死体損壊と、犯罪の損壊

森本 晃次

第1話 顔のない死体

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年1月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。


 小説の中のジャンルとして、SF小説であったり、恋愛小説、ミステリー小説や、ホラー小説などといろいろな種類のものがある。

 特に、ミステリー小説というと、結構昔からあるということであろうが、日本では、まだまだ歴史が浅いかも知れない。

 そもそもは、欧州の小説などがそのほとんどであろう。

 有名なところで、

「シャーロックホームズもの」

 と呼ばれるものや、

「怪盗ルパン」

 というような、主人公は探偵というわけではなく、怪盗の方が主人公というのも、最初の頃のミステリー小説にはあった。

 当時とすれば、ジャンルとしては、

「探偵小説」

 と呼ばれるものだっただろう。

 探偵小説というと、狭義の意味では、

「私立探偵と呼ばれる人が出てきて、その人を中心に事件が展開し、最後には探偵による鮮やかな謎解きで、颯爽と、事件が解決される」

 というものである。

 そういう意味で、

「連作小説」

 と呼ばれるものが多いだろう。

 だから、

「シャーロックホームズもの」

 であったり、

「怪盗ルパンもの」

 というシリーズものが多かったりする。

 それは、今も昔も変わっているわけではなく、まだまだ黎明期と呼ばれた日本でも、戦前、戦後と、

「名探偵」

 と呼ばれる人が登場していた。

「明智小五郎」

「金田一耕助」

 などの名探偵がその代表例であろう。

 明智小五郎の場合は、連載当時から大人気であったが、金田一耕助の場合は、連載当時は、人気もあるにはあったが、絶対的な人気を博したというのは、連載最盛期から、20年くらい経ってからだといってもいいだろう。

 この二人の探偵は、その風体も違えば、探偵業としても、かなり違っている。

 時代的には、

「明智小五郎の方が時代は古く、全然がほとんどだが、金田一耕助の場合は、戦後がほとんどであった」

 ということだ。

 そもそも、この二人の探偵の生みの親である、

「江戸川乱歩」

 と、

「横溝正史」

 というのは、親友といってもいいかも知れない仲であった。

 江戸川乱歩が作家として人気を博していた時、横溝正史は、ちょうど、出版社で、編集長をしていた。

 そういう意味で、

「江戸川乱歩が悩んでいる時など、横溝正史がアドバイスを送ったりなどという交流があった」

 ということであった。

 しかも、そもそも、金田一耕助が文壇に登場した時であるが、横溝先生自体は、

「金田一耕助には、複数のモデルがいる」

 といっている。

 その中でも、明智小五郎のデビュー作といわれる作品に出てきた明智小五郎をモデルにした。

 ということであった。

 明智小五郎というと、洋服を着ていて、パリッとした西洋風探偵のイメージが強いが、デビューでは、ボサボサに髪に、よれよれの袴を穿いたという、まるで、明治時代の書生のような服装だったというものであった。

 江戸川乱歩は、そんな明智を一作で終わらせようと思っていたのだが、まったく違った、紳士としての探偵に明智小五郎が生まれ変わったことで、横溝正史は、その時の明智小五郎を模した探偵を自分の作品に使っていいかというのを申し入れたところ、

「構わない」

 ということだったので、

「金田一耕助」

 というキャラクターが生まれたということになるであろう。

 二人の探偵は、風体だけではなく、捜査方針も、探偵作法もまったく違っていた。それこそが、

「二人の文豪の個性だ」

 といってもいいのではないだろうか?

 ただ、共通点も結構あり、それが、読者に対して、

「憎めない存在」

 ということで、明智小五郎に至っては、100年近くも前から文壇デビューしているということで、

「シャーロックホームズ」

「怪盗ルパン」

 に匹敵する、日本を代表する探偵ということで、

「金田一耕助」

 という探偵も上げることができるであろう。

 そんな時代において、時代として、日本では、

「探偵小説黎明期」

 と呼ばれる時代でもあった。

 日本では、まだまだ探偵小説というものは、それほど人気があったわけではなかった。

 どうしても、海外の探偵小説のように、

「紳士的で、スマートな探偵が出てきたり、犯罪も、そういうスマートな話がなかなか書けなかったとしたのは、それだけ、日本の童子の時代背景もあったのではないだろうか?」

