第2話 新興住宅地

 当時は、まだ、昭和と呼ばれる時代で、世の中は、ちょうどそれまでどんどん新しいものが開発されていき、家電や日常必需品と呼ばれるものが、飽和状態になりかかっている時期であった。

 日本という国が、

「一番輝いていた時代」

 といってもいいかも知れない。

 その後には、確かに、

「バブル景気」

 などというものもあり、

「何をやってもうまくいく」

 といわれた時代だった。

 ただ、それは表面上のことで、相変わらず、貧富の差は激しく、景気に浮かれているのは、

「一定水準以上の人たち」

 ということで、世の中には、それ以下の人もかなりたくさんいるわけで、その人たちは、決して生活水準が上がるというわけではなかった。

 つまり、

「金持ちだけが得をする」

 ということであり、ただこれは、

「その時代だけにいえる」

 ということではなく、他の時代にも言えたことだったのだ。

 それを思えば。

「バブル景気」

 というものが崩壊したというのも、

「必然だった」

 ということではないだろうか?

 ただ一つ言えることは、

「世界大国の中に日本がいて、企業単位のランキングでいえば、ベストテンの中に、日本企業が、半分以上いた」

 という時代もあったのだ。

「ジャパンアズナンバーワン」

 などといわれた時代もあり、アメリカなどの超大国からすれば、

「おもしろくなかった」

 といってもいいだろう。

「経済摩擦」

 などと呼ばれるものが、

「自動車産業」

 というものが代表例として、アメリカでは、

「不買運動」

 というようなものもあったりしたくらいだ。

 逆にいえば、それだけ日本の勢いがすごかったということであり、今の時代からすれば、

「ありえない」

 ともいえるかも知れない。

 ただ、逆にその頃を知っている人は、今の時代を憂いているか、逆に、

「また日本は、超大国を脅かすだけの国になれる」

 という、

「お花畑的発想」

 を抱いている人もいるだろう。

 それができるかどうかは、指導者次第。

 今の日本に、それだけの指導者的政治家がいるとは思えない。それこそ、

「アリジゴクに嵌らないようにできるだろうか?」

 というのを低い可能性で見るしかないということであろう。

 その頃は、街中の集合住宅には、団地と呼ばれるものが、あちこちにあり、そうかと思えば、まだまだ田んぼも、大都市にも、まだ見られるような、そんな光景であった。

 かと思えば、山間部は、森林伐採が行われ、新興住宅地ができてきて、

「サラリーマンの夢」

 といわれる、一軒家が、できてきていたのであった。

 だが、一軒家に住むというと、なかなか難しかった。

「月々の支払い」

 というのは当たり前のことで、中には、

「マンションで家賃を払っていくことを考えれば、働いている間に、返していくと考えれば、そこまで高いことはない」

 という人もいただろう。

 しかし、

「一軒家というのは、持てる人はそんなにいない」

 ということだったりもする。

 というのは、

「一度買ってしまうと、簡単に手放せない」

 ということだ。

 賃貸マンションであれば、気に入らなかったり、何かあれば、半年くらいで引っ越すということも不可能ではない。

 例えば、

「ご近所トラブル」

 などということがあれば、それは、

「部屋が気に入らない」

 というわけではなく、近所の住人が、

「何か嫌がらせをしてくる」

 であったり、

「隣の部屋が煩くて、苦情を出しても、まったく何も変わらない」

 ということもあるだろう。

 そんな状態で、ストレスだけが溜まっていき、家族に八つ当たりなどをしてしまうなどということになれば、

