夢は終わり、時が動いて

 初雪が降りそうな鈍色にびいろの空の下。

 僕たちは、そう呼ぶにはあまりに唐突な再会を果たした。心の準備なんてさせてくれなかった偶然を半ば恨みながら、僕はあくまで静かな燐華りんかを見る。

 燐華もどうやら同じ思いだったらしく、ちらちらと落ち着きなく僕を見ながら何度か息を吸ってから、声を発する。


「ずいぶん久しぶりだよね」

「あぁ。……元気にしてたか?」

「うん」

「そっか……。…………」

 学食に来てから、ずっとこんな調子だった。

 どちらかが口を開いては、少し会話が繋がったところでお互いが黙ってしまう──その繰り返しだ。僕も、たぶん燐華も、もしもまた会えたら話したいことは山ほどあっただろうに、いざ対面すると何も話せない。


 燐華は、この数年ですっかり変わっていた。

 いつもオドオドして小さい子どもみたいだと思っていたけど、今では見た目だけならすっかり垢抜けて、向こうから話しかけられなければこうして同じ席に座るのに気後れしてしまうくらい。

 だけどとても綺麗で可愛く、人に尋ねてみたら8、9割は美少女だと言うだろう今の燐華は、あの頃よりも更に深く周囲に怯えているような、何かを窺っているような様子だった。

 そんな姿を見たからだろう、つい口走っていた。


「そういや、同じ大学だったんだな。今までよく会わなかったなぁ、ここそんな広いとこでもないのにさ」

「…………、うん」


 ……う。

 やっぱり昔のようにはいかないか。


「もし何かの講義被ったら、一緒に受けるか?」

「やめなよ、そういうの」


 え、と声をあげる間もなく。

 燐華は勢いよく席を立って、そのまま立ち去ってしまう。そして自分が何を言ったのかを思い返して、すぐにその無神経さに気付いて謝ろうとしたが、そこを「ちょいちょいちょい!」という慌てた声で止められてしまう。

「……っ、なんだよ秀司しゅうじ、いま大事なとこで、」

「やめとけやめとけ! あの娘はちょっとヤバいんだ」

 事情通を気取った口調で僕を押し止めたのは、谷本たにもと秀司しゅうじ。大学に入ってすぐ、新歓コンパをふたりで抜け出して近くの祠を壊して回ってから意気投合した、気のいいやつ。

 今もそういう口振りで話しているが、確かに秀司は何かと詳しい。不思議ちゃん系の同期生が教授を寝取ってその奥さんに報告しただの、美魔女と話題の教授の愛人になっていたOBがその娘に手を出して去勢されただの、どこで聞き付けるんだという話を面白おかしく話してくる。

 そんな秀司のいうことだから、まさかと思いながらも訊かずにはいられなかった。


「ヤバいって、何が」

「ったく……ものを知らないやつだな。そんなんじゃこの情報社会に取り残されるぞ? そもそもな、情報を制すものはインフォメーションを制するって……」

「いいから。頼むから、教えてくれ。何がどうヤバいんだ?」


 僕は、少しだけ苛立ち始めていた。

 燐華が『ヤバい』って何だ?

 僕の記憶にある燐華は大人しくて、引っ込み思案で、誰かに手を引かれないと寂しそうに立ち止まっているような子で、秀司が聞き付けるような噂なんて立つはずがなかった。

 そのはずなんだ。


真剣マジな目しやがって。ま、そんな優斗だから、俺も一緒に新歓抜け出したんだけどさ」

 ……気色悪いウィンクと共に、秀司は燐華の『ヤバい』噂に言及した。


「ここってさ、4号棟あるだろ? そうそう、なんか事務室みたいのが集まってるとこ。そこの地下……てかちょい地下?みたいなとこにトイレあるじゃんか。火曜日の夕方……、5時だったかな。それくらいになると、そのトイレにさ……、いるんだよ」

「は?」

 今、燐華の話をしてたんだぞ? なんで急に学校の七不思議みたいな話を──


「あんまハッキリ言わせんなって。これはただの噂じゃあねぇぞ。その……俺もさ、お世話になったしヽヽヽヽヽヽヽヽ

 なんとなく気まずそうな秀司の態度に、心臓が嫌な跳ね方をする。


 そもそも、秀司が耳聡く聞き付ける噂なんていうのは大概が学部生の色恋の話だ。眉唾ものではあるがどこそこのサークルは爛れてるヽヽヽヽなんていうのも秀司の守備範囲で、確かにそういうサークルにはいい噂がないのも事実で。

 ……そんな秀司が話す噂に、燐華のものがある?


 いや、考えすぎだ。

 だって、あの燐華だぞ?

 いつも僕の後ろをついてきて、僕の背中越しじゃないと誰かと話すのも四苦八苦していた燐華が秀司の話すような……怪しい噂になるようなことをしているわけない。


 そして、次の火曜日。

「ほんとに行くのかよ!?」

「あぁ。……確かめなきゃ、いけない」

「待て待て、酷い顔してるじゃんか。あの娘、優斗ゆうとの知り合いだったんだろ? そんなのさ……」

「違う」


 だった、なんて言うな。

 その言葉を飲み込んだのは、どうにか残った意地だった。

 とっくに崩れたはずだった燐華の『お兄ちゃん』としての、虚勢にも似た何か。


「知り合いなんだよ、僕と燐華は」

「あ、おい優斗!」


 居ても立ってもいられない。

 だって、そんな……そんな、さぁ!


 叫び出したい気持ちで辿り着いた多目的トイレ。

 床にしゃがみ込んで、口許にペーパーを当てて何かを吐き出していた様子の燐華は、僕を見つけて「ゆうちゃんもこういうの興味あったんだ」と暗い笑顔を浮かべていた。その口許は、暖色の仄暗い証明の中で胸騒ぎのするツヤを帯びていて。

 思わず、声が漏れた。


「なんだよ、それ……」

「見ての通りだけど? ゆうちゃんだって男の子なんだもん、別にいいよ」

 優しい──しかし冷たさのにじんだ声が、少し冷え込むトイレの中に響いた。

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