 明治時代には、何といっても、政府の政策として、開国時に、諸外国と結ばされた、屈辱的な

「不平等条約」

 というものがあることで、

「海外の勢力には今はかなわない」

 ということから、

「欧米に追い付け、追い越せ」

 ということで、その文化を吸収し、真似ることから始めるということにより、

「殖産興業」

 であったり、国防という意味では、

「富国強兵政策」

 というものを推し進めていたので、どうしても、

「欧米寄り」

 という政策になってきたが。それも、明治時代の二つの対外戦争による勝利などの影響もあってか、不平等条約の撤廃が行われ、日本という国は、

「世界の大国」

 として、進出し、

「第一次大戦においては、戦争特需」

 によって、先進国といわれるようにさえなった。

 ただ、その後の、

「世界恐慌問題や、日本の急激な人口増」

 などの問題と、

「ソ連や、中国問題」

 によって、

「日本国は、満州への進出が不可欠ということになり、それが、欧米列強を刺激し、さらに、国際連盟からの脱退と、孤立化を深めたことでの、大陸進出」

 ということから、昭和になると、

「動乱の時代」

 となってきたのだった。

 軍国主義ということになった日本は、他の国にはない、大きな国家体制の問題があったのだ。

 というのは、

「軍というものが、政府から独立している」

 ということであった。

 軍というものは、天皇直轄で、天皇の勅命以外を聞く必要はない。つまり、総理大臣であろうが、陸軍大臣であろうが、政府内にいる人間に対して、軍の作戦であったり。方針を漏らしてはいけないということである。

 だから、どうしても、

「軍部の独走」

 というものが起こるわけで、本来なら、外交と軍の作戦とを並行してしなければいけないものが、軍部の作戦を漏らしてはいけないということで、国家は、それをいかに対応すればいいかということが問題になるのであった。

