんかダメなおくすりやってない?


「失礼ですねぇ。たしかに、薬を使ってカラダをイジる輩もいますけど、私は綺麗なカラダですよ」

「じゃあ、素でイカれてるんだ!」

「ハッハッハ──皇族でなければ、今ので殴っていたところです」


 いいですか? と空燕は前置く。


「気功とは、『気』を操ることで自らを〝理想の自分〟に作り変えてしまう技のコトです」

「? 理想の自分に作り変える?」

「草木や動物が、何ゆえ最初は未熟な姿で生まれ、時を経ることで成熟するのだと思いますか?」

「はいぃ? そりゃ、生き物だからでしょ?」

「──そう。その通り。ですが、我々はどうして成長するのでしょうね?」


 剣術指南の優男は、中性的な笑顔で「なーんでだ?」とつぶやく。

 ……なんか、今のは女臭くないか? その仕草。

 怪訝に思いつつも、頭を捻り答えた。

 生き物がなんで成長するかだって?


「……寿命があるからじゃないか?」

「お。では、仮にその〝寿命〟を、自分の意思で自由に使えたとしたら、どうでしょうか?」

「……ンー?」

「言い換えるなら、〝成長〟の方向性を書き換える。

 あるいは、〝自分には元からこういう成長の可能性があった〟と、設計デザインに手を入れるようなイメージです」

「…………」


 なんとなく、何を言われてるかは分かった。

 ただ、それはかなり非常識的な話だった。

 生命の神秘。

 神のみぞ知る命の設計図。

 誰も自分の寿命をあらかじめ知るコトなど出来ないというのに、この男はいま、と語ったのだ。


「もちろん、才ある者にのみ許された特権です。元から気が無ければ、土台不可能な話ですよ」

「でも、気さえあるなら、できるって意味なんでしょう?」

「そうですね。ひたすらに自分を追い詰めてあげる必要がありますが、気を持つ者は気を持たない者より、選択肢に恵まれている。ゆえに──」


 ──死中に活あり。


「死力を尽くす状況にまで自らを追い込んだ時、我々は常ならば感得しえない『気』を、正気と狂気の狭間で目にする」

「──わぁ、瞳孔ヤバいっすね?」

「フッ、あの世界はとても美しい。なので、玉瑛様も是非、いっぺん死んでみましょう。そうすれば、気の何たるかを理解し、気功術も自然と身に修められるはずです」

「言葉の綾だとしても、もう少し考えて発言しません?」

「行きますよ」

「ちょッ──!?」


 ノータイムでシームレス。

 木刀が燕のように閃き、俺の頬を打った。

 体が空中で地面と水平にトリプルアクセルを決める。

 墜落した。


「い、痛い……」

「玉瑛様は、才能がありませんね」

「キィィィィィィィ──ッ!!」


 哀れみの目線とともに、空燕は何の躊躇もなく断言しやがった。

 仮にも皇族、仮にも皇子。

 対するは、天萬に雇われただけの風来坊な剣術指南役。

 なのに、生きる世界が違う人間はどうしてこう、思い切りがいいのだろう?

 俺に才能が無いのが事実だとしても、もっと、こう……なんというか、手心のある発言はできないのかな……

 正論は人を傷つけるとよく言われるが、真実だって、ときに人を傷つけるのに。


「クソ……」


 一見して、優男じみた風貌の長髪の剣士。

 涼し気な顔立ち。

 名前の通り蒼い空のような衣を纏った武の人。

 蒼・空燕は、実に直截的な物言いをするヤツだった。

 中性的な顔立ちなのに、目が異常にガンギマってて怖い。

 女っぽい気がしたのは、ただの錯覚だろう。


(だって俺、この手の人種、知ってるよ)


 修羅、ベルセルク、ウォーモンガー。

 血に飢えた戦闘民族である。


「チ、チクショウ……」


 稽古が始まってしまったため、俺は再び木刀を握り直して、男に立ち向かった。

 これからまた、およそ五時間半ほど、タコ殴りにされる……


(死中に活、見出してー!)


 じゃないと、これ鍛錬中に死ぬのも有り得るんじゃないの……?

 ヒィヒィ言いながら、打ち合い稽古に集中した。





 ────────────

 ────────

 ────

 ──





 その姿を、蒼・空燕はゾクリとしながら見つめていた。


(鳳・玉瑛……皇族の剣術指南など、単なるハク付け。形ばかりのものかと思っていましたが!)


