第3話 記憶喪失

 この道はバス停からは、バス通り以外、住宅地に向かう道はなく、しばらくしないと、住宅地に入り込む路地が分かれているわけではなかった。

 というのも、このバス停は、確かに、分譲住宅への道であるのは間違いないのだが、実際には、今建設中の高校用のバス停だったのだ。

 この辺りには、小学校、中学校はすでにできているのだが、高校ができると決まったのは、だいぶ後からで、しかも、建設までに少し時間が掛かったので、今はまだ、更地状態で、バス停の横には、大きな看板があり、

「高校建設予定地」

 と書かれていた。

 だから、ここまででも、乗降客が数人しかいない、

「赤字路線」

 といってもいいところであるが、高校ができることで、すぐに、黒字路線になることは分かっていた。

 そういう意味では、

「住宅街のために、高校建設予定の先行ということで、バス路線を作った」

 ということであった。

 門脇が、バスを降りてから、その男がいなかったことで、少しびっくりしたが、その場に立ち尽くすわけにもいかず、しょうがないので、ゆっくりと家路についたのだった。

 当然のことならが、夜の8時も過ぎてくると、夜のとばりも降りてきて、目指す方向には、まだ更地である高校予定地があるだけで、街灯はついているが、まだまだ寂しさを残している。