「有事においては、政府よりも、何よりも、軍が国家を統制する」

 ということになり、戦時体制として、

「大本営」

 というものが作られる。

 これは、陸軍の作戦を立案する

「参謀本部」

 と、海軍の作戦を立案する、

「軍令部」

 というところが一緒になって、軍全体の本部ということで設立されるので、

「大本営発表」

 というのは、軍部の発表ということになるのであった。

 そんな時代に、経済による混乱と、さらに、社会主義である、

「ソ連の台頭」

 そして、ヨーロッパにいける、

「ナチスに代表されるファシズムの台頭」

 というものがある。

 ファシズムというのは、イタリアで始まったものであるが、完成系を見たのは、やはり、ドイツにおける、

「ヒトラーによる、ナチス党」

 というものであろう。

 そもそも、ナチス党の台頭というのは、第二次大戦が起こる、わずか20年前に終了した、

「第一次大戦」

 というものからの起因である。

 その時、勝戦国である連合国側が、敗戦国であるドイツに対して、その賠償金であったり、植民地を手放すようなことをして、

「国家転覆に近い」

 という形の処遇を行ったことで、ドイツ国家は疲弊してしまった。

 本来であれば、

「これで戦争を起こすということができなくなった」

 という単純な考えであろうが、ドイツ国家の混乱は、そんなものでは済まなかったといえるだろう。

 戦争ができなくなったのはいいが、根本的な生活ができなくなってしまい、さらにそこに世界恐慌が追い打ちをかけ、世界全体が、不況ということで、アメリカが中心の、

「持てる国」「

 だけで生き残りをかけるという、

「ブロック経済」

 というものを敷いたのだから、

「持たざる国」

 としては、こちらも生き残りをかけて、国内をまずどうにかしないといけないということから、

「今までの中ぬるい政府では、どうしようもない」

 ということで、

「強い政府」

 を望んだのだ。

 そこで、ヒトラーが台頭してくるわけだが、彼が掲げるのは、

「ドイツ民族による強いドイツの完成」

 というものだった。

 今まで、敗戦国として虐げられていたものを、強い政府が、今まで虐げてきた連中を見返そうとするのだから、今までの体制では難しい。

 しかも、敗戦前までというと、王国だったわけで、そこから民主国家となったわけだが、

「民主国家というものが、自分たちの生活をいかに、何とかしてくれるということになるのだろうか?」

 ということであった。

 そこで国民が望んだのは、

「強さ」

 ということであり。そのためには、

「一党独裁」

 であっても、かまわない。

 つまり、ナチス党というものが、一党独裁となり、他の政党を認めないという、本当の、

「独裁政治」

 であっても、

「一人のカリスマ性を持った指導者がいれば、諸外国に立ち向かえる」

 ということであり、さらに、

「ドイツ国民を唯一の民族」

 という考えで、国家を統一しようとする考えが、

「今のドイツを困窮から救うためには不可欠だ」

 ということになるのだ。

 しかも、ユダヤ人への不満も、ドイツ民族はそれぞれに持っていただろうから、ナチス党が、

「ユダヤ人迫害」

 というホロコーストを起こしたとしても、それは、

「悪いことではない」

 と思えた。

 しかも、プロパガンダや、演説によって、

「ドイツ民族こそが、世界の覇者」

 のような言い方をするのだから、ナチスが独裁政権を敷き、ヒトラーが、

「総裁と大統領を兼ねる」

 というような、

「総統というものになったとしても、それはそれで、強い指導者を得たことで、頼もしいカリスマ性だ」

 と思ったことであろう。

 それを考えると、イタリアというのも、

「かつてのローマ帝国を復興させる」

 というような、民族性に訴えた政権である、ファシスト党を率いる、ムッソリーニという人も、ヒトラーと同じだったのだ。

 ただ、日本の場合は少し違っている。

 ヒトラーや、ムッソリーニのような

「絶対的なカリスマ性を持った人物」

 というものがいるわけではないが、

 前述のように、

「日本には、軍部が政府と独立していて、軍部が、国防の観点から、他国を刺激するようになり、それによって、引き起こされた満州事変によって、成立した満州国を認めないということで、日本は、国際連盟から脱退し、孤立の道を歩む」

 ということになったのだ。

 しかも、日本というのは、基本的に、

「アジアの盟主」

 を狙っていた。

「満州国建国」

 というのも、その一つで、いつからか、

「欧米に植民地化されている東アジアを欧米から解放し、日本を中心とした新秩序を建設する」

 という、

「大東亜共栄圏」

 というものを確立するという考えが芽生えていたのだ。

 だから、ヨーロッパで、比較的考え方の近いドイツ、イタリアと同盟を結んだことは、無理もないことであろう。

 もっとも、それに対しては、かなりの反対があったのも事実ではあった。

 今の時代に、歴史で習う、

「日独伊三国同盟」

 というものを聞いた時、

「よくも、こんな悪魔のような国家と同盟を結んだものだ」

 と思った人もたくさんいるだろう。

 しかし、この当時は、戦争のたびに、結びつぃく国が違っていて、どっち側につくかということは、

「やってみないと分からない」

 ということで、特に、

「欧州戦線は、意味不明」

 といわれた時期があったくらいだ。

 主義やイデオロギーが違っていても、ただ、

「目指すその時の目的が同じ」

 というだけで結びついて、それが終われば、勝手に不可侵条約を無視して、侵攻するというようなことが、平気で行われていたりしたのだ。

 大日本帝国というのは、そのあたりは毅然としていたところがあっただろう。だからこそ、

「アメリカが、日本を世界大戦に巻き込むことは、容易だ」

 ということで、経済制裁などということを平気で行ったのだろう。

 だから、日本が起こした戦争は、決して、

「太平洋戦争」

 ではなく、閣議決定された、

「大東亜戦争」

 というものなのである。

 そんな時代、しかも戦時中は、娯楽の制限は激しかった。小説なども、探偵小説などのジャンルは発禁になったり、それまで売られていたものも、廃版となったりした。当然、

「食うに困る」

 というわけで、

「苦肉の策」

 ということで、

「時代小説」

 というジャンルを書くしかない作家もいたくらいだった。

 いわゆる、

「当局」

 といわれるところは結構厳しく、出版界も大変だったことだろう。

 食べるものも配給制で、ほとんどその配給も回ってくることもなく、若い男性は、どんどん兵隊にとられていき、そのうち、金属類回収ということで、家庭の金属を国が回収し、武器弾薬に変わっていくというわけだ。

