第8話 神の怒り

 ウシロクは神社に向かう山道を途中から南側の樹林に入ると獣道や沢沿いの道を辿っては昇り降りして隠家に着いた。

「此処がお前たちのチセか。一人で建てたのか凄いじゃないの」

 横の炭焼き小屋も観て、家の中にサポを案内したその時雷鳴が轟き、ドカドカドカ~ンと近くに落ちた音がすると、バシャバシャと音を立てて雨が降り出したのである。

「何こんな時期に」

 胆の据わっている姉は怖がる様子もなかった。

「ウシロク見てご覧、嵐だわ」

 雨粒が横殴りにチセの周りの木立に打ち付けて小枝が、折れて谷の方に飛ばされてゆく。その間にも雷鳴が鳴り響いて近くに続けて落ちた。

「サポこれは山の神が怒っているんだよ」

「何でヨ」

「サポを此処に連れて来たからだよ」

「あたしに嫉妬したとでもいうのか」

 サポも村人たちの間に浸透している話を知らない訳ではなかったので、女が山に入ると女の神様が焼きもちを焼くという話を知っていたのだが、それは迷信と言って信じなかったのだ。

 そこでウシロクは、二年前菩薩像を抱えて神社に奉納した時のことを話した。

何時もなら此処に辿り着く前に大雪が降りだして迷い込むと言うものだったが、その時は如何したことか、秋晴れの空に異変は起こらなかった。

この地区への進入路をとっくに通り過ぎてしまい、このままではチュポハポの元には行けないのでどうしたものかと木に凭れて思案に暮れてる居ると、目の前に女醜奴のような神が現れて、慈愛に満ちた菩薩像に寄せた思いに、やきもち焼きの女神の逆鱗ぎゃくりんに触れたことを知らされ、それに対して詫びるなど反省と誠意を示すと、チュプハポへの情愛が確かであることを知った神様は許して呉れたのだと言う。

 

 今またアイヌの美女をこの結界とも言える地帯に連れて来てしまった為、神様が警鐘とも言える雷を住まいの直ぐ側に落とし、恐怖心を煽る様な嵐を巻き起こしたのである。

これは謂わばウシロクに対しての戒めであった。


「きゃあ」

 サポが行き成り驚きの声を上げたので入り口を見ると、雨でびっしょり濡れたチュプハポがいたのだ。

「お帰りチュプ。サポ、チュプハポだよ」

 と言いながらウシロクは濡れた体の雫を布で懸命に拭き取る。

「貸して御覧」

 サポは布を受け取ると、ひっくり返しながら怖がることなく、何か言葉を掛けながら体を拭いたのである。

「あなたがチュプハポね。あたしはウシロクの姉のフラよ、よろしくね」

 するとチュプハポはフラ(恵み)の顔をぺロペロと舐めたのである。

 これはウシロクの姉を信頼し、受け入れた証と言えた。

「本当に可愛いわね」

 ウシロクの気持ちが少しは理解出来た。

「雨が止んだな」

 土砂降りの雨の中をチュプハポを帰した神は、姉フラのチュプハポに対する優しい接し方を見て、不法な侵入を許すようにあんなに激しかった雷雨を静めたのである。



 洞窟の裏を流れている清流は岸辺の土をえぐり、小さな木を根っこ毎むしり取って、泥を含んで下流へと流れ落ちて行ったが、もう少し降り続いていたならば、泥水が洞窟やチセの中まで浸してしまったに違いなかった。

そうならなかったのは、この降雨の範囲が然程広くない為、止めば直通常の水嵩に戻ったからであった。

 だが念の為洞窟の中を確認しに、壁を押し上げて通路から入って行ったのである。

「此処も住まいなの。凄いわね」

 姉のフラは驚きと感嘆の連続であった。

「此処がチュプハポの住まいだよ」

「凄いわよウシロク。あたしらには思いつかないわ。うまく造ったね」


 三人はチセに戻ると、寛ぐように囲炉裏の周りに座った。三人の内の一人は勿論チュプハポのことである。

「チュプハポ、あたし最初にウシロクから話を聞いた時とても信じられなくて猛反対したのよ。だって普通はこうして話すことによって理解し合えるのに、それが出来ないとしたらどうやってお互いの気持ちを相手に伝えることが出来るのか疑問だったの」

 チュプハポはフラの言葉を全て聞き取ろうとするように両耳をそばだてて聞き入っていた。

「でもあなた達の触れあい方を見ていてそんな心配は全く要らないと分かったわ。

久しぶりにウシロクと会ったので何とか説得して此処に連れて来て貰って恐ろしい目に遭ったけど、あなたに会えて良かったと思ってる。

 二人の情愛は正に本物だし、そこらの夫婦など及びもつかない程熱く厚く結ばれていると思う。羨ましい限りよ。

二人はどう考えているかは分からないけど、子供を欲してもこればっかりは授かりものだから分らないわね」

 フラの話が途切れるとチュプハポは側に行ってフラの顔をぺろぺろと舐めたのである。それはまるで今の話を理解するように、チュプハポなりの感謝の気持ちを現した物であった。