「これほど理不尽なことはない」

 ということになるのではないだろうか。

 それを考えると、

「引っ越せばいい」

 ということになるだろう。

 八つ当たりをする前に、そう具申するかも知れない。そう思えば、団地やマンションなどという集合住宅での近所付き合いは大変だろう。

 だが、それは、一軒家になったからといって、変わりはない。

「庭つき一戸建て」

 というのは、サラリーマンの夢であることは、今も昔も変わりない。

 戦後の致命的な住宅難でもなければ、団地がその状況を救い、急速に住宅が建設されていった時期から、サラリーマンは、きっと皆同じ夢を見ていたことであろう。

 戦後、30年近くも経てば、住宅難ということもなくなり、国民の生活も、

「最高水準」

 といってもいいくらいになっていた。

 ただ、これは、前述のように、

「個人差」

 というものがあり、時代とともに、世の中が豊かになれば、上を見れば、どんどん上に伸びていて、

「底辺の引き上げ」

 というものは、そうもうまくいっていないということで、結果、

「貧富の差が激しくなっただけのことだ」

 ということになるであろう。

 それを考えると、

「世の中が豊かになったからといって。手放しに、国が豊かになったとはいえない」

 という実情があるということであろう。

 そんな時代において、中間層の人たちくらいは、経済成長の恩恵を受けていたかも知れない。

 その、

「せめてもの楽しみ」

 というか、

「ささやかな目標」

 というのが、

「庭つき一軒家」

 というものであっただろう。

 しかし、それも、いろいろな条件が重なることで、簡単に購入できるわけでもないということであった。

 特にその時代あたりから、勤務する会社が大きければ大きいほど、社員の中での、

「出世競争」

 というのは、大きなものとなるだろう。

 会社の中で、

「出世コース」

 というものに乗ろうとすると、

「転勤」

 というものから逃れられないというのが、サラリーマンというものの、宿命ということでもあった。

 それも、もちろん、業種によって違いはあるだろうが、

「銀行などの金融機関であれば、3年くらいのペースで、どこに転勤させられるか分からない」

 ということが当たり前のようになっていた。

 また、海外にも事業所があるところなどは、

「出世コース」

 というものに乗ると、

「海外勤務は必須」

 ということであり、

「もし、一軒家を買ったとしても、簡単に引っ越すこともできないということで、旦那さんだけが、単身赴任」

 ということになるのだ。

 だから、会社では、単身者用に社宅を用意していたり、転勤の際に、

「数年で呼び戻す」

 というような条件をつけるところもある。

 ただ、そのようなことは、会社の優遇であり、会社の提示した転勤を断れば、

「会社を首になる」

 ということが当たり前だということになるわけだ。

 もちろん、

「転勤できないようなやむを得ない事情」

 というものがあれば別だが、もし、これが、裁判沙汰にでもなると、会社の規定した、

「就業規則」

 というものへの、

「やむを得ない理由」

 というものの解釈が難しくなるということだ。

 しかし、結構、会社員の方に厳しい裁定が下るというのも、普通にあるだろう。

 たとえば、

「子供の学校の問題」

 というのは、基本的には、問題とならないレベルであろう。

「だから、皆単身赴任しているではないか?」

 と言われればそれまでで、では、

「家族に病人がいる」

 ということであればどうであろうか?