 そして、大本営発表ということで、日本軍は破竹の勢いで、敵を撃破しているというわりに、暮らしがよくなるところか、どんどん厳しくなっていくではないか。

 さらに、そのうちに、今度は、毎日のように、大都市は空襲にさらされる。そのうちに、

「本土決戦」

「一億総火の玉」

 などという、国家的な玉砕を匂わす状態になってきた。

 さすがに、ここに及んで、

「大本営発表」

 というものを、そのまま信じる人はいないだろうが、だからと言って、どこに逃げるというわけにもいかない。

 日本のほとんどの場所は、どこに逃げても、空襲にさらされるわけで、疎開でもしないと、どうしようもないだろう。

 しかし、自分だけ逃げるわけにもいかないし、差別もひどいはずなので、結局は、政府や、大本営のいうことを聞くしかないのだろう。

 さすがに、原爆投下、ソ連の参戦などが重なって、政府が無条件降伏をしたことで、いわゆる、

「終戦」

 ということになったのだ。

 実際には、

「無条件降伏という敗戦」

 であり、そこから、

「占領統治」

 というのが行われ、

「死なずに済んだ」

 というだけで、ここから実際に

「戦後の混乱」

 というものが起こってくる。

 確かに、

「空から爆弾や焼夷弾が降ってくる」

 ということはなくなったが、食糧難であったり、住む家がないということはどうしようもないこととなり、

「栄養失調」

 などで餓死をしたり、住む家がないことで、

「凍死する」

 という人も少なくはなかっただろう。

 何といっても、致命的に物資がない。いわゆる、

「ハイパーインフレ」

 である。

 お金を持っていても、

「紙きれ同然」

 ということで、肝心の食糧は配給制。それも、いつ配給があるか分からないというものであった。

 だから、次第に、

「闇市」

 というものが流行ってくる。それが、さらに戦後の混乱に拍車をかけるというもので、治安など、あってないようなものだといえるかも知れない。

 それを考えると、

「闇市というものは、必要悪の一種だったのだろうか?」

 とも考えられる。

 しかし、それがなければ、生き抜くことはできなかった人もかなりいるだろう。実際に、

「闇市などは使わない」

 といって、栄養失調でなくなったという人もいたくらいなので、その判断も難しいところであっただろう。

 そんな時代を何とか乗り越え、

「もはや戦後ではない」

 という時代に入ってくると、探偵小説も、また読まれるようになってきたのだ。

 中には、

「戦後の混乱」

 を探偵小説として描いた作家もいれば、

「人間の性格や、歪んだ時代を背景に、動機も歪んだ犯罪が多く描かれる」

 ということもあったりしたのだ。

 もちろん、その頃も映画化などされたりした作品もあったが、実際に爆発的な人気となったのは、

「戦後、30年近く経った頃だった」

 というのは、ちょうど、その時代にブームが訪れたということになるのであろうか。

 それが、横溝正史の作品であり、空前の、

「金田一耕助ブーム」

 だったというわけである。

 横溝正史は、自分なりの、トリックに対しての考え方があり、それを小説の中で書いていた。

「密室トリック」

「顔のない死体のトリック」

「一人二役トリック」

「アリバイトリック」

 などなどである。

 この中には、

「最初からトリックを読者に示すもの」

 もあれば、

「トリックが分かってしまうと、そこで犯人までも分かってしまう」

 というものもある。

 密室トリックのように、

「密室トリックなということは分かるが、その謎をいかにして解くか?」

 ということがあるという。

 そんな中で、

「顔のない死体のトリック」

 というものがあるが、これは、当時の探偵小説では、結構使われたトリックだったといってもいいだろう。

「顔のない」

 というのは、いわゆる、

「死体損壊トリック」

 とも言い換えることができる。

 いわゆる、

「首なし死体」

 であったり、

「顔をめちゃくちゃに傷つけられていて、さらには、身体の特徴のある部分を分からなくする」

 ということで、簡単にいえば、

「被害者が誰なのか?」

 ということを分からなくする

 というものである。

 そこにどのようなメリットがあるのかというと、

 犯罪というのは、

「被害者と加害者」

 というものが存在する。

 被害者がいるから、加害者を捕まえて、処罰するというのが犯罪であり、見つかった死体の身元が分からないということになると、おのずと、