 住宅街も、それほど入っているわけではないので、明かりはまばらであった。

「この住宅街も、高校が建ってしまうと、入居ラッシュとなるのではないか?」

 ということを、不動産会社の方としては見越しているようで、宣伝に、かなりかけているようだ。

 新聞の折り込み、そして、駅の看板などで見ないことはない。

 さすがにこれだけ見せられると、

「目ざとい人が気にならないわけはないだろう」

 と思うのだった。

 門脇は、さっきの男を気にしながら歩いていた。

 いつもであれば、左側に見える夜景を楽しみながらであったが、その日は、そんな気分にもならなかったのだ。

 何しろこの辺りは、

「小高い丘」

 になっているので、左側は、市街地になっていることで、家の明かりが結構きれいに見えるのだ。

 それほど都会というわけではないが、一応は都心部への通勤圏内ということで、それなりに、住宅街といってもいいだろう。

 もちろん、都心部のように、まだまだマンションやアパートなどが乱立しているわけでもない。

 やっと、ここ10年くらいの間に、

「市に昇格した」

 というところであり、確かに市に昇格してから、

「まだまだこれからだ」

 というところではあったが、それでも、市に昇格してからも、人口はどんどんと増え続けていた。

 実際に、それまで、田んぼだったというところが、どんどん開発が進んでいき、一軒家もあれば、マンションもできてきた。

 少ないのは少ないが、点々と存在するマンションやアパートは、元々田んぼだったところを売った家主が、

「家賃収入を得よう」

 ということで、不動産会社や建設会社と話をすることでできてきた住宅街だったのだ。

「家賃収入というのは、固定で入るからいいですよ」

 とでも言われたのか、

「マンションなどがどんどん増えてきた」

 ということが目立ってきたのも、事実であった。

 だから、小高い丘から見る市街地の光景は、結構、

「夜景としてもきれいだ」

 ということであった。

 しかも、小高い丘から見ていると、

「見下ろせば市街地の明かり、見上げれば、夜空の星々だ」

 ということで、都心部で見る空にくらべれば、まだまだ星が瞬いているという雰囲気は、きれいな夜景とともに、実に見栄えをするものであった。

 仕事が終わってからの帰宅途中、その中で見えてくる、

「明かりのコントラスト」

 というのは、仕事の疲れをいやしてくれるに十分な光景だったのだ。

「通勤にもだいぶ慣れてきたおかげだろうか?」

 と、最近は、通勤ラッシュもそこまで苦にならない。

 とは言っても、東京、大阪ほどのめちゃくちゃなラッシュではないというだけのことだ。

 東京、大阪などでは、何やら、主要駅では、

「押し込みのバイト」

 などという人がいるようで、

「牛ぎゅう詰めになった車内に、それでも乗り込もうとする人の背中を押して、強引に車内に入れ込んで、何とか扉を閉めさせる」

 という人であった。

 こんな光景、知らない人がみれば、

「人間なんて、まるで、家畜やもののようだ」

 と思うかも知れないが、

「これが現実」

 ということである。

 そうなると実に大変なことで、

「扉は、同じ方向から開くわけではない」

 ということになる。

 だから降りる駅が反対側に出口があるなら、

「降りることは不可能」

 ということになる。

 すると、次に考えることとしては、

「押し込みのバイトに押し込まれるほどの押され方をすれば、降りれないということになるだろう」

 ということになれば、

「一台やり過ごして、先頭に並べば、一番奥の扉付近に行くことができる」

 と考える。

 しかし、その時間なので、すでに、満車状態で、

「入るだけで必死な状態ということになれば、結局は同じことだ」

 ということになるだろう。

 そうなると、もう、

「この時間帯での通勤は無理だ」

 ということになり、時差出勤ができるのであれば、時間ギリギリに出かけるか、あるいは、逆に、

「かなり早い時間に家を出てくるか?」

 のどちらかになる。

 時間を後ろにずらせばずらずほど、結局、

「遅刻の危険性が増すわけで、しかも、そこまで乗客が少ないわけではない」

 ということになると、まだまだ早く家を出て、少しでも、早く会社につくということが一番だということになるだろう。

 そうなると、家を出る時間も早くなるわけで、家でゆっくりしようと思えば、

「なるべく早く帰りたい」

 ということになるのだった。

 ただ、そううなると、

「帰宅ラッシュに引っかかる」

 ということになるが、帰宅時間というのは、比較的、朝のラッシュほどではない。

 この辺りは、しかも、東京、大阪ほどのめちゃくちゃなラッシュでもないので、そこまで朝のラッシュはひどくはないが、それでも、ピーク時間ともなると、あまり変わらないと思える状態だった。

 だから、それほど早くではないが、少しだけ早めに家を出るようにしている。毎朝、同じバスで駅まで通っている人もいて、その人は、特急でいくので、急行に乗る門脇よりも、遠いところに会社があり、しかも、特急ということで、

「途中まではそうでもないんですが、会社の近くまでくると、結構人が乗ってきますね」

 という。

「ちゃんと降りれますか?」

 と聞くと、

「ええ、私が降りる駅は、乗降客が一番多いので、ほとんどの人が降りるという感じですね。だから、人の波にのまれる形で降りるから、却って楽ですね」

 というではないか。

「なるほど、それなら安心ですね」

 と門脇は答えたが、本心では、

「そういうところに勤務はあまりしたくないな」

 というのが本音だった。

 というのは、

「都心での生活は朝晩だけじゃないからな」

 というのは、昼休みの食事を考えたからだった。

 何といっても、昼休みの限られた時間、皆が昼食に出るのだから、いくら、

「飲食店が多い」

 とは言っても、店の前で行列ができずに、すぐに食べられるなどというところは、そうもないだろう。

 特に、ファストフードの店などは、

「店の中で食べるのは、本当に並ばなければいけない」

 ということで、テイクアウトも結構あり、コンビニ弁当を買ったりする人は、それを持って、近くの公園で食べるということも普通にあったりする。

 春や秋なら、それでもかまわないが、夏や冬ともなると、そうも言ってはいられない。

 昼休みの休憩時間に、体力を消耗するというのは、本末転倒だといってもいいだろう。

 公園の近くで、

「ワゴン車による移動式のお弁当屋さん」

 というのが、いくつか見受けられ、しばらくそこのお弁当を買って、公園で食べていたが、夏と冬はそういうわけにもいかず、会社に持って帰って、デスクのところで食べたりしたものだ。