 この場合も、同じことで、そう考えれば、ほとんどの場合は、

「家族の事情が、転勤命令を断るだけの、やむを得ない事情」

 ということにはならないということになるであろう。

 それを考えると、

「転勤がある人は、転勤命令が出た時、単身赴任もやむなしでなければ、一軒家を持つことはできない」

 ということになるだろう。

 さらに、転勤のないと言われている家庭でも、前述のような、

「ご近所トラブル」

 などということを考えると、こちらは、そう簡単に、引っ越すということもできないので、どうしても、お金が計算できるとしても、

「本当にずっと住み続けることができるのか?」

 ということになると、難しい問題だということになる。

 ただ、それでも、新興住宅というのは、どんどんできていき、分譲住宅としての土台ができてきたところで、学校や、病院、そして、当時から、徐々にみられるようになった、

「郊外型の大型商業施設」

 というものもどんどんできてきて、

「街自体の様相が変わってくる」

 ということになり、

「生活分布図が、それまでと大幅に変わりつつあったのだ」

 といえるだろう。

 それまでは、電車やバスなどでの、

「公共機関による通勤」

 というのが主だった。

 もちろん、都心部からの、

「通勤圏内」

 ということで、都心の駅から、30分以内でいける駅近くというのが、ほぼほぼ、通勤圏内と呼ばれるものとなっていただろう。

 駅前には、アーケードのある商店街であったり、スーパーや、生鮮市などというのが並んでいて、

 病院や学校なども充実していて、

「駅を中心に、生活圏が広がる」

 というのが当たり前ということになっていた。

 しかし、次第に、

「自家用車」

 というものを持つ人が増えてきて、

「マイカー通勤」

 という人も増えてくる。

 そうなると、

「別に駅ちかに住む必要もない」

 ということになってくる。

 一種の、

「都心部のドーナツ化現象」

 というのが起こってくるようになる。

 首都圏などであれば、通勤時間に、

「1時間や2時間は当たり前」

 と呼ばれるようになり、

「少々遠くても、自分の家から通勤したい」

 という人が増えてきたということもあるだろう。

 それは、ご主人そのものよりも、

「家族の強い希望」

 ということが多いだろう。

 家族というものは、サラリーマンの世界とは違い、出世競争という、

「形になる自分自身の競争」

 というものがあるわけではない。

 特に、奥さんというと、近所の奥さん同士の、いわゆる

「井戸端会議」

 というもので、

「ご主人の出世の話」

 あるいは、

「子供の成績の話」

 などというものを、肴にして、会話が進んでいく。

 だから、奥さん自身の問題ではないので、余計に、奥さんとしては、そのプライドが傷つけられることになる。

「旦那や子供にプレッシャーをかけてはいけない」

 ということを分かっているのか、それとも、

「分かっているけど、どうしようもない」

 ということなのか、とにかく、他の奥さんが、旦那や子供の自慢を始めると、

「精神的にたまったものではない」

 ということになるだろう。

 そうなると、

「旦那に当たったり、子供に当たったりということで、ヒステリックな状態になることも仕方がないだろう」

 旦那の中には、

「郊外に引っ越せば、奥さんの精神状態も治るかも知れない」

 ということで、郊外の一軒家を考える旦那さんも多いだろう。

 そうすれば、

「自分の城も持つことができる」

 そして、

「家族から嫌味を言われることもなくなり、尊敬される父親になれる」

 ということを考えると、デメリットとして、

「単身赴任を覚悟しないといけない」

 あるいは、

「通勤にかなりの時間が掛かる」

 ということを覚悟しなければならないということとを天秤に架けるだろう。

 しかし、普通の状態でごぶごぶくらいであれば、奥さんや子供が強く望めば、

「じゃあ、自分が犠牲になるくらいしょうがないか」

 ということになるだろう。

 それも分かっていることであるが、だからと言って。

「そう簡単には決められない」

 ということになる。

 だが、実際にまわりの同僚が、

「俺もいよいよ一軒家に住める」

 などといって自慢しているのを見ると、耐えられなくなるというのも必定で、そう思うと、

「家族が八つ当たりする気持ちも分からなくもない」

 と思うことで、一軒家購入にかなり近づいたという人も少なくはないだろう。

 一軒家購入ということにいろいろな理由があることだろうが、その多くは、このような事情が結構あるのではないだろうか?

