第5話 変わり行く村

 ウシロクが山から下りて来た形で集落に戻ると、チセの前でミチ(父親)が和人と立ち話をしていたが、その客人をチセに招き入れたので近くの切り株に座って客人が帰るのを待ったのである。

 所在なくしていると、声を掛ける者が居た。見るとサンニョアイノ(思慮深い人)であった。

「何処をうろついて居るんだ?トメマツが豪く心配して居たぞ」

 サンニョアイノ(思慮深い人)は意味あり気に笑う。

「山に居たんだ」

 ウシロクは嘘の付けない正直者である。

「本当に熊に会いに行ったのか?」

「本当だ」

「余程可愛い熊なんだな。それなら連れて来て此処で飼えばいいだろう」

 ウシロクは唯笑うだけだった。

それはそうだ。

幼馴染みで気心の知れた友であっても、普通に考えるとこう言うに決まってるのだ。

幾ら気に入ったからと言っても『一緒に住んだら』とは言わないし、そんな発想は無い。 だが思い出してみると前回帰村した際、五日間(実際は五十日)も山に居たと言う話をサンニョアイノも聞いてこう言ったのだ。

『熊は本来冬眠の時期だが、寝た切りばかりではないようだから、起きて行動することもある。ウシロクも同じように寝かされてしまったのだろう』と、今聞いてみるとそう言ったことを覚えていないようだった。

だから常識的な答え方をしたのである。

「トメマツと会ったのか」

 ウシロクは話題を逸らす。

「とめは飯炊きから仲居とかいう仕事をして皆に可愛がられているよ。髪も和人のそれですっかり変わっていた」

「そうか、ピリカメノコだからな」

 トメマツの近況を語るサンニョアイノだって和人の様な髷を結って、すっかり大人になっていた。


 そうこうしている内に客人が出て来た。

「良しなに頼む」

 客人はそう言い残して帰って行った。

サンニョアイノと話し込んでいるウシマツを見つけると、

「ぼうっとしてないで入れ」 

 といつになく不機嫌であった。

そりゃぁ当然だ。

掛軸を奉納しに行って三月も戻らなかったのだから怒って当たり前だ。

「また熊のところに行ったのか。何時まで放蕩してるつもりだ。今いたサンニョにしろ、この部落の若者は皆懸命に働いて居るわ。お前ひとりフラフラとして恥ずかしい限りだ。先程来た和人(侍)は何しに来たと思う」

 ウシロクに答えを求めたが、判ろう筈もなく答えに弱していると、

「ばか者、お前は本来この村の長に納まるべき者だが、それでは勤まらん。そんな腑抜けでは村の者が死に絶えてしまう」

 いやはや久しぶりに落ちた雷であった。

 ミチは一呼吸おいて話し始めた。

「客人は清原家の御用人だが、主人清原将衛門が隠居して跡取りが居なかったので、戸村家から養子が入って五代目を継いだことを機に、清原家の知行地に住む者は租税として米若しくは猛獣の毛皮を納めるよう通達して来たのだ」

 これは主人将衛門が特別に免除して呉れてたのだが、主家筋からの養子となるとその辺りのことは見逃さなかったのである。

 ミチは受けた書状をウシロクに見えるように床に置いた。


【租税免除改めの事】と題する書状には、今年末を以て租税免除者たるを改め、米五十石若しくはそれに充当する獣の皮を納付することを申し付けるもの也。発給者は清原継左衛門と署名されていた。

 クニクルカとウシロクは文字が読めた。

クニクルカは蝦夷地で親しくなった和人から読み書きを教わったらしく、大体のものは読めた。

ウシロクはその息子だから当然幼い時から教え込まれ、親よりも早く覚えたものだった。



 この集落で他に文字が読めたのはサンニョアイノとトメマツだけであった。

この二人はウシロクが地面に何やら線を描いているを見て、それが物事の表現や記録に役立つ文字というものと知って、クニクルカに教えを乞うて覚えたのである。

「要は我らには熊の毛皮を納めろということだ」

「先程の和人がそう言ったのですか」

「そうだ」

 ウシロクは危機感を覚えた。

 此処の集落は山間の集落である。

部落民の多くは野菜作りや漁撈狩猟を生業なりわいとし、炭焼きなどを兼業して如何にか暮らしを立てていたのである。

それでも暮らしが楽だったのは租税を免除して貰っていたからであった。

 他の地区の狄村えぞむらもそうだが、領主に対して不定期ながら獣の毛皮などを上納して居たのだ。

 早くから定住した部落民は和人化して米農家となり、検地によって一反歩辺りの石高が定められて、部落若しくは村単位の村高の内五公五民ないしは四公六民の徴税率で収めていたのである。


