第2話


「君、才能ないよ。悪いことは言わんから魔法科辞め――っ!?」


 イナリの脳裏に電流が走ったのは、彼が通っているウェルドナ王立学院の同級生にそう告げた、その瞬間のことだった。


 突如としてよみがえるのは前世の記憶――地球で暮らしていた、大学生だった頃の青年の記憶。

 走馬灯のように浮かぶ記憶の中には、今の自分とよく似た自分と、似ても似つかない自分の姿があった。


(なんや、これ……)


 今の自分がいる世界は、前世の自分がやりこんできたRPGである『コールオブマジックナイト』そのものだった。

 『コールオブマジックナイト』は勇者がヒロインの騎士として共に歩み魔王を倒す、王道RPGだ。


 出しているところが中堅どころということもありそこまで爆発的なヒットを出せた作品ではなかったが、実直なストーリーとゲーム性、ヒロインの魅力などからしっかりとセールスランキングの中位に長期間留まり続けた作品だった。


(それはええ……いや、転生したこと自体はわりとどうでもええねん。それより問題なんは……僕の扱い、どないなっとるん?)


 転生した頃の記憶が戻ったことで若干の変化はあったものの、イナリにはこの世界でサイオンジ家の次期当主として育ってきた十五年間の積み重ねがある。


 故に前世と今世二つの魂が混じり合っても致命的な変化を及ぼすようなこともなく、イナリはしっかりと自我を保ち続けることができていた。


 イナリ・サイオンジは『コールオブマジックナイト』の登場人物の一人だった。

 そのポジションは――主人公の成長を実感させる担当の、かませ犬キャラである。

 ポケ○ンのライバルよろしく、ことあるごとに主人公に突っかかってきては戦うことになる、敵キャラの中ではラスボスである魔王に次いでイベント量の多い人物だった。


『なんや、こないなこともできひんの?』

『呆れた……こんなんが勇者名乗れるんやったら、僕は神か何かってこと?』

『ミヤビもこんな雑魚に惚れてもうて……ほんま、サイオンジ家の恥やわぁ』


 イナリとの戦いは、ラスト二回を除いた全てが負けイベント。

 主人公である勇者リオス(名称変更可)は戦う度に目の前が真っ暗になり、画面が黒く染まった状態でエセ関西弁で嘲笑される。


 嘲笑のセリフはいくつものバリエーションがあり、周回しても毎回違うセリフで煽られる徹底っぷり。

 毎回プレイヤーは戦う度にイナリに馬鹿にされ、ヘイトを溜めることになる。


 何くそと奮起した有志達によって一時期動画投稿サイトではあらゆるバグ技を使ってイナリの負けイベントで勝利する動画が度々投稿され、無事勝利してもなぜかこちらを煽ってくるイナリの様子に視聴者達はシュールな笑いに包まれた。


 その動画の再生数がかなり回ったことでネットでバズり、呪い(マジックナイトの略、マジナイから転じて呪いという呼称が定着した)では一番一般人の知名度が高いキャラがイナリとなっており、呪いファンはそれを恥だと考えている。


(それに末路も終わっとるやん。これほんまに僕? 情けなくて涙出てきそうやわ)


 イナリはそんな公式やプレイヤーが意図しない形でネタキャラになってしまった、噛ませ犬キャラだった。

 ネットのおもちゃとして有名な彼だが、その最後はかなり悲惨である。


 イナリは最終的に主人公に負け、ダークサイドに落ちる。

 そして魔王軍の尖兵となりその身体を改造されて化け物になり、最後には異形の怪物となった状態で主人公達に討伐されてその命を終える。


 記憶の中で『デスピ○ロの出来損ない』と呼ばれているその最終形態は、あまりにも不細工だった。

 美意識の高いイナリに、その姿は到底受け入れられるものではない。


(僕このままだとあれになんの……? それは……絶対に嫌やなぁ)


 魔物被害の一際大きい極東地域で辺境伯を務めているサイオンジ家の次期当主として育てられたイナリは、自分が死ぬこと自体にはさして思うことはない。

 祖父も曾祖父も魔物との戦いの中で死んでいった。

 故に魔物との戦いで死ぬことに恐怖はない。


 けれどそんな彼からしても、無様にあがき醜い化け物として死んでいく運命は到底受け入れられるものではなかった。

 死ぬとしても己の美学に沿って死にたい。

 イナリの高いプライドは、ゲームのシナリオ通りに事が進むのを許しはしなかった。


(今から鍛えれば……間に合うか?)