 それを考えると、

「これからも、どんどん、住宅街が埋まっていくことだろうな」

 と考えるのであった。

 門脇五郎という男性が、都心部から1時間くらい電車でかかるところの小高い丘に、一軒家を購入したのは、事件が明るみに出る、1年前くらいだったのだ。

 門脇五郎は、家から駅まで、バスで20分くらいであろうか。

 だから、電車の乗り換えなどを考えると、会社までは、1時間半から、かかって2時間くらいというところである。

「家からバス停までが、数分で行ける距離である」

 ということと、

「会社の最寄の駅から会社までは、これまた数分」

 という、一等地にあることから、通勤時間は、そんなにかかるということはないようだった。

 しかし、電車やバスの中というと結構な人が乗ってくる。

 しかも、電車で1時間かかるということは、これは結構な距離で、首都圏であれば、

「これくらいは普通だ」

 ということで、

「埼玉や千葉、神奈川からもたくさん通勤してくる人がいる」

 というくらいで、そんなに珍しいことでもない。

 中には、

「熱海や小田原などから新幹線通勤している」

 という人もいるというではないか。

 それを考えれば、

「首都圏ではない、都心部の通勤で、1時間半くらい」

 というのは、

「通勤としては、ギリギリというところだろうか?」

 といわれるのであった。

 だから、新興住宅としても、比較的リーズナブルな値段で、その分、人気もあるのだった。

 門脇が購入した時は、まだまだ土地は残っていたが、1年も経てば、だいぶ住宅もできてきていて、

「後は入居するだけ」

 というところも、結構あるようだった。

 ただ、まだまだ、

「歯抜け状態」

 のところもまだまだあり、バスも、途中からは人が増えてくるが、この住宅街を抜けるあたりまでは、それほど客は乗っていない。

 それだけこの辺りは、駅前のちょっとしたところくらいまでしか住宅としての機能はしていないということで、まだまだ、田んぼなどの緑が残っているとことだったのだ。

 だから、このバス路線も、

「引っ越してくる少し前に開設された」

 というところであり、当時は、

「完全に、住宅街のための路線」

 ということで、最初は、

「赤字路線」

 ということだったのだろう。

 それでも、どんどん客が増えてきたのは、病院や学校などができてきたからだろう。

 そして、そのうちに、大型商業施設ができてくると、

「やっと、バス路線らしくなってきた」

 ということになるであろう。

 それでも、この辺りに住んでいる人は、マイカーを持っている人は少なくなかった。

 さすがに、門脇は、

「そこまではできない」

 ということで、

「マイカーよりも、一軒家」

 を優先し、家族も、

「公共交通機関を使うというのは、しょうがない」

 ということであったが、計画からすれば、

「数年で、車を買うくらいにはなっている」

 ということであった。

 だから、家族のだれからも、

「車がほしい」

 といわれることはなかったので、そのプレッシャーを感じることはなかったのだった。

 だから、毎日のように、バスに乗っての通勤だったので、残業を余儀なくされた時などは、結構遅い時間に帰ってくるということも少なくなかった。

 だが、それは、バブルの時代の頃のことであり、門脇が、

「ここに家を購入した」

 という時は、まだまだそこまでのことはなかった。

 残業も比較的なかった頃で、会社が6時に終われば、普通に寄り道せずに帰ってくれば、大体夜8時までには帰ってこれるということであった。

 その頃になると、それ以前のように、

「お父さんが帰ってくるまで、晩御飯はお預け」

 というような、

「古臭い悪しき風習」

 のようなものはなくなっていた。

 このように、

「都心部のドーナツ化現象」

 というものが進むと、父親が帰ってくるまで待っていたりなどすれば、

「明らかに、子供の寝る時間が遅くなってしまう」

 ということになり、それは大きな問題となることであろう。

 それを思うと、

「家族バラバラの晩御飯」

 というのも当たり前であろう。

 ただ、昔は、父親の権威というものがものすごく、父親の一言で、なんでも決まった時代だったが、この頃になると、

「父親というと、給料を持って帰ってくるだけの、働きバチ」

 とまで言われるほどに、権威というものが、失墜しているといってもいいだろう。

「何がここまで、父親の権威を失墜させたのか?」

 いろいろな理由があるだろうが、

「子供に未来を託す」

 というような風潮もあるかも知れない。

 この時代くらいから、

「子供の受験戦争」

 といわれる時代になってきたということであろう。

 その日も、会社が終わってから家に帰る時間がちょうど午後8時くらいであった。バスにはほとんど乗客がおらず、それでも、その日は、5人と、普段よりは多かったような気がした。

 いつものバス停では、普段は自分しか降りないのだが、その日は珍しく、もう一人が降りたのだった。

 気にはなったが、

「顔を見るのも失礼だ」

 と思い、わざわざ視線をそらしていた。

 普段から、席はいつも後ろの方に乗っている門脇だったので、その日もほぼ後ろの方に乗っていた。もう一人の同じバス停で降りる男は、一番前に乗っていたのだ。

 どうして、その男がそのバス停で降りるというのが分かったのかというと、それは、その男が、降車ボタンを押したからである。

「ああ、この人も降りるんだ。珍しいな。他に降りる人がいるなんて」

 と思ったのだ。

 男は、必然的に門脇よりも先に降りることになる。バスの運転手は、すっかり門脇とは顔見知りなので、門脇が降りることは分かっている。これだけ毎日乗降客が少ないのだから、覚えるのも当たり前だということである。

 バス停が近づいてくると、先に、その男は席を立った。

「バスが止まってから、ご移動ください」

 というアナウンスはあるが、別にいけないわけではない。

 本人が、

「危なくない」

 と思えば別に構わないだろう。

 しっかり手すりを持っているようなので、運転手も何も言わない。その客はまったく何も言わずに、バスが到着すると、カードをかざし、降りていく。

 別に追いかけているわけではないが、追いかけるような状態で、門脇は、バスから同じようにして降りるのだった。

 ただ、門脇は、運転手に、

「お疲れ様です」

 という、いつもの声を掛け、運転手も、同じように、

「お疲れ様です」

 という言葉を返すことで、いつもの会話が成立したということであった。

 バスの中は、数人しかおらず、そのまま発車していく。それも、いつものことであった。

 門脇がバスから降りて、反射的に、来た道と、これから家路につく道とを、交互に見渡した。

 もっとも、これは、いつものことで、別に珍しいことをしたわけではなかった。ただ、

「おや?」

 と感じたのは、

「今降りたはずのバス停からまわりを見て、誰もいない」

 ということであった。

 たった今、自分よりも数秒早くバスから降りたはずの人間が、忽然と姿をくらますということは考えられない。


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