 ウシロクの危惧はさて置いて、村長のクニクルカはこの山間の村の痩せた田畑は上・中・下田の等級でみれば下田も下田であるから五十石すら収穫できなかった。

従って熊や鹿などの毛皮を納めるしかなかったのである。

そしてその一部は清原家から城代戸村十太夫に上納された。


 扨てウシロクの危惧したことは何かというと、読者諸氏のお察しの通りチュプハポの安危であった。

恐らく毛皮の上納の為には、これまでの様な気の向いた時に行う狩猟のやり方では賄えないのである。

 従って広範囲に亘る猟によっては、チュプハポが発見される恐れがあった。

一層のこと連れて帰って飼育の形をとればいいかとも思ったが、ミチ(父親)の村長はとも角として、集落には長老と言われるうるさ方がいるので、仕来たりや因習を盾にイオマンテ等の儀式で愛するチュプハポの命を奪われかねないではないか…と考えると、自分の身を挺してでも護らなければならないと思うのだった。


 或る日サンニョアイノ(思慮深い人)が頭領の権七と見たことの無い男を連れてクニクルカのチセを訪れた。

クニクルカは客人らを囲炉裏端に招いて持て成しの煙草を勧めると、サンニョアイノと権七は辞退したが重吉と言う男はクニクルカから渡された煙管煙草をうまそうに吸うと、火皿を逆さにして燃えカスを灰に落した。

その様子をじっと見つめる三人を他所に、手拭いで吸い口を丁寧に拭いて戻した。

「ケラアンタンパク(おいしいたばこ)をイヤイライケレ(有難うございます)」

 とアイヌ語で礼を言ったのである。

これには一同吃驚びっくりした。

「重吉さんだったね、あんたはアイヌか」

 クニクルカは思わずそう訊いたのだが、重吉は首を横に振って、

「根子と言う集落の出でして」と言う。

「ということは重吉さんは山の民か」

 クニクルカは物知りであった。

「はいマタギです」

「そのマタギのあんたが此処に何しに来た」

 不躾な質問だが村長の立場から遠慮なく訊くと、権七が重吉に代わってその経緯を話し始めた。

「こないだ清原家の御用人の時田さまが作業場にお見えになりまして、熊狩りの名人を紹介するがどうだと言うものですから、わ(私)にゃ分かりませんので村長に訊いてみて下さいと言いますと、『そうか』と言って何か思案顔で城下へと帰って行っちゃいましてね、直接話せばいいのにずいぶいばだだ話(奇妙な話だ)と思ってましたら、その翌々日に重吉さんを連れて又やって来たんですよ」

 権七はひと息つく様に言葉を切ると、腰の煙草入れから刻み煙草を出して、短い煙管でぷかぷかと吹かした。

 煙草を吸わない訳ではなかった。

本来なら村長が客に勧める煙草を戴くのが礼儀であったが、勧められる刻み煙草の葉の味が馴染めず、一度限りで辞退したものだった。

「そんで如何した」

 村長はその先が気になったので催促する。

「へいおめえさから村長に話して呉れと言って帰ってしまわれたんですよ」

 全く呆れた話であった。

「そんだらわしから話ますが、実はわしなどは単独で山に入ることが多いもので、或る時行き成りイタズ(熊)と遭遇してしまい、足に大怪我を負ったんです。その為傷口が治癒したけど山谷を駆け巡ることが出来なくなってしまい、引退したんです」と言うのだった。

 その後知り合いを頼って横手に来たが、何処の家でも片足が不自由では話にならないと相手にされなかったというのである。

そこで下働きの形で清原家に臨時に雇われると、マタギであったという話をすると御用人が重吉に相応しい働き先があると言われて昨日権七のところへ連れて来られたのだと言った。

 権七が言う。

「村長この重吉さんは確かに片方の足が不自由だが、何も山に入らんとも若いしらに狩りの仕方を教えることが出来るでねか。根子ではシカリ(頭領)だったんだよ。御用人の時田さまにはこん人の価値が解らなかったに違いねが、イダワシ(勿体ない)で」

