第7話 親離れ子離れ
ウシロクは山袴を穿いて足にホシを巻き、古着の小袖からは腕に巻いたテクンぺが覗いていた。これらは藪の中に入った折、手足に傷を負わないように防禦する衣類であった。
山刀を腰に差して、弓矢と槍を持って準備は整った。
チュプハポは背中に娘のイナウを乗せて、その首に魚などを入れる袋を掛けて出掛けるのだった。
この光景も集落の人々が見たら奇異であったろう。
だがこの三人?にしてみれば、自然の姿であったのだ。
猟と言うよりは行楽であった。
音を立てないように気を付けて歩いて居るのだが、如何しても笹を掻き分ける音が辺りに響くのであった。
近くで何か音がした。
見ると体毛が褐色で体長が二尺ばかりの動物が、じっとこちらを窺っているのが見える。〈何だ〉
と行き成りイナウがチュポハポの背中から飛び降りると、その
その動物は木の上に駆け上って下を窺っている。イナウはと言うと、首に掛けた袋の紐が途中の小枝に引っかかって獲れない為止まっていた。
それを首から外してやると木の下に駆け寄って、上を見上げて居りてくるのを待っている感じであった。
チュプハポはゆっくりと近づくと立ち上がって揺するが、しがみ付いて落ちなかった。
ウシロクは二人に手前に居るように合図すると、矢を番えて獲物を狙った。
矢は見事に獲物を打ち抜いて落下させた。
獲物は鼬ではなかった。
体毛は褐色で頭は白く、八寸ばかりの尾っぽがあった。毛皮商人が欲しがった
この日はその他に兎や
帰りにチュプハポはイナウに魚の取り方を教える為沢に降りた。
ウシロクは少し上からその猟のお手並みを観ていた。
チュプハポはイナウに捕獲の仕方をやってみせる。
水量が少ないとはいえ魚が泳ぎまわるには十分なのでそうは簡単には捕まえられなかったが、その素早い動きにも勝る早業と言うのだろう。チュプハポの右前足が水面を掻くと、その伸びたかぎ爪の先に魚が刺さっていて岸の上に放り投げたのである。
その動作を三度イナウに見せると水からサッサと上がって、お前の番だと許鼻づらで尻を押して川の中に押し込んだのである。
イナウは母親の真似をするが一向に取ることが出来ない。全てからぶりであった。
ウシロクは二人の違いを見てみると、チュプハポに無駄な動きがなく、狙い定めた獲物の次の動きを読むかのように動いて一発で仕留めていたのだ。
イナウはと言うと、相手の動きに
このようにして食べ物を確保することを覚えるのであった。
山女魚五匹は全てチュプハポが取った物だが、その内の三匹を焼いて天日に干して保存した。
毎回収穫の半分はそうしたのである。
そして毛皮を剥いだ肉だが、近くに偶然見つけた自然の冷凍庫とでもいうような一年中冷たい洞窟があり、そこに保存していたのである。暑い夏でも腐る心配がなく、逆に早めに食べる物などは凍りつかないよう藁や布で包んで保存したものだ。
城下の肉屋に売りに行く時は其処から出して持って行ったのである。
然しよくよく考えてみると、ウシロク一家が居住する一帯は正に別天地と言えないだろうか…。
一見他の地区と繋がっているように思えるのだが、二度とも思わぬ天候の急変によって其処に迷い込むのだが、そこで神の遣いとも言えるツキノワグマと出会い、子連れで常識では考えられないような共棲を始めたのである。
この山への侵入者があったとしてもその異種の共生が知られないように工夫して暮らしているのだが、冷凍庫の様な洞窟が備わって居たりと、この地区はこの一家の為に女の山の神様が用意した特別な地区、結界と言えないだろうか…。
下界との繋がりはあるので、彼らは行き来が出来たのだ。
だがその逆はどうなのだろうか…。
詰まり三人以外の者がこの地区に入った場合のことである。
通常は部外者とも言うべき者が何らかの理由で間違って、或いは意図して侵入した場合のことである。
この地域一帯はウシロクがチュプハポとの永住を決めて三度目に訪れた際、それまでの様な異変は起こらず、逆に神様の嫌う行為をした為に入れて貰えなかったのだが、夢の中で女の神様にそれを咎められ、更にはチュプハポと連れ添うことの意志を確認されたのでこの世界に住むことを許されたものだった。 故に下界の者が侵入したりしたらどうなるのか、何が起こるのか誰にも分らなかった。
この頃になると保護地帯から直接城下に抜ける道の行き来は迷うことなく出来たのである。
ウシロクは幾らチュプハポをこよなく愛しているとは言え、会話の出来ない間柄では、時に人恋しくなることだってあった。
そんな時は城下の商人に毛皮なり、肉などを持ち込んで人との接触を楽しんだのである。
時にはトメマツやサンニョアイノ(思慮深い人)とも会うことがあった。
それは偶然の形だが、或いは山の神様の特別な計らいであったのかも知れない。
会えば当然のことながらお互いの近況を話すのだが、ウシロクに限って言えば口籠ることが多かったのだ。
「おめは何時から秘密主義者になった?」
とサンニョが質す。
「別にそうじゃないが……」
このように何時も口籠るのであった。
「そこで休んで行こか」
ウシロクは家族のことでは口籠っても、幼馴染との思い出話では途切れることは無かったので、二人を誘ったのである。
