2:奈落の底で会いましょう 感想
お話
https://kakuyomu.jp/works/16818093087196390509/episodes/16818093088385222506
TSUBAKIちゃんの顔出しNGという言葉を聞いて、(正確には少し違うような気もするけれど)某ガールズバンドコンテンツの擁するVTuberグループのリアルライブ?を思い出した筆者ですが、だいぶ違いましたね!! いや、夢限大みゅーたいぷのリアルライブとか新曲MVとか『そう来たか!』と思ったものでしたが、よく考えたら他にもライブや
Adoさんの歌だと「向日葵」が好きですね……! どうやらドラマの主題歌だったらしいのですが、筆者は今年の秋くらいにAdoさん好きの弟に聴かせるべくYouTubeでいろいろな曲を流しているうちに知って、MVの綺麗な百合感に『いい話だなぁ』と頷いたのがファーストコンタクトでしたね。ちなみに弟は「心という名の不可解」が好きなようで、流していると楽しそうに笑ってくれていましたね。あと「唱」も好きなようで、筆者が歌ってみた動画を流すたびにチラチラと画面を見てくるので、そんな反応が可愛らしくて一時期繰り返していたものでした。
ちなみに本編の中身は、大切な人を奪われた人々の復讐劇でした。神の名を呪いながら奈落の底へ唄う屍揮者の『さぁ、唄ってごらん』という声音が聞こえたような気もしますが、そうですね、彼らが執ったのはペンよりも
カメラマンの執着する気持ちもわかるのです、美しいものはその瞬間のまま、永遠に閉じ込めておきたいと。世界は残酷で、願ったこと全てが叶うものではない。幸せであってほしいと願った相手が星の夜に大きな別離を決断しなくてはならなくなることもあったり、平穏であってほしいと祈った相手が暴威に怯えることを強いられることもある。
そういうのでなくても、大切に守りたい子を遺して逝く恐怖に震える夜があったり、幼い子に喪失の痛みを与えずにいたい、その子が幸せでなくなる未来があるかも知れない、今の幸せが永遠であるとは思えない、幸せなまま終わらせることができれば、ひょっとしたらそんな苦しみも、苦しむ未来を幻視して胸を痛めることもなくなるのではないか?
きっと皆様にも、そう思う瞬間があるのではないでしょうか?
けれど、やはり未来というのは誰にも等しく訪れるべきだと思うんですよね。もちろんこれを口にするのも今では配慮に欠けた発言なのかも知れません。現状や訪れる未来をそこまで恐れずにいられる者が口にしているだけの戯れ言で、ある種傲慢な発言なのかも知れません。ただ、なんでしょうね。そう願って祈ることは許してもらえたら嬉しいなと思うことが、なんとなく増えてきたからなのでしょうかね。訪れるべきというか、訪れてほしいわけなのです。たとえずっと傍にいられないとしても、いつか僕の道が先に断たれたとしても、その先の未来で少しでも幸せや楽しみを見つけてくれていたなら、それだけでこちらも救われるということも、あるにはあると思うんですね。
ということで、やはり未来を奪われた桜お姉ちゃんの無念さ、そして家族や恋人たちの悔しさというのにやたらと共鳴してしまうわけなのです。つまり、よくやった!という気持ちになったというか。これで、桜お姉ちゃん(?)が奈落の底から解き放たれてくれたらいいですよね。なんか、こういうのって人の味を覚えちゃうと……ね?
ということで、ちょっと「僕らの星座」からRevo成分を感じとるのがやめられない止まらない状態になっていますよというコメントを添えて、『奈落の底で会いましょう』の感想とさせていただきます。
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