 中には、テイクアウトや出前可能なお弁当屋もあり、そこには、朝10時くらいまでに、電話かFAXなどで、注文しておくという形で、注文する。

 とにかく、都会には都会なりの、昼食を摂る方法というのが、いくつもあったものである。

 いくつかの方法で昼食を摂るようになったので、最初の頃の。

「どこで食べればいいんだ?」

 という心配はなくなってきた。

 ただ、門脇は、

「あまり人込みは好きではない」

 という思いと、何といっても、

「並んでから食べる」

 ということは、自分の番になって食べ始めたとしても、

「後ろにはまだまだ並んでいる人がいる」

 と思うと、ゆっくりもしていられない。

 食べたらすぐに出なければいけないという切羽詰まった状態で食事をしたとしても、

「おいしいなど感じるわけもない」

 ということで、最初からほとんど、

「お食事処」

 といわれるようなところにはいかなくなった。

「味のタウン」

 あるいは、

「お食事横丁」

 などというような、

「レストラン街」

 が存在するが、そこに駆け付けるサラリーマンの姿に自分を重ね合わせるということも嫌だったのだ。

 だから、通勤ラッシュの電車で、まわりに人がたくさんいるのは、実に嫌なことだった。

「ここにいるのは、野菜か果物だ」

 というくらいにしか思えない。

 人間だと思うと、鬱陶しいとしか思えない。

「自分は、閉所恐怖症」

 というわけでもなければ、

「パニック障害」

 というわけではないので、そんなにラッシュを気にするわけではないが、

「嫌なものは嫌だ」

 としか思えない。

 それをどうにかしようと思うと、最終的には、

「皆一緒にいたくない」

 ということで、

「野菜や果物」

 と思うことで、少しは気分が晴れるというのも、最初は何か嫌だったが、

「そう思えば少しは楽だ」

 ということになれば、

「それはそれで仕方がない」

 と思えるようになった。

 そう、

「いちいち他人のことを気にする必要などないのだ」

 ということになるのである。

 門脇は、そんなサラリーマン生活をしてくると、夜景を見るということも、毎日の、

「まったく変化のない生活」

 というものを、

「当たり前のことだ」

 と考えるようになったことが、少し苛立ちをとなっていた。

「どうして苛立つのだろう?」

 ということは分からなかった。

 家に帰れば、確かに、何かぎくしゃくした感じがした。

「一軒家を建てれば、家族が余裕を持って暮らせるだろう」

 という思いから、

「余計な気を遣わなくてもいい生活」

 というのを楽しめると考えていた。

 しかし、それはまったくの勘違いというもので、

「確かに皆、前のように顔を合わせれば、皮肉めいたことを口にしていたが、家が広くなると、それが少しなくなった。

 子供などは、自分の部屋に閉じこもっていて、奥さんは、家事を済ませれば、テレビなどを見ているという感じである。

 別に、昔の

「父親の威厳」

 ということを示そうなどという意識はなかったが、だからと言って、

「口をまったく出せる雰囲気にもいない」

 というのも寂しいものだ。

 何といっても、

「何を考えているのか分からない」

 という状態が寂しかった。

 確かに、何を考えているのか分からないという状況は見てとれたが、一度奥さんが言っていた言葉を思い出して、ドキッとしたのだが、それは、

「あなたが一番何を考えているか分からない」

 ということであった。

 確かに、家族が何を考えているかということを、まるで顔色を窺ったり、見据えてしまうようなそんな素振りをしていれば、見られた方もいい気分はしないだろう。

 それを思うと、

「せっかくの一軒家、こんなものない方がよかったのかも知れないな」

 と感じた。

 しかし、購入してしまったものを、いまさら、

「じゃあ、いりません」

 というわけにもいかない。

 そうなると、自分は自分で楽しむということを考えないといけないのだろう。

 そういうことから、このくらいの時期から、

「家族の離散」

 というものが出てくる時代となってきたのだろう。

 もちろん、家族の離散というと、決定的なのは、

「バブル崩壊」

 くらいであろうか、

「奥さんも働きに出る」

 という、共稼ぎであったり、

「リストラの嵐」

 によって、労働形態が、正社員中心から、派遣社員中心という、

「非正規雇用」

 というものが増えてきたということが言えるであろう。

 会社もそれにより、

「終身雇用」

 など崩れ去り、結局、安定性のない雇用形態となったことだろう。

 会社も、傾きかけると、大きな企業に、

「吸収合併される」

 ということが横行してきて、特に、

「潰れることなどない」

 といわれた神話があった銀行がどんどん破綻していき、

「前はどこの銀行だったのか?」

 というほど、たくさんの会社を吸収し、大きな銀行が数社生き残ることになったのだ。

 かつての都市銀行が、すべて合併ということになり、

「時代はどこに向かっているのか?」

 ということになるのである。

 そんな夜景をその日は、中途半端な気分で見ていた。

 やはりどうしても、

「消えた男」

 というのが気になってしょうがないということなのか、その男が消えたところがハッキリしないだけに、気になるのも仕方がなかった。

 いつもに比べて、家に曲がるあたりまで、思ったよりも距離があると思っていると、急に、何かの振動を感じ、まるで、辛いものでも食べた時のように、鼻がツンとしてしまい、まるで、

「石をかじった時」

 のような臭いがした。

 今まで、子供の頃に、

「石をかじった」

 というような経験があったような思いがあったが、それは、

「同じようなシチュエーションがあり、鼻がその時の感覚と酷似していた」

 ということから感じたことに相違ないだろう。

 それがいつだったのか、記憶が薄れていく中で、門脇は思い出そうとするのだが、どうやら、記憶をたどるよりも、意識がなくなる方が早かったようで、気が付いた時は、病院のベッドの上にいたのだった。

