第4話 共通の思い

 神社は中腹にあるが、前回同様沢沿いに上がって、途中から山林の間の道を抜けるように登って行ったのである。

それは前回同様の路を辿ったものだった。


 ウシロクは神社の扉を開けて、左右に安置されている仁王像などの埃を落すと、中央に大山祇命の掛け軸を吊り下げたのである。

 それは和人が崇拝する神様の絵と聞かされていたが、和人のようには手を合わせて拝むことなどしなかった。

 さてこれから前回同様の路を辿ることが出来るかどうかは分らなかったが、避難小屋は難無く見つけることが出来た。

 小屋の中には炭や薪木が残って居たので、袋に詰て更に干し肉も保存袋から取り出して必要な分だけ袋に入れると背負子に括り付けて担いだ。

 外に出ると行き成り雪が降り出したのである。

この時期に雪が降ること等滅多になかったが、時には温暖な地方でも夏に霙が降ったことを伝え聞いていたので、この時期に雪がぱらついても不思議ではなかった。

 とは言え、今まであんなに天気が良かったのに、きれいに澄んでいた空が俄かに立ち曇って、忽ち雪が降って来たのには驚かされたものだった。

然も風が出て吹雪き始めたのだ。

あの時の再現の様な状況になって来た。

 これは山の神の悪戯なのだろうか…。

視界が利かなくなって来たので、槍で足元を確認しながらゆっくり歩いた。

未だ先に進むことが出来たが、周りを見渡してみると、知らない土地なのにどこか懐かしい感じがしたのだ。

 僅かな間しか降らなかったが、山肌は白銀に染まっていた。

空はいつの間に晴れていた。

その空を見ながら樹林の開けた辺りに山が見えた。

 集落から見える山のようだが、別の面を見ていたのである。

それは先達て横手の城下から見た瘤のある面であった。

更に言うならば、前回洞窟の近くから見た景色であったのだ。

 ウシロクは如何やら山の神の思し召しによってチュプハポのいる洞窟に連れて来られたのだと思った。

〈この近くだ〉

 ウシロクは目を凝らして洞窟を探したのだがその辺りには無かった。

すると少し先の雪の中に足跡が付いていたのである。

〈チュプハポだ〉

 ウシロクはそう確信すると、その足跡を追った。

岩が見えた。

〈あった〉

「チュプハポ、チュプハポ」と呼んでみたが姿を見せなかった。

洞窟の中を覗いて見たが暗くて良く見えない。恐らく子熊を連れて出かけているのだろうと思い、洞窟の外で待つことにした。

洞窟から沢に降りる方角に足跡が付いていたが成獣一頭分しかないので子熊は洞窟の中に居るのかも知れなかったが、子熊と雖も不用意には入れなかった。

〈チュプハポは何処に行ったのだろうか〉

 何処かに出かけようとして一旦穴蔵に戻って又出掛けたようだが、一体どこに行ったのだろうかと恋人の帰りを待つような気分で待って居た。

するとガサガサという笹の葉の音がしたので見ると、胸の月模様が割れている熊が魚をくわえて谷から上がって来るのが目に入った。

「チュプハポ!」

 大声で呼ぶと、声が山間に木霊して返った。

するとその熊は一瞬動きを止めて、銜えていた魚をその場に落すと、勢い良く駆け寄って来て、ウシロクの顔をペロペロと舐め回すのだった。

ウシロクも嬉しくてチュプハポの顔に頬を擦り付けて応えたのである。

「元気だったか」

 ウシロクはまるで恋人に接するように語りかけると、チュプハポは優しい眼差しで見ていた。

まるで微笑んで居るように見える。

 この二人の?(以後便宜上二人と表記するので承知して戴きたい)様子を他の者が見たとしたら、何と思うだろうか?

滑稽と映るのか、それとも危ういと見えるのか?。

熊が人間にじゃれているぐらいにしか見えないに違いなかった。

 一体誰がこの異なる個体の異種に対する共通の思いを、理解することが出来ると言うのだろうか…。

 それは良くある飼い主と動物の主従に於ける関係とは全く異質のものであった。

 単純に言うと、二人は異種の垣根を越えて互いを愛してしまったのである。

チュプハポはウシロクの姿を見て嬉しくて仕方なかった。



 種明かしをすると、ウシロクを再びこの地に連れて来たのは山の神様であった。

抑々山の神はこの二人を悪戯で近づけたものだったが、それが思惑を超えて、自然界の掟を破るような事態になってしまったので、慌てて修正を試みたが遅かった。

 山の神様は天の声で雌熊(チュプハポ)にウシロクの来たことを知らせてから、前回同様に大雪を降らせたのである。

そして視界を見えなくすることでこの謎のゾーンに迷い込むようになって居るのであった。

 とは言えあの穴蔵に辿り着けたのは偶然で、辿り着かなかったら凍死してしまったかも知れなかったのだ。

 今回はチュプハポが足跡と言う目印を付けたことによって穴蔵に辿り着けたのだが、足跡が無かったら探し当てることは出来なかった。

足跡を付けて誘導したのは明らかにチュプハポの意志によるものであり、穴蔵を見つけさえすればそこから動かないと信じて沢にウシロクの好きな岩魚を獲りに行ったものだった。


 洞窟の中に子熊は居なかった。

チュプハポのお腹はへこんでいるから、出産か流産かだが、種が違うので育たなかったのだろうか…。

ウシロクの知識では答えは出なかった。

 楢の実を袋から出して皿に入れてチュプハポに渡すと、前足(手)で器用に摘まんで食べた。ウシロクが指に挟んでチュプハポの口元に持って行くと、軽く口を開けて食べたのである。