「犯人も分からない」

 ということだ。

 被害者が誰だか分かったことを前提に、被害者の身辺調査が行われ、現場近くでの、目撃者捜しなどと並行して、

「犯罪動機」

 という観点から、犯人を捜すということである。

 さらにもう一つ言えることとして、

「そこで見つかった死体が誰かは証明できないが、まわりの状況であったり、証言などから、ひょっとしてという人物が浮かべば、その時の状況が、分かってくる」

 ということであれば、

「何も故意に死体を損壊させる必要がない」

 という状態で、犯人がわざとそんなことをしているのであるとすれば、一つの疑念が浮かんでくるというわけで、それが、

「探偵小説のトリック」

 として考えられるようになった。

 つまり、

「顔のない死体のトリック」

 というものには、公式のようなものがあり、それが、

「被害者と加害者が入れ替わる」

 というものであった。

 その場合のメリットとしては、

「犯人は、殺されたということになり、身を隠すことで、指名手配されることはない」

 つまり、警察が、犯人を、

「被害者だ」

 と認定すれば、指名手配は、被害者を探すことになる。

 何しろ、指名手配の相手は死んでいるのだから、手配をしても、見つかるはずもない。

 しかも、犯人は死んだことになっているので、手配されることはないというわけなので、この事件は、迷宮入りということになるであろう。

 当時の殺人には、

「時効」

 というものがあり、

「15年間捕まらなければ、それ以降、犯人だと認定されても、逮捕されることはない」

 ということになるのだ。

 問題は、時効が成立するまでの15年間というものを、いかに犯人が逃げおおせるかということになるのだ。

 基本的に、15年間もずっと、

「捜査本部が開かれたまま」

 ということはないだろう。

 事件は、他にも山ほどあるわけで、一つの事件に、捜査員をかなりの数動員して捜査に当たるというのも、限度があり、その間に犯人が捕まらないと、

「未解決事件」

 ということになるのだ。

 以前は、その未解決事件も、

「時効成立前」

「時効成立後」

 ということで別れて捜査資料などは保管されていたであろうが、時効が撤廃された今では、

「すべてが、ただの未解決人」

 ということになるであろう。

 だから、未解決事件というのは、ひとくくりにすると、相当な数であることに間違いないだろう。

 さすがに警察も、捜査本部が解散してしまえば、その後で、何かの決定的な証拠というものが出てこない以上、捜査をすることもない。

 その決定的な証拠というのも、

「何か他の事件で捜査を行った時に、その決定的な証拠が出てくるというようなことでもない限り、ありえないことだ」

 といえるのではないだろうか、

 例えば、空き巣や、万引きなどという事件があった時に採取した指紋を照合する中で、指紋が見つかったなどという場合である。

 もし、その指紋が、他の事件の前科者であったりして、その事件が、殺人事件の前であれば、見つからないわけでもないだろう。

 よくミステリー小説や、サスペンスドラマなどで、時効があった頃の話として、

「時効まであと数日」

 ということで、そんな指紋が見つかり、

「何としてでも、時効までに犯人を検挙する」

 などというストーリーは、結構あったような気がする。

 その時に、

「顔のない死体のトリックだったのでは?」

 ということになるだろう。

 何といっても、今見つかった指紋は、捜査本部があった時、

「被害者だ」

 ということで特定されたものだっただけに、警察としては、大きなミスを犯したということになり、その事実が分かった時点で、上層部は、

「検挙は至上命令」

 ということになるに違いない。

 そういう意味で、

「顔のない死体」

 というのは、

「トリックとして考えるのであれば、それは、公式が存在する」

 ということで、他のトリックとは、一線を画したもおのだといってもいいかも知れない。

 ただ、時代が進んでくると、

「顔のない死体のトリック」

 や、

「アリバイトリック」

 などというのは、

「時代にそぐわない」

 といわれるものとなってくるだろう。

 というのは、

「科学捜査の発達」

 というものが大きいのではないだろうか。

 指紋の照合や身元確認などというのも、今では警察内部、警察以外の医療機関でも、コンピュータ管理されていて、それらが、早急に照合できるようになったことで、さらに、精度の高い、身元確認ということになり、犯人も、

「顔のない死体のトリック」

 というものを使えなくなったことだろう。

 さらに、

「アリバイトリック」

 というのも、やりにくくなっているだろう。

 今の時代は、いたるところに、防犯カメラが設置してあったり、車の中には、ドライブレコーダーが積んであったりする。

 つまりは、

「自分が見える範囲で誰も見ていないと思っても、防犯カメラや、その時たまたま走っている車のドライブレコーダーに映っている可能性もある」

 ということで、警察は、防犯カメラと一緒に、

「その時通っていた車を探す」

 ということもしているだろう。

 中には、定期配送の車などで、

「毎日同じ時間に、ほぼ同じ場所を走っている」

 という車だってあるだろう。

 中には、

「エンジンをかけたまま、休憩している」

 というようなドライバーもいないとも限らない。

 それを考えると、

「アリバイ工作など不可能だ」

 といわれる時代になってきたといってもいいだろう。

 ただ、今の時代は、いろいろ難しいところもある。

 確かに、防犯という意味で、防犯カメラの設置は、

「不可欠だ」

 ということになるのだろうが、実際には、

「個人情報」

 つまり、

「プライバシー」

 というものの保護というものが重要になってくるというものである。

 特に、

「個人情報保護」

 というものは、これも、問題が

「コンピュータ普及」

 というところにかかわってくるということで、話がややこしくなる。

 今の時代は、

「便利になればなるほど、それを利用しての犯罪も多発する」

 ということになるのだ。

 その一つが、

「ハイパー詐欺」

 のようなものであり、その最初の手口として、

「相手のコンピュータから、個人情報を盗む」

 ということである。

 コンピュータウイルスなるものを相手のパソコンに侵入させ、そこから、個人情報を抜き取ったりして、さらに、そこで、相手の電話番号や家族構成などを盗み取ると、何か、公共施設の職員を装って、金を送金させるなどというやり口だったりするのだ。

 相手が、こちらの個人情報を知っていた李すると、

「ああ、やっぱり、公共施設の職員なんだ」

 ということで安心して、相手の言いなりになってしまうのである。

 最近ではよくあるのは、

「還付金詐欺」

 というものだったりする。

 ただ、昔の探偵小説の時代は、

「パソコン」

 などというものはなく、

せめて警察の捜査のために、大型コンピュータによって、情報を管理するということもあっただろう。

 膨大な数の指紋などは、そこで管理して、照合するというのは、技術は進化はしただろうが、昔と変わらないといってもいいだろう。

 それを考えると、

「犯罪形態やトリックなどというのは、今ではなかなかできなくなったものも出てきたが、今の時代ならではの、多種多様な犯罪が生まれてきた」

 というのも事実である。

 それだけ、

「犯罪というものは、どんどん変化していくということで、いくら、科学が発展し、昔の犯罪ができなくなったとはいえ、今度は、そのコンピュータなどを駆使した捜査の逆手を取る形で、ウイルスを送り込むなどして、犯罪を多角化させるということで、実際に犯罪はなくなるということはない」

 といえるだろう。

 それこそ、

「いたちごっこ」

 というもので、

「ウイルス駆除ソフトを作って対応しても、今度は向こうも、さらに他のウイルスを開発してくる。そして、そこにまた駆除ソフトを開発すると、相手はそれ以上のウイルスを作ってくる」

 という形での、

「いたちごっこ」

 になるということである。

 ただ、戦後からの探偵小説などにおいて、確かに、

「顔のない死体のトリック」

 というものが、多く使われたという事実は紛れもないことであり、今でも、ドラマ化されたものとして、当時を思わせる、、ある意味、

「新鮮な作品だ」

 というのは、不謹慎なことであろうか?

 今度の事件は、ちょうど、そんな探偵小説がブームを迎えた、1970年代に発生した、いわゆる、

「顔のない死体」

 から端を発するのであった。


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