「有難う。お互い理解できて嬉しいわ」

 フラはそう言って首筋辺りを撫でたのである。

「雷雨も心配なさそうだから帰るわ。チュプハポまた会えると良いね。会おうね」

チュプハポとフラは向き合って座ると、再会を約束するかのようにお互いの手を重ね合った。

フラが立ち上がるとチュプハポがウシロクを見た。

「姉さん、道までチュプハポが送って行くそうだ。気を付けて」

 ウシロクは姉に手土産としてモユク(狸)の毛皮を一枚持たせた。

「有難う、これから丁度いいわ。使わせて貰うよ」

 フラはチュプハポの後を追うように木立の間を縫うように帰って行った。


 チュプハポは直帰って来た。

「お帰りチュポ。有難うな」

 チュプハポが三日ほど留守にしたが、それは神様の元に行ってたのである。本来は後一日は戻る予定ではなかったのだが、思わぬ下界からの侵入者の為急遽帰されたのであった。

 雷雨は神がその侵入者の善悪を見分ける為に降らした物であったから降らした範囲は僅かで、その割にはずぶぬれとなったチュプハポの濡れ具合から見ると、降らした雨の量は半端ではなかったようだ。

 その辺りのことは後で見て廻ってみると、

落雷は比較的近くて、周辺にあるブナの木のうち二三本が直撃の為割れて、一部が焦げていたのであった。


 ウシロクはチュプハポが姉を送って帰って来る間に、食料の保管庫とも言える洞窟に行って凍った魚を出して来たが、その近くは増水を思わせる跡があり、神の怒りの程が窺えて改めて畏怖したものだ。



 ウシロクは解凍しかかった魚をチュプハポの前に置いて、自分の分を火で炙って焼いていた。

「食べなよ」と先に食べるよう促すが、チュプハポは決して先には食べなかった。

魚が焼き上がるのを待っているのだ。

旅立ったイナウが居た時も、イナウが先に食べてもウシロクが食べ始めるのを待って居たものだ。

こんな光景をサポのフラが見たら感心したに違いなかった。

「食べよう」

 ウシロクの合図で初めて食べ始めるのであった。

「ところでチュプよ、姉の話は分かったか」

 と訊くと、〈解った〉と言うように首を縦に何度か振って見せたのだ。

「そうか好かったな」

 それを知ってウシロクは嬉しかった。


 扨て読者諸氏は今の話を信られるだろうか。一言二言ならともかく、あんなに長い話をどのように訊いて理解出来たというのか。

これこそ信じられない話ではなかろうか。

でも諸君、チュプハポは全部理解したのである。

『そんなバカな話ある訳ないないだろう』

 確かに逆の立場であったならそう思うに違いなかったが、この世界は別格なのだ。

いやいや失礼、これ以上気を持たせたりはすまい。

答えは何時もの通り簡単である。

 フラの言葉を山の神様がチュプハポに伝えていたのである。詰まり同時通訳とみればご理解頂けるに違いない。

 ウシロクの話す言葉も同じである。

全てではないが、女の山の神様が介在して居たのだ。

 でも不可解な面もあった。

こんな場面を覚えてお出でだろうか


【いつの間にかウシロクはブナの木に凭れて

思案に暮れてる居ると顔中が皴だらけの女がウシロクを食い入るように覗き込む。初め老婆かと思ったが髪の艶や刻まれた肌の色艶から見る限り、老婆ではなく若い女醜奴であった。

女醜奴はウシロクが菩薩に抱いた瞬時の思いではあったが、そのことがやきもち焼きの女神の逆鱗に触れたことを知らしめ、更にはその女醜奴が山の神であることを知ったのだ】


 これが山の神の姿で正体だとしたら、醜いが女には違いないではないか。

それが消えると瞬時のうちにチュプハポが眼の前に現れたのである。

ということはチュポハポが女醜奴、詰まり山の神様?

 それは考え過ぎと言うものではなかろうか……。

 確かにウシロクらの故地蝦夷地では、ヒグマがキムンカムイと言って山の神である。

チュプハポはツキノワグマと種類が違うが、サモロモシリ(本州)ではその役割は山の神女神の遣いとされているのである。

 山の民マタギが熊を狩ると、神からの戴き物として恵みに対しての感謝、お礼の儀式をしたものである。



 いづれにしてもその正体がどうであれ、ウシロクとチュプハポはつがうものであった。

山の神が二人に与えた結界を“奇跡の楽園”と名付けよう。

此処にはこの二人の他に自然界の生き物が、ご存じのように棲息していた。

少しの間は平穏であったが、思わぬところから騒動が転がり込んで来るのである。



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