 頬を打って、なお立ち上がる。

 胴を打って、なお立ち上がる。

 腕を、背中を、腰を、足を、首を、頭を、打って打って打ち続けても、なお立ち上がる。


 貴士族に雇われるのは、初めてではなかった。


 だが、実際に稽古をつけ、ここまでやっても立ち上がってくる『弟子』は、初めてである。


 銀髪銀瞳。

 美貌だけの薄弱皇太子。


 蒼・空燕は、最初から期待なんかしていなかった。


(私の武は、才ある者ですら……容易には寄せ付けない)


 蒼家飛燕流。

 空燕の本当の名は、妃燕ヒエンという。

 元は武家の子女だったが、幼いときに一家が離散し、以降は男のフリをしながら、一族に伝わる剣術を頼りに用心棒稼業をこなして来た。

 悪党ひしめく鳳国を、天賦の武才のみで渡り歩き、女の身でありながら、今や仄暗き武林の道で、その名を知らぬ者はいないほど。


 多くの貴士族が空燕の評判を耳にし、指南役をと近寄って来た。


 だが、誰も彼もが本気で武を極めようなどとは、思っていなかった。


 燕のように素早い身のこなし。

 空を舞い飛ぶがごとき閃光の太刀筋。

 舞踊を思わせる軽快な動きに、燕すら捉える剣速。


 蒼家飛燕流は、決して見栄えに優れるだけの飾り物ではない。


 空燕はずっと、忸怩たる思いを抱え煩悶する日々だった。

 自分が極めた武を、才ある者に授けたい。

 才能があっても、やる気が無い者はダメだ。

 蒼家飛燕流は、真に剣を必要とする者のみに奇跡を与える。

 けれど、世は乱れ人心は惑い、空燕はもはやそんな若者に出会えるコトは、無いのかもしれぬと諦めに沈んでいた。

 しかし!


(天は此処に来て、私に運命を与えましたか──!)


 木刀を握る手のひらに、自然と力が入る。

 まだまだ本気など出せはしない。

 然れど、磨けば光りそうな珠玉の煌めき!

 言葉の上では文句を垂れながらも、猛犬がごとき双眸で立ち上がり続ける餓鬼を見よ!

 これぞまさしく、戦場に身を猛らせる求道の片鱗である!


「先生! 先生! 先生はさぁ、どうして俺の剣術指南役なんかを引き受けたの!?」

「フッフッフ、ぶっちゃけてしまうと、借金の返済のためですね! 賭場でカモられ、危うく何もかも奪われそうだったところを、たまたま蠍家の方に助けていただいたんです! 剣の腕を見せたところ、気がついたら玉瑛様の剣術指南役ということになっていました! 素晴らしき良縁に感謝しなければ!」

「へ、へーッ!」


 剣を振る。

 幼童が地べたを転がり回る。

 剣を振る。

 幼童が地べたを転がり回る。

 剣を振る。

 幼童が地べたを、転がり回らずに体勢を立て直した。


「素晴らしい!」

「ちょ」

「さあ、どんどん行きましょうッ!」


 言葉に、幼童は白眼を剥く。

 いい調子だ。

 順調に限界まで上り詰めている。


(……見たところ、気栓体質のようですが)


 皇族なのだ。

 こじ開けてやれば、必ず気功に目覚めるだろう。

 世にはたまに、気を持って生まれて来たのに、気を使うのが苦手な人間が産まれてくる。

 気栓体質とはまた難儀な身の上だが、実を言うと、空燕もまた気栓体質者。

 運命じみた共通点に、知らず知らず頬が歪んでいく。


「一度目覚めてしまえば、後は簡単ですよ! さあ、私と同じ空へ羽ばたきましょう──!」

「……!?」


 空燕は目にも留まらぬ掌底で、玉瑛を殴った。


「グヘェ────ッ!?」

「これも荒療治です。大丈夫、死中に活あり! 今日一日で、絶対に目覚めさせてあげます! 死ね!」

「!? いま絶対に言っちゃイケナイ言葉を吐きましたよね!!??」

「細かいコトを気にしていられる余裕が? なら、もう一段、〝上げて〟いきましょうか!」

「しまっ──」


 楽しい稽古が続く。

 年端もいかない童を躊躇なく殴り飛ばす。

 爽快だ。

 なんて心晴れやかな日だろう!


「安心してください、玉瑛様。私は必ず貴方を、一人前の剣士にしてみせます! いや、天下無双にまで!」

「ス、スパルタかよオォォォォォォォォォォ──ッ!!」


 叫びはよく分からなかったが、歓喜に咽び泣いているのは分かった。

 


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