第6話 異種と番う
翌朝はこれぞ正しく秋晴れと言えるような真っ晴れであった。
天上高くに浮かぶ雲も秋を示して居たのだ。
「父さん、サポお元気で」
体中に武器や道具を付けて家族と別れを告げたウシロクは奉納する菩薩像を大事に抱えて山道を上がって行った。
「ミチ引き留めなくていいの」
気丈なフラが泪して訴えるが、クニクルカは笑いながら、
「心配要らん」
と言って見送っていた。
ウシロクは何時もと変わらぬ感じで神社を目指したが、心の何処かにはミチとサポに引かれるところがあった。
だが下がすっかり見えなくなると、思いはチュプハポにあった。
六合目の神社の周りも漸く紅葉し出した感じである。
拝殿の扉を開けて埃を払い、日差しを入れてから隅に置いてある台座を取り出すと、側用人の指示に従って左寄りにその台座を置いて菩薩像を載せたのである。
その菩薩は優しく慈愛に満ちた表情からして実に美しかった。
この世に存在し得ない物ではあろうが、ウシロクは思わずその美しさに魅かれるように手を合わせて拝んでいた。
拝殿の周りの枯葉や小枝を掃き集めて、無風であったので空地で焼いて始末した。
ウシロクは姉のフラが持たしてくれた竹筒の水を飲んで少し休んでから下山を開始した。
途中の山小屋で乾物や炭と薪を背負子に括ると何時ものように先に進む。
これまでであったらこの辺りから天候が急変して先が見えなくなって異質な地帯に紛れ込んだものだが、今回は何も起きなかった。これではチュプハポのところに行けないではないか…。
ウシロクは焦った。
天気は最高に良く、雪など降りそうもなかった。何時もは悪戯する山の女神に異変?
何かがいつもと違っているのだろうか、分らなかった。
いつの間にかウシロクはブナの木に凭れて寝てしまった。
すると顔中が皴だらけの女がウシロクの寝顔を食い入るように覗き込む。初め老婆かと思ったが髪の艶や刻まれた肌の艶から見る限り、老婆ではなく若いが女醜奴であった。
それがぞっとするような声音で呟くのである。
「フッフッフッフッウシロクよ、今日はどうしてチュプハポの元に辿り着けないのか分かるかえ」
「分かりませぬ、何故」
「お前は此処に来る前に何処に寄って来たんだっけ」
女醜奴はその化け物顔を引き
すると
「ウシロクは山の神のお陰でチュプハポと出会ったのだな」
「はいそうです」
何故かウシロクは女醜奴に丁寧に答えていたのである。
「その山の神が女の神であることは知っているな」
「はい承知してます」
「ではその神が何を嫌うかも知って居ろうな」
「あっ」
その誘導尋問で気が付いたのである。
「あなたは山の神さま!」
「そうだ、その山の神だ。お前は今日里より菩薩像を持って参ったが、
ウシロクは思い出していた。
菩薩を台座に納める前に、あまりにも優しく慈愛に満ちた表情に思わず手を合わせると、その美しさを心に留める様に拝んだのであった。
それがやきもち焼きの女神の逆鱗に触れたと言う訳だ。
「お前はチュプハポを心から愛おしむことが出来ようか」
「はいそのつもりで全てを捨てて里からやって参りました」
「では先程までのことは許そう。暫く其のままで待って居れ」
そう言うと神は目の前から消えた。
代わりに顔をペロペロと舐められて眠りから覚めると、目の前にチュプハポの顔があった。〈お帰り〉とでも言いたげに口を舐めるのだった。
「迎えに来てくれたんだね」
ウシロクも嬉しくて仕方なかった。
円らな瞳が堪らなく可愛いのだ。
チュプハポに対してこの様な感情を抱いても嫉妬深い山の神様はやきもちを焼かなかったのである。
その点が不可解なことではあった。
「行こうか」
ウシロクはチュプハポに促すと、直ぐ側の山肌を下りた。
ウシロクは少し戻ってから行くものと思っていたが、そんな必要はなかった。道がある訳ではないので、真っ直ぐだろうが斜めだろうが縦横に歩き、上り下りしたのである。