「でも山でどうやって暮らしてるのさ」
とトメマツが訊く。
単純な疑問であった。
「狩りをして毛皮や肉を売って、今日みたいに必要なものを買って帰るのさ、炭なんかも焼いて売りに来てるよ」
「へぇ~、気楽な感じだな。ウポポイ(嫁さん)優しいんだろうな」
「あぁとても優しいさ」
「あたしでなくて良かったね」
とトメマツは態と脹れっ面で言う。
「でもその髪何とかならないの。カッケマッ(奥さん)は何も言わないの?。切って貰えば~。まるで熊みたいだよ」
偶然出た言葉だろうが、ウシロクはドキッとした。
サンニョアイノ(思慮深い人)はゲラゲラと笑い、
「ほんとだウシロク熊だ」
と揶揄う。
確かに髪はぼさぼさで顎髭等は伸び放題で正に人間の恰好した熊であった。
その会話を聞いた連中が振り返るように見て笑ったが構わず続けるのだった。
「そうだウシロクのサポがアイヌイタ(婿)を貰うそうだ。知ってるか」
「否知らない」
家に戻らないのだから知る訳ない。
「部落の者か?」
「頭領の権七さんを知ってるだろ。あの人の甥で樵の文蔵って言うんだそうだ。山の民だが元々は蝦夷の地に居たアイヌだそうだ。
だから村長も長老方も許可したらしいのさ」
「サポ(姉)はどうなの」
ウシロクは姉に面倒掛けた方なので気になった。
「良いも悪いもないだろう。聞いた話では城下に好いた人がいたらしいけど和人の為許されなかったという話だよ。気の毒に」
サンニョアイノは珍しく批判めいた言い方をした。
「ウシロクがいけないんだよ。里に下りて継げばいいじゃん」
「それが出来ないから家を出たのさ」
サンニョアイノの話では近い内に祝言を挙げるとのことだったが、最早家を出た身としては祝いの言葉すらかけることは出来なかったのである。
そんなことがあってから、頻繁には城下に行かなくなった。
必要とするものがあれば下りて行ったが出来るだけ人との接触を避けたのである。
イナウも三歳になってそろそろ親離れする
時期を迎えた。
この間にチュプハポは魚の獲り方や山ブドウやアケビにドングリの実の採取、アリやハチ類の捕食の仕方に小動物の捕獲など教えたのである。
イナウが成獣として旅立つ時、チュプハポはウシロクと共に丘の上から見ていた。
この丘の下にだけ草原があった。
イナウが叢に見え隠れしながら去ってゆくのが良く見えたが、その内に何処から現れたのか一頭の熊が寄り添う様が見えた。
恐らく雄の熊に違いない。
イナウは気に入ったらしく連れ添って姿を消した。
するとチュプハポはウシロクを見上げて、先に丘から下りて行ったのだ。
どうやら娘が無事に旅だったことを確信したようだ。
この後少しの間ウシロクの前から姿を消したのである。
何処に行くのかは分からないが、三四日は戻らないのだ。
以前にもあった。
こんな時ウシロクは城下に行き、友人らと会ったりしたものだが、今回は用事を済ますと久しぶりに清原集落に向かったのである。
集落に用事など無かったが、ミチ(父親)やサポ(姉)の様子が知りたかったのだ。
人に会わないように隠れるようにしながら覗いたのである。
ミチは切り株に腰かけて、煙管煙草を吸いながら若い男と何やら話をしていた。
サポが窓から顔を出してその男に声を掛けていたので、如何やらサポのアイヌイタ(婿)のようだ。
薪を割って居るらしく一生懸命斧を振り上げていた。
真面目で働き者のようで安心した。
とミチが居なくなった途端、その斧と薪を放り投げて足を投げ出して寝転んだのである。
〈これが此奴の本性だ〉
ミチが居る時は如何にも真面目で働き者を装って居るのだろうが、人の見ていないところではこの様な体たらくがこの男の本当の姿に違いないと思った。
サポが気の毒になった。
何時までもここに居る訳にも行かないので、今一度姉の姿を見て山に帰ろうと横から裏に回ると洗濯をしている姉と目が合ってしまったのだ。
「待ってウシロク」
姉のフラ(香り)が追いかけて来たので立ち止まって、詫びるのだった。
「おいらが我儘通した為にサポに迷惑を掛けてしまったようだ。今更詫びても取り返しが付かないが謝るよゴメンなさい」
「良いわよ良いのよ。彼女とはうまくいってるの」
と優しく気遣ってくれる。
サポとは歳が離れていて母親代わりであったからまるで子ども扱いであった。
「折角来たんだからミチに会って行ったら。それと文蔵にも」
姉はどうやら文蔵のぐうたらぶりを知らないようだ。
それを敢えて言う必要はなかったので黙っていた。
チュプハポが帰ってくるかも知れないので帰るよ」
「出かけているの」
「あぁ出掛けているけど」
「ねえそんなに遠くないよね」
「あぁ此処から近いけど、何で?」
大体は察しがついたが恍けて訊く。
「お前のチセを見せて欲しいの。興味あるの良いでしょう」
「此処とそんなに変わらないよ」
「いいじゃない。チュポさんは出かけているんでしょ。さぁ案内して早く」
姉の押しの強さにはいつも負けた。
「それじゃ誰にも言わないと約束して呉れよ。ミチにもだぞ」
「約束するわよ」
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