 恐らく清原家も主が変わって財政も厳しくなったのであろう。

体良くお払い箱にしたのである。

ところが清原集落にとっては天の恵みであった。

 これまでは個々のやり方で得物を獲ったが、重吉は部落の若者に山に入る為の準備などから教えたのだ。

猟は主に冬から春である。

基本は日帰りで山に入るが時には山中に泊まることもあった。

冬山は時に荒れるので、それなりに防寒の用意が要った。

服装はしかり、山小屋には非常食や薪や炭などを置いて非常時に備え、遭難を回避した。或いは雪洞を作って非難する手段も心得ておく必要があったのである。

 狩の方法だが、少人数若しくは単独で山に入り、冬眠中の熊を仕留める穴熊猟や足跡や糞の状態を見ながら追跡するしのび猟などであった。

後の時代になると大人数で役割を決めて谷底から上に追い立てて鉄炮で仕留める巻狩り猟が盛んになったが、この頃は少人数でマタギ槍で仕留めたものだった。



 重吉は集落にチセを建てて貰うと、その中で数人の若いしらに道具の作り方から使い方を細かく教えると、その指導を受けた者達が次第に狩人らしく見えるようになってきた。ウシロクもミチから勧められたが、その気には為れず辞退していた。


 秋になると冬の準備に忙しくなったが、ウシロクはミチの代理として城下の清原家に呼び出されて行った。

この時清原家で使う薪や炭を荷車に積んで行ったのである。

 横手城の直ぐ近くにある清原家の屋敷は大通りに面した所に在って城代の戸村家に匹敵するほどの豪壮な屋敷であった。

裏門から入ると、側用人の滝村三太夫が苦み走った顔をして出迎えた。

裏玄関の式台で待たされること半時ばかり、その間に若いし二人が荷車の荷物を炭小屋や薪を積んでる棚を整理しながら収納したのである。

 ウシロクは所在なく玄関横に立って居ると

「上がれ」と言われて玄関脇の小部屋に通されて、風呂敷包みの中身を見せられた。

「小僧、これは先代が大切にしていた菩薩像だ。お山の拝殿に近日中に納めるよう確と申し伝える。心せよ」

〈なんぼおばぐだな〉(何と横柄な奴)と思ったが相手は主家筋のお偉いさんである。

「へい」と一言、畏まって下った。

 帰りにウシロクは茶店で若いし達に団子を奢ると仏像を大事に抱えて集落に戻った。

 側用人の態度には腹が立ったものの、これでまた山に向かう口実が出来たので、寧ろ感謝すべきと言えた。


 戻って直ぐ清原家からの指示を報告した。

「清原将衛門様の秘蔵菩薩像か、ウシロク祀る位置は聞いて来たのだな」

「はい伺いました」

「ならまたお前が行って来い」

 ウシロクを解き放てば暫く戻らないのは分かっていたがクニクルカはそれを承知で言い付けるのだった。

「フラ(香り)、酒とつまみを頼む」

 フラとはウシロクのサポ(姉さん)でハポ(母)が早くなくなってしまった為、母親代わりをしていたのである。

 ミチが昼間から酒を飲むなどは珍しいことであった。

「良いかウシロク、儂は後ホッネパ(二十年)位は生きて居よう。お前が山の民として生きて行く知恵は授けたつもりだが、儂が居なくなったら何としてでも独自に生きて行かねばなるまい。薪はそこら中にあるし、炭は焼けばいい。場合によっては売れば銭になるのだから何とかやって行けるものだ」

 明らかにミチは戻らないであろうウシロクを観て山での暮らし方をお浚いさせていたのである。

 ウシロクはどぶろくの様に濁りのある酒をゆっくり飲んだ。

フラ(香り)がカムイカムシ(マイタケ)を炒めて出した。

「ウシロクお前は本気なの?」

「あぁ本気だよ」

「信じられないわ」

 幾ら姉弟とは言え、アイヌ(人間)と熊がつがうなどありえないことであった。

「相手は獣だよ。言葉も交わせなければ、一緒に住む事だって適わないだろう。お前は可笑しいよ」

「フラもういい、此処はお前が婿を取ればいいだろう女酋長だ」

 クニクルカはそう言ってカラカラと笑った。

「ミチ、酷い冗談だわ」

 フラも酒を注ぐと一気に飲んだ。

「おぅおぅ、豪快な飲みっぷりだ」

 ミチはかなり酔ったようで脱線していた。本心からすれば娘のフラと同じくやるせない気持ちではあったのだ。

だから何時もは見せたことの無い酔い方をしてしまったのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る