第3話 神様の悪戯か…

「無事だったか」

 ミチのクニクルカが嬉しそうに大声で出迎えると、その声に誘われるように人々が集まって来た。

「良かった良かった」

 人々は口々にそう言って無事を喜んだ。

「心配かけました」

 クニクルカは息子の帰還を喜んで祝いの席を設けたのである。

行き成りではあったが、部落民らは食材を持ち寄って総出で料理して祝った。

 その席上でウシロクは、山での不思議な体験を話したのである。

聴衆の反応は様々であったが、その大半は信じることが出来なかったようだ。

 それはそうだろう。先祖たちが蝦夷の地で神と崇めた熊がウシロクの命を救い、将又里まで道案内して来たと言うのだから信じられる訳がなかった。

 長老らは若者の話を作り話とばかり一蹴したのだ。

〈どこかの避難小屋で過ごして居たに違いない〉殆どの者がそう思ったのである。


 翌日ウシロクはミチ(父親)クニクルカに清原神社へのお詣りの報告を正式にした。

一応社の状態を見たが壊れた個所もなく、社殿の周りを掃き清めて、お供えをして下山したと話した。

 問題は大雪になった為進めなくなって避難した洞窟での出来事だが…。

息子が嘘をついたりはしないと信じているクニクルカでも、正直ウシロクの話は夢を見たのかも知れないと思う程であった。

 確かに当の本人にとっても信じられないような出来事の連続であった。

「その熊はへペレ(子熊)ではないのだな」

「はい大人でした」

「お前と意思疎通が出来たと言うのだな」

「はい出来ました。言葉は話せませんが名前を付けて呼びかけると理解しました」

「その雌の熊はお腹が大きくなったと言ったな」

「はいチュプハポのお腹には子供がいたようです」

「何時頃気が付いた?」

 山を下りようと決意した辺りだから、

「下山する前日」

 ミチはウシロクの答えに得心するように質問を変えた。

「ところでウシロク、お前はどの位行方不明になっていたと思う」

「アシクネト(五日)位かな」

 その辺りは不確かであった。

するとミチは笑いながらこう言うのだった。

「矢張りそうか。此処で数えたのはワン・エレホッネ(五十)だ」

 ウシロクが行方不明となって戻るまで五十日は経ったというのである。

ミチが言うのだから間違いなかろうが、ではウシロクがその間をアシクネト位と思ったのはどういう訳だろうか…。

 この話を聞いた幼馴染みのサンニョアイノ(思慮深い人)がこう解釈したのである。

「熊は山の神の使いと言うだろう。

女の神様の悪戯で雌熊がウシロクを恋するように仕向けたのだろう。熊は本来冬眠の時期だけど寝た切りばかりではないようだから、起きて行動することもある。ウシロクも同じように寝かされてしまったのだろう。だからいろいろなことが夢として記憶されたんだろう。考えられないことだけど、その間に子どもが出来たのさ」

 真顔で話すサンニョアイノに、

「冗談言うなよ、有得ないだろう」

 ウシロクは確かにそのような夢を見た覚えがあった。

「種が違うから有得ない筈だが、これも女の神様の悪戯なのかも知れないな」

 とんでもないことになった。

確かに別れ際にチュプハポを愛撫する様に鼻づらを擦り付けると、口元をペロペロと舐めたのである。

見つめる眼の愛らしく、何かを訴えているようにも思えたものだ。


 それにしても五十日が五日間としか感じなかったのはどう解釈したら良いのか解らなかった。

でもその答えのヒントはサンニョアイノの解釈で『熊は本来冬眠の時期だが、寝た切りばかりではないようだから、起きて行動することもある。ウシロクも同じように寝かされてしまったのだろう』と語ったことにあった。 クニクルカがこう解釈した。

「五十日の内、お前とチュプハポが起きて活動してたのが五日間ということなんだろう。その間はグッスリ眠っていたに違いない。

 それは我らが通常に寝起きする毎日と同じ感覚であったのだろう。

いいか普段の生活で見れば、夜寝たら翌朝には目が覚めて起きるだろう。そうして毎日繰り返すのだが、お前とチュプハポは何日か寝たままで目が覚めると行動してまた寝たのだろう。寝て起きるまで何日経ってようが多分一晩の感覚であったに違いないのだ。

だから五日間と思ったのだろう」

 流石は集落の長である。

見事な謎解きであった。

 

 ウシロクは喉が渇いたので、軒先に下がっているつららを欠いて舐めた。

クニクルカは切り株に腰かけると、煙草入たばこいれから刻みを出して煙管に詰めてうまそうに吸った。

 煙草は悪霊を払うということから、集落の男の間では喫煙者が多かった。

ウシロクはミチに勧められたことがあったが、その煙りと臭いが嫌で吸わないでいたのだ。

「何を考えている?」

 ミチはウシロクが雌熊との係わりに拘らないよう諭すが、内心聞き入れてはいなかったのである。

 ウシロクはチュプハポ(雌熊)の妊娠が気に掛かってならなかった。

五十日間共生して居て、最後の日にお腹の膨らみに気づいたのだが、川魚を求めて沢に降りた際やその他で、雄熊に遭遇したとも限らないのだが、洞窟周辺でその姿を見かけたことは無かった。

 それはとも角として、熊は本来臆病な動物なので人を避けたものだが、時には凶暴になることもあった。

もし通常の咬合こうごうによって妊娠していたなら、人間を受け付ける筈もなく、況してや同じ洞穴で暮すなどする訳なかった。

 だとすると、雌熊チュプハポのお腹に息づいた命はウシロクとの子となるのか…。

では夢ではなかったということだ。

そう思いながらも〈有得ないこと〉と呪文のように呟いて否定するのだが…。


 この話が何時しか独り歩きを始める。

冬から春先にかけて冬眠中の熊を仕留めに集落の者が数名で山には入るのだが、ウシロクは体調不良を理由に参加しなくなったのである。

 春夏が過ぎて早くも秋となったが、狩猟の為に山に入ることは無かった。

村長の息子たる者が情けないとは事情を知らない長老たちの見方であったが、多くの者達は情を交わした雌熊を護る為とか囁いて居たのである。

 確かにそうした精神的な面から生じたものかも知れないが、それよりも肝心の洞窟のあった場所が分からないのである。

人里に戻る際、ウシロクは道のない斜面をチュポハポについて下りるだけであったので、何処をどう通って来たか等判らなかったのだ。 

 その為会いに行きたくとも行けないのであった。

ただ言えるのは何処かの分岐点で反対方向に進んだことだけは確かであった。

集落の連中が入る山はその反対だから、チュポハポの行動範囲が広がらない限りは遭遇することも捕獲される心配もなかったのだ。

 熊の生態に詳しいお婆さんに訊くと、ツキノワグマは八か月で出産するとかいうのでそろそろその時期に当たるのだ。

ウシロクはそのことが気になって仕方なかった。

 

 そんな中、ミチから再度清源神社に大山祇命の掛け軸を奉納するように言われたのである。

山里は紅葉こうようで染まっていたが、上は未だまばらでこれから色付く状態であった。

更に上の方を見ると、万年雪が少し残ってあった。

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