第3話

「あー」


 尻ポケットの中でスマホがブルブル震える。どうやら電話がかかってきたらしい。


 噴火しそうな怒りはどこへやら。冷や水をぶっかけられた気分だ。


「出ていいか?」


「うん」


 意外にも許されてビックリ。束縛そくばくが強そうだったから、他人からの電話なんてあった日には、スマホをさば折りされるんじゃないかって思ってたんだが。


「どうせダンジョンに入ったら電波なんて入ってこないし」


「……さいですか」


 画面を確認せず電話に出る。非通知からはかかってこないようにしてるし、どうせ知り合いだろう。


「はいもしもし、佐藤ですけど」


「あ、おにーちゃん」


 声を聞いた途端、体中がかみなりにでも打たれたみたいにビリビリしびれた。


 この、スピーカー越しにでもわかる、甘くて聞いてるこっちがとろけてなくなってしまいそうな声の主は……!


 スマホを見れば、佐藤美夏さとうみかとある。


「マイシスターよ! どうかしたのか?」


 そう、美夏は俺の妹である。


 が、返事がない。いつもしていることなのに、なんだか微妙な空気が無言とともに伝わってくる。


 なんだよ、俺がスベったみたいじゃん。


「みたいじゃなくて、その通りじゃない……?」


 ラビュリーがツッコんできたが、無視だ。


 そんなまさか、あり得るわけがない。


 現にちょっと前までは、妹だって、ほがらかに返事をしていたではないか。ほら、ランドセルを背負っていたころとか……。


 が、帰ってきたのは引きつったような何とも言えない笑い声。たぶん、笑いすぎておなかが痛いんだと思うな。


「えっとね、おにーちゃんいなくなってたでしょ?」


「心配してくれてたのか!? そうかそうか、それはそれは」


 じんわり胸にこみあげてくるものがある。妹に心配されることほどうれしくて、申しわけなくなるもんはないね。


「チッ」


「今誰か舌打ちしたか?」


 誰も名乗りは上げなかった。いや、だれがしたんだろーなー。マイシスターがそんなことするとは思えないしなー。


「とにかく。おかーさんとおとーさん、すっごく心配してたんだよ? あんな所にいくからだーって」


「ごらんのとおり、おにーちゃんは元気だ。誰かさんに追いかけまわされただけだ」


 俺は、素っ裸のラビュリーを見る。


 ラビュリーは首を傾げていた。だから、お前に言ってんだよ。


「そうなんだ。よくわかんないけど、みんな心配してたよ。だからね、一回帰ってこないと知らないからね」


「愛しの妹のすすめだからっ。今すぐにでも帰るさ」


「はいはい」


「あ、そうだ別れの――」


 ぶつり。


 話の最中だってのに通話が切れた。


 ま、そういうところが、うちの妹のかわいいとこだよな。


 それにしてもひさびさに聞いた美夏の声は、疲れに効くなあ。


 ――なんて思ってたら、ゾッと鳥肌が立った。毛という毛が逆立ち、なにやらよくないものを検知しているかのよう。


 思わず振り返れば、ラビュリーが俺のことをじっと見つめていた。


 服はやっぱり着てない。が、そんなことが気にならないくらい、目に光がなかった。


「ほかの女にデレデレしてる……」


 何か羽織はおれともいえない、大きなプレッシャーがゆらりゆらりとあがっていた。


 般若はんにゃみたいな顔したラビュリーが近づいてくる。


「な、なんだよっ」


「やっぱり、きてくれないとダメみたい」


 ガシッと腕をつかまれた。その力は一般人の俺なんかよりもずっと強くて、クレーンのアームみたいに肌に食いこんできた。


「痛いって!」


「わたしの心も同じくらい痛いんだよ……?」


 話を聞かないラビュリーをどうにかして振りほどこうと、体を揺さぶったり食いこむ指をひっぺがそうとしたり。


 でも、ダメ。ぜんぜん、歯が立たない。


「力つよっ!?」


「えへへ、ありがと」


「ほめとらん!」


 しょうがない。最終兵器を繰りだすとしますか……。


「いーやーだ。絶対にいかないからなー!」


 全身をばたつかせ、意地でも引っ張られないようにする。


 その姿は、まさしく駄々だだをこねる子供だ。


 この際、恥ずかしいとか言ってられん。このままだと、また監禁されてしまうからな。


「お前に何もかも世話させられるのはこりごりだからな!」


「ご、ごめんね? わたしがもっとちゃんとお世話しないから……」


「だから違うってのっ。世話なんてされたくないの!!!」