 気が付けば、目の前に医者がいて、そのそばに、妻と子供が心配そうに、こちらを覗き込んでいる。

 看護婦が、そばにいて、奥さんが、門脇が気が付いたことで、

「あなた」

 といって、門脇の身体をゆすろうとしたのを制して、

「気が付かれましたね?」

 と落ち着いて門脇に話しかけたところを見ると、その冷静さから、

「そんなにひどいけがではなかったのだろう」

 ということであった。

 実際に、看護婦が医者にコールをすると、少しして医者がやってきた。一通りの診察をしてから、

「これで、一安心ですね。とりあえずは、今日はこのままぐっすりお休みください」

 ということであった。

 門脇としては、

「何かの事故にあったんだろうか?」

 と考えたが、そのことを考えようとすると、頭痛が激しくなることで、それ以上何も考えられなくなったのだ。

 それを思うと、

「医者のいうとおり、今日は何も考えずにゆっくり休もう」

 と考えた。

 家族も不安そうな顔をしているが、目が覚めたことで一安心したのか、とりあえず、

「今日は引き揚げます」

 ということだったので、ベッドの中から、二人を見送ったのだ。

 すでに、時計を見れば深夜になっていて、バスも通っていないだろうことから、二人は、タクシーで帰宅したということは分かったのだ。

 あまり、前のことを思い出そうとすると頭が痛くなるので、他のことを考えようと思った。

 家を買った時くらいのことを思い出す分には、さほど頭痛がしてくることはない。どうやら、気を失った時のことであったり、それに関連したことを思い出そうとすると、ひどい状態になるのだった。

 それを考えると、

「眠ってしまった方がいい」

 と思い、半分、

「眠れない」

 という思いがありながら、それでも、何とか眠ることができたのだった。

 というのは、

「昔から、眠れないということがあると、あることを思い出すと急に眠ってしまう」

 ということがあった。

 その夢は、楽しい夢でもあるのだが、子供の頃の切ない思い出というのも含まれていて、

「一概に、楽しい夢」

 とばかり言えないところがあるのだが、それだけに、

「眠ってしまえば、楽になる」

 という意識が働いて、眠ってしまうということになるのだろう。

 それを思うと、

「早く眠らないといけない」

 というのに、

「眠れない」

 と思った時は、そのことを考えるようにしている。

 それこそまるで、

「眠れない時に、羊を数える」

 という迷信のような都市伝説なのかも知れない。

 実際に、

「皆がいうから」

 ということで、羊を数えてみたこともあったが、

「一向に効果がない」

 ということであった。

 小学生の頃に友達に、

「羊を数えてみたけど眠れなかったんだよな。皆。羊を数えて眠れるかい?」

 と聞いてみたが、確かに、

「眠れた」

 という人もいたが、大多数は、

「いやいや、あんなことで眠れるわけはない」

 ということになるではないか。

 それを思えば、

「迷信というのは、本当に迷信なのかも知れない」

 と感じたのだ。

 少なくとも、一度でも、

「迷信だ」

 と思ってしまえば、それは、

「都市伝説から迷信に変わる」

 ということであった。

 だから、もう、迷信を信じることなく、自分の中にある都市伝説を信じるようにすると、自分の中の都市伝説の力は増大するようで、

「迷信とは言わせない」

 と自分の中で感じるのだった。

 都市伝説というものを感じなくなると、ゆっくり眠れたのか、何か夢を見たという感覚があった。

 しかし、それがどんな夢だったのか、覚えているわけもなく。眠っている時間の夢はかなり長かったような気がしたが、目が覚めるにしたがって、

「あまり眠っていないのではないか?」

 と感じたのだ。

 それは、

「目覚めの悪さ」

 というものが影響しているような気もしたが、それだけではなかった。

 どちらかというと、

「夢を見たから、実はそんなに長くなかった」

 と思うようになった。

 それは、覚えていないまでも、

「どうやら、いつも見ている夢ではないだろうか?」

 と感じたのだ。

 その夢というのは、

「思い出せそうで思い出せない」

 つまりは、

「真剣に思い出そうとはしていない」

 ということになるのだろう。

 それを思うと、

「夢を見るということがどういうことなのか?」

 分かっているようでわかっていないということなのかも知れない。

 目が覚めて少しすると、食事の時間だった。食事を済ませると、最初に医者が、見回ってくれたのだが、それも、

「昨日の今日」

 ということで、気にしてきてくれたのかと思ったが、それだけではないようだった。

 一通りの診察が終わり、

「順調ですね」

 といったかと思うと、先生が、

「実は、君に、警察の方がいろいろ聞きたいということなんだけど、医者とすれば、問題ない状態にはなっているんだけど、もし、きつかったり、辛いと思ったら、ナースコールを押してくださいね。一応、体調面では、大丈夫というところではあるんですが、だからと言って、絶対に大丈夫ということはないですからね。そこは遠慮はいらないですよ」