 現在は王国歴201年、イナリは王立ウェルドナ魔法学院の一年生だ。

 これはゲーム開始時点の二年前になる。


 二年後、イナリが三年になった時に主人公であるリオスが入学し、そこで一番最初の負けイベント(イナリからすると勝ちイベントだが)が行われることになる。

 そうなればリオスが成長するのはあっという間だ。


 自分が卒業しリオスが二年になる時には既に彼は自分の持つ勇者の力に覚醒し、聖剣を手にすることでイナリ相手に対等以上に戦うことができるほどの力を持つようになる。


 であれば、自分が取るべき選択は何か。

 高速で思考が回転する。

 血統と才能を兼ね備えた彼の知能は、一瞬で己の進むべき道を指し示してみせた。


(そんなの決まってるわなぁ……)


 対処するだけなら話は簡単だ。


 リオスと敵対しないよう、猫を被っていればいい。

 入学した彼と友好関係を結び、後に来る魔王軍からの話に耳を貸さなければ、自分があの醜悪な化け物になることは避けられる。


 だがそんな風に惰弱な選択を採ってしまえば――自分はイナリ・サイオンジではなくなってしまうだろう。


 彼にはサイオンジ家の次期当主としての矜持がある。

 己の持つ才能にあぐらをかかず、誰よりも努力し、血の滲むような死闘を幾度も乗り越えてきた。


 他者に対しても苛烈な彼は、それ以上に自分に対しても苛烈であった。


 自分はなりふり構わずに、これだけの強さを身につけた。

 対して今のお前はどうだ?


 イナリがイベントの度に主人公へ放つ煽り文句は、死ぬ気を振り絞らない人間に対する怒りと軽蔑の印であり、同時に自分へかける発破でもあったのだ。


 彼という人間は、己への圧倒的な自負と自信によって形作られている。

 そんなイナリにとって出会ったばかりの大して強くもない勇者を前に膝を屈することは、何物にも勝る恥辱に他ならない。


「負けたないなぁ……」


 思わず口から出た言葉は、自分の美学に反することを口にすることのないイナリにしては、ひどく泥臭い一言だった。


 前世では、イナリは最後には負ける不人気キャラだった。

 けれど今世では、それは自分自身の手で磨き上げてきた、かけがえのない玉でもあった。


 無様に死ぬなんて許せない。

 けれど出会ったばかりの大して強くもない、持っているユニークスキルにあぐらを掻いているような勇者に頭を垂れることは、もっとしたくない。


 ではどうすればいいか。

 簡単な話だ――自分がもっともっと、強くなればいい。


 覚醒した勇者を倒し、聖剣を手に入れた勇者を尚も倒し、自分の運命を切り開けるだけの強さを手にすればいい。


 その上で勇者を土に塗れさせ嘲笑をすれば、きっとその時の興奮は何物にも代えがたいものになるだろう。


(そうとなったら、善は急げやね)


 くるりと振り返り踵を返し、すぐにでも動き出そうとするイナリ。

 この世界の主人公である勇者を倒すのだ。

 並大抵の努力ではできないだろう。


 けれど自分にならできると、イナリは信じて疑っていなかった。

 人に見えぬよう足をばたつかせることにかけては、彼の右に出る者はいないからだ。


「あ、あのっ……」


 くるりと後ろを振り返る。

 するとそこには涙目になってこちらを見上げている一人の少女がいた。

 同じ一年生の……名前はなんと言ったか。


 才能がない人間の名前を覚えるほど、彼は暇ではなかった。

 なので恐らくネームドキャラクターでもない、ただの学院生なのだろう。


 イナリは今の自分の状況を思い出した。

 今は昼休みに入ったところだ。

 自分達一年二組は、つい先ほどまで二限目の魔法学基礎で、演習場で魔法の訓練をしていたところだった。


 そこで中でも一際魔法の制御が甘かった子に対しイナリが声をかけ、学院を辞めるようアドバイスをした……というのが記憶を取り戻す前の顛末であった。


「んー……」


 振り返りながら、ぽりぽりと後頭部を掻くイナリ。

 彼は自分が言ったことが間違っているとは思っていない。


 目の前の女の子に魔法の才能がないことは、一目見ただけですぐにわかった。

 才能がない人間がどれだけ努力をしたところで、努力できる才能がある人間には敵わない。


 かめはうさぎと、かけっこで勝負すべきではない。

 自分の強みである防御力の高さや忍耐強さといった、別の分野で勝負をすべきというのがイナリの持論である。


 目の前の少女の魔法制御の様子を思い出す。

 術式制御は甘かったが、魔力量に関しては光るものがあったはずだ。

 下手に魔法を学ぶより、魔力の使い方を工夫した方がまだ可能性があるだろう。

 であるなら彼女がいるべきは、魔法科ではない。


「君、今すぐ魔法科辞め。騎士科にでも転科しぃな」


「騎士科に……ですか?」


「ああ、なんなら先生には僕から言っといたるさかい」


 ウェルドナ王立魔法学院は、貴族の子弟や将来の官僚の卵達がその才能を芽吹かせるための国立の教育機関である。

 一番人気があるのは魔法科だがそれ以外にも騎士科や錬金術科などいくつもの学科がある。


 たとえ磨いても光らなかったとしても、自分が輝ける可能性がもっとも高い場所で努力をするべきだ。

 イナリは口が悪いが、決して酷薄なだけの男ではない。

 自分と同様他人にも厳しい彼の優しさが、誰からも理解されないものであるだけなのだ。


「ほなね」


 イナリはそれだけ言うと、廊下をゆっくりと歩き出す。

 彼に呼び止められた少女は、去りゆく彼の背中を、じっと見つめていた――。

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2024年11月17日 12:00
2024年11月18日 12:00

主人公を煽り散らかす糸目の悪役貴族に転生したんやけど、どないしたらええと思う? ~かませ犬なんてまっぴらごめんなエセ関西弁は、真っ向勝負で主人公を叩き潰すようです~ しんこせい @shinnko

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