 引っ張られる力が、止んだ。


 ヌッとラビュリーの顔が俺を向く。思わずヒョエッと声が出てしまった。能面のような顔はめちゃくちゃ怖い。


「下のお世話をした方がうれしい……?」


 ラビュリーの視線の先には俺の股間。なにを言わんとしているのか、すぐにわかった。


 俺は首をブンブン振る。エッチなことかもしれないが、何より、赤ちゃんみたいにトイレトレーニングまでされたらたまったもんじゃない。


 するわけないだろって? コイツはやるぞ、たぶん。


「そっか」


 ラビュリーが残念そうな表情を浮かべた。俺は心底ほっとした。


「でも、お風呂にはいっしょに入ろ」


 イヤだよ、とは言える雰囲気ではない。


 たぶん、三度まで許してくれる仏様が怒ったらこんな感じなんだと思う。それくらい、圧が半端じゃなかった。


 マズい。このままだと、俺のプライドはシャワーとともに洗い流され消えてしまいそうだ。


「なんでそこまでするんだよ」


「好きだからねー」


「俺を?」


「ほかに誰がいるの」


「…………なんでかなって思っただけさ」


 そういや、どうして好きなのか、今の今まで聞いたことがなかった。


 そんな甘ったるくて歯が浮いてしまいそうな質問なんか、なかなか出来るもんじゃないし。


 告白直後に監禁させられたし。


 なかなか返事はやってこなかった。


 かわらず、俺はズリズリ引きずられている。


「好きだから……じゃダメなの?」


 ぽつりとこぼれてきた言葉は、いつもよりも頼りなくて、震えていた。


 ギュッと俺の腕にこもる力は、子どもが親にすがるようだった。


 どうしてそんな目をするのか。


 ふと、昔のことを思いだした。




 美夏が幼いころのこと。俺と二人で家にいるときだ。そんときは父も母も共働きで帰ってくるのが遅かった。


 だから、学校から帰ってくると俺か美夏しかいない。


 で、俺は友達と遊んでばっかりで、暗くなってから帰っていた。


 ある日、美夏は泣いていた。


 話を聞けば、さみしかったんだと。


 今じゃツンケンしてるマイシスターはすっかり忘れてるだろうが、抱きつかれたりしたんだぜ。


 そんときに、今のラビュリーはそっくりだった。




 でも、違うところもあった。


 いや、そう感じるのは俺の受け取り方の問題なのかもしれない。


 俺と美夏は兄妹。


 俺とラビュリーは他人。


 だからだと思う――胸が締め付けられるような気がしたのは。


 不意に、ラビュリーが立ち止まった。


 見上げれば、こちらを見下ろしてくる視線とかち合った。


 その子犬のような目に、俺は不覚にも見とれてしまっていた。


 今までは可愛いとは思っても、こんな気持ちにはならなかったのに。


 なんだろう、この気持ち。胸を焦がすような……でも抱きしめたくなるような愛おしい感情。


 これが――。


「ラビュリー」


「ん」


「やっぱり、ダンジョンに閉じ込めるのか?」


「……うん。じゃないといっしょにいてくれないでしょ」


 青ざめたラビュリーの横顔を見、俺は電撃のようなひらめきに打たれた。


 ラビュリーは寂しいんだ。


 だからこそ、誰かと一緒にいた。


 はじめて出会ったヒトと一緒にいたい。


 ――海人がはじめてのヒトなんだ。


 本人がそう言っていた。


 たぶん、たぶんだ。俺にはダンジョンの考えることなんてわからないが、そう言うことなんだろう。


 一人ぼっちはイヤ。


 だとしたら俺にできることは――


「そんなことはねえよ。ほら、相棒じゃないか」


「でも、ダンジョンは消えちゃったし」


「ダンジョンがなかったら、いっしょにいられないのか?」


 ラビュリーが目をまるくさせる。そんなこと、一度も考えたこともなかったとばかりに。


「旅に行こうぜ。ほら、ダンジョンばっかりでさ、観光地なんかいかなかったろ。俺はこう見えても、それなりに詳しいんだぜ」


「旅……」


「そ。一緒にどうだ」


 俺は平静を装ってそう言った。


 ……あったりまえだろ。俺だって緊張くらいする。


 ラビュリーはプルプル震えていたかと思えば、急に引っ張られた。


 俺は立ち上がらされ、両腕にギュッと抱きしめられる。


 落ちてきた雫が、ぴとんと俺の胸を濡らす。


 俺はバレない程度に抱きしめかえす。

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