 ということであった。

「刑事さんに入ってもらってもいいかい?」

 というので、

「はい」

 と答えた。

 門脇としても、

「昨夜、自分に何が起こったのか?」

 ということをしりたかった。

「何が起こって、どのようになったから、自分が病院に運ばれてきたのか?」

 あるいは、

「なぜ、警察が事情を聴きたいというのか?」

 ということであるが、想像がつくこととして、

「夕べ自分が交通事故に遭ったのか?」

 それとも、

「誰かの暴行されたということで、ケガをしたということなのか?」

 ということを考えると、本当は頭が痛くなるので、思い出したくはないが、何も知らないというのは、実に厄介なことであった。

 それを思うと、

「警察の人が向こうからきてくれるというのはありがたい」

 ということであったが、逆にいえば、

「警察が事情聴取をしなければいけないということは、交通事故のようなものというよりも、他の何かの事件に巻き込まれた」

 という方がありえることではないかと感じたのだ。

 家族は、息子を学校に出すということがあり、午前の家事の片付けというものもあるということだろうから、

「来るとしても、午前中は無理かも知れない」

 と思っていた。

 警察がやってきたのは、朝の9時過ぎくらいだった。

「警察というものが、どういうものなのか?」

 ということは知らない。

 車を持っているわけではないので、交通事故の取り調べを受けたこともなければ、事件に巻き込まれたこともない。

 せめて、小学生の頃、社会見学で、警察署に行った時くらいだっただろうか?

 ただ、当時は、連続刑事ドラマというものが流行っていて、当時の、

「根性ものの一つ」

 といってもいいだろう。

 警察の捜査は、

「足で稼ぐ」

 という時代であり、

「足を棒にして目撃者探しであったり、証拠を探すという時代」

 だった。

 今では、科学捜査なども進んで、より、

「合理的な捜査を行うことが、検挙に繋がる」

 ということで、縦割り社会というものに、不満を持っていながら、結局、自分も、

「長いものに、巻かれてしまう」

 という時代に巻き込まれているというのが、警察というものだったのだ。

 その日、刑事が二人、門脇を訪れていた。

「お怪我の具合はいかがですか?」

 と、二人の刑事は、まずは、ケガの具合を労ってくれたので、門脇も少し安心した。

「おかげ様で、大丈夫です」

 と落ち着いた様子で答えたが、実際には、何が起こったのか、知りたくて仕方がなかった。

 何といっても、自分が、入院する羽目になるなど思ってもいなかったし、頭のこの痛さは、

「誰かに殴られた」

 ということに間違いはないだろう。

「実に災難なことでした」

 と一人の刑事がいうと、もう一人の刑事が、

「早速で申し訳ないのですが」

 といって、声を掛けたが、

「門脇さんは、いつも、あのバスで、あの時間にご帰宅なんですか?」

 ということを聞いてきたので、

「ええ、そうですよ」

 と答えた。

 門脇としては、

「話のとっかかりとしては、差しさわりはないのだが、何やら、ただの事故というわけではなさそうに思えたのだ」

「バスの運転手さんにも聞いたのですが、どうやら、普段は見たことがない乗客が、門脇さんより先にバスを降りたということだったんですが、間違いないですか?」

 ということだったので、

「ええ、そうです。私も初見の人だったので、顔も正直ハッキリと覚えていないんですよ」

 というと、

「門脇さんは、たぶんですが、その男にどうやら殴られたようなんですが、その時のことをできればお話いただきたいと思いまして」

 というので、

「また思い出してみよう」

 と考えたのだが、実際に思い出すことはできなかった。

 やはり、昨日と同じ頭痛があり、その時のことだけを思い出すことができない。

「正直覚えていないんですよ。殴られたという記憶すらないですし、思い出そうとすると、頭が割れるように痛むんですよね」

 というと、二人の刑事は目を合わせて、その様子は、まるで、

「やっぱり」

 とでも、言いたげな、何やら諦め気分が漂っているのであった。

「実は、門脇さんは、瞬間的な記憶喪失になっているようで、事件のその瞬間だけ、記憶がないかも知れないということは、医者から聞いていたのですが、お医者さんから、何か言われていませんか?」

 と刑事がいうので、

「いいえ」

 と、なるべく平静を装うように答えた。


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