チュプハポがその逆のことをすることは無かったが、この二人の仕草はまるで恋人か夫婦のようであった。

 生まれも育ちも異なるこの奇妙な取り合わせのカップルが、お互いが望んだ相手には違いないものの、果たして共同生活をどう送るのか、仕向けた山の神すら予測できないに違いなかった。



 一方清源神社に奉納に行かせたウシロクのミチ(父親)クニクルカは、又もや直ぐに戻って来ない息子を四五日は心配して待つていたが、如何やら前回の話からしてその熊に会いに行ったのだと確信すると、息子の帰還を当てにすることなく、集落の若者を数人連れて山に入った。

 清原将衛門から山林の伐採の許可を得ていたのは、二合目から五合目あたりまでだが、今ではこの山の実質管理者は村長であるクニクルカであった。

所有者と同じであった。

 この日は二合目から三合目を見て廻った。密集し過ぎて日当たりが悪い所では立ち枯れも起きていたので、その辺りから伐採して間引く必要があった。

そこでサンニョアイノ(思慮深い人)が世話になっている頭領の権七に話して、作業を請け負わせたのである。

 その他の部落民は男は漁撈に携わり、女は山に山菜を採りに行っていた。

農作業を専業とする者は畑で野菜を作ってはいた。

 或る日長老がクニクルカのチセに煙管を持ってやって来た。

「親爺殿、何時までも元気で何より」

 クニクルカは気持よく迎えると客席に招いて、刻み煙草の入った筒を出して長老の前に置いた。

長老はその刻み煙草を火口に詰めると、囲炉裏の火で点けて、一口、二口と吸っては新たに刻み煙草を詰めて又吹かす。

 クニクルカは長老の煙草入れから刻み煙草を頂くと、同じように火を点けて吸った。

「旨いね」

 長老は満足そうに笑った。

アイヌにとって煙草は社交上の道具でもあったのだ。

長老は煙管で旨そうに煙草を吸うと、

「此処も和人の地のように、集落らしくなって来よったな」

「はい道も村の衆が頑張って呉れたもので漸く整って参りましたよ。これも長老方の呼掛けのお蔭ですよ。助かりました」

 クニクルカは長老を立てる。

「酋長(村長)の力だよ。否それはそうと清原様は最近お見えにならぬようだがどうしたかな」

 此処に集落を建設した当初は頻繁に顔を出して呉れたものだったが、健康を害された後はご家来衆が様子を見に来ていた。

しかし最近はそれすらなくなっていたのである。

 完全にこの山の管理を任された訳だが、時に御屋敷に伺って、毛皮や炭焼きで得た収入の一部を収めたのである。

川で取れた魚や山菜や畑での収穫野菜も献上したのである。

 こうした状況報告を偶には長老たちに話したが、蝦夷地から来たばかりの時のような仮住まいで生活が困窮して居た時とは違って、此処での暮らしは遥かに豊かで、別天地であった。

「最近ウシロクを見かけないが一体何処へ行ったんだね」

 と長老は探りを入れて来る。

「用事を言いつけたんだが、また何処かほっつき歩いて居るようです」

 クニクルカは察しが付いていたが、その様に恍けたのである。

「将来の酋長がそれでは困るではないか」 

 長老は噂話を聞いて居たので非難を交えて苦々しく言葉を放つ。

だがクニクルカは何を言われようと平然としていた。

「親爺殿心配は無用。もしかしたら嫁と子供を連れて帰って来るかも知れませぬ」

「悪い冗談だ」

 豪い剣幕で怒って帰って行った。

如何やら部落の連中も、ウシロクの姿が見えないことについては、どうやらまた熊を求めて山野を歩いて居るに違いないと思い込んでいるようだった。


 前回ウシロクは熊と洞窟に居たと言ったのだが、それを誰も信じて等居なかったのだ。

そりゃそうだ。相手は野獣である。

ウシロクが言うように食べ物を分け合ったり、同じ穴蔵で暮らせる訳が無い。

況してや山里近くまで道案内して来た等、熊の生態を知る部落民が信じる筈がなかった。 

だからそれを夢として、実際には熊を探して歩いて居たに違いないと思われたようだ。今回も同様で既に六十日は過ぎていた。

 ウシロクはクニクルカに猟の仕方を仕込まれていたので、獣を狩ってその毛皮を城下に売りに行っては又山に入って単独で狩りをしているものと見られていたのである。

 そう言う噂が立ったのは、確かに城下でウシロクに似た男を見かけたという者が居たからである。

 クニクルカは、

「間違いではないのか」

 と問い質すが、

「間違いなくウシロクだった」

 と、その男は断言したのである。


 そのことについて後日生還したウシロクに質すと、

「欲しいものがあったので、猟で得た毛皮を持ち込んで金に換えて買い物をしたと言った。

 扨てそのウシロクだが、チュプハポが冬眠する前に里に下りなければならなかったが、二人とも別れ難かった。

 単純に言えば、チュプハポが冬眠している間でもそこで暮らせるだろうと思うかも知れないが、自然の中で異質の個体が同じ条件下で暮らすには相当無理があった。

 ウシロクもチュプハポもそれを承知していたのでお別れの前に二人の愛情表現が見られたが、此処では割愛する。

 前回同様山間の獣道を下り、人の通る道へと出た。

今なら単独でも戻ることは出来そうだが、数か月経つと、様相が一変してしまうのでこの道を上に辿るのは困難であった。

「チュプハポ達者でな。必ず会いに来るから待って居るんだぞ」

 言葉では返せなかったが、円らな瞳の奥が少し潤んで見えた。

チュプハポは何度も何度も立ち止まっては振り返り、山奥へと姿を消した。

 

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