第5話 悠子は息子への復讐をもちかけてきた
悠子の息子祐太は、小学校六年のとき、九州から都会に転校してきた。
祐太は、偶然にも藤堂牧師の出身中学出身で、その中学も罪友寄り添い教会のすぐ近くにあった。
祐太は、中学一年の終わり頃、この近辺の川沿いで刺殺されたのだった。
しかし、祐太の母である悠子にも責任はないとはいえない。
祐太は転校前までは、サッカーの得意な活発な子供であり、明るくて勉強もできるムードメーカーだった。
転校後は、祐太は近くの公園で夜遊びをするようになった。
そこで知り合った当時は未成年だった青年とつるむようになった。
青年Aは、いわゆる暴走族などの組織の人物ではなく、無職だった。
小学校時代は、おとなしいパシリ専門のいじめられっ子だったという。
中学時代は、勉強のできないなまけ学生であり、高校進学は果たしていない。
義理の父親と、日本語が流ちょうとはいえない実母との元で生活し、コンビニでアルバイトしていたが、リストラを言い渡されたばかりだったという。
青年Aは、最初は祐太に親切で一緒にゲームをしたり、牛丼をおごってやったりした。
しかし、祐太に万引きを強要したところ、祐太はきっぱり断り、そのとき、なんと祐太の右目を殴った。
その殴り方は尋常ではなく、祐太はしばらく目が開けられないほどで、目の周りにはくっきりと黒いあざができていた。
たまたま青年Aは、ウィスキーに泥酔していたというのもあったが、行き場のない辛さ、将来に対する不安が、陽気で人気者の祐太に向けられたのであろう。
これを見た祐太の友人達は、青年Aに謝罪を求めた。
青年Aはすいませんと一応頭を下げたあと、子供時代のようにいじめられるかもしれないという恐怖にかられた。
少々酒に狂った頭脳で、人気者の祐太がこの世からいなければ、いじめられることもなかろうという妙な被害妄想にかられ、祐太を刺殺する決心をした。
祐太はこのことを、誰にも相談できずにいた。
昼も夜も働きづめの母親に、愚痴をいうわけにもいかない。
近所の大人には「このことは絶対誰にも言わないで下さい」と口止めをした。
祐太は青年Aを暴力で支配していたので、近所の人にまで暴力被害が及ぶと思ったのだろう。
祐太は青年Aの言いなりになるしかなかった。
祐太はそのとき、青年Aから学校へは行くなと言われていた。
母親はなぜなのか問いただしたが、答えはしなかった。
中学一年の三学期から、祐太は一度も登校することはなく、担任が自宅に連絡したが、なぜか連絡はつかなかった。
あのとき、祐太を救ってくれる人が一人でもいれば、刺殺などという惨劇は起こらなかったであろう。
少年Aの生い立ちは、日本語の不自由なフィリッピン人の母親の元に生まれ、勉強はあまりできないいじめられっ子という不遇なものだった。
もしかしてそのうっぷんを、祐太にぶつけた挙句、祐太を消してしまおうとしたのかもしれない。
全く理不尽な話だが、とめてくれる人が一人でもいればこんな悲劇は起こらなかったはずだ。
祐太の母悠子は、祐太が不登校になった二か月目、祐太に異変を感じながらも問い正すことはなかった。
もしそれをすると、祐太が離れていきそうな気がしたからだ。
表面上でもいいから、祐太との良好な関係を築きたかった。
うわべでもいいから、祐太との温もりを消したくなかった。
祐太は食パンを食べながら、母親悠子に「半分食べる?」と半分を差し出してくれたことが、最後の祐太との会話となった。
そののち、スマホで呼び出しがあり、祐太は母親悠子が止めるのを振り切ってでかけていった。
あのとき、私が力づくでも止めていれば。
悠子は自分のふがいなさを感じたときは、祐太は既に戻らぬ人となっていた。
一人息子祐太の死の知らせを聞いたとき、悠子は卒倒するのをこらえていた。
翌日、祐太の死体を見たときは、祐太によく似た人形だと信じたかった。
今にも起き上がり「お母さん、お腹がすいたよ」という声が聞こえてきそうだった。