いつの間にか見慣れた景色を進んでいた。
〈あったあった此処だ〉
二人が暮らす洞窟があったのだ。
チュプハポが洞窟の中を覗くと、子熊が飛び出してきたが直ぐにチュプハポの陰に隠れて出て来ようとはしなかった。
「お前の子だね」
このウシロクの問いかけに嬉しそうに寄り添って来る。
子熊も初めのうちは寄り付かなかったが、母親の様子を見ているうちに馴染んで近寄るようになったのである。
「おまえにも名前を付けてやろう。
「そうだ天から授かったのだからイナウ(恵み)としよう」
へぺレ(子熊)をイナウと呼ぶことにしたのだ。
イナウも雌であった。
母親によく似ていて、胸の月の輪も真ん中で切れて二分されてる点も同じであった。
所でこの子熊イナウだが、ウシロクは自分が父親だとしたらこの子は熊なのか人なのか、将来どうなるのか心配になった。
姿は熊だが、ウシロクに抱かれるイナウを見てチュプハポは安心した表情を見せるのだった。
時期的にはあっている気もするが、まさか本当に自分の種によるものなのか確信が持てなかった。
サポ(姉)のフラが見たら驚きはするが、決して信じたりはしないだろう。
チュプハポに訊いたところでハッキリと答えてくれる訳ではないので、自分の子かそうではないと思うしかなかった。
イナウはどう見ても自分に似て等いないし、誰が見ても人間の子には見えない。
自然界の中には種が違っても合いのこのような生き物も存在しないとは言えないが、もしそうだとしたら双方の特徴が混じり合った奇妙な容姿になるに違いないのだが、イナウはどう見ても熊そのものである。
チュポハポが安心した表情を見せる訳は、ウシロクの種ではないのに、自分の子のようにかわいがる様に安堵しているに違いなかったのだ。
ウシロクは此処に来るに当たっては親兄弟親類仲間を捨てて来たのである。
子熊が居ようと居まいがそれが自分の種でなくても然したる問題ではなかった。
大事なことはチュプハポと暮らすことであったのだ。
この地域は、特別な保護地区の様なものである。
どのような仕組みなのかは解らないが、先ず山の民に発見される心配は無いようだった。
ウシロクはチュポハポとの生活の場を工夫してお互いが快適な暮らしが出来るように改良したのである。
洞窟の前に、見た目は普通の大きさのチセ(家)を建てて、その後ろの洞窟の入り口が発見されないようにしたのである。
洞窟の出入り口を完全にチセで覆ってしまったのだ。
それでも親子は出入りは自由に出来た。
仮に誰かが通り掛ってチセの中を覗いたとしても山里に在るチセと何ら変わりないので、この家の後ろに熊の巣が有る等、想像が付かなかった。
ではチュプハポ母子はどのようにして出入りするというのだろうか…。
読者にだけはそっと教えて進ぜよう。
仕掛けは至って簡単でこうだ。
洞窟とチセの壁の間に隙間があり、そこを通って出入りすると言うものである。
山肌まで壁があるように見えるが実際にはその間に隙間があり、チセの横にはギリギリのところまで楢などの広葉樹があり、低く枝が横に伸びていたが、四つ足の親子は難無くその下の隙間を通り抜けることが出来たのである。
直接の出入りはそこからであったが、チセと洞窟の行き来も勿論出来た。
洞窟はチセに対して北側に在るので、囲炉裏の先にある寝台を隠す形で衝立を置き、その直ぐ横の壁を押し上げて出入りさせたのであった。無論ウシロクもそこから間に在る通路に這い出て洞窟と行き来出来た。
その部分はチセの西側にある玄関先から見ても分らないようになって居たのだ。
こうすることによってウシロクは火を自由に使えたので、寒い間も暖房が効いて暖かく、食べ物も煮炊きが出来たので里の集落に於けるような暮らしが出来た。
一方のチュプハポは、洞窟の中で自然な形で暮らせたのである。
この様にお互いの住まいを自由に行き来できる造りにすることによって、ウシロクもチュプハポも快適な暮らしが保障されたのであった。
外には炭焼き小屋と薪などの保管小屋を造ったので、見た目は山里に馴染めない変わり者の独居であった。
ただ此処は山の神による保護地区なので、人が間違っても入らないようになっていたのだが、ウシロク自体は区域外に出ることは自由に出来た。
勿論山里に行くことも出来るし、横手城下に行くことだって出来たのである。
そんな訳で、必要なものは城下に行けば手に入れることが出来た。
自然の恵みついて言えば、熊以外なら何でも獲って良かったので、ウシロクは狩猟で得た毛皮やその肉を城下に売りに行って生計を立てたのである。
毛皮はそれを買い取る専門の商人に持ち込み、肉は鶏肉料理を主としている小野屋が、時に猪の肉や鹿肉を持ち込むと喜んで買い取ったのである。
主人の
他に炭は炭屋にも持ち込んで居たので、これ等が収入源として生計を支えたものだった。
衣類などは古着屋で買えば良かったし、調理道具や調味料なども帰りがけに買って、山に戻るのである。
この日旅籠の前を通りかかった時、
「ウシロクじゃない?」とアイヌの言葉で声かけられた。
振り返って見ると見覚えのある顔の娘であった。
ぽか~んとしていると、
「やぁだウシロクったら、分らないのトメマツよ」
と思いっきり肩を叩いた。
「痛でぇトメかぁ。すっかり大人になったもんで分かんねがった」
「ウシロク聞いたぞ、何処さ居るの」
トメマツはすっかり和人の娘になっていた。
「どっかで茶でも飲もうか」
トメマツは旅籠の仲居頭に断って近くの甘味処にウシロクを誘った。
二人は豆の入った大福を食べながら、
「部落に用が有って行ったらサポと会ってな、ウシロクは馬鹿になったと嘆いておったよ。何で馬鹿って言うのか訊いたんだけど、チュプハポと一緒に居ると言うだけでそれが何か教えね~のさ、それって誰ヨ。子供は居るの」
トメマツはまだ独身のようで興味津々矢継ぎ早に質問を繰り出す。
「チュプハポには子供がいるよ」
「何、子連れと一緒になったんケ」
と言いながら漬物を食べる。
それは燻大根であった。
「連れ子ではない」
「あたしと一緒になるんでねかったか。まあいいや、このがっこ(漬物)うめがら食ってみれ」
「うめ~よ。さっきの話だが…おいらの子どもかも知れないんだが…」
「何だよ其れ。ウシロクに似てないの?」
「あぁ、女の子だからよ」
「女だろうが男だろうがおめさの子ならどこか似てるべよ。だば(ならば)あたしが似てるか似てないか見てあげるわ」
「それはちょっとな」
「駄目か、何で?会わせられない理由でもあるんか。女の子ならめんこい(可愛い)べ」
「やっぱりやじがね(だめだ)」
「変なの。姉さの言う通り馬鹿になったみたい」
頑なに拒むウシロクが理解できなかった。
トメマツと久しぶりに会ったまでは良かったが、家族のことに触れられると、相手に対して満足な答えが出来なかったのが不本意ではあった。
家に戻ると気配を感じてチュプハポが顔を出した。
「只今チュプハポ。イナウ(子熊)は寝てるのか」
チュプハポはウシロクに寄り添うように横になると、安心したように目を閉じた。
「寝ないで待ってたのか」
熊は何方かと言うと夜行性だから昼は寝てることが多かったのだが、ウシロクが出かけた時は殆ど寝ないで待って居たようだ。
翌日は朝早く目が覚めたが、側にチュプハポは居なかった。
添い寝の形で寝たのだから、何時ものようにウシロクの寝つきを確認して、自分の寝床(洞窟)に戻ったようだった。
ウシロクはチセの横に置いてある桶から盥に水を汲むと、目頭と口元を擦るように洗った。
そこにチュプハポがイナウ(恵み)を連れて起きて来た。
イナウは無邪気に何度も欠伸をしてみせた。
「チュプハポ、狩に行こうか」
するとチュプハポはウシロクを見上げて了解の合図を送るのだった。
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