1話:序章
極力人と関わらず何事も無く無難に過ごす、
がモットーの僕、大野彗人。
去年の1年間はその目標をほぼクリアして、これといって何事もなく無難にやり過ごした。
そして春休みもこれといって何事もなく過ぎ去り、新学期初日の4月某日。
鏡に映るのは睡眠不足で気怠そうな顔。
「このクマなんとかなんないかな…。コンシーラーでも買おうか? いやいや女子じゃあるまいし、中学の時から伊達メガネでキャラを作ってきたわけだし…」
呟きながら顔の水気をタオルで拭き取り、目元を隠すために前髪を下ろして伊達メガネとマスクをセットする。
昨晩、オンラインゲームに没頭していた訳でもなく、アニ活で徹夜していたわけでもなく、VTuberの耐久に付き合ったわけでもない。中学のころからこんな感じのクマが出来てしまって、どよ~んとしたエフェクトがかかった感じに見えてしまうのだ。
「さぁ2年生だ。まずは初日から何事もなく無難に。行ってきます」
と、独りごち玄関の鍵を閉める。
高校の最寄りである尼咲駅までは快速でたったの一駅の5分ほどで、普通列車でも10分程度と近い。今日から再び通勤通学ラッシュの電車に乗り芋洗いの芋になる。
家を早めに出て何本か前の普通列車に乗れば、この芋状態から逃れられるのもわかってはいるものの、朝の30分や1時間という貴重な睡眠時間を削られるのが何よりキツい。
(ま、音楽一曲分だけ我慢すればいいわけだし)
お気に入りのプレイリストをランダムに再生。数千万曲が無料で聴ける音楽アプリは本当に助かる。この時間には欠かせないマストバイアイテム(無料なので買ってはないんだけどもね?)だ。
今日の一曲がアウトロにさしかかった時、間もなく電車が尼咲駅に到着するというアナウンスが流れる。
学校の最寄り駅に着き、満員電車から解放された安堵を味わうかのごとくホームに降り立って、ん〜〜と伸びをする。
これは一年の時から始めたルーティーン。
「桜の匂いがするような...」
視覚から得られる満開のピンク色のせいでつい勘違いをしてしまう。桜は発せられる香り成分が少ない植物らしいからほぼ僕の気のせいだろう。花よりも葉っぱに香り成分が多いらしいし。
絵画のようにホームに枝垂れる桜の淡いピンクに目をやってから、改札の方に向かおうとするとバーン! といきなり背中を叩かれた。
「痛って!」
「よっ、彗人!
やっぱこの電車だったのか!」
「おはよう豊、毎度毎度痛いんだってば!
少しは手加減することを覚えてよ!」
「わりぃわりぃ。世間はみんな春で浮かれているというのに、その猫背と溢れんばかりの陰のオーラを見つけてつい」
ケラケラ笑っている。
こいつは大塚豊。
冒頭でほぼほぼクリアと残念ながら思ったのは、この結構お金持ちの坊っちゃんが絡んでくるせいだ。
去年聞いて初めて知ったけれど、何の因果なのか豊とは小中も同じ学校だったそうで、さらに高校でも同じになってしまい、さらにクラスメイトで席は僕の前。一年間懲りずに僕に絡み続けたまさに腐れ縁?
高校に入るまでは絡んだ覚えがないんだけれど、めでたく親友にステップアップ? (めでたいのか?)。
いや単なる悪友かな?とにかく終始うるさいが気のいいやつなので僕がいま唯一学校で絡む存在になっている。
「行こうぜ! あ、コンビニ寄っていいか?」
「うん、何を買うの?」
「昼飯?」
なんで疑問形なんだろ? 変なやつ、と苦笑しつつ軽く右肩にグーパン。
「なんだよ? さっきの仕返しか?」
「いや、ただのツッコミ」
「なんだよそれ! ツッコミなら裏拳でこうだよ、こう」
身振り手振りでお手本を見せながら笑う豊。
「彗人は今日も弁当持参?」
僕のカバンを覗き込もうとする。
「玉子焼き期待してるんでしょ? 分かってるんだからね? あげないよ?」
「そんなつれないこと言うなよ〜! 彗人の玉子焼きめちゃくちゃ好きなんだよ〜!」
「褒めてもダメなもんはダメだよ」
大袈裟にカバンを隠す。
「彗人の弁当まじでうまいんだよなぁ。あ、ちと行ってくるよ。彗人もなんか買うか?」
「ううん、特に買いたいものはないし、人が多そうだし何も買わないやつがいても邪魔になるから外で待ってるよ。
もし、エナドリを奢ってくれる金持ちな優しい友人がいるなら、僕の玉子焼きを少しわけてあげてもいいけどね?」
「なんだそれ! 2年の初日から親友にカツアゲかよ? 俺もあんま金には困ってないとは言っても、そんな極悪人に奢る金はねーよ!
あれ? でも等価交換になるのかこの場合?」
最後は一人でブツブツ言いながらコンビニに入って行く。
口は悪いが気は優しい豊のことだ、きっとエナドリを買ってきてくれるに違いない。僕はコンビニの外でぼーっと待っていた。
「あの、すみません、ゴミを…」
(ゴミ箱の前で邪魔してしまっていたのか)
声の主に目をやる。
最近女性に人気のブランド、プレサージュ製のスーツを身にまとった小柄な女性。
襟元にはセンスの良いPのフォントが見える。ブラウスもプレサージュ製だ。
「あ、あの…」
「あ、お邪魔でしたよね、ごめんなさい」
服が気になって反応が遅れた僕は謝罪して横にズレる。
「いえ、ありがとうごさいます」
ゴミを捨てコンビニを後にするプレサージュの女性。
角を曲がって見えなくなるまでずっとその後ろ姿を眺めながら、もしかしたら就活生なのかな? スーツの着方があまり慣れてなさそうだと勝手に妄想していると
「朝からナンパとは彗人にしては珍しいな」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら豊が出てきて、ホイっとエナドリを差し出してくれる。さんきゅ!と受け取ってカバンに入れる。
「そんなわけないよ! この僕だよ? ナンパなんてこの先一生しない人間だよ? 季節外れの台風でも呼んで欲しいの? せっかくの桜が散っちゃうよ?」
「それは勘弁こうむる」
再びケラケラ笑う。
「で? 豊のお目当てはいつもの菓子パンと、果肉メロンパン?」
「いや? 今日の狙いは違うヤツ。もちろん果肉メロンパンは外せねえけどな?」
「そっか。ていうかなんでいつもパンなの? 金持ちなんだから弁当買うとか学食で高い定食を食べるとかしたらいいのに」
「金持ちは金持ちなりの事情ってヤツが色々あるんだよ」
「いや、たしか、単にこのコンビニの果肉メロンパン好きなだけだって、去年言ってた気がする。カッコつけてもダメだよ?」
「あ、バレたか」
その後もどうでもいい会話をしながら学校へと歩みを進めた。
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