もちろん、祐太がこの世に戻ってくる筈がない。
しかし、悠子は祐太の死後、半年過ぎてからようやく、天国の雲の上から祐太が見守ってくれている。だから私は祐太の分まで生きていかねばならない。
祐太に恥ずかしくないように、私は生き抜かねばならない。
マスコミは、当時未成年者であった犯人を、庇いだてることはなかった。
目隠しした写真を実名を公表した。
祐太の身体中、ナイフで刺された三十箇所以上の傷跡があった。
こんな残虐な傷害をする加害者を、いくら未成年とはいえ、もはや庇いだてする必要はないと判断したに違いない。
被害者の祐太は、山陰地方の小さな島の出身であった。
島では、バスケットボールのうまい人気者であり、祐太が旅立つ日には、なんと五十人以上の人が「祐太ファイト」の横断幕を垂れながら、見送ったものだった。
小学校六年のとき、都会に転校してからは、祐太の母親悠子は、昼も夜も働くようになった。
祐太は、転校した都会の学校にすぐなじみ、バスケットボール部で活躍していたが、中学生にあがる頃、母親悠子が、男性を家にあげるようになってからは、そこから逃げるように、たまり場である夜の公園へと出かけるようになった。
初めはストリートダンスやバスケットボールをしたりして、夜十一時になると解散していた。
祐太は一人、十一時を過ぎても帰宅せず、一人でバスケットボールの練習をしていた。
そんなとき、祐太より五歳年上の先輩少年Aが、祐太に声をかけてきた。
最初、Aは祐太に食事をおごったりしていたが、そのうち子分として扱うようになった。
少年Aは、高校中退のフリーターであり、コンビニのアルバイトをしていたが、どこも長続きはしなかった。
当然金に不自由していたが、両親は小遣いを与えることはなかった。
「万引きをしてこい」というAの命令を祐太が断ったとき、Aは祐太の左目を殴り、大けがをさせた。
祐太が、Aと離れたいというと、殴った挙句の果て、中学校へも通学するなと言った。
目を大けがした祐太が、昼間一人公園にいると、小学校時代の元同級生が声をかけても「怖くてAから離れることができない」と言うだけで、助けを求めることはなかった。
むしろ、危ないから僕に近づかないで下さいと言うだけであった。
その友人は親に言うと「関わらないようにしなさい」
祐太の救いの手は、どこにもなかった。
それ以来、祐太は毎日通っていた中学へも行けなくなり、不登校状態が一か月続いた。
Aから受けた目の大けがのことのことを、夜の公園で遊んでいた仲間に語ると、仲間はAに謝罪を強要した。
いじめられっ子の過去をもつAは、祐太を謝らせた仲間からリンチを受けるのではないかという被害妄想を抱くようになった。
祐太は明朗活発で人気者で、優等生というところまではいかないが、勉強もスポーツもできて、母親とも仲がいい。
それにひきかえ、自分は勉強のできないいじめられっ子であり、家族ともうまくいっていない。
ただ義理の父親は、自分の世間体を守るために、Aが警察沙汰になることだけはするなときつくしつけていた。
かといって、Aに小遣いをやるわけではなく、Aの将来を考え、教育いやそれ以前にしつけをするわけでもなかった。
このような救い道のないAに、幸せな笑顔の祐太は、自分とは別世界で生きてきた別人種のように思えた。
この幸せな別人種がこの世で生きている限り、自分の居場所はなく、将来に希望ももてないのではないかという不安に押しつぶされた。
祐太に対する妬みと、将来への不安と絶望が嵩じ、祐太さえいなければ、自分の未来は開かれるのではないかという、支離滅裂な願望を抱くようになった。
今までいじめられてきた恨みを祐太にぶつけるように、祐太を夜中に呼び出した。
そして、川辺に呼び出し、祐太を座らせてナイフで三十箇所も刺したのである。
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