第9話 奇跡の楽園

 チュプハポに山里近くまで送られたウシロクの姉フラだが、家に戻るとミチと婿の文蔵が待って居た。

「何処に行ってたんだ」

 とミチのクニクルカは問いただすが、文蔵は至って穏やかな表情で何も訊こうとはしなかった。

「山にキノコを採りに入ったったんだけど迷ってしまって」

 結局目的のものは見つからず帰って来たと誤魔化したのであった。

この場は何とか収まったが、土産に貰ったモユクの毛皮を隠した積りだったがミチに見つけられてしまったのだ。

 陰に呼ばれて問い質されて、ウシロクから貰ったことを白状したのである。

勿論今日これまでの経緯を話さなければならなかった。

フラとしてはチュプハポのことをミチに理解して貰いたいが為吐露したのであった。


「おう確かに杉の木が二本並んで居るところがあるな。そこから入って、戻りがその辺りまで熊がお前を送って来たと言うのか。以前ウシロクも同じことを言いおったがとても信じられん」

 これはその楽園とも言える地帯への出入り口を話したものだが、その話を入口に附帯している物置の整理をしていた文蔵が何食わぬ顔で聞いて居たのであった。

「その熊に子熊は居るのか?」

「あたしが行った時には旅立った後だったわ」

「おいおい旅立ちではなく巣立ちだろう。お前たち(ウシロクも含めて)と話してるとアイヌ(人)の話なのか獣の話なのか分からなくなるわ」

 と言って笑うのだった。

文蔵の手が止まり気味である。

親子の話を耳を欹てて聞いて居たのだ。

「其処はどういうとこだ」

「そうね、山の神に護られてる場所かな」

「ウシロクもか?」

「えぇそうよ」

「熊は沢山居そうか」

「ウシロクとチュポハポが居るとこは熊は禁猟よ。その他はモユク(タヌキ)やイセポ(うさぎ)やユク(鹿)もいるみたいだけど」

 フラはミチが何を考えているのか察すると、

「あの場所は迂闊に入ると危ないわよ。一つ間違うと命がないかも…」

 これはミチに対する忠告と同時に、聞き耳を立てている夫文蔵への警告でもあった。

案の定城下に用事があるからと言って出かけて行ったのだ。

 文蔵は城下に出る手前の集落を訪れていた。此処に樵仲間が三人程居たのである。

その内の兄貴分の仁吉と言う男のところに話があると押しかけたのだった。

「珍しいじゃないか、如何した」

仁吉は酒を飲んでいた。

「兄貴儲け話を持って来たヨ」

 文蔵はそう言うと勝手に茶碗に酒を注いで飲んだ。

「この野郎人の酒だと思って、少しは遠慮しろよ」

 とは言うものの儲け話にゃ目が無い方なので、徳利でなみなみと注いでやるのだった。

「それでどんな話だい」

 酔い潰れないうちに聞いておこうと催促すると、人と一緒に居る熊が居るんだよ」

「何だいそりゃ飼っているてことか?」

「違うんだなぁ、一緒に暮らしてるってことだよ」

 文蔵は乾き物を喰いちぎって酒をあおる。

「文蔵、もう酔っぱらったのか」

 仁吉は呆れ顔で文蔵の話の続きを聞く。

「莫迦嫁の弟に牛六と言う変人がおってな、此奴が熊と一緒になって暮らしてるって言うんだよ。何でも山の神が護ってるとかでその近くに熊がいっぱいいるらしいんだな。

毛皮が転がってるようなもんだぜ」

「場所は判るのか」

「あぁ分かるよ。清原集落を越えて行った先に在る二本杉の側を南に入って行けば良いようだ」

「嫁の弟が居るんだろう。不味かねえか」

「構いやしねえよ。上手くいったらとんずらすりゃいい。あの一家は真面目過ぎて肩が凝らぁ」

 この二人は江戸に居たことがあった。

武蔵野の山林で樵の見習いをして居て知り合ったものだが、この二人根っからの悪で木材の横流しをした為、窃盗並びに横領罪に問われたのだが、大八車一台分であったので、二人とも二十叩きの上、江戸所払いとなって、仁吉の故郷の出羽の國横手に戻ったのである。 相棒の文蔵はアイヌであった筈だから、何時どのようにして江戸に辿り着いたのかが不明であったのだ。

江戸に居る時仁吉は文蔵がアイヌ出身とは聞いたことが無かった。

 アイヌイタク(語)も殆ど話せなかったのだが、それは小さい頃からサモロモシリ(本州)を北から南へと放浪した為と言うのだった。

そうだとしたらフラの婿に推薦してきた人物も相当いい加減と言える。


 この流れ者二人はこうして悪巧みを摘まみに夜更けまで飲んいたのである。

翌日酔いを醒ましてから何食わぬ顔で戻った。

 この日文蔵はクニクルカに連れられて、城下の清原家を訪ねた。

応対したのは側用人の滝村三太夫であった。クニクルカは娘婿として、次期村長としての挨拶であったが、相手はそんなことはどうでも良くて、熊の毛皮の上納枚数を増やすよう要求したのである。

 この男は現当主に従って来たようだが、重用されておらず、そのはけ口を領民に向けたものだから、評判は悪かった。

更には毎月神社への清掃と供物を命じたのである。

 その事については言われなくとも自発的に実施して来ており、滝村への反感はあったものの、先代当主への恩義から当家の守り神と社を護ったのであった。

この事を次期村長たる文蔵に言い含める様に話したが、畏まって聞いてはいたものの果たしてどうであろうか…。


 そこでクニクルカは六合目に在る清原神社に連れて行き、社殿と境内の清掃の要領を教えたのである。

そして供え物をして神社を後にした。

 少し下って行くと小屋が在った。

此処はウシロクが下山の途中で立ち寄った避難小屋であった。

「村長これは?」

「ここは清原家の方々が神社参詣の後の下山時に休処に使ったとこで、緊急時の避難小屋でもあったらしく、我らが代わって参詣するようになってから燃料や乾き物を置く様にしたのだよ。倅もここを使って難を逃れることが出来たと言って居ったわ」

「そうですかー」

 文蔵は〈これは使える〉と一計を案じるのだった。

 ウシロクの場合はこの辺りから周辺の様相が一変したものだが、二人には何も起こらなかった。

結局何事もなく集落に戻ったのだが、文蔵は途中に二本、杉が並んであったのを確と見ていたのである。

ざっと見ただけだが、笹や叢が獣か何かが通ったような跡が付いているのを見逃さなかったのだ。

〈ここだ〉と確証した文蔵は秘かに侵入の計画を練る。

この計画を彼らは単純に熊狩りと名付けた。首領は樵の仁吉で文蔵が副で、他に声を掛けて集まったの四人だから六人の熊狩り集団を結成した。

 文蔵は一人当たりの報酬を熊一頭に付き四百文(一万円)として、その他の大型獣なら一頭に付き二百文(五千円)とし、小型であれば希望者に与えるとしたのである。

 決行は三日後とした。

その日はクニクルカがマタギの重吉と共に清原家に呼び出されて居て、ほぼ終日留守となるからであった。

 熊槍や弓矢等道具は全て仁吉の家に集めて置いてあった。

 


 その日文蔵は村長が出かけたのを確認すると樵の作業着と山袴にハンバキを巻いて腰に山刀を付けるとフラに声を掛けた。

「何処に行くの」

 フラは文蔵の出で立ちを見て胸騒ぎがしたのでそう訊くと、

「この間清原の御屋敷でお偉いさんに熊の皮をもっと出せって言われたのよ。村長の話じゃ豪く世話になったとかだから仕方ないんだと言ってたので、村長に楽させてやろうと思ってこれから熊狩りに行って来るのさ」

 尤もらしいことを言うが果たしてどうであろうか、フラにも文蔵の本心は見抜けなかった。

「でもミチは清原のお屋敷に呼ばれて行ったのよ。それもマタギの重吉さんと共に、帰って来てからにしたら」

「莫迦野郎女が口出しするんじゃねぇ。だまってろ」

 そう言って出かけて行ったのである。

夫のこのような乱暴な言葉を聞いたことが無かったので、フラは驚いた。

まさに叩きつける様な言い方で、その豹変に驚いたのであった。


〈もしかしたら…〉

 フラは気づかれないように文蔵の後を付けた。

サンニョアイノ(思慮深い人)が働く木挽場の横を通り過ぎる辺りでサンニョが声を掛けたが、聞こえない振りして文蔵の後を追う。すると城下の手前の村に入って行った。

文蔵は腰障子戸に丸に仁の字の文字が書かれた家に入った。

既にひとが居るらしく、数人の男の声が聞こえて来たのである。

良いことでもあるように